ヴァイス=レイスターはこの世界を統率する王都ラーグランで大神官の地位を持つ父、

シュバルツ=レイスターとその妻、レナ=レイスターとの間に第二子として生を受けた。

 四歳違いの姉であるレイン=レイスターは魔術の非凡な才能を見出されてヴァイスが

生まれた時には魔術都市ゴートウェルへと移住し魔術の訓練を行っていた。そしてヴァ

イスもまた姉以上の才能を見せることになる。

 いち早くその天賦の才を見出した父シュバルツは物心ついたときからヴァイスに戦闘

訓練を施した。

 国の軍事を司る大神官は王立治安騎士団《リヴォルケイン》出身の者がなる職で、シ

ュバルツもまた《リヴォルケイン》では六団長という地位にいた。

 六団長は《リヴォルケイン》を管理、統制する者達である。

 その中でもシュバルツは一、二を争う実力者だった。

 シュバルツは自分の持てる技術を全てヴァイスに叩き込んだ。そしてヴァイスはそれ

を素早く吸収し、応用へと進化させて僅か十三歳にして《リヴォルケイン》最強の戦士

へと成長し、六団長となったのである。

《リヴォルケイン》隊長に就任した時、姉を交えた四人で祝いの晩餐をした時にヴァイ

スは喜ぶ姉と両親の姿を見て心に誓った。



 この笑顔を見ることができるなら、騎士団に居続ける理由がある。



 ヴァイスは騎士団に入る事は実はどうでもよかった。ヴァイスの心には騎士団に入る

事というこだわりは無く、ただ困っている人を救いたいという気持ちだけがあった。

 今はここにいることがその目的に最も近づける方法だとヴァイスは理解していて、い

つか広い世界に旅立つ日までにたくさんの事を学んでいこう。

 そう、思っていた。

 そして、この幸せがいつまでも続くという事も、思っていた。





 今から六年前のその日は夕暮れから雨が降っていた。その日は王都に盗賊が侵入した

という事で治安警察隊と合同で調査をしていたためにヴァイスは帰りが遅くなっていた。

 その日はヴァイスが《リヴォルケイン》に入ってからちょうど三年たった日だったの

で両親がパーティーを開いてくれる予定だった。残念ながら姉は魔術師資格取得試験が

近いために来れないという事だったが両親だけでもヴァイスには十分だった。

 ヴァイスが任務を一段落させて家に帰ろうとした時に、一つ上でヴァイスとは親友で

ある《リヴォルケイン》六団長アイン=フィスールが話し掛けてきた。

「ヴァイス、まだ逃げ込んだ盗賊は捕まっていないんだ。油断はするなよ」

「何を言うんだよ、アイン。油断なんてしないさ」

「まあ、分かっているならいいんだが……何か嫌な予感がするんだ」

 ヴァイスはふふふ、と笑ってアインの肩に手を置く。

「まあ、アインの嫌な予感は当たるからな。気をつけるよ」

「ああ……そうしてくれ」

「うん、それじゃ!」

 ヴァイスは心配そうに見つめてくるアインの視線を背に急いで家へと向かった。

 数分後、アインの嫌な予感は最悪の方向に当たる事になる。

 ヴァイスが出ていってすぐに六団長のシール=ツァリバンとライ=オーギュドが駆け

足でアインに向かってきた。

「どうしたんです?」

 アインが二人のただならぬ雰囲気に先ほどまでの思考を切り替えて話し掛けた。

 肩にかかった綺麗な銀髪をさっと右腕で払ってから、シール=ツァリバンはよく通

る声でアインに言った。

「進入した盗賊の正体が分かったわ……。厄介な相手よ」

「賊の正体は《蒼き狼》エージェント、通称<クレスタ>。奴に狙われて逃れた奴は

いないと言われた暗殺者だ」

 横にいた金髪碧眼のライ=オーギュドが険しい顔で後を続ける。

「先ほど治安警察隊の一部隊が全滅していた。このままでは王都が危険だ。なんとし

ても奴を捕らえなければ……」

「ところで、ヴァイスは?」

「あいつは家に……」

 シールの問いにアインは困ったような声で答えた。案の定、シールは顔にあからさ

まな嫌悪の表情を浮かべる。

「まったく! この非常時に何を……」

「今、あいつのことを責めている場合ではない。むしろ今、あいつは危険の中にいる」

 ライが切迫した声をだして移動しだした為に、後に続く形でアインとシールは走り

出した。

「ヴァイスが何故危ないのですか?」

 移動している間にアインがライに尋ねる。アインは自分の心臓の鼓動が早まってい

くのを感じていた。悪い予感が当たる、そんな気が……。

「目撃情報によると、今<クレスタ>が向かっているのはヴァイスの家の方向なんだ」

「なっ……」

 アインはそれを聞いて走り出した。悪い予感が当たってしまった、早くあいつを助

けに行かなくては。それだけを考えていた。

 アインは急いで《リヴォルケイン》のメンバーに合流すると追いついてきたシール、

ライと共にヴァイスの家へと向かった。そして嵐の中ようやくその場に着くと、そこ

には最悪の光景が広がっていた。

 血だまりが床を濡らし、奥には事切れている二人の人物の間にヴァイスが座り込ん

でいる。

「ヴァイス……ヴァイス!!」

 アインはすぐに近寄ってヴァイスを揺さぶった。しかしヴァイスは生気の抜けた顔

で、何の反応も示さずにただなされるままだ。

 そこに《リヴォルケイン》始まって以来の天才戦士の面影は無い。

「アイン、どうやら<クレスタ> はヴァイスが退けたらしい。今ごろ王都からは脱

出しているだろう。我々は念のために奴を追う。おまえは……ヴァイスのそばにい

てやれ」

 ライはアインにそう言い残すと他の兵を率いて家を出て行った。

 取り残されたアインとヴァイスはしばらく動かなかったが、ヴァイスの体が小刻み

に震えてくるのを感じてアインはヴァイスに眼をやった。

 ヴァイスは声も無く泣いていた。激しく嗚咽をするのでもなく、ただ涙だけが流れ

ていた。まるで泣き方を忘れてしまったかのようにただ流れていく涙を見てアインは

絶望した。

 親友を助ける事のできない自分を心底悔やみながら強くヴァイスを抱きしめた。





 シュバルツとレナの葬儀はその日から三日後に行われた。ヴァイスの姉であるレイ

ンがゴートウェルから来るのにそれだけの期間が必要だったからだ。

 その時のヴァイスにはとても一人で両親の葬儀を行う事はできなかったのだ。

 両親の棺と共に城の裏にある共同墓地に向かう間もヴァイスは一言も口をきかなかった。

 ただ、虚ろな眼をしてどこかを見つめているだけ。

 両親の埋葬が終わってもヴァイスは墓地の前にたたずんでいた。

「レインさん……」

 心配そうに見ていたレインにアインは話し掛けた。

「アイン君。あの子は、このくらいで駄目になるような子ではないわ。あの子が吹っ

切れた時、傍にいてあげてね」

「レインさん……?」

 レインはその場から去っていった。そして、アインは……。

「アイン」

 ヴァイスは後ろから近づいてきたアインに振り向かずに話し掛けた。アインの返事

も聞かずに先を続ける。

「俺は……父さん達を殺した奴を追おうと思う」

「じゃあ、俺も付き合うぜ」

 アインはヴァイスが何とか立ち直ろうとしていると思い、本気で手伝おうと思っていた。

 しかし、ヴァイスの口から次に漏れた言葉はアインを十分驚愕させるものだった。

「いや、俺一人で行く。俺は今日限り《リヴォルケイン》を辞める」

「っな……!?」

 ヴァイスはきびすを返して駆け足でその場から去る。アインはそれを追いかけて話

をしようとする。

「なに言ってんだ! どうして《リヴォルケイン》を辞めなくちゃならない。このま

までもおまえの両親を殺した奴を探せるだろ!」

 ヴァイスはアインの問いには答えず突然に足を止める。アインはそのあまりの急さ

にバランスを崩して前のめりになった。

「おっと……」

 バランスを立て直してヴァイスの方を向いた時、すでにそこにはヴァイスの姿は無かった。

「あ、あいつ……」

 アインはただそこに立ちつくすだけだった。





 ヴァイスはアインを振り切ると城へと戻っていた。

 ヴァイスは誰にも見つからずに場内に侵入すると一つの部屋の前に立った。

 息を整えてからノックをしようとすると部屋の中から声が返ってきた。

「ヴァイスか……。入ってもいいぞ」

「……失礼します」

 ヴァイスは音を立てないように慎重にドアを開けて素早く中に入った。

 中は豪華な装飾品が並べられており、一人分にしては大きなベッドの縁には一人の人

物が腰掛けている。

「お休みでしたか、アルスラン様」

「ああ、三日前の騒ぎの収集に追われていてな」

 その人物からは何もしてはいないのに凄まじいまでのオーラが出ていた。その場にい

るだけで全ての物を支配するような感覚。

 王都ラーグラン、世界を統率する王、アルスラン=ラートその人である。

「誰にも見つからないように進入してくるからには何か訳があるのだろう? 言ってみ

るがいい」

 アルスランの雰囲気に多少気圧されながらも、ヴァイスはポケットから取り出した

《リヴォルケイン》のシンボルである神獣フィニスの首飾りをアルスランの方に放って

から考えていた事を口にした。

「俺は今日限り《リヴォルケイン》を脱退させてもらいたいのです」

「何故だ?」

 アルスランは特に大した事を聞いたというのでもなく普通の口調で返す。

「両親を殺した奴を追おうと思っています」

「なら、それが終わった時、お前はどうする気だ?」

「え……」

 ヴァイスはアルスランの問いにすぐには答える事ができなかった。目的を達した後、

その後は自分はどうやって生きていくのだろう……。

「お前が辞めるのは勝手だ。お前が両親のために騎士団に残っていたのは分かっていた

からな。理由がなくなったのだろう? それを責めはしないが《リヴォルケイン》は普

通所属したが最後、死亡あるいは再起不能になるほどの怪我にでもならない限り脱退は

認められないことになっている。これは王立治安騎士団が設立された当時からの決まり

事だ。法と秩序を守るための騎士団自体が自分達の法さえ守れないというのは感心しな

いだろう」

 アルスランの言葉にヴァイスは沈黙するしかなかった。自分は両親の事しか頭に無く、

アルスランは究極的にこの世界全体のことを考えている。自分はいくら腕が立つといっ

てもまだ十六の少年なのだ。考え方の幅が違いすぎる。

「だが……」

 すっかり意気消沈しているヴァイスにアルスランは柔らかい笑みを浮かべながら言った。

「おまえの決意が確かならここに留めておくのは不可能だろう。一つだけ手がある」

「それは!?」

「おまえは死ぬんだ」

「……え?」

 ヴァイスはアルスランの言っている事が分からなかった。死ぬといわれて普通に理解

できる者などいないだろう。だがアルスランは笑いながら言葉の続きを言った。

「お前を社会的に死んだ事にするんだ。両親の後を追って自殺した、とでもな。お前は

地位も、今までの実績も、そして自分の名前さえも捨てるんだ。そうすればお前を制約

する物は無くなり両親の敵を追うことができる。おまえにその覚悟はあるか?」

 アルスランの言葉の最後は真剣そのものだった。鋭い眼光でヴァイスを見つめてくる。

「お前に自分の全てを失う覚悟はあるのか?」

 アルスランは再度問いかける。ヴァイスは何の気負いも無く答えた。

「そんな物、いくらでも捨てますよ。俺に必要なのはそんなうわべの物じゃない。俺は

この世界の助けを求めている人を一時でも救う事が出来ればそれでいいんです」

 アルスランは満足したように頷くとベッドに横になってヴァイスの方を見ないまま言った。

「そこまでの覚悟があるならもう何も言わん。その信念があれば目的を達成した後でも

大丈夫だな。さあ、もう出て行くがいい。ヴァイス=レイスターは今をもって死んだ」

「……失礼します」

 ヴァイスは深々と一礼をすると入ってきた時と同じように音も無くその場から去っていった。





 ヴァイスが家に戻り身支度を済ませた時、レインが後ろから声をかけてきた。

「行くのね、ヴァイス」

「ああ、ごめん姉さん」

 ヴァイスは姉の顔を見ないようにして横を通り過ぎた。その時レインがヴァイスの手

に何かを握らせる。

「これは……?」

 ヴァイスは自分の掌に握らされた物を見た。

 それは剣だった。

 長剣と言うには短く、短剣と言うには長い不思議な剣だった。

「父さんの形見。『古代幻獣の遺産』の『ヴァルレイバー』よ。きっとあなたの役に立

つはず」

「姉さん……、ありがとう」

 ヴァイスは最後に姉の顔を見た。姉は何の表情も見せずにヴァイスを見つめていた。

 ヴァイスは腰に剣をつけると後は振り返らずに出て行った。その時の姉の呟く声もヴ

ァイスには聞こえなかった。

「私もいずれは」





「というのが全てさ。ヴァイス=レイスターは王都を去った……」

 ヴァイはレスターシャに話し終えると床に直接腰をおろした。

「なるほどね。よく分かったわ」

 レスターシャはヴァイの真正面に屈みこみその美しい瞳をヴァイの瞳へと向けた。二

人は無言のまましばらく視線を絡み合わせる。そしてレスターシャは意味深な笑みを浮

かべて言葉を発した。

「王立治安騎士団《リヴォルケイン》騎士団長ヴァイス=レイスターは王都を襲撃した

《蒼き狼》のエージェントとの戦闘で深手を負い、死亡したと発表された。ヴァイスは

そうして歴史の表舞台から姿を消したというわけね。今はどこにいるのかしら?」

「さあ、な」

 ヴァイは今の状況に戸惑っていた。自分の過去を話そうと思ったのはレスターシャが

初めてだったのだ。相棒のルシータにさえも言ってはいない。

(俺はこの女性に惹かれてるのか……?)

 二人の視線は以前一つになったままだ。ヴァイは今、自分が考えている事が顔に出な

いか心配で思わず視線をそらしてしまった。

「あら、現代最強に最も近い戦士であるあなたも女の視線には弱いのね」

 レスターシャが悪戯っぽく言ってくる。ヴァイはこれ以上この雰囲気には耐え切れな

いと判断して立ち上がった。

「ルシータがもうそろそろ起きてもいい頃だ。戻ろう」

 ヴァイはレスターシャの返事を待たずにその場から去った。レスターシャはそれを自

分の子供を見るような慈愛に満ちた眼で見ていた。



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