「……逃げられた?」

 ここはレリスの各地にある別荘の一つでそこにある寝室には今、レリスとゴーダの二人

だけがいた。レリスは化粧台の前で自分の髪の毛に短剣を当て、目が隠れるほどの前髪の

先端を切りそろえていた。

 レリスは自分の部下であるゴーダに与えた指令の結果報告を聞いていた。それを聞いて

発したのが今の言葉だった。

「少々邪魔が入りまして。ですが賊には魔術でシグナルを打ち込みました。見つかるのは

時間の問題です」

 ゴーダはルシータ達に対していたのと同じく、感情がこもらない口調でレリスへと答え

た。見方によっては慇懃無礼な態度ともとられなくも無い。だが、レリスはその事を少し

も気にする様子も無く言葉を続ける。

「……そう願いたいわ……ところで、邪魔をしたのは何者?」

「旅の者かと……。生かしてはおきません」

 ゴーダはその正体を知っていながらも黙っていた。

 ゴーダは今、あえてこのレリスの言いなりになっていたほうが得策だと考えていたのだ。

 ただ表面上だけの笑みを浮かべるゴーダ。

 そこへレリスが振り向きざま短剣を放ってきた。あまりにその動作が素早くゴーダは身

動き一つ取れなかった。短剣はゴーダの頬を掠めて後ろの壁へと突き刺さる。

 レリスは椅子から立ち上がるとゴーダへと近づき指でゴーダの顎を持ち上げた。

「ゴーダ!」

「うっ!」

 レリスの体から先ほどの雰囲気とは明らかに違うものが迸ってきた。肌にびりびりと伝

わってくる殺気。ゴーダは動かなかった。

「私はね、無能な男は嫌いなの。その命が惜しければ忘れない事ね」

「う……あっ」

 ゴーダはピクリとも動かない。ほとんど動かなかった感情が今、恐怖という一つのもの

によって激しく揺れ動いているのだろうか。

 レリスはそのまま後ろの壁に刺さった短剣を取るとゴーダから離れる。ゴーダは緊張の

糸が切れたのか床へと崩れ落ちてしまった。

「で、どうやってその小娘を追う気?」

 レリスは肩にかかった髪をはらった。そのまま指をイヤリングへと伸ばして指で弄ぶ。

「ハ、ハイ!」

 ようやく立ち直ったゴーダは一度大きく息を吐いてからレリスへと言った。

「レリス様、私めに式神をお与え下さい」

 レリスはゴーダがそう言うと胸元から三枚の札を出してゴーダへと放った。素早くそれ

を取るゴーダ。

「その三体……好きに使え!」

「感謝します。魔力を回復次第追撃を開始します」

 ゴーダはそう言って部屋を出て行った。ゴーダが出て行くとレリスはベッドへと腰をか

けて近くに備え付けてある。パイプタバコに火をつけて一服をする。

(……しかし、私の対魔法騎士を一撃で葬る者とは一体……?)

 レリスは実際報告を聞いて信じられなかった。自分が作った対魔法騎士達はあの《リヴ

ォルケイン》上位騎士クラスにも引けを取らないと自他ともに認めていたはずだ。

 そう言われていた七年前とは実力も変わらないはず。

 そう思っていたからこそ、それを倒した相手に興味を持った。

(ゴーダでは荷が重いかもしれないわね)

 レリスは今度は深く煙を吐いた。





(演技も疲れるな)

 ゴーダは廊下を歩きながら思う。

(まあ、もう少しでそれも終わりだ。来るべき時まではこのまま利用されてやろう)

 思わず笑いが洩れる。その笑いの意味を理解するのはこの場には誰もいなかった。





「さあ、どういうことか説明してもらおうか……」

 ヴァイは昼寝をしていたところをルシータに叩き起こされ(文字通り、叩き起こされた

のだ)寝起きが悪いところになにか深刻そうな顔つきの娘と少年がいるのを見て更に機嫌

が悪くなった。

 寝ていたためトレードマークの赤バンダナはしてはおらずジャケットも脱いだままだ。

(これは明らかに面倒な仕事だ)

 ヴァイがこの街に来たのはラスピンに来いと言った男を探す事で、あまり時間がかかる

ことには関わりたくないと思っていた。

 本気で困っているのなら助けないわけにはいかない自分の性分を気に入ってはいるが、

今、優先すべきは『魔鏡』を盗んだ奴を探し出すことなのだ。

 しかし今、ヴァイが気が向かないのはそのためではなかった。いつもならこんな考えに

はいかないのにもかかわらず、このように思考が働くのは明らかにルシータの起こし方が

原因だった。

「その前に何か言うことがあるよな、ルシータ」

 びくっ!! とルシータの体が震える。その眼は恐怖の為か焦点が定まらず、ヴァイと

は視線を合わせようと、いや、目をヴァイに向けようともしない。

「確かにその……クリミナ……だったか。君達が大きな事に巻き込まれていそうなのはす

ぐ分かった。そんな緊張をはらんでいるものな。だからと言って起きない俺に向かってい

きなりそいつを振り下ろす事は無いだろう」

 そう言ってヴァイはルシータの持っている木刀を指差した。ルシータは何度揺さぶって

もヴァイが起きないので木刀を顔面へと振り下ろしたのだ。

「だって、起きないんだもん」

「俺は敵意が近づかなければ眠りは深いんだ! それぐらい一年相棒してきたお前ならわ

かるだろう!!」

 遂にヴァイは大声を上げてしまった。ルシータは完全に縮こまってしまっている。それ

を見ていられずにクリミナは二人の間に割って入った。

「すいません。ルシータを責めるのはやめて下さい。私たちが彼女を巻き込んだのが原因

なんですから」

 ヴァイが不機嫌なのは明らかにルシータしか悪くないのだが、ただでさえ追われて疲れ

ている少女に余計な気苦労をさせることもあるまい、とヴァイはこの問題をとりあえず終

わらせた。

「……まあ、仕方がない。こいつの説教は後にしてまず君の話を聞こうか」

 ヴァイはルシータを放っておいてクリミナの話を聞くことにした。ちなみにマイスはル

シータを慰めている。

「この『魔鏡』には以前、と言っても十日ほど前に事件でかかわった事があるんだ。一体

君は『魔鏡』をどういう関係なんだ?」

 クリミナは一瞬下を向いてからゆっくりとヴァイを見つめた。その瞳には懇願の色が現

れている。

「奴らは……私達を追ってきた奴らはトルケン魔術師団の……魔術師……」

「トルケン……!」

 ヴァイの眉がピクンとつりあがる。そこに立ち直ったルシータが口を挟んできた。

「トルケンってゴートウェルに次ぐ西側の魔術都市じゃない。そんな大都市の奴らがどう

してこんな所に?」

「……」

 魔術都市トルケン。

 王都を含む世界五大都市の中で最も美しいと言われる別名、虹色の街。

 ゴートウェルを出て特に行くあてが無い人々が目指すところである。その景観の良さは

観光客の足を途絶えさせず観光産業で発展している。ゴートウェルと共に西側の中心とし

て王都から統制官『西方将軍』が派遣されて治世を守っている。

 ヴァイは『魔鏡』を改めてじっと見つめる。以前とはまた違った視点でそれを見ていた。

「その鏡は……私と仲間達で、ここにある奴らのボス、『西方将軍』の別荘から盗み出し

た物なんです……」

 クリミナの眼から徐々に涙が溢れてくる。盗み出す際の辛い記憶が甦ってきたのか、体

を壁へと寄りかからせて体を何とか支える。

「その鏡のために……私は……あ!」

 クリミナの肩にそっとヴァイの手が置かれた。クリミナの体が緊張するのが分かる。

「もっと詳しく話してみな。きっと力になれる」

「……ヴァイ……?」

 ルシータはヴァイの微妙な変化に気がついた。普通の仕事への意欲とは違ったものが有

る気がする。これと同じ感覚を得たのはそう、十日前の<クレスタ>の事件のときだ。

 ようやく落ち着いてクリミナが改めて話そうとした時、外から声が響いた。

【見つけた!】

「!!」

 皆が一斉に振り向くと同時に通路側の壁が粉砕された。

【見つけた!】

 壁の穴から出てきたのは土気色の人形のような奴らだった。しかしその体長はヴァイよ

りも一回り大きい。一方は剣と盾を持っている剣士のような出で立ち。もう一体は獣のよ

うに牙や爪が発達していた。ルシータは木刀を引き抜き、クリミナを後ろにして構える。

「ルシータ、こいつは……魔人形(ゴーレム)だ」

 ヴァイがジャケットを着て赤いバンダナをし、戦闘準備を瞬時に終わらせてからルシー

タへと言う。

「じゃあ、あの魔術師の仕業って事ね……。やっぱ狙いはクリミナ達か」

「だろうな、二人とも下がってな」

 ヴァイとルシータはそれぞれゴーレムに相対した。それを見たクリミナは声を上げる。

「ム……ムチャです! 十人もの私の仲間が殺されたんです!」

 それから一瞬クリミナは言葉を詰まらせると必死になって言った。

「治安警察隊隊長だったアイズ……私の兄も!」

 そんなクリミナの訴えもヴァイは笑みを浮かべると安心させるよう優しい口調で言った。

「言っただろう、力になるって。見てな……兄さんの敵は取ってやる」

 ヴァイは剣士型の、ルシータは化け物型のゴーレムにそれぞれ向かった。

【ガァアアウ】

 化け物型はルシータへと拳を突き刺してきた。ルシータはそれを紙一重で躱し深く沈ん

でいた頭部に木刀の一撃を加えた。

「たあぁ!」

 攻撃がヒットすると化け物型は口から液体を撒き散らし床へと崩れ落ちる。そこから何

とか立とうとしているが足が震えて立つのには時間がかかるようである。

「なに、もう終わり? 手ごたえないわよ!」

 ルシータは軽くその場で跳躍しつつ化け物型を見据えている。ただ、力だけが突出して

いる化け物など今のルシータの敵ではなかった。ルシータは冷静に攻撃を見極めて的確に

急所に木刀を打ち込んでいく。

 一方ヴァイはというと

「『紫』の波紋」

 ヴァイは魔術を発動させる。

 この世界の存在する魔術は潜在する魔力を創造力によって一つの形に思い描き、この世

界に存在している物を現す『キーワード』を言うことによりその姿を具現化する。火なら

『赤』、水なら『青』と言った感じだ。『紫』は身体能力を高めて傷を治したり、魔力を

一点に集めて攻撃力を増したりという効果がある。ヴァイは拳に魔力を集めてから剣士型

の懐に飛び込み鳩尾の部分に渾身の一撃を放つ。すると剣士型は軽々と吹っ飛び、部屋の

壁を粉砕した。外にいた人々がそれを見て悲鳴をあげる。

「信じられない……あのゴーレムをまるで子ども扱い……」

 ヴァイはともかく、ルシータがこのゴーレムと張り合えるのはひとえに木刀のおかげで

あった。

 この木刀はヴァイがルシータへ特別に創った物で攻撃力を上げる魔術が常にかかってい

る状態になっている。そのために非力な者が使っても普通の家の壁くらいは粉砕できるよ

うにできているのだ。しかしそれを扱うのはあくまで個人に力量であってルシータはヴァ

イとの特訓の成果を今出しているというわけだ。

「これ以上宿を壊すのはまずいわね」

 ゴーレムの床に刺さっていた手を粉砕してからルシータがヴァイへと言った。

「ああ、弱点は頭部だ」

 ヴァイがそう答えると同時にゴーレム達は一斉に二人へと飛び掛ってきた。

 化け物型は残りの腕を振り上げる。だがその一瞬の隙を突いてルシータは接近すると肩

の付け根を木刀で打つ。するとそこは陶器を落とした時のように簡単に粉々になった。

「もう! 五月蝿い!!」

 ルシータはそのままその場で体を回転させ、遠心力を伴った一撃を化け物型の頭部へと

放った。化け物型の頭部は粉々に砕けて一瞬でその姿が消滅する。

 ヴァイに向かってきた剣士型は左手に魔力を集中して何かを出そうとしていたが、その

前にヴァイの一撃でその手は破壊される。剣士型はあまりの衝撃に床へと片膝をつく。

 ちょうど頭の位置がヴァイの手の先にあたっていた。

「『赤』い稲妻!」

 ヴァイの掌から放たれた火球は剣士型の体全体を包み込むとすぐに消滅させてしまっ

た。それを呆然としてクリミナは見つめ、呟く。

「強い……この二人、唯の何でも屋じゃない……?」

 クリミナは二人の実力を目の当たりにして心底驚いていた。ルシータは少し息を切らせ

ていたがヴァイは待ったく息を乱してはいない。

「この場所も知られているようですね」

 戦いの間、部屋の隅にいたマイスがみんなの傍に寄ってきて言った。

「すいません。私のせいで」

 クリミナがすまなそうに頭を下げる。

「移動したほうがいいが……どこかいい隠れ場所は無いか?」

 ヴァイがクリミナへと問い掛けるがクリミナは困った顔をして首を横に振る。その時マ

イスが何かを思いついたようにあっ、と声を上げるとみんなへと言った。

「いい隠れ場所がありますよ。ちょっと遠いけど」

 そう言ってマイスはその場所の説明をした。

「ちょっと、マイス! いつの間にそんな場所知っていたの?」

 説明が終わるとクリミナは不思議そうにマイスに尋ねた。

「僕の父が以前見つけたと言っていたのを覚えていたんだよ。価値はほとんど無いからっ

てすぐ放っておかれたっていうのもね」

 マイスの答えに納得したのかしないのかクリミナはまだぶつぶつと何か言っていたが、

それにかまわずヴァイはマイスへ言った。

「よし、案内は任せる。急ごう」

 そういってヴァイ達は宿屋を出た。もちろん部屋の修理代を払ってからだ。

 ヴァイ達が宿屋の外に出た時、

【見つけた!】

「きゃあぁ!」

 ゴーレムの声を聞くのとルシータの悲鳴を聞くのはほぼ同時だった。

「ルシータ!?」

 ヴァイが声をした方向、宿屋の入り口を向くとルシータがゴーレムに首を捕まれている。

 ゴーレムの太い指がルシータの首に深く食い込んでいく。

「あ……ぐぁ……か……」

 ルシータは急激に顔を青くしていく。

「この……」

 ヴァイがゴーレムに向かおうとした刹那、ゴーレムは突如叫んだかと思うと体の真中か

ら半分に分かれた。指の力も無くなりルシータを開放する。重たい音と共に地面へと倒れ

たゴーレムの向こう、激しく咳き込みながら何とか身を起こし、後ろを振り向くルシータ

の眼に映ったのは一人の男だった。

「大丈夫かい? 嬢ちゃん」

 年は20代後半だろう、顔は美形に入るというのになにか年よりくさい男がそこにいた。

 手には刀身に線が入ったどこか奇妙な剣を握り、簡単なブレストメイル、ガードをつけ

ている。その風貌からどうやら傭兵のようだ。

 傭兵は各地をぶらりと旅しながら行く先々で護衛の仕事をする。護衛専門の職の人達で

ある。主に商品の長距離輸送などに護衛として雇われるのが普通である。

 男は剣を鞘に収めるとヴァイに近寄っていった。

「あんた、その格好からしてヴァイ=ラースティンだろ? この道じゃ有名だからな。そ

の格好は、悪党共が夢見て寝れないって聞くぜ」

 男はヴァイの肩を叩きながら初対面とは思えないなれなれしい口調で話し掛けてきた。

「それで、何のようだ? 傭兵が……」

 ヴァイが警戒心をあらわにして男に言った。男はその様子においおい、と手をぶらつか

せて言う。

「俺はレイ=スティング。見ての通り傭兵だ。あんた達が何か面倒な事に巻き込まれてい

そうなんでね、護衛でも引き受けようかなと」

「いらないよ。人手は足りてる」

 ヴァイはそう言い放つと馬車置き場のほうへと向かった。他の人達もそれについていく。

 レイと名乗った男は急いで追いかけるとヴァイの真正面に回りこみ後ろ歩きをしながら

言葉を続けた。

「あんな化け物がいくらいるか分からねぇし、あんた達が戦っている間にそこのお嬢さん

が狙われたら守りきれるのかい?」

 レイはクリミナを指差して言う。そこでヴァイの歩みが止まった。

「おまえ、どうしてそこまで知っているんだ?」

 ヴァイの眼光が鋭く光る。レイはその視線に特に怯える事無くすらりと答える。

「俺の部屋はお前さんたちの向かいだったんだぜ。あの化け物どもが壊していきやがった

んだよ。それで何だと思ってみたらお前さんたちがあの化け物に襲われててそっちの譲ち

ゃんたちが狙われてるってそっちが言ったのを聞いたんだ」

 レイはルシータのほうを指差した。たしかにルシータはそのような事を言っていた。ヴ

ァイはしばらく考えると警戒は強めながらもついてくることを了承した。

「よろしく!!」

 レイは大声を上げて笑った。それを見たルシータは思った。

(やっぱり親父くさい……)







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