ヴァイはため息をつきつつルシータの傍によっていく。

「なんだよ、新聞に何か載ってたか?」

 ヴァイは新聞をルシータから取ってまず依頼欄を見た。

 この世界では街の体制はほぼ完成され、人々の暮らしはかなり良いものになっている。

 しかし犯罪は無くならず警察の手が回りきらないものも多々あるのだ。

 治安警察は王都からの派遣兵で形成されており、その任務は派遣先の秩序と平和を守る

事であるから、必然的に殺人事件などの凶悪犯罪が優先され市民の依頼全てにはどうして

も対処できない。

 そこで台頭してきたのが『何でも屋』という職業だった。

 主な仕事は人探しから物資の輸送の護衛まで、警察の手が行き届かない仕事をする個人

事業である。

 直接依頼に来る人も多いのだが、有名になると離れた街からも依頼が来たりもするとい

うことで、新聞社はそういった依頼がある人の依頼内容を載せている。

 それが依頼欄である。

 ヴァイが何気なくそこを眺めている所にルシータは話を続けた。

「ニュースの欄に載ってたんだけどさ、《蒼き狼》が久しぶりに現れたんだって」

 その瞬間、ヴァイの体が一瞬だが硬直した。ルシータは気づかずに続ける。

「隣のアーバルで警察署が襲われたそうよ。何で警察署なんか襲ったのかしら?」

 アーバルというのはルラルタの周辺都市の名でこの辺りでは中規模な街だ。

 乗り合い馬車でだいたい半日ほどの距離にある。

 ルラルタが建設された当時からある街で、ルラルタの発展と共に育ってきた街。

 そこにも当然治安警察隊が配備されている。

 そして《蒼き狼》――大陸全土でその名を知らない者は無い最大規模の窃盗団である。

 盗む物は価値があるものなら何でも見境無く奪い取っていくと世間では言われている。

 命令系統、頭目、構成要員数など詳しい事はすべて不明で、今までに何十人も逮捕して

きたがどれも末端だったことから謎のまま五年前を境にその存在は消えていた。

 だが彼らの盗む本当の目的をヴァイは知っていた。

 その事を知っているのは本当にごく少数の人だけなのだが。

 ヴァイは心の奥底から湧きあがってくる感情を制御しようとする。

(あいつらが狙うのは'あれ'だけだ。'あれ'がおそらくアーバルの警察署にあったに違いない)

 ヴァイの奥底から湧き上がってくるのは憎悪か、はたまた歓喜か。自分の衝動を何とか

押さえつけ冷静になると新聞を置き、ルシータに言った。

「まあ、大方《蒼き狼》に狙われる事でもしたんだろう」

「うーん、でもね、なにか王都の方でも《蒼き狼》の被害が出てるらしいの」

「なんだって?」

 ヴァイは新聞を取ってその記事を見ようとした。その時、入り口の扉がゆっくりとノッ

クされる。

「はーい」

 ルシータは入り口のほうに向かい、ヴァイは長椅子のほうに腰を下ろした。

 扉が開かれ、そこにいたのは女性だった。

 プラチナブロンドの髪、瞳は少し青が混ざっている。この辺りにはいない人種の人だと

すぐに分かる。ルラルタ付近で生まれた人は黒髪黒瞳が普通だ。

 ちなみに同じ黒髪黒瞳でもヴァイはここの生まれではない。

「依頼、よろしいでしょうか?」

 ルシータに連れられてソファに腰をおろした女性をヴァイは改めて観察する。

 今、ソファに座る動作からも気品が感じられ、優雅な動作、整った顔立ち。

 はっきり言ってどこかの貴族の令嬢のようだ。ヴァイは一つ咳払いをするとその女性に

問い掛ける。

「一体どのようなご用件で? いや、まずお名前を」

 女性はあら、と小さく呟いた後、顔に笑みを浮かべて頭を下げた。

 その動作にヴァイは一瞬眼を奪われる。

 隣ではルシータがヴァイの様子を見て睨んでいた。

「私の名前はレスターシャ=ライプルス。アーバルで古美術商を営んでいたカイオルス=

ライプルスの妻ですわ」

「ああ、先月お亡くなりになった」

 ヴァイはレスターシャの言葉に相槌を打ちながら胸中で必要な情報を瞬時に整理した。

 カイオルス=ライプルス――世界的に有名な古美術商で様々な名画や骨董品を集めてい

た。どれもかなり貴重な物でそれらを狙う者も多く、警察も最優先でこの人物と屋敷を警

護していたはずだ。

「ええ、主人が先月亡くなってからそれらの骨董品はほとんど知り合いの古美術商に売り、

そのお金でこれからの一生を過ごそうと思っておりました」

 ヴァイは少なからず驚いた。そういえばカイオルス=ライプルスは享年確か四十六歳だった。

 この女性は少なく見積もって二十五.六歳だろう。

 再婚を望めば相手が殴り合いをしてまでも争うような美貌の持ち主だ。

 これからできる事はいろいろあるだろうに。

「しかし、問題が起こったのはすぐ後でした」

「問題?」

「ええ、骨董品を売った後にその知り合いが突然襲われたのです。瀕死の重症を負わされて」

 レスターシャが語るには自分が骨董品を売った古美術商が次々と襲われていったという事。

 知り合いは世界各地に広がっているというのに、何日かのずれはあるものの、ほぼ同時

に襲われて瀕死の重傷を負ったというものだった。

「アーバルの近くにいた知り合いは病院に見舞いにきた私にこう言いました。『あいつら

は『鏡』っていうのを狙ってた。気をつけるんだ』と。そして私は警察に警護を頼みました。

そして次の日から来てくれると約束してくれたのですが……」

「それが昨日の騒ぎですか」

 ヴァイが言っているのは《蒼き狼》にアーバルの警察署が襲われた事だ。

 レスターシャは顔を恐怖に歪めながらヴァイに嘆願する。

「ええ、それであなたに守って欲しいのです。私の家宝である。『鏡』を」

 ヴァイはこの婦人の振る舞いに何かしらの違和感を感じた。

 それが何なのかはわからなかったが、この誘いを断る理由は無い。

 何故なら彼はこの時のために何でも屋を始めたのだから。

「いいでしょう。その『鏡』というのは?」

「今は屋敷に保管しておりますわ。私と主人以外知らない隠し部屋に置いてあります」

「なら、今からでも行きましょう」

 そう言ってヴァイは自分の部屋に戻って仕度を始めた。

 愛用の剣を腰に身に着け、赤いバンダナ、白いジャケット、皮手袋を着用する。

 数分で仕度を済ませて部屋から出てきたヴァイが見たものは……。

「もう何も言わないさ」

 そこにはレスターシャと並んで特製木刀を手に行き仕度を完了しているルシータの姿があった。





 レスターシャの住まいはアーバルでもかなりの資産家の家が並ぶ地区に立てられていた。

 辺りは夕暮れの赤い光が包んでおり、家々からは夕食の匂いが漂ってくる。

 昼過ぎに事務所を出た三人はレスターシャの乗ってきた馬車で半日かけてここまで着い

た。そして馬車から降りたヴァイとルシータは思わず感嘆の声を上げる。

 レスターシャの住まいはヴァイ達の事務所の三倍はあろうかという大きさだった。

 庭には様々な植物が植えられていてそこだけで植物園が開けそうなほどの規模であり、

しかもそれだけの広さにもかかわらず全ての植物に手入れが行き届いているのだ。

(これの世話をしているんだったら退屈しないな……)

 ヴァイはレスターシャが言っていた言葉を思い出す。

 これならばこのまま静かに余生を送っても良いという気分になるかもしれない。

 しかし自分はそんな事は思わないだろう、と考えてヴァイはルシータの方に視線を移した。

 ルシータは本当に注意深く植物を見ている。その視線の先の植物をじっくりと検分して

いるようだ。

(ルシータもこういうのが分かるんだな)

 ヴァイはルシータの家もここまでは凄くなくても富豪と呼ばれるだけの家柄の娘だとい

う事を知っていた。植物を愛でるという趣味があってもおかしくは無い、と思っていた。

 しかしルシータはそんなヴァイの考えをまったく無視して呟いた。

「これ煮たらおいしいかな……」

「……おまえな……」

 そんなやり取りを庭で少しの間行ってから二人は『鏡』がある部屋へと通された。

 そこはこの屋敷の一番東側の部屋で、そこにある隠し部屋への通路にさらに隠されてい

る通路を通った場所にあった。

 その部屋の壁は全て白く、部屋の中央に大きめの金庫が置いてあるだけで他は何もなかった。

 金庫の周りには小さく金属の突起物が見える。

「この中にあるの?」

 ルシータがレスターシャよりも先に金庫に近づく。そこに切羽詰った声が響いた。

「危ない!」

 レスターシャの声にルシータが振り向く瞬間、それは起きた。

 ルシータの体の周りにいきなり電流が発生し、ルシータが包み込まれてしまったのだ。

「きゃああう!?」

 ルシータは反射的に後ろに飛んで電流から何とか逃れる。

 しかし体の自由が利かないのか倒れこんだまま動けなくなってしまった。

「ルシータ!」

 ヴァイは急いでルシータのそばへと駆け寄る。

 そしてルシータの様子を見るとすぐに意識を集中する。

「『紫』の十字架」

 ヴァイの言葉と共に掌から薄く輝く光がルシータを包みこんだ。

 するとルシータの体にある電流による焦げ跡が見る見るうちに無くなっていく。

 そして数分後、ルシータは何も無かったの如くヴァイに礼を言って一人で立ち上がった。

「流石ね、『マジック・マスター』。見事な『魔術』ね」

 ヴァイはレスターシャの感嘆の声には反応を見せずに先ほど電流が流れた辺りを見てい

る。その視線は厳しいものだった。

『マジック・マスター』――ヴァイが何でも屋を営む上で天敵の野党達や治安警察隊の警

官達がいつのまにかつけたヴァイの二つ名である。

 その名はその活躍ぶりからルラルタの街、またその近郊の都市の人々で知らない者はそ

うはいない。

 人間の操る技能の中で最も強力で、扱いの難しい能力『魔術』

 それは人間の中に秘められた力である。

 いつの頃からか現れたその概念は瞬く間に人類に浸透していった。

 しかし、その能力を使いこなせる事ができる者はほんの一握り、一般人はまず使えない。

 その理由は簡単だ。

 あまりにも制御が難しいのである。

『魔術』を使いこなすには強靭な精神力と明確なイメージを構成できる創造力、この二つ

が必要である。精神力は人の内にある『魔力』を引き出し、制御するのに必要な力。

 創造力は引き出された『魔力』を必要な形へと具現化するための、つまり実際に使う

『魔術』の効果を決める為に必要な力なのだ。

 この二つが備わっていれば後はこの世界にある物を特徴づけている『キーワード』――

『色』を言葉の中に入れるだけで『魔術』は発動する。

 特に創造力がなければ『魔術』を発動させる事はできない。

 たいてい魔術師を志す者はこの世界にある魔術都市ゴートウェルで訓練を受ける。

 しかし年に魔術師として認定されるのは何百名もいるなかでほんの一握りだ。

 選ばれた者は大抵は王立治安騎士団《リヴォルケイン》へと入隊し、僅かな者は生まれ

故郷の治安警察隊に入隊する。つまり、『魔術』を扱える者はこの世界ではエリートなのだ。

 だが、ヴァイの周囲の評価はそんなエリート達への物よりも高い。

『魔術』を扱うのに特に必要な創造力、ヴァイはこの力がずば抜けて高いのだ。

 たとえ魔術師でも、創造力を巧く浮かび上らせることのできない状況へと追い込まれれ

ばひとたまりも無い。当然ヴァイの事を知っている野党達は何とかヴァイに『魔術』を使

わせないように策をめぐらせてはきたが、どんなに絶体絶命へと追い込まれようとも、ど

んな状態になろうともその創造力は衰える事無く、『魔術』を発動してくるのだ。

 この世界の魔術師の中でもトップクラスの『魔術』の使い手。

 匹敵するのはおそらくほんの一握りだろう。

「これは『古代幻獣の遺産』ですね」

 ヴァイはレスターシャの賞賛を無視して真剣な表情でその単語を口にした。

『幻獣』――この世界に人間が現れる以前から生存していると言われているもう一つの種族。

 現在確認されている幻獣のさらに昔にいたとされる幻獣を古代幻獣を呼ぶ。

 高い知能、魔力を持ち卓越した『魔術』を使う事ができ、高い知能を生かした様々な道

具を作っていった。その道具を『古代幻獣の遺産』と人々は言う。

 現在生きている幻獣達は人間との係わり合いを避けて幻獣の里と言われる所へと姿を隠

してしまっているため、世界に散らばっている魔力を帯びた特殊な道具は古代幻獣達が創

った物だけなのだ。

 それは使い方を謝れば一つの都市を消滅させる事のできる物など危険な物が多いために

王都が《リヴォルケイン》を使って回収し、管理している。

「主人の遺品の一つですわ」

 レスターシャはヴァイの問いにどこか誇らしげに言葉を返した。

 世界にはこのようにまだ王都が回収していない物もある。

 そのほとんどが使用方法、効果が分からず危険なためにそれ関連の事件が毎年いくつか

起こっている。

 それは普通の事件と同じように扱われ、人々の間には『古代幻獣の遺産』がどれだけの

脅威なのかを知っている者は皆無だ。

 だからレスターシャは誇らしげにこれを持っていられるのだ。

 ヴァイは内心そう思いつつその言葉は口には出さない事にした。

 無理に不安がらせることも無いだろう、と。

「とりあえず、この結界が張られていれば安心でしょう。これはそう簡単に破られない。

今夜から護衛します」

「よろしくお願いしますわ」





 ヴァイ達は『鏡』の部屋を出ると、レスターシャの手料理をご馳走になった。

 ルシータはその料理の見事さに感嘆し、口に料理が運ばれるたびにレスターシャに感想

を言って食卓はルシータの高い声が常に響いていた。

 しかしヴァイは適当に相槌を打ちつつ別の思考に入り込んでいる。

(間違いない……、あれは『フロエラの魔鏡』。何故こんなところにあるか分からないが

……どうやら奴らと再会できそうだな……)

 隣ではルシータが「ずっとこの家にいたい!」と言っているのが耳に入ってくる。

 だが、ヴァイはなんとなくだがここを去るときがすぐ来るような気がしていた。

(待ってろよ、《蒼き狼》。今度こそ貴様らの正体を暴いてやる……)

 ヴァイの心には静かに闘争心が燃え上がっていた。



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