ヴァイの言った通りルシータはベッドから身を起こしていた。

「あ! どこいってたのヴァイ?」

 多少ぎこちないながらもルシータはベッドから出てヴァイへと近づいてきた。

「ちょっと話を聞いていたんだ」

 ヴァイは後ろにいるレスターシャを親指で指差して言う。レスターシャは無言で微笑を

顔に浮かべているだけだ。

「なんか怪しい……」

「何がだよ」

 心底怪しいというような目線を向けてくるルシータをヴァイは軽くあしらい、レスター

シャに話し掛けた。

「明日、治安警察隊も呼んで警備を固める。どうせ相手にはこっちに俺がいることが分か

った。本当にあの『鏡』を欲しいのなら本腰を入れてくるだろう。俺はそいつらにかまっ

ている暇は無い」

「さっき相手にしてた奴を……殺すの?」

「……さあな」

 ヴァイは多少口ごもって何とか言葉を吐き出した。殺す気はない、ただそれが本人を目

の前にしてその気が消える可能性が無いわけではない。

 今は答えを出すことはできない。

「ルシータ、今日はもう寝ろ。明日は今日以上に働いてもらう事になりそうだ」

 ヴァイが言うとルシータは目を輝かせ多少あったぎこちなさが完全に消えた状態でヴァ

イへと抱きついてきた。

「分かったわ、ヴァイ! あたし明日はもっと頑張るから!! お休み」

 ルシータは鼻歌を歌ってスキップをしながら部屋から出て行った。ヴァイには何故そん

なに彼女が喜ぶのかまったく分からなかったが、顔がほころぶのは止められなかった。

「ずいぶん喜んでたわね、あの子」

「ああ」

 ヴァイはレスターシャの言葉に反応してからまたも動揺した。どうも彼女といると自分

の素直な気持ちを表現してしまう。そんな自分にヴァイは照れくさくなり乱暴に頭を掻いた。

「あの子、あなたの役に立てる事が本当に嬉しいのね」

 今度はヴァイは答えなかった。ヴァイは始めて会った時から今までのことを少し考えて

みた。するとなるほど、ルシータはヴァイの役に立つ事に異常な執着心を示しているとき

がある。最近でいえばミルズ3兄弟を捕まえた時だ。あの時あいつは来るなと言った直後

でも結局来ていた。そしてガスが逃げ出したときにそれを捕まえたときもかなり喜んでいた。

「あの子はあなたにとって、何?」

 ヴァイは突然の質問の意味が図りかねた。何故そんな事をいきなり聞いてくるのかまっ

たく意図がわからなかった。

「あなたの正直な気持ちを聞かせてくれればいいのよ」

 レスターシャはやさしい口調で聞いてくることを止めない。ヴァイは少し戸惑ったが、

やがて口をゆっくり開いた。

「あいつは、ルシータは、俺が守る。命に代えても」

 何の気負いも無い、ヴァイの心からの言葉だった。その一方で、やはり自分はこの女を

前にすると変になる、と考える自分もいる。レスターシャは満足げに頷くとヴァイの横を

通ってベッドに座った。

「最後に質問、『魔鏡』は一体どんな力があるの?」

 ヴァイはようやく自分の言いやすい話題になったおかげで顔を緩めて言った。

「俺も詳しい事は分からない。俺が以前ラーグランで見た資料には『フロエラの魔鏡』と

いう名前しか分かっていなかった。フロエラ、というのは古代語で<無限>と言う意味だ

そうだ。鏡の側面に書かれていた古代語で読めたのがそれだけだったんでそう名前を付け

たっていうことだ。あまり深い意味は無い。しかし……」

「『無限の魔鏡』ね。一体何が無限なのかしら?」

「分からない、ただその鏡からは邪悪な感じしかしない。持っていてもよくない事は確かだ」

 ヴァイはそう言ってからドアへと向かって歩き出した。レスターシャはヴァイの言葉にも

終始笑みを浮かべたままだった。

(一体何を考えているんだこの女は?)

 ヴァイは内心不思議に思っていても、それが不快感には至っていないということを理解

していた。結局、俺はこの女の何かに惹かれているようだな、と自分を納得させて部屋の

ドアをわざと思い切り閉めようとした。そこにレスターシャの言葉がかかる。

「あなたラーグランにいた事あるのね」

 ヴァイはその言葉にさっきの自分の言葉を思い出し動揺した。それを打ち消そうとドア

を思い切り閉める。ドアの向こうでレスターシャの笑い声が聞こえたような気がした。





(ヴァイ、私に働いてくれって言った……)

 ルシータはヴァイに言われた通りすぐに自分に当てられた部屋でベッドにもぐった。

レスターシャと二人きりにする事になるが今はそんな事はどうでもよかった。ルシータ

にとっては今が一番幸せな時なのだ。

(ヴァイが私を必要としてくれてる。嬉しい……)

 ルシータは自分の胸が必要以上に鼓動を早めていることも心地よく感じた。

 今までヴァイに持たせたかった価値観。

 自分のことをいつもお荷物扱いして、口で相棒と言っていても対等の立場では見てく

れてはいなかったヴァイが、初めて自分を相棒として見て明日に仕事を頼もうとしている。

 ルシータにはそれが何よりも嬉しかった。

 ルシータは今まで生きてきた十八年間、人に必要とされたという感覚が少なくとも自

分で感じる事ができた事は無かった。





 ルシータ=アークラットはルラルタよりはるか北にある自由都市クレルマスで事実上

そこを統治している富豪アークラット家の三女として生まれた。

 顔は母親譲りで三人は全てかなりの美人だった。

 その上二人の姉は性格、ルックス、教養など全ての要素がトップレベルという正に上

流階級の娘達だった。

 そしてルシータも順調に行けば社交界のトップスターとして暮らせていたに違いない。

 だが、それは叶わなかった。ルシータの父親は上の二人の姉だけを可愛がりルシータ

には見向きもしなかった。

 ルシータだけはルシータの父の子供ではないかもしれないからだ。

 ルシータの母が三度目の妊娠をしていると分かったとき、ルシータの母の浮気が発覚

していたのだ。

 もしかすると他の男の子供かもしれない、そう思いルシータの父は冷たい行動に出る。

 そんな優しかった母と姉達も六年前に事故によって共に死亡した。

 それからルシータは家を出た。

 誰にも知らせず、父に見つからずにこっそりと家を出た少女はその小さな胸に大きく

固い決意を持っていた。



『誰にも頼らず生きる』



 彼女はこれから他人を信用する事無く人生を生きていく事になる。

 それは単に彼女自身の思い込みというわけではなく、彼女が家を出てから遭遇してきた

出来事が彼女のその意志を強固にしてきた結果なのだ。

 彼女が家出をしてから、彼女が他の町に立ち寄るたびに彼女の財産目当てに男が寄って

きた。その近辺で有名なアークラット家の人間の顔は老人から子供まで知っていた。

 ルシータが失踪した直後から彼女の父が賞金つきの捜索願を出していた事もあって彼女

の父に取り入ろうとする者、彼女自身を手に入れようとする者など彼女には常に『アーク

ラット家の人間』という肩書きがついてきたのだ。

 ルシータは必死で逃げた。

 なんとしても父親に捕まってはいけない。

 父が今まで見向きもしなかった自分に賞金をつけてまで連れ戻したいのは結局、自分の

後継ぎを作りたいからであって自分の娘だから心配だ、という気持ちなんてこれっぽちもない。

 そんな事は分かっていた、だから余計に悔しかった。

 ルシータは父親の捜査網を潜り抜けて一年前、商都ルラルタへと着いた。

 しかし長い移動の生活はルシータから注意力を奪っていた。

 ルシータはちょっとした油断から夜にゴロツキ達に裏路地で取り囲まれてしまった。





「おい、こいつアークラット家の家出娘だぜ」

「こいつを差し出せば何万ルムももらえるぜ」

「別に五体満足でって書いてないよな。ちょっと味見しようぜ」

「そうだな……」

 ルシータはこれから自分の待ち受ける運命を呪った。

 自分が一体何をしたの? あたしはただ生まれただけなのにどうして父に嫌な顔を

されなきゃなんないのよ。私になんて結局存在価値、ないんだ……。

 抵抗を止めて無気力になった。ゴロツキ達はルシータが無抵抗になったのを観念し

たのだと思いその服に手をかけた。その時。

「いいかげんにしろよな」

 ゴロツキの後ろに先ほどまでいなかった男がいた。ルシータはその男をぼんやりと

観察する。

 赤いバンダナを頭に巻き、白いジャケット、下はジーンズ。上着の下には蒼いシャツ。

 腰には短剣だか長剣だか分からない代物を下げている。

 男はむしろふっと何も無い空間から現れた、と言ったほうが当てはまるかもしれない。

 そんな登場の仕方だった。

「な、なんだて……」

 驚いたゴロツキの一人が振り返りざま手に持っていた獲物のナイフを振りぬいた。

 しかし次の瞬間にゴロツキは宙を舞っていた。数メートル吹っ飛び壁に激突するゴロツキ。

 ぐえぇ、と呻き声を出して意識を失う。

「この野郎!!」

「なめんじゃねぇ!」

 ルシータを押さえた一人のゴロツキを残して残りは現れた男に向かっていった。しかし

次々と吹っ飛ばされて倒されていく。数分もしない間にそこには男とルシータ、そしてル

シータを押さえていたゴロツキの三人が残るだけとなった。

「う、動くんじゃねぇ! この女、殺すぞ!!!」

 ゴロツキは半狂乱になって持っていたナイフをルシータの首筋に押し付けた。男は右手

を二人のほうへとかざす。

「なんの……」

 ゴロツキが叫びきる前に男は小声で呟いた。

「『銀』の翼」

「………まね……だ……?」

 男が呟き終わるのとゴロツキの叫びが終わるのはほぼ動じだった。そしてゴロツキの手

の中のナイフはどこかへと消えている。驚くゴロツキの顔面を音も無く近づいた男の右拳

が粉砕した。

 男は地面に呆然と座り込んでいるルシータに近づく。ようやく意識を取り戻したルシー

タは眼前に自分を助けてくれた男がいることに、緊張のために赤面した。

「大丈夫か? ルシータ=アークラット」

 男のその言葉を聞いてルシータはあからさまに不機嫌になり男を置いて路地裏を抜けて

いってしまった。

「おい、ちょっと待てよ!」

 表通りに出たルシータに男は更にしつこく迫る。そしてルシータは自分の考えている事

を全部吐き出した。

「どうせあんたもあたしにかけられている賞金が目当てなんでしょう? 私は意地でもあ

んな父親のところへなんて帰んないわ! 誰の力も借りない! あたしは一人で生きてい

くの!!」

 ルシータの声は夜の大通りに響き渡った。こんなに感情をぶつける事ができる相手など、

ここにつくまでの五年間、いなかったのだ。

 男はルシータを真っ向から見つめている。

 とてつもなく長い数分間が過ぎた。ルシータがいいかげんその場から離れようとした時、

男は口を開いた。

「その『眼』だ」

「……え?」

 ルシータはこの男が一体何を言っているか分からなかった。男は続けて言葉を発する。

「君を助けた理由だよ。君が、あまりにも荒んだ眼をしていたから……。まあ、そんな

眼をしていなくてもあんな目にあっている人がいたら助けるのが普通だろう」

「お、大きなお世話よ!!」

 ルシータは思わず大きな声を上げて男の頬に手を振り上げる。男は避けようとする素振

りも見せずにルシータの平手を喰らった。

「あ……」

 ルシータは自分のした事に罪悪感を感じた。いくらなんでも自分を助けてくれた人に対

して取る行動ではない。

「ご、ごめんなさい」

 ルシータがそう言うと男はふっ、と顔に笑みを浮かべた。

「そこまで元気があるなら大丈夫だな。しかし、もう少し人を信じてみるのもいいかもし

れないよ」

「……」

 ルシータが何も言えないでいると男は背を向けて歩き出した。

「あ……」

 ルシータが焦って声をかけようとするのを遮って男が背中越しに話し掛けてきた。

「俺はヴァイ=ラースティン。今度この街で何でも屋を開こうと思っている。困った事が

あったらいつでも来てくれ」

 ヴァイと名乗った男はそう言うと今度は足を止めずにすっと姿を消した。ルシータはし

ばらくの間その場に立ちつくしていたが、やがて吹っ切ったように顔をほころばせるとヴ

ァイが消えていった方向とは逆に歩き出した。





 あくる日の朝、ある建物の前に立つ少女が一人。ルシータはその少し薄汚れた建物を見

据えて深く息をすると眼をきっ、と鋭くして中に入っていった。

 中の狭い階段を上がっていく。

 そしてある階のドアの前に立ち止まるとそのドアをノックする。

 中からは気だるい感じの声で、開いてますよ、と返事が返ってきた。

 ルシータは勢いをつけてドアを開いた。

 中は入り口から見えるところに居間があり、ソファにはゆったりと座った人影があった。

「さあ、どうぞこちらへ……て、君は……」

 ソファにいた人影――ヴァイはルシータの姿を認めると苦笑いを浮かべて話しかけてきた。

「君か。早速困った事が起きたのか」

「ここで雇って欲しいの」

 ヴァイは一瞬絶句する。ルシータは冗談という雰囲気を微塵も見せずにヴァイにその瞳

を向けている。

 眼からして本気だ。

「……どうしてまた」

「あたしは自分を誇れる人間になりたい。あなたに言われた通りに人を信じようって思っ

てる。どれだけかかるか分からないけど……それでも自分でできることを探したい」

 ヴァイは困った顔でルシータを説得しようとする。

「なにも俺と一緒に何でも屋なんてする必要が無いじゃないか。この仕事は危険な場合も

あるんだぞ」

「それでもいい、あたしはあなたの……ヴァイの力になりたい」

 ルシータは自分の中の気持ちがどんなものか分からなかったが、その台詞は自然と口から出た。

 そしてヴァイはその時、内心どう感じたかは分からないがルシータにこう言ったのだ。

「なら、一緒にやるか」

「……うん!!」

 眼を涙で潤ませて喜ぶルシータにヴァイは笑みを浮かべた。 





 ヴァイはルシータと初めて会った時を思い出しつつ部屋に入ると、着ているものを脱ぎ

捨てて下着だけでベッドに入った。しかしいつもならすぐに睡眠には入れるところだが今

は違った。完全に目が覚めている。

「今度こそは、大事なものを失ったりはしない」

 ヴァイは確固たる決意を秘めた瞳で真直ぐ天井を見つめている。次こそは<クレスタ>

を倒して『魔鏡』も守ってみせる、そういう思いを胸に秘め、目をつぶって何とか寝よう

と勤める。

 その甲斐あってか数十分後ヴァイは寝息を立てて寝始めた。次の戦いに供えるために。

 だが、その時ヴァイは気づいてはいなかった。

 いや、誰も気づけるはずもない。

 ヴァイが次に眼を覚ました時、想像を絶する経験をすることを。

 そしてそれがこの街の、いや世界を滅ぼしかねない大惨事に発展しうる事を。

 誰もこの時は予想できなかった。

 誰一人として――。



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