「何なのよ! この揺れは!?」

 ルシータは通路の壁に手をついて、何とか倒れないように体を支えつつ悪態を突いた。

ついさっきから始まったこの振動は徐々に大きくなっているように思える。ただそれを気

にする余裕はルシータには無かった。この揺れが始まった時から嫌な予感が続いているのだ。

「早くヴァイのところに行きたいのに……きゃ!」

 一瞬、今までよりも強い揺れがルシータ達を襲った。ルシータはたまらず体勢を崩して倒れる。

(受身が間に合わない!!)

 ルシータが多少の痛みを覚悟した時、その体がふわっと浮かぶ感覚に襲われた。一体ど

うしたのかと眼を開けると視線の先には自分を抱えているレイの姿があった。

「レイ!」

「悪い、遅れて。地震が始まってから兵士達は混乱して逃げちまった。いつのまにかアイ

ズも消えてるし、どうなってるんだこりゃ?」

 レイの口調はこんな時とは思えないくらいに普通である。それが逆にルシータの癇に障る。

「知らないわよ! もう離して!! セクハラで訴えるわよ!!」

「はいはい」

 レイは素直にルシータを離す。そして支えを失ったルシータの体は床へと落ちた。

「いったーい! わざとでしょう今の!!」

「離せと言ったのは嬢ちゃんだろう……」

「そんな事をしている場合ではないようですよ!」

 ルシータとレイの終わらない会話にマイスが口を挟んできた。いつもの口調とは明らか

に違う事に二人は少々戸惑ったのか、体が一瞬止まるがレイが立ち直って問いかけた。

「何が起こっているか知っているのか?」

 マイスは顔を伏せる。その様子を見たクリミナは青ざめた顔でマイスに言った。

「また、あれが起こると言うのマイス……」

 クリミナの『あれ』という言葉にマイスが体を振るわせる。それは無言の肯定だった。

 レイはそれを見て今まで見せた事の無いような厳しい顔をして言った。

「アステリアの悲劇がまた起こるっているのか」

 マイスとクリミナは顔を伏せる。その様子を見てルシータはきっ、と眼を見開くとマイ

スの手を取った。

「とにかくヴァイのところに行こう! ヴァイなら何とかしてくれるよ!!」

「……無理だよ。こうなったらもう止められない。この街は消滅するんだ……。アステリ

アみたいに」

 ぱんっ!

 地震の音が支配する中ではっきりと乾いた音が鳴った。マイスの頬にルシータの平手が

飛んでいた。

「諦めている暇があったら打開策を考えるの! そして今一番確実性があるのはヴァイと

合流する事!! さあ、行くよ!」

 ルシータはマイスの返事を聞く前に手を引いて走り出した。それは地震の中とは思えな

いぐらいしっかりしたものだ。レイも黙って後をついて行く。その顔には何かを悟ったよ

うなものが浮かんでいたがその場にいる者にそれに気づくものはいなかった。





「……私はただ八つ当たりをしていたのかもしれない」

 レリスは地響きが支配する中、ポツリと呟いた。既に『魔鏡』はレリスの手を離れて少

し離れた中空に浮いて魔力の光を放出している。その光が強まるごとに地響きも強くなっ

ている。

「地位も名誉も、力も私にはいらなかった。私が欲しかったのは弟だけだった・・・・・・。

それなのに仕事に従事していたために弟を死に追いやってしまった。私は自分が憎かった。

でも、それを認められずに……」

「そして、それがこれを生んだ」

 ヴァイは座り込んでいるレリスの肩に手を置いた。口調はきつかったが置かれた手は優

しくレリスに触れている。

「レリスがしようと思った事のために、君と同じ思いがこの街に住む全ての人に起こる……。

それはレリスが望んだ事ではないはずだ。自分がどれだけ愚かな事をしたか分か

っただろう」

「……愚かだった……私が……」

 レリスの言葉は途中から嗚咽に変わった。ヴァイはレリスをそのままにするとゆっくり

と『魔鏡』の方に進みだした。

「何をする気だ?」

 アイズが剣で体を支えながら聞いてくる。ヴァイは振り向かずに言った。

「暴走を止める」

「どうやって!? もうこれは止められない! 何か手段があったとしてもそれがわから

ないんじゃ……」

「魔力の媒体である『魔鏡』を破壊して魔力をどこかに逃がせばこの暴走は止まる」

 ヴァイは確信に満ちた声で言った。アイズは強くなりつづけている地鳴りの中なんとか

ヴァイの目の前に立つ。

「……根拠は?」

「無い。だがこれしか打開策は思いつかない。考えている間にこの街が消し飛ぶ」

 二人は少しの間見つめあった。長いのか短いのか時間の感覚もなくなりかけた時にアイ

ズが先に目をそらした。

「すまない、お前に賭けさせてもらう」

「頼みがある。レリスをルシータ達と一緒に連れ出してくれ。建物の崩壊までは防ぐ事は

できなさそうだ」

「……わかった」

 それだけ会話を交わすとアイズはレリスを連れてその場を離れた。

「……さて」

 ヴァイは再度『魔鏡』に眼を向けた。魔力の強まりから『魔鏡』自体が震えだしている。

 もう暴走の終着点が近いようだった。

「何故こんなに危険が続くか知らないが……、やってやるさ!!」

 ヴァイは自分を叱咤すると激震の中『魔鏡』に向かった。その刹那、魔力の波がヴァイ

を近づけまいと津波のように襲いかかる。

「『銀』の翼!!」

 ヴァイは空間転移でそれを躱し、『魔鏡』近くに体を出現させる。すぐさまヴァルレイ

バーを抜きはなち、『魔鏡』に突き立てた。すると『魔鏡』は何の苦労もなく割れてその

姿を消滅させた。しかし、解き放たれたその魔力は今度はヴァルレイバーの方に流れてくる。

(魔力の媒体を失った膨大な魔力は暴走を完了させて辺りを消滅させながら発散する。そ

れを押さえるには新たな媒体が必要なんだ……!)

 ヴァイは最初から膨大な魔力を『魔鏡』からヴァルレイバーへと移すつもりだったのだ。

ヴァイの持つヴァルレイバーは『古代幻獣の遺産』で魔力を封じ込めて何倍もの威力にし

て放つ事のできる物だった。そのために魔力の容量はかなりあるはずだったが、それでも

かなり危険な賭けだった。

「さあ、俺の運が強いかお前の力が強いか勝負だ!」

 ヴァイの手に力がこもった。





「……アイズ!」

 クリミナはマイスの背からこちらに向かってくるアイズを視界に入れた。マイスから飛

び降りてそちらに向かおうと思ったが、揺れのためにすぐ床に倒れてしまう。だが少しし

てアイズが皆の前に来るとマイスは驚きに顔を歪めた。

「レリス! どうして……」

 マイスがアイズに問いかけようとしたのをアイズが遮って言った。

「急いでここから出ろ! この屋敷はもう長くない」

 アイズはそう言うと出口の方に駆け出した。その後にルシータ達も続くがルシータが先

頭を行くアイズに叫んだ。

「ヴァイは! ヴァイはどこに行ったの!?」

「あいつは『魔鏡』の暴走を止めるために残った……。レリスはあいつに頼まれたから連

れてきたんだ」

 ルシータはそれを聞きぐっと唇をかんだ。それを見てマイスは信じられないと言ったよ

うな声を上げる。

「それなら逃げ出さずにヴァイさんの所に行ったほうがいいでしょう!? 何か手伝える

かもしれないし、どうして……」

「俺たちがいてもなにもできやしねぇよ」

 レイが苛立つマイスの肩に手をかけて言う。あくまでその口調は落ち着いている。

「どうしてレイさんはそんなに落ち着いていられるんですか!? このままじゃ僕達は死

んでしまうかもしれないんですよ!」

「なら、なおさら焦っても仕方がないだろう。今、俺たちが冷静さを失ったらこの騒ぎが

終わった後に困るかもしれないだろう」

「え……」

「どうせ焦ろうが落ち着こうがヴァイがこの事態を終息できなければ全員が死ぬ。なら冷

静になってその状態になるまでに最良の状態に持っていけるように考えろ。もしヴァイが

この屋敷がなくなる程度に爆発を押さえられたとしたら俺たちは明らかに邪魔だ。とにか

く今、俺達にできる事はこの屋敷から出る事だ。そしてヴァイを信じる事だ!」

 レイはそれだけ言うとマイスをいきなり抱えて走り出した。マイスはなされるがままに

なっている。マイスは静かにレイに問いかけた。

「どうして、そこまでヴァイさんを信じられるんですか……? ルシータさんはともかく、

あなたは昔からの仲間というわけでもないのに……」

「……信頼に値する奴に出会うのには時間なんて関係ない」

 マイスにはよりひどくなった地鳴りのためにレイの言葉は聞こえなかった。しかし伝え

ようとしていた事はなんとなくだがわかった。そして最後にレイとマイスが屋敷から出た

のと『魔鏡』があった場所から光の柱が上るのはほぼ同時だった。





 光の柱が徐々に大きくなり屋敷を包んでいく。ルシータ達は屋敷から離れて見下ろす事

ができる場所にいた。皆が緊張した眼で光の柱の動きを見守っている。やがて光の柱は屋

敷をすっぽりと包み込んだかと思うと、一際大きな音を発して消える。その直後、屋敷が

崩壊した。それをルシータ達は黙ってみている事しかできなかった。やがて崩壊がおさま

るとルシータは瓦礫に近づいてヴァイの名を叫んだ。

「ヴァイ! ヴァイー!!」

 ルシータの声が主を失った。土地に響く。しかしヴァイの姿はなかった。後考えられる

としたら瓦礫に埋まっているという事だけだ。

「助けなきゃ! ヴァイを助けなきゃ!!」

 ルシータは目に涙を浮かべて瓦礫をどかせようとするが重さで全く動かない。見かねた

レイ達が手伝いに向かおうとしたとき、それは突然来た。

「ヴァイは死んでしまったのか?」

「何者だ!!」

 アイズが剣を抜いて声のしたほうを向いた。姿を確認する前に声の主が味方ではないこ

とを察知したのか、その表情は険しい。声のしたほうから現れたのはゴーダだった。

「ゴーダ! 今までどこに……」

 レリスは自分の側近に向かって言葉を言おうとしたがその表情が凍りついた。レリスの

腹に剣が突き立っていたからだ。それも後ろから、ゴーダの手によって。

「な……なに!?」

 レリスは力無くその場に崩れ落ちる。アイズはあまりのことに声も出ない。

「おまえにもう用はないんだよ。レリス。お前はよく働いてくれた」

「『赤』光!!」

 マイスがゴーダに向かって炎の矢を放った。しかしそれはゴーダにたどり着く事はなか

った。魔術が放たれた先にはゴーダの姿は無く、マイスの後ろにいたのだから。

「……え?」

 マイスが声を上げるのとゴーダの拳が背中に入るのはほぼ同時だった。マイスは信じら

れないほど吹っ飛ばされ瓦礫の山にぶつかった。その意識は完全に飛んでいる。

「あんまり遅いんでこっちから来ちまったぜ。まあ無駄な殺しはしないさ。疲れるんでね。

今はレリスを殺せばそれでいい」

「何故、殺すんだ」

 レイとアイズがこれまでにない緊張を持って剣を手にレリスとゴーダの間に立った。二

人とも体が震えるのがわかる。自分とは完全に次元が違うという事が肌で感じとれるのだ。

「組織からの命令なんだよ。《蒼き狼》からのな……」

「何……」

「や……はり……な……」

 驚く二人の後ろでレリスが血を滴らせながら立ち上がった。

「お……まえが、私に心から……ふ……くじゅう……して……いるとは、思っていなかっ

た……からな」

 レリスは自分に回復魔術をかけて何とか致命傷を免れていた。ゴーダはそれを見てふん、

と鼻を鳴らす。

「俺の演技もたいしたもんじゃなかったか、まあいいけどよ。でも黙って死んでりゃ苦し

まなくてすむってのに。ヴァイも死んだならもう俺に楽しい事はないな……お前らを殺す

以外は」

 その言葉にレイとアイズが身構える。そこに声が響いた。

「あいにく、誰も死なせる気はない」

 その声にルシータは一番機敏に反応した。そしてその目に映る人を見て涙を流す。

「ヴァイ……」

 ジャケットは所々穴だらけでほとんど原形をとどめておらず、体全体がぼろぼろだが、

どうやら怪我はたいしたことはないらしく普通に立っていた。

 ヴァイは瓦礫の山から下りるとゆっくりと歩いてレイ達の前に立った。

「ゴーダ、お前が今回の黒幕だったか。レスターシャを殺した償いはしてもらう」

 ヴァイの言葉にルシータの体がピクリと震える。

「……嬉しいよヴァイ。<クレスタ>を倒した奴を自分の手で殺せるんだからな」

 ゴーダは心底嬉しそうに言った。その瞬間、ヴァイはゴーダに向かって駆け出していた。

 拳をゴーダの顔面へと放つ。ところが当たると思った瞬間にゴーダの姿が掻き消えた。

 しかし、ヴァイはすぐさまヴァルレイバーを抜くと後ろに横なぎの一撃を振った。

 するとゴーダが繰り出した剣にちょうど重なる。

「流石だな。俺の動きが見えているのか……」

 ゴーダが感嘆に似た声を上げる。ヴァイは次の攻撃に備えながら言い返した。

「見えているわけじゃない。肌で感じてるんだよ。大気の流れを」

「……素晴らしい!!」

 ゴーダが歓喜の雄叫びを上げるとその姿が再び消えた。しかしヴァイはまたしても虚空

にヴァルレイバーを振る。鋭い金属音と共にゴーダの剣が受け止められていた。

「……どういう事だ? 姿が消えるのは魔術の類じゃないのか……」

 レイが理解できないと言ったように呟いた。ほんの呟き程度だったが聞こえていたのか、

その答えはヴァイと少し距離をおいたところに姿を現したゴーダが語った。

「俺は魔術なんか使えないよ。俺は動いているだけだ……。目に見えないほどの速さでな。

俗に言う神速というやつだ」

「そんなスピードが常人に出せるわけがない……」

 アイズもレイと同様にゴーダの動きが魔術によるものと信じていた。明らかに人間の動

きではない。しかしゴーダはそれを気にせずに否定して見せた。

「俺は特殊なんだよ。異常に発達した神経によって、もともと持っていた移動速度に加えて

反応速度をも格段に上げる事ができる。俺のような異能者を《蒼き狼》は『超人類』。ハ

イスレイヤーと造語を作って呼んでいる」

 ゴーダは一瞬悲しげな表情をしたが、それに気づいたのはヴァイ一人だけだった。ヴァイ

が不思議に思った時にはすでに表情は元に戻り薄ら笑いを浮かべている。

「そして、ヴァイ=ラースティン。いや、ヴァイス=レイスター。貴様も『超人類』の一人

なんだよ」

「なっ……」

 マイスが、アイズが、そして特にマイスが驚きの声を上げた。



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