マイスは素早く拷問官に接近したかと思うと拷問官の鞭自体を剣で切り裂き狙い、違わ

ず心臓を突き刺した。全く一瞬の出来事だったために、最初拷問官は呆気に取られた表情

を見せていた。しかし気づいて視線を自分の胸元に戻すと思い出したように激痛に苦しみ出した。

「がっは……」

 拷問官の顔が信じられないといった表情に変わる。マイスは冷たい瞳を向けながら答えた。

「クリミナを傷つける奴は絶対に許さない」

 マイスはそのまま意識を集中し魔力を集める。拷問官の顔が更に醜く歪む。

「や……やめ……」

「『赤』光」

 マイスの魔術が発動し、拷問官の体が炎に包まれた。拷問官は苦痛に呻き声を上げなが

ら床を転がる。悲鳴はどれだけ続いただろう。数分かもしれないし数十分かもしれない。

 そんな時間がすぎたあとに拷問官はその原型を残さずに消滅した。

 後に残るは、なれのはての黒く焦げた灰だけである。

「クズめ……」

 マイスはそう呟くと元の少しおどおどしているが優しい表情に戻っていた。そして部屋

の奥にある光の檻に歩いていく。目の前に立つと中にいるクリミナが確認できた。

「マイス……」

「……!?」

 クリミナは全てを見ていたのだ。

 マイスが拷問官を殺す様を。マイスは誰よりも見られたくない相手に自分の闇の部分を

見られてしまった事に深く動揺した。

(助けられたんだから……いいよ)

 マイスはそう思って自分を納得させるとクリミナに前から離れているように言った。そ

して光の柱に手を置く。マイスが置いた掌に魔力を集中していくとやがて光の柱は耳障り

な音をたて始め、次の瞬間消滅した。

「マイス……ありがとう」

 クリミナは拷問によってぼろぼろになった衣服で体のあちこちを隠しつつマイスに心か

らの感謝の言葉を告げた。マイスはクリミナの体に刻まれた拷問の後を見て、自分の事の

ように苦痛に顔を歪ませた。自分の着ていたマントをクリミナに着せてやる。

「ごめん……助けに来るのが遅れて」

 マイスは俯き、クリミナと視線を合わせないようにしながら呟いた。自分の本当の姿を

見られた事によってクリミナに今までと違った眼差しを向けられるのが怖かったのだ。し

かしクリミナはそれを察していたのか両手をマイスの顔に添えて自分のほうを向かせる。

 マイスの瞳をしっかりと見つめながらクリミナは微笑んで言った。

「気にしてないよ。それよりマイス、あんなに強かったんだ。見直したよ。それに……あ

んな事言ってくれて嬉しかったよ……」

 クリミナは急に顔を赤らめた。マイスはそれを見て自分の言った言葉を思い出していた。



『クリミナを傷つける奴は絶対に許さない』



 マイスも自分の言葉に顔を赤くした。クリミナの瞳がマイスの瞳と重なる。二人の間を

奇妙な沈黙が支配した。やがて二人の顔が徐々に近づき始める。そんな沈黙を破ったのは

いつもの甲高い声だった。

「どうやら全部すんだ様ね」

「「えっ!?」」

 マイスとクリミナは同時に声を上げて声が聞こえてきた方向を見る。そこにはルシータ

が立っていた。顔はなぜかニヤニヤ笑っている。

「いつまでもロープが降りてこないから結局自力で上がってきちゃったわよ」

 ルシータはそれだけ言うと部屋から出て行った。その時に振り向かないまま言葉をかける。

「さあ、ヴァイに合流するよ」

 その言葉は微かに怒りを含んでいるように二人には聞こえた。





 依然として魔人形の激しい攻撃は続いていた。

「『緑』の烈陣!!」

 空気中に生じたかまいたちが魔人形の体にぶつかる。しかしそれは金属音と共に虚空に

弾かれてしまった。

「『黒』い使者!!」

 両掌で生まれた空気の塊を投げつける。塊は魔人形の体に衝突すると衝撃で壁へと吹き

飛ばす。しかし魔人形自体は傷一つない。

 魔術の間隙を突いて魔人形の尻尾が放たれる。しかしヴァイはもう一体の攻撃をかわし

たばかりで体勢が不完全だった。そこをついて眼前に尻尾が迫りついにヴァイを貫いた。

だがそう思った時、ヴァイの体は尻尾の軌道の横に出現していた。尻尾は勢いを殺しきれ

ずにもう一体の魔人形を貫く。それがヴァイの狙っていた瞬間だった。

「体の中までは防御できまい!」

 ヴァイは尻尾に手をつくとそこから直接魔力を送り込んだ。

「『赤』き烈光!」

 炎は尻尾の中を直接通って貫かれていた魔人形の体を内部から破壊した。

「……さすがだな、レリス……これほどのゴーレムを二体同時に操るなんて」

 ヴァイはアイズと戦いを繰り広げているレリスを見て、ふと昔の事を思い出した。それ

はヴァイが《リヴォルケイン》に入った頃の事だった。





「……ヴァイス君。平和ってどんな事だと思う?」

 王都ラーグランの一角に設けられた家の中に三人の姿が見える。ヴァイス、レイン兄弟

に当時彼らの父親の友人だった男の娘であったレリスがいる。

 その言葉は彼女の口癖だった。

 彼女は地位的には《リヴォルケイン》の上位騎士クラスに匹敵するものでよく《リヴォ

ルケイン》と行動を共にして遺跡調査やそれにかかわる事件、果ては治安警察隊と協力し

ての凶悪犯逮捕まで広い範囲で活動していた。

 その彼女がそう言った事件から帰ってくるたびに呟くのがこの台詞だった。

 いつもはこの後に言葉が続く事はないのだがその日は違い、ヴァイスの返答を待たずに

彼女は言葉を紡いでいった。

「今の世の中はこれだけ大変な思いをしても一向に犯罪はなくならない。時々自分のして

いる事が無力に感じる事があるわ。でも、私達はやらなければいけない。誰かがやらなけ

ればいけないものなら私は率先してやろうと思う」

「一体どうしたの? レリス……」

 いつもと様子の違うレリスにレインは心配そうに声をかけた。レリスは力無く頭を振る

と弱々しく答える。

「今日殺された子……私の弟と同じくらいの年齢だったの」

 レリスに同い年で腹違いの弟がいる事は前々から聞いていた。父親の後妻の子供として

きたその子をレリスは本当に可愛がっていたと言う。その弟は今は王都から遠く離れた都

市トルケンに住んでいる。両親の離婚のためだ。

「もう会えないで二年になるから……あの子が今どうしてるか不安になっちゃって」

「大丈夫だよレリス姉さん。その子も元気でやってるさ」

 ヴァイスはレリスの沈んだ表情を見たくはなかった。母親や姉以外で始めてふれた異性

というのがレリスだった。ヴァイスが彼女に持っていたのは恋愛感情に近かったのかもし

れない。レリスの悲しい顔を見たくないがために言ったヴァイスだったがレリスの瞳に浮

かぶ感情を完全には把握してはいなかった。いくら実力があるとはいえ結局ヴァイスは十

三の子供だったのだ。

「平和は与えられるものじゃない。自分で勝ち取るものなのよ……。いくら私たちが頑張

っても人々にその認識をさせなければいけない。私はそれを成し遂げようと思うの」

 レリスは既に前を見ていた。悲しい感情など微塵も無い。ヴァイスはその変化に戸惑い

ながらも悲しい顔を見なくてすむ安堵感にレリスに言った。

「レリス姉さんなら大丈夫だよ」

「……うん」

 レリスは少し考えた後に頷いた。顔に浮かべたあいまいな笑みと共に。

 それを横でレインは鋭い眼で睨んでいた事に二人とも気づいてはいなかった。

 レインは気づいていたのだ。レリスの中に潜む何か、薄暗い感情の波を。

 そしてその一年後、レリスは『西方将軍』となってトルケンへと移住した。ヴァイスは

少し悲しかったが弟と暮らせると分かった時のレリスの顔が余りに嬉しそうだったので、

自分の気持ちを結局伝える事は無かった。

 流石にヴァイスにも分かっていた。

 レリスが自分の腹違いの弟に家族の愛情以上の念を持っていることに。





「そうだ……」

 ヴァイは迫りくるもう一体を視界に入れながら記憶を辿って一つの記憶に突き当たった。

 それが疑問に変わり、自分の胸のうちで膨らんでくる。魔人形がその手を振り上げる。

 しかし、ヴァイにはもう魔人形にかまう暇はなくなっていたのだ。

「邪魔だ!!」

 ヴァイは振り下ろされてきた魔人形の手をかわして懐に飛び込む。そして渾身の力で魔

術を放った。

「『白』き咆哮!」

 ごうっ! と音を伴った光熱波は魔人形の体を粉砕し、そのまま天井までも破壊する。

吹き荒れる爆炎が晴れた時には魔人形は完全に消滅し、天井には巨大な穴が開いていた。

その一角が完全に消し飛んでいたのだ。それを見たアイズとレリスは動きを止めて呆気に

取られている。ヴァイは気にせずにレリスの方に歩き言葉を発してきた。

「レリス……弟はどうしたんだ? 弟と暮らせるのが凄く嬉しいとあの時言ってたじゃな

いか……。一体この六年間に何があったんだ!」

 レリスはヴァイの言葉を聞いて剣を床に取り落とした。戦意が急速に失われていく事が

わかる。アイズも剣を腰に戻して視線をレリスに向けた。いつでも戦闘に戻れるように筋

肉を撓め警戒はしているが。

「あの子は……死んだわ。結局平和なんて……幸福な生活なんて存在していなかったのよ!!」

 レリスはその場に泣き崩れた。その姿は先ほどまでの元『西方将軍』の威厳など全く無

く、唯一人の大切なものを失った女の姿だった。

「……あの子は三年前、死んだ。毒殺だった。でもそれは本当は私がなるはずだったのよ。

私が『西方将軍』であることに不満をもった富豪連中の差し金だった」

 レリスは床に顔を向けたまま、涙声で話す合間に嗚咽を入れながら、少しずつヴァイ達

に過去のことを語っていた。

「私は『西方将軍』になってトルケンの……世界の暮らしをより豊かにしようといろいろ

な政策を打ち出してきた……。それらはそこに住む住民にはよかったものだったけれど、

今まで甘い汁を吸っていた富豪達には少しきついものだったの。その事で富豪達は結託し

て私を落としいれようとしたわ。そして最後の手段に私の『西方将軍』就任四年目の祝い

の会の時、毒物を私の料理に混入したの」

 レリスは拳を力いっぱい握り、体を振るわせる。その悲しさが通じるのかアイズも顔を

レリスから背けて悲しげな顔をしている。

「弟は毒の混入を知って私が口をつける前にそれを食べた。そして苦しみながら死んでい

ったのよ」

 ヴァイはそう言った時のレリスの言葉に含まれる邪悪なものに気づかなかった。いや、

気づいたとしても行動できなかった。それだけまだ、レリスに最後の良心が残っていると

希望的観測を持っていたからだ。

「正しい事をしても、人の心はそう簡単に変わらない。私が変えようとしても自分から非

道の道に入っていく……。私は理解した。そんな奴らを戒めるには絶対的な力が必要だと

いう事が! そしてそれが『魔鏡』なのよ!!」

 その瞬間、レリスはアイズへと突進していた。アイズもまた完全に油断していたのだ。

レリスの弟への感情はアイズのクリミナに対しての感情に近かったから、アイズはレリス

はもう戦闘の意志は無いと思い込んでしまったのだ。レリスは肩からアイズへとぶつかっ

たと思うとそのすぐ後には飛びずさる。そしてその手には『魔鏡』があった。

「何をする気だ!!」

 アイズとヴァイが同時に叫んだ。レリスは『魔鏡』を高く掲げながら叫ぶ。

「ゴーダからの報告で聞いているわ! こいつは幻獣の力を手に入れる事ができる! そ

の力で絶対的な支配をするのが私の望みよ!!!」

 レリスはすでに半狂乱の状態だった。ヴァイとアイズの言葉が聞こえているとは思えな

い。ただ自分の感情を満たすためだけに一心不乱に『魔鏡』を掲げている。頭上にはヴァ

イの魔術によって開いた穴。そこから見える夜空には潜入した時、空を覆っていた雲は一

つも無く、輝く満月がその姿を現していた。

(この人は止められない。望みを満たすまで……)

 ヴァイは止めようとするのも忘れてそう思っていた。この人は本当は優しい人だという

のが分かるからこそ、この行為を止める動作を一瞬止める。しかしそこに声が聞こえてきた。

「そんな事はさせない!!」

 アイズが剣を振りかざしてレリスへと向かっていった。彼の表情は先ほどまでの戦士の

表情ではない。ヴァイはそれに気づいた。

(彼は一人の人間として彼女を止めようとしているんだ)

 ヴァイはそれに気づくと自分もレリスに向かった。彼女を止めるために。しかし全ては

遅かったのだ。レリスが掲げた『魔鏡』はアイズが接近する直前、頭上の穴から月の光を

吸収し、まばゆい光を放つとアイズを、そしてレリスをその場から弾き飛ばした。『魔鏡』

は宙に浮いたまま凄まじいまでの魔力を解き放ちつづけている。その輝きは更に強まりそ

れに呼応するかのように地響きが起きた。

「魔力の暴走……」

 ヴァイの呟きは地鳴りに飲み込まれていった。



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