夜の闇の中を3つの人影が走っていた。

 この街、商都ルラルタは世界の商業の中心のためにいつも人が絶えないが、時刻は深夜

2時、流石にこの時刻ともなると人影が走っているメインストリートに人は見えない。

「見、見えたか!!」

「い、いや!!」

「無駄口たたかねぇでとっとと逃げるぞ!!」

 三人はいずれも男のようだ。

 かなり焦った様子で、というよりも完全に恐怖に飲まれてしまっている様子で足をもつ

れさせながらも休まずに走りつづけている。

 そうしてしばらく走った後、急に進路を変えて路地裏へと入り込んだ。

 男達は路地裏をしばらく進み、おそらく日中は誰も足を踏み入れないような所に来ると

倒れるようにその場に座り込んだ。

 三人は息も切れ切れでもう歩く気力もないように見える。

「ま……まさか、あの野郎……が、かんで、いたなんて……」

「まったくだ……あの男……を敵に回し……て助かった奴なんていねぇぞ……」

「くそぉ、俺はまだ死にたくねえよぉ」

 三人ともすっかりその『男』に怯え、絶望している。そんな彼らの耳に辺りに反響した

足音が届いた。

「!!!」

 三人が一斉に足音のしている方向を見る。それは三人がこの場所に入ってきたのとは反

対方向の入り口だった。足音はゆっくりと規則正しいリズムで近づいてくる。

「あ、兄貴ぃ……逃げま……しょ……」

「ジョニー、こうなりゃ、ぶっ殺すしかねぇ」

 ジョニーと呼ばれた男は体を大げさに震わせて震えながら言い返す。

「でも、あいつにかなうわけねぇよぉ……」

「この……!」

「兄弟は仲良くやりな」

『兄貴』がジョニーに向かって拳を振り下ろそうとした時、足音が続いていた入り口から

声が響いた。それとほぼ同時に姿が現れる。

 月明かりにさらされたその姿は黒髪に額の赤いバンダナ、白いジャケットの下には青い

シャツ、下はジーンズで腰には短剣よりも少々長めの剣が携えられている。

 中肉中背で顔はかなりの美形に入るだろう。ただ、そこに漂う雰囲気がそのような物を

消し去っている。

「ガス、オットー、ジョニー、ミルズ三兄弟、俺が依頼されて警備していた銀行に盗みに

入ったのが運のつきとしてあきらめるんだな」

 その男はそう言ってゆっくりと三人へ近づいてきた。その威圧感は凄まじく三人は動け

ない。だが『兄貴』――ガスはそのプレッシャーに耐え切れず大声を上げて腰にあった獲

物であるダガーを振りかざして向かってきた。

 男はその場に立ち止まると掌を向かってくるガスに向けて突き出した。

 意識を目の前の敵に集中し、鮮明なイメージを作り出す。

 そして張りのある声で言葉を紡ぐ。

「『黒』の衝撃!」

 力ある言葉が紡がれた瞬間、男の掌の周りからドンっという音と共に衝撃波が生まれた。

 ガスは衝撃波を真正面から喰らって後ろへと吹き飛び、避けた兄弟達の後ろにあった建

物の壁に激突した。

「うう……」

 激突時の音からして相当な衝撃だったのだろう。ガスはそのまま地面に落ち意識を失った。

 壁は窪みができている。

「手加減したからな、死にはしない」

 男は残っている二人に徐々に近づきつつその掌を向ける。その動作はあまりにも優雅で

二人――オットーとジョニーは逆に戦慄を覚えた。

 その気になればこの男はいつでも俺達を殺せる。ただ、その気が無いだけだ、と感情よ

りも本能が悟っている。

「……ただじゃやられねぇぞ」

 そう言ってオットーは男へと突っ込んでいった。しかしガスと同じように不可思議な力

によって吹き飛ばされて気を失う。

 二人の兄のそんな様子を見てジョニーはふう、とため息をつくと先ほどまでのおどおど

した態度とは一転して鋭い眼光で男を睨み返した。

「まったく、役にたたねぇ兄貴達だ」

 視線を男の眼に固定したままジョニーは呟く。

 自然体で立っているそこからは目立った隙は見られない。

 どうやら戦闘にはかなりの力量を持っているようだった。

「あんたの『魔術』もすげぇな。とてもじゃねぇがそれを使われたら勝てねぇよ」

 そう言ってジョニーはファイティング・ポーズをとる。

「別にいいぜ」

 男も構えを取り、鋭い眼をジョニーに向ける。

 次の瞬間、二人が動いた。

 月明かりの元で二人の姿を視認するのはかなり難しい。その時は移動スピードからほと

んど眼に捕らえる事はできなかった。

 ただしジョニーではなく、男の方の動きだが。

 一瞬後に立っていたのは男の方だった。ジョニーは地面にうずくまってうめいている。

 あの瞬間、ジョニーの拳を男は懐に潜り込んで躱し、ジョニーの前に出る力との交差法

で拳を鳩尾へと喰い込ませたのだ。

「ふう……」

 男はジョニーの首を掴んで二人の兄弟達の元へ連れて行こうとした。

 その時、眼にしたものはいつのまにか眼を覚ましたガスが背中を見せて、よれよれとし

ながらも逃げ出している姿だった。

「やれやれ……」

 そう呟いて後を追いかけようとした時、ごん! という気持ちの良い音が路地裏に広が

ったと思うと、ガスが後ろに突き飛ばされるような感じで倒れこんだ。

 それからピクリとも動かない。

 男はオットーとジョニー二人を連れて路地裏への入り口へと歩いていった。

 入り口まで来た時、そこにいた人影に投げやりな口調で言う。

「だから、ついてくるなって言ってるだろう」

「だぁ〜って〜、ヴァイ〜」

 深夜だというのに遠慮というものを知らないのか、かなり甲高く間延びした声で男へと

言い返すのはブロンドの髪を持つ女性――いや、少女だった。

 年のころは十七,八歳で黒のタンクトップに黒ジーンズ。

 体のラインは平均以上に美しく、統制がとれたプロポーションだ。

 顔も黙っていれば美人だろう。

 しかし、この少女はこの外見とは似つかわしくないような性格の持ち主のようだ。

「あたしがいなかったらこいつ逃がしちゃうところだったでしょ。あたしだっで十分ヴァ

イの役に立つんだから!」

 そう言って顔を高潮させて地面へと立てている獲物をとんとんと小刻みについた。

 少女が持っている獲物――木刀は月明かりの中、その黒い表面を反射光で鈍く光らせて

いる。ちなみにこれは男――ヴァイの創った特別製の木刀で刃物も十分受け止められる代

物である。

 剣術習ってるんだから、といって武器が欲しいと迫ってくる彼女に仕方なく『魔力』を

使って創ってやった代物だがヴァイは後悔していた。

 この武器を持たせてからこのようなやり取りをもう何十回も繰り返しているのだから無

理も無い。

 深い嘆息の後、ヴァイはこれもまた何度も繰り返している言葉を言った。

「だからルシータ、おまえがもし取り返しのつかない事になったら、お前の両親に俺はど

うやって謝罪したらいいんだ?」

「それはヴァイが決めればいいでしょ?」

 ヴァイはまたしても説得をあきらめた。これ以上言うのをやめて完全に伸びているガス

を捕まえて引きずっていく。ルシータと呼ばれた少女も後からついてくる。

「ねえねえ、今回の報酬っていくらなの?」

「だいたい、3000ルム程だよ」

「えー、それっぽっち? 銀行のくせに」

 ルシータが頬を膨らませて拗ねる。ルムはこの世界の共通金貨の単位で大体100ルム

で一日の生活費がまかなえる値段である。3000ルムは決して安いとはいえないが銀行

が払う金額にしては高い値段でもない。

「仕方ないだろ? このごろ銀行も経営難なんだよ。そこにきて今回の強盗騒ぎだからな。

取られる前にほとんどの顧客が金を一時的に下ろしてる。経営はあがったりさ」

「それじゃぁこっちの生活費はどうなるのよ? うちの経営状態がどんなのかちゃんと分

かってるの?」

「……いや、それはルシータに任せているだろう」

「なら、そのあたしがこんなに焦ってるのにどうしてそんな平然としているの!!」

 ルシータの剣幕は相当なものだ。どうやらその『経営状態』はかなり切羽詰っているの

だろう。そうこうしている内に二人は治安警察隊商都ルラルタ支部の前に着いていた。

 入り口には深夜にもかかわらず一人だけ立っている。

「あ、ヴァイさん! ご苦労様でした!!」

 入り口にいた治安警察隊専用の制服に身を包んだ青年は、ヴァイに向かって敬礼をして

みせる。それはすぐに分かるほどぎこちなく、かなり緊張しているのが分かる。

「ランク、あんたも暇そうね? 仕事してるの?」

「そんなぁ、ルシータさん。ちゃんと俺だってしてますよ」

 ランクと呼ばれた青年は、顔をすぐに分かるほど赤面させて緊張はそのままに答えた。

 先ほどの緊張の原因はヴァイではなくルシータが原因だったようだ。

 誰が見てもその青年は彼女に好意を抱いている。そしてそれに気づいているのは彼女も

例外ではなくその事を悪いと思いつつ、いろいろと利用しているのだ。

「ランク、なんか報酬が高そうな仕事ない?」

 ヴァイが建物内の事件担当者にガス達3兄弟の身柄を預けに行っている間、ルシータは

またしてもランクを利用して何か治安警察隊でも手を持て余している事件を教えてもらお

うと、甘ったるい声を出して手を背中から方に回す。

「じ、事件で……す、かかかか……」

 肩を組むような形になって二人の体が接近する。ランクは背中に触れる柔らかい感触に

自分の心臓がこれまでに無いほど跳ね上がっているのを感じている。

「そそそう……いえば……」

「何?」

 ようやくランクが言葉を発しそうになったその時、

「帰るぞ」

 後ろにヴァイが立っていた。

 手には報酬の金貨が握られていて、ヴァイが歩くたびにジャラジャラと音を立てた。

「はーい」

 ルシータはすぐにランクから体を離しヴァイの後ろについて歩き出す。顔を真っ赤にし

ながらランクはやっとの事で言葉を発する。

「ヴァイさん、またお願いしますよ」

 またルシータさんを連れてきてください。そんな声にならない言葉を含めてヴァイへと

言葉を投げかける。

 ヴァイは振り向くと自分の顔に右手の親指を立てて近づけると、いつも言っている台詞

を口にした。

「何かあったらこの『何でも屋』ヴァイ=ラースティンにお任せを」

『何でも屋』ヴァイ=ラースティン。

 その助手であるルシータ=アークラット。

 商都ルラルタでその名を知らない者はまずいないといわれる凄腕の『何でも屋』のコン

ビは夜の闇の中にゆっくりと消えていった。ランクの長い一日もようやく終わりを告げる。

「さて、僕もそろそろ寝るか……」

 ランクは建物内に入っていった。空の闇はまだ深い。





 商都ルラルタの朝は早い。

 世界でも指折りの大きさを誇る街の三分の一が市場となっているここは、様々な商品が

流通している。

 食料、生活用品、はては武器、防具まで世界各地で栽培、発掘、生産された商品が一手

にここへと集まってくるのだ。

 ここで買えない物は無いがここでしか買えない物もある、とまで言われている。

 日が空に上ってすぐに市場は開き始め、最初は主に地元の人々が、そして日が真上に来

る頃には他の街からきた人々が市場へと赴き夜遅くまで人の入りが途切れる事は無い。

 そんな市場に近い場所、住宅街がちょうど途切れる所の建物にある一室に彼は住んでいた。





 入り口に入るとすぐに居間が見渡せて来客用と思われるソファと、テーブルを挟んで長

椅子がある。キッチンを抜けて奥に行くといくつか扉があり、トイレやバスルームへと続

く扉のほか二つ扉が見えた。

 どうやら寝室のようだ。

 その寝室の片方に彼――ヴァイは昨夜の仕事の疲れを癒すために睡眠をとっていた。

(……うるさい……)

 寝室の窓からはこの建物の真下で遊んでいる子供の叫び声が聞こえる。

 市場の周りには子供用の公園も用意されていて、子供が親に付き合って市場に来た時に

退屈しないようにとこの街の自治体が作ったのだ。

 おかげでこの辺りは夜遅くまでも子供の声が聞こえる。

 これはこれで自治体の画期的な政策なのだろうが、今のヴァイにとっては騒音という公

害以外の何物でもなかった。

「……」

 ヴァイはとうとう耐え切れずにベッドから身を起こした。

 机の上にある時計を見る。

 時刻は既に午後を回っていた。ヴァイは汗をかいた寝巻きからいつもの青Tシャツ、ジ

ーンズに着替えて寝室を出る。

「おはよー」

 寝室から出てきたヴァイに早速甲高い声が響く。ヴァイはうんざりしながら居間で新聞

を読んでいた相棒――ルシータに不機嫌そうな声で言った。

「朝からその甲高い声は止めてくれ……」

 いつものように頼んでいるのだが、やはりいつものように当のルシータはそんな事は気

にも止めずによく言えば元気、悪く言えばうるさいそのハイトーンな声で言い返してくる。

「もう昼だよ。そんなによく寝れば大した問題ないって!」

「だから寝起きは……」

「そーだ! ちょっと聞いてよ!!」

 言いかけた言葉を絶妙なタイミングでかき消されたヴァイはもういい、と心の中で思い

つつルシータの話を聞いてやることにした。



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