森を抜けるとそこには小高い丘がぽつんと、誰にも忘れ去られたかのようにあった。 月光にさらされて生い茂った草が、煌きを放っていて幻想的な雰囲気を醸し出している。 このような状況でなければ、まだ恋人達の憩いの場として役には立っているのかもしれな いが今はそんな悠長な事が入り込めるところではなかった。 「ルシータを返せ」 ヴァイは小高い丘の頂上に立つ人影に体全体に怒りをみなぎらせながら言った。 「そんなに怖い顔をするなよ。返してやるさ」 丘の上の人物、<クレスタ>は体を少し後ろにやるとそこから荷物を持つようにルシータ を引っ張り出しヴァイへと投げつけた。 「ルシータ!!」 ヴァイは投げつけられてきたルシータをしっかりと受け止める。そこに<クレスタ>のワ イヤーが迫ってきた。 「避けられまい!!」 「『白』き螺旋!!」 ヴァイは瞬時に魔術を発動させ、光の螺旋はワイヤーを粉砕した。それと同時にその場 から飛びのき近くの木の下にルシータを横たえた。<クレスタ>は追撃を止めてヴァイがい た場所に立ちじっ、とヴァイを見据えている。 「投げつけた時の隙を狙ったが、やはり甘かったか」 <クレスタ>の口調はどこまでも静かだった。月明かりがその体を照らしている。 「闘う前に聞く。何故、俺の両親を殺した?」 ヴァイはルシータを横たえた木から離れるように移動してから<クレスタ>を真正面に置 いた。そうして右足を後ろに下げるといった戦闘態勢をとり、以前質問したことを再び繰 り返した。 <クレスタ>は何も答えずコートを脱ぎ捨てる。 黒いノースリープから出ている左腕は肘から下が無かった。 <クレスタ>はその左腕を一振りする。すると肘の付け根からジャキッ、という音と共に短 剣が飛び出した。 「この闘いにお前が勝ったら教えてやるさ。唯言えるのは……自分の体がこんなになるの を受け入れざるを得ない理由がある、ということだけだ」 <クレスタ>は一瞬悲しげな表情を見せたと思うと、すぐにヴァイへと突進してきた。その まま勢いに乗せて鋭い蹴りを繰り出しくるた。 ヴァイは深く沈んでそれを躱すと、無防備になった脇腹に向けて渾身の一撃を喰らわせ ようと拳を繰り出した。しかしその刹那、力いっぱいその場から離れる。 「よく躱わせたな」 <クレスタ>はニヤリ、と笑いながらワイヤーを右手に巻き戻した。 無防備になった瞬間にヴァイが飛び込んでくるのを見越してワイヤーを放っていたのだ。 それをヴァイは持ち前の驚異的な反射神経で察知し、躱した。 「……おしゃべりしている暇はない!!」 今度はヴァイが<クレスタ>へと突っ込んでいく。<クレスタ>は笑い声を上げながらワイ ヤーを放った。今度は地面を抉り、広範囲を斬り裂く特別なワイヤーを使ってきた。 「このワイヤーは特別製だ! 剣では切れん!」 ヴァイの逃げ道を完全に塞いで、地面を切り裂きながらワイヤーが迫ってくる。 <クレスタ>の考えは間違ってはいなかった。前の闘いのヴァイを見ているならこれで終わ りと思っても仕方が無かった。間違っていたのは<クレスタ>の思い込みのほうだった。 ヴァイがいくら化け物じみた戦闘力を持っているからといって前の闘いの時の力は限界 近かったと錯覚してしまったのだ。実際、ヴァイは前の戦いでは怒りと気負いの為に本来 の実力の半分も出せてはいなかった。 『本気で闘いたかった』 <クレスタ>は最初の闘いの時に最初にそう言った。そのためにその時はヴァイも本気を出 しているのだとばかり思ってしまったのだった。 ヴァイは迫り来る特製ワイヤーに逆に加速して突っ込んだ。 「!!?」 <クレスタ>はヴァイの行動が理解できなかった。その行動は自殺行為としか思えなかった からだ。しかし、先ほどの思い込みの事の他にもう一つ<クレスタ>が勘違いしていた事が あった。 ヴァイは<クレスタ>思ったよりも大雑把だったのである。 (向かってくるなら吹き飛ばす!!) ヴァイはワイヤーが寸前に迫ったところで右手に左手を添えて真直ぐに構えた。そうし て魔力を解き放つ。 「『白』き咆哮!!!」 ヴァイの右掌から膨大な量の光熱波が放たれた。光熱波は特別ワイヤーを全て飲み込み、 そのまま<クレスタ>をも包み込んだ。 「ぐがあああああああ!!!!!!!!!」 <クレスタ>の絶叫と共に光熱波は草木を消滅させながら進んでいった。 そして数十メートルを焼け野原に変えた後消滅する。 光熱波が通った後は地面がえぐれ、焼け焦げた臭い匂いが辺りを支配した。 ヴァイの持つ魔術の中でも特に高い威力を持つ魔術を使ったのは、けして怨恨のためで はなかった。 ヴァイの視線は一切の油断を見せずに前だけを見ている。 魔術によって作られた焼け跡を逆に辿ってくる人影が見える。間違いなく<クレスタ>だ った。しかし、月光に照らされて見える<クレスタ>の眼は黒目がなくなっていた。明らか に誰かに操られているような状態である。しかし、前から変わる事の無い口調でヴァイへ と話しかけてくる。 「凄い。こんなに楽しめるなんて生まれて初めてだ。こんなに力がみなぎってくる!!」 <クレスタ>の体が急に光を帯び始めた。そしてその後ろには空中に浮かんでいる『魔鏡』 があった。 「この『無限の魔鏡』、いや……『古代幻獣の遺産』全ては、幻獣の膨大な力を貰い、操 る事ができるのだ。そしてそれこそ、《蒼き狼》が遺産を集めている理由だ!」 <クレスタ>の体が少しづつ変化していく。 体は黒く変色し、それは見た目からも硬質的になり一回り大きくなった。 失われている左腕からは人間の物ではありえないような手が生え、瞳は燃え上がるよう な紅へと染まった。 「メイドノミヤゲハモウイイダロウ!!」 <クレスタ>は人外の声を出すとヴァイへと向かった。 その移動速度は以前とは比べ物にならない。 「ガァアアアア!!!!」 <クレスタ>は渾身の力で右拳を突き出した。 ヴァイはそれを紙一重で躱す。 しかしその風圧は凄まじく、ヴァイの体は弾き飛ばされた。 <クレスタ>はその一瞬の隙を見逃さず回し蹴りを放つ。それはヴァイの腹に叩き込まれた。 「がはぁ!!!」 ヴァイは血を口から吐きながら宙をまるで紙のように吹き飛び、ぶつかった木を数本薙 倒してから地面へと叩きつけられた。すぐに立ち上がろうとするヴァイに胸の置くから不 快感がこみ上げてくる。 「がふっ!! ごほっ!!! ……おえっ」 喉の奥から大量の血が吐き出される。口の中に錆の味がこれ以上ないほど広がっていき、 体力が一緒に消費されていく。 「キシャァアアア!」 ヴァイが何とか立ち上がったところに再び<クレスタ>が迫り拳を繰り出してきた。ヴァ イは咄嗟にそれを躱すと懐に潜り魔術を発動させる。 「『黒』い破壊!!!」 ヴァイと<クレスタ>の間の空間が急激に歪み、戻る。その際に生じたエネルギーが一気 に爆発して<クレスタ>の腹部を吹き飛ばした。当然近くで発動させたヴァイも傷は浅かっ たが吹っ飛び地面に叩きつけられる。 (これで駄目なら……) 今の魔術はヴァイが使う通常魔術の中で最も破壊力のある魔術だった。 殺す事ができなければ本当に総力戦になる。 今のヴァイにはそれは辛かった。 レスターシャを助けた時の魔力の消費が今になって体に効いてきたからだ。 それに加えて多大なダメージを負っている今の体では、切り札を使うには体に負担がか かりすぎる。 そんなヴァイの願いも<クレスタ>が脇腹が吹き飛んだ状態のまま立ち上がったことで途 絶えた。しかもその様子はまた違っている。 「ウウウウウ……オオオオオオオ……」 脇腹の傷は大した効いているようには見えないというのに何かに苦しんでいるようだ。 ヴァイはこれを好機と判断し魔力を開放する。 「『白』き咆哮!!!」 放たれた光熱波は一直線に<クレスタ>に向かう。だが直撃というところで突如真上へと 進路を変えて空高く昇っていってしまった。 「何!!?」 ヴァイが驚きの声を上げると同時に<クレスタ>は奇声を上げながら突っ込んでくる。 「コレデオワリダァ!」 しかし<クレスタ>の攻撃は空を切る。先ほどまでとは違って動きに精彩がなくなってき ている、というか何か意志とは違う動きを見せているようだ。 「コノッ、ジャマスルナァ!」 <クレスタ>は自分の手で体を押さえつける。ヴァイはその光景を見て黙ってはいなかった。 意識を極限まで集中し大魔術を発動させるようイメージを明確に描く。 「『銀』の……獣!!」 ヴァイは両手を<クレスタ>へと向けて魔術を発動させた。<クレスタ>はそれに気づき避 けようとするが攻撃が見えない。 しかし次の瞬間、<クレスタ>の体は真っ二つに裂かれていた。 「ガァフゥ!?」 <クレスタ>は崩れ落ち、ヴァイはその場に膝をついた。<クレスタ>がこれ以上立ち上がる 気配が無い事を見届けると息を大きく吐き呟く。 「終わったな……」 今放った魔術はかまいたちのように<クレスタ>を切り裂いたが原理はまったく違う。 ヴァイは真空を作り出して切り裂いたのではなく、<クレスタ>が存在している空間自体 を斬り裂いたのだ。 ヴァイの中でも秘奥の魔術の一つである。 ヴァイは少し休むと『魔鏡』を回収するため<クレスタ>に近づいた。その時点でヴァイ は<クレスタ>の変化に気づいてはいなかった。終わった事への安堵感と疲労が注意力を散 漫にしていたのだ。 ヴァイはすぐ傍まで近寄った時、胸の内に違和感がよぎった。 (何だ……? 何がおかしいんだ?) おもわずその場から後ずさりする。その時、一瞬遅れて<クレスタ>の体から閃光が放た れた。光は草木を一瞬にして消滅させヴァイの腕の肉も少し焼ききれた。 「し、『紫』の十字架!」 苦痛に顔を歪めながら回復魔術を用いて傷を塞ぐ。その間もヴァイの眼は目の前の光を 放つ<クレスタ>を見つめていた。 ゆっくりと<クレスタ>は起き上がる。 ヴァイは息を切らせ、汗をだらだらと垂らしている。 体力が限界に近づいているのだ。一瞬でも気を抜くと意識を失いそうになるような状態 の中でヴァイは感じていた。 こいつはもう<クレスタ>じゃない、と。 「う……ん……」 ルシータはひんやりとした感触を頬に感じて眼を開けた。 ゆっくりと横たわっていた草むらから起き上がる。 記憶が混乱しているためにしばらくぼんやりと辺りを見回してからルシータはやっと思 い当たった。 (そうだ、あたし……さらわれたんだ……) ふと気づいて自分の右手を見てみると木刀がしっかりと握られていた。指先が白くなっ ている事から本当に凄い力で握られていた事が分かる。 「ここ……どこだろ?」 ルシータはその場から立ち上がり改めて辺りを見回した。 目の前には小高い丘があり、辺り一面草むらである。 奥には森が広がっていて見えるだけでも数本の木がへし折れていた。 「ヴァイ……」 ルシータには微かに記憶にあった。<クレスタ>に投げられてそれをヴァイが受け止めて くれた事。自分を優しく包んでくれるものを感じた。 「ヴァイ、勝つよね……」 ルシータは不安げに呟いた。その時森の奥から凄まじい量の光が溢れた。 「!!?」 ルシータは咄嗟に避けていた。頭で考えた事ではなく完全な危機回避本能があの光は危 険だと判断したのだ。そしてそれは間違いなかった。 ルシータが頭を上げると直前にいた場所は地面までもが抉れていた。光線を回避できた のは奇跡と言ってもいいだろう。ルシータはあまりの威力に体を震わせていたがふと気づく。 (ヴァイが……闘ってる……) ルシータは震える体を何とか押さえつけて立ち上がった。 この光がやってきた方向にヴァイが間違いなくいる。そしてこんな強力な攻撃をしてく る奴が相手じゃヴァイが危ない。 ルシータは木刀を力いっぱい握ってゆっくりと光線の焼け跡を逆に辿りだした。 (ヴァイ……死なないで……あたしを一人にしないで……!) 必死の思いを胸に抱いてルシータは歩みを進めていく……。