それはいつも唐突にやってくる。

 自分が寝てようが、食事中だろうが、入浴中だろうがプライバシーなどまったく存在しない。

 自分が今何をしているかなんて『枢密院』は全てお見通しだ。

 それなのにもかかわらず自分が平穏を楽しんでいる所を見計らって『指令』が来るのだ。

<クレスタ> は先日の夜、仮初めの友人達と酒を飲み交わしていて、自宅へと帰ったのは

もう空が白みかけた頃だった。

 そうして一眠りをしようと思っていた矢先に突如『指令』が来た。

「たくっ……。人のことを考えろ……」

 悪態をつきながら<クレスタ>は酔い覚ましに冷蔵庫にあったドリンクを一気に飲み干

し、洗面所で顔を洗った。

 水の冷たさは顔の毛穴を伝わり脳に浸透、一気に<クレスタ>の脳細胞を活性化させる。

 何度か勢いよく顔を洗うと<クレスタ>は今まで着ていたよれよれの服を脱ぎ捨てクロ

ーゼットにある『仕事用』の黒コートと服を取り出し素早く着込んだ。

<クレスタ>というのは無論、自分の本当の名前ではない。

 彼はまだ幼い頃にとある街のスラム街に捨てられており、そこで拾ってくれた男が勝手

につけたものでファミリーネームは無い。

 その男が死んでからは<クレスタ>はその男が属していた《組織》に自動的に入る事と

なり、今日まで様々な指令をこなしてきて成功を収めている。

 ただ一度を覗いては。

「アーバル……レスターシャ……『鏡』……」

 次々と『枢密院』から送られてくる情報を<クレスタ>はぶつぶつと独り言を言いなが

ら整理していく。

 そしてその作業はある言葉で止まった。

「……ヴァイ=ラースティン!!」

 その瞬間、今まで黒く濁っていた<クレスタ>に瞳が急に光を取り戻した。

 歓喜を含んだその瞳と共に酒によってげっそりとしていた顔に生気が甦り、第三者がい

たなら立ちすくんで動けないほどの殺気を放っている。

「ヴァイ=ラースティン。久しぶりに傷が疼きやがる」

<クレスタ>は羽織ったコート越しに自分の左腕を押さえる。彼の一度の失敗は体に深く

刻まれているのだ。

<クレスタ>はコートを翻して部屋から出て行った。前まできっちりと閉められたコート

が翻った時に分かったのはその男には左腕が無いという事だけだった。





 ヴァイは夕食の後、ルシータをレスターシャの所に護衛として残して庭に出ていた。

 その瞳は鋭く庭を見渡している。

 ヴァイはおもむろに右手を前に突き出し意識を集中し、そして素早く言葉を発した。

「『赤』い稲妻」

 ヴァイの右掌から燃え上がる球が出現して庭の一点に向かっていき、着弾する。

 ゴウッ!! と炎が燃え上がり、数秒を経て消える。そこには少しの焦げ後もなかった。

 魔術はイメージを強く具現化したものであり、決して実体を持っているわけではない。

 効果があるのはそのイメージを叩きつけようと決めた相手にしか効果は無い、つまり

魔術で現れた炎は目標を燃やしてもその周囲はその炎で燃え上がる事は無いのである。

 しかしその庭は目標地点周囲どころか目標まで何も影響が無いのだ。

「やはり、かなり強力な魔術結界が張られている」

 魔術結界というのは魔術の効果を遮るものである。人間としてはエリートである魔術

師もやはり落ちこぼれて犯罪へと走る者も出る。

 そんな者達に対抗するのに傭兵などが魔術結界を張っているアイテムを着用している

事はこの世界では日常茶飯事だ。

 だがそれもせいぜい人の体全体を守るほどの力しかない。ここに張られた結界はこの

広大な庭どころか屋敷まですっぽりと包んでしまっている。

(いったい何なんだこの屋敷は……、どうしてここまでの高レベルな魔術結界が張って

あるんだ? 明らかにこれは『古代幻獣の遺産』だ。おそらく他の商人達に流れた物も

その系列に違いない……。一介の商人がどうして《リヴォルケイン》並みの収集力を持

っている?)

《リヴォルケイン》は世界中にネットワークを形成し、『古代幻獣の遺産』が発見され

たという情報が少しでも入った時は、すぐ現場へと向かえるようになっている。

 めったな事では誰かに出し抜かれるという事は無いのだ。

(だが実際にここまで強力な『遺産』がこの屋敷にある。それに……)

 ヴァイには気になっている事がもう一つあった。レスターシャである。

 彼女にヴァイは不信感を募らせていた。

 容姿、物腰、どれも貴族の妻にしては申し分ないように見える。

 しかし、それは何故だか酷く不自然なように感じてならなかった。会った時からヴァ

イには何かの違和感が纏わりついている。

(何者だか分からないが……今時点では俺達に危害を加える事はしないだろう。ルシー

タにも一応は気をつけろと言っているが……)

 ヴァイの物思いはそこで遮られた。

 ヴァイはその場から一瞬にして数メートル離れた所に移動する。ヴァイが立っていた

場所には鋭い音がしたかと思うと深く細い傷跡がついていた。

 さらに見えない気配が音を立ててヴァイへと迫ってくる。

「『白』き螺旋!!」

 ヴァイの魔術が発動して体の前を幾つもの螺旋状の光が覆う。迫ってきた気配は光

の螺旋に阻まれて消失した。

 ヴァイは立っていた場所を移動しつつ、気配が向かってきた方向に魔術を放った。

「『赤』き烈光!!」

 ヴァイの手から炎が一点に集中して目標へと飛んでいく。だが、炎も暗闇のある地

点までたどり着くと四方に霧散した。

「姿を見せろ!!」

 ヴァイは無駄だろうと思いつつ相手を挑発した。すぐさま謎の気配を避けるべく体

勢を整える。

 しかし相手はヴァイの予想を裏切りその姿を現した。

 それは長身で体を黒いコートで覆い、漆黒の髪と瞳を持つ男だった。コートからは

右腕だけが覗いている。

「一度本気で闘いたかったんだ、ヴァイ=ラースティン」

 男――<クレスタ> はゆっくりとヴァイへと近づいていき、更に言葉をつづる。

「いや……、ヴァイス=レイスターと言った方がいいか?」

「!! ……貴様は……」

 ヴァイの顔に明らかに先ほどまでとは違うものが浮かんだ。

 殺気が体全体から滲み出る。

「貴様か……あの時の……!」

「あの時は任務が優先だったから撤退したが、実力では負けていない。勝負だ」

<クレスタ>は言ってすぐさま右腕を動かした。

 シュッ!という鋭い音がヴァイの耳に入る。

 ヴァイも尋常じゃない反応速度でその場から離れると、そこにはまた深く細い傷跡

が残っている。

「流石に躱しきれなかったか……」

 ヴァイの右頬からうっすらと血がにじんでくる。

「極細の鋼鉄ワイヤーか、確かに凄い切れ味だな」

<クレスタ>が顔に笑みを浮かべる。今の一撃を躱しきれなかったヴァイに対して嘲

笑しているのだ。

「貴様、しばらく会わないうちに弱くなったな。今の一撃が避けられないとは。昔の

お前ならばこんなものなど通じん」

<クレスタ>はさらに眼にも止まらぬ速さでワイヤーをヴァイへと向かわせる。だが

今度はヴァイの姿が消え去った。

「なに!?」

<クレスタ>は辺りを見回したがヴァイの姿は見えない。すると突然背後に殺気が生

まれる。

「うお!!?」

<クレスタ>はワイヤーを飛ばしながらその場から飛びずさる。そのワイヤーはキンッ!

という甲高い音と共に断ち切られた。ヴァイが腰の剣でワイヤーを薙ぎ払ったのだ。

「確かに俺はあの頃よりは弱くなった。しかしそれでもお前はかなわないさ。格の

違いを教えてやる」

 ヴァイは剣――長さ的には短剣より長く長剣よりも短いといったものだ――を右手

に握り<クレスタ>に向かって突きつけた。

「……面白い! 貴様は俺が殺す!!」

<クレスタ>は距離を取り、今度はワイヤーを一つだけではなく何本もヴァイに向け

て飛ばしてきた。

 右腕一本でにもかかわらず無数のワイヤーは幾つもの軌跡を描いてヴァイへと襲い

掛かる。

 だがヴァイは今度はその場から動かずに迎え撃った。

「タネが割れればたいしたものじゃない!」

 ヴァイは手にした剣を素早く振るっていく。そのたびに甲高い音と共にワイヤー

が地面へと落ちていく。そうして全てのワイヤーを防ぎきると顔に驚愕を浮かべる

<クレスタ>に向かって走り出した。

「『黒』の衝撃!!」

 ヴァイが突き出した掌からドンッ! という音と共に衝撃波が放たれる。

<クレスタ>はそれを難なく躱し、衝撃波はそのまま屋敷の壁に大きな破壊音を伴って

衝突する。しかしその衝撃は近くにいた<クレスタ>を巻き込んでバランスを崩させる。

 バランスを崩したのは一瞬だったがヴァイにはそれで十分だった。

「『紫』の波紋!!」

 一瞬の隙に急接近してきたヴァイの拳に魔力が結集されるのが<クレスタ>には分

かった。そしてその拳はそのまま彼の鳩尾へと鈍い音をたてて食い込んだ。

「がはっ!!」

<クレスタ>は勢いそのままに屋敷の壁に激突する。その衝撃は凄まじく屋敷の壁は

粉々に砕け散った。

『赤』は炎、『青』は水、『緑』は風、『黒』は空間といったようにこの世界に存在

する物にはそれを象徴する『キーワード』が存在する。

『紫』は身体に関する力を表しているものであり、体の回復機能を上げて傷の治りを

促進させたり、体の一部を魔力でコーティングして直接打撃の攻撃力を上げる事がで

きるという効果を持っている。

 今のヴァイの攻撃は常人の軽く数倍はする威力を放っていたはずであり、並みの人

間なら内臓破裂で死亡していただろう。

<クレスタ>も例外ではなく、内臓破裂とまではいかなかったがかなりのダメージを

負っていた。

 喉の奥から熱いものがこみ上げてきて耐え切れず吐き出す。緑の芝生が赤黒く染まった。

「おまえには聞きたいことがある」

 ヴァイはいつでも不意の攻撃に対処できるように一定の距離を保ち、身構えたまま

問いかけた。

「あの時、俺の家を襲ったのはこいつを手に入れるためだろう?」

 ヴァイは持っていた剣を<クレスタ>に見せた。刀身が中途半端な長さである事意

外は普通の剣とまったく変わらないように見える。

 しかしよく見ると夜の闇の中でうっすらと刀身が光を放っていた。

「この『古代幻獣の遺産』である『ヴァルレイバー』。こいつを手に入れて来いと言

ったのは誰だ?」

 ヴァイの口調に怒気が混じり始める。遠い記憶が鮮明にヴァイの頭の中に甦ってきていた。

 しかし、<クレスタ>は何も言わず、ヴァイを見つめたままだ。まるで何も聞こえ

ていないかのように。

「おい! なんとか……」

 ヴァイがさらに言い募ろうとした時、突如<クレスタ>が高らかに笑い出した。

 不気味なほど、本当に心の奥底から上げる笑い。

 それがヴァイへの嘲笑であるというのはすぐに分かった。ヴァイはついに<クレス

タ>へと駆け寄り胸倉を掴んで叫んだ。

「一体何がおかしい!!」

 あまりの怒りのために胸倉を掴むヴァイの手が白く変色している。握る力が尋常じ

ゃないために血が通わなくなってきているのだ。

<クレスタ>は笑いを止めると血を吐いた影響だろう、苦しそうにしながらもはっき

りとした口調で言葉を吐き出す。

「お前は、実力はあるようだが頭はまるっきり馬鹿のようだ。おまえのところへ

押し入ったのは『遺産』が目的ではないのさ」

「なんだって……!」

 ヴァイは内心の動揺を押さえきれなかった。

「《蒼き狼》の活動目的は『遺産』を手に入れる事であって、それ以外の行動なんて

今まで行った事など無いはずだ!!」

 無論、《蒼き狼》はヴァイが生まれる前から活動していた組織であって、彼が存在

を知ってそれがかかわる事件に遭遇していたのはほんの三年間程だったが。

「じゃあ何故襲ったんだ!!」

「そいつは……」

<クレスタ>が言いかけたその時、ガッシャン!! とガラスの割れる音が響いた。

「!?」

 ヴァイは咄嗟に<クレスタ>から体を離し、屋敷全体を見渡せるように少し距離を

開けた。

 だがどの窓もガラスは割れてはいない。となれば考えられるのは反対側の窓だ。

「まさか俺一人だけが来たなんて思っていたんじゃないんだろうな」

 言葉と共に、ヒュッ!と風を切る音を纏わりつかせてワイヤーが伸びてくる。それ

を剣で弾き飛ばした後で視線を戻すと<クレスタ>の姿は無かった。しかし声はどこ

からか聞こえてくる。

{貴様にしては無用心だな。貴様がいるという情報が回った時点で俺だけじゃ足りな

いと上役が判断してる事ぐらい分からないか? まあ、自分の評価なんて気にする奴

じゃないだろうが……}

「どこだ!!」

{今日は分が悪い。素直に認める。対決はまた別の機会にしよう}

 その声を最後にの気配が完全に消えた。ヴァイはそれを確認するとすぐさま屋敷内

に飛び込んだ。あまりの悔しさに血が流れるほど拳を握りながら。

(うかつだった……。冷静なつもりだったのに! ここまで思考が鈍っているなんて!!)

 いつものヴァイなら考えられる状況の更に一段階上を想定していたはずだ。伏兵の

存在など真っ先に考えつくはずだった。しかし今回のヴァイは何か<クレスタ>が来

るという予感があり思考がまったく短絡化してしまったのだ。

(ルシータ、無事でいろよ!!)

 ヴァイは必死で祈り、駆け出した。



BACK/HOME/NEXT