目覚めは良かった。もう一週間となるのにこのベッドは寝心地がいい。

 マイスは思いっきり背伸びをしてからベッドから出た。

 服に着替えて部屋を出る。目の前にある階段を下りると良い香りが漂っていた。

「おはようございます」

 マイスはキッチンに立っている人物に声をかけた。

「おはよう。マイス君」

 レインはちょうどできた料理をテーブルに出した。マイスは椅子に座って手を合わせて

から手をつけた。

「やっぱりおいしいです。何度食べても空きませんね、レインさんの料理は」

「ありがとう。でも今日は特に気合が入ってるのよ」

「……?」

 マイスが不思議に思って顔をしかめた時、入り口のドアが開いた。

 そこにいたのはルシータと――

「先生!」

 マイスは急に椅子から立ち上がった。

「よう、マイス。元気してたか?」

 ヴァイはルシータの隣で軽く手を上げた。





『魔大陸』消滅から10日。

 そしてヴァイは一週間の間、城に呼ばれていた。

 今、ヴァイ達は王都ラーグランにいる。最初の三日間は事後処理に追われていた《リヴ

ォルケイン》だったが、三日も経つと余裕が出たのかヴァイとレインを呼びつけたのだ。

 理由は二人が有した罪。

 レインの『国家反逆罪』とヴァイの『脅威戦力保持』

 ラーレスが危惧した通り、悪意を持った脅威が消えた今、ヴァイの存在は国家にとって

危険だった。下手をすれば一国を相手に出来る戦力を持っている人間が野に放たれている

のだ。これを警戒しないわけは無い。

 レインのほうはラーレスの嘆願もあり、また世界を救うための行為だったと理解された

ためにすぐに解放されたのだ。

 しかしヴァイは今まで拘束されていた。

「《リヴォルケイン》に戻れって言われたんでしょう? どうするの?」

 テーブルについているのはヴァイを含め四人。

 レインは肘をついてヴァイのほうを見ながら言った。

「俺の席は残してあるって言われた。もう俺の旅は終わったんだから、戻ってもいいだろ

うってアインに言われたよ」

 ヴァイは自嘲じみた笑みを浮かべる。その笑みにルシータは不安だった。しかし何も言

えない。自分はヴァイと旅をしたいが、自分達の思いだけでヴァイを縛ってはいけないの

だ。折角また名誉ある騎士団に戻れるというのに。

「……だから俺は言ってやったよ。『ここには俺の場所は無い』ってね」

「えっ……?」

「先生……」

 ルシータの、マイスの顔に徐々に笑みが浮かんでくる。レインはやれやれと言った様子

で肩をすくめた。

「俺は旅を続けるさ。なあ、ルシータ。マイス」

「もちろんよ!」

 ルシータは当然の如く言って勢いよく頷く。しかしマイスは曖昧な笑みを浮かべたまま

返事はしなかった。

「……マイス?」

「先生。僕、先生がいない間に考えて決めた事があるんです」

 マイスの目はしっかりとヴァイの瞳を見ている。ヴァイは内心、良い眼になったな、と思った。

「僕、クリミナ達の所に帰ろうと思うんです」

「マイス……そうなんだ」

 ルシータが寂しそうに言う。マイスは少し笑って言った。

「この旅で僕はいろいろ先生に習いました。これから、その習った事を自分なりに昇華し

て、発展させないとって思ったんです。クリミナとアイズさんはアステリアを復興させよ

うと頑張っているはずです。僕はそれを手伝いながら、自分なりに強さを身につけていこ

うと思います」

 マイスは手を差し出した。ヴァイに向かって。

「まだまだ未熟ですが、こうして離れる事を許してください」

「……今まで、ご苦労様」

 ヴァイはマイスの手を力強く握った。一人の男としてマイスを認めた。その証だった。





 マイスは二日後、家から出て行った。送るのはレインとヴァイ、ルシータの三人。

 世界を救った人間の内の一人にしては寂しかったが、当人はこれでよかったらしい。

 マイスの姿が見えなくなった後、レインがヴァイに言った。

「わたしも、《クラリス》に帰ろうと思う」

「……アインが寂しがるな」

 ヴァイは思わず言っていた。レインは苦笑しながら言う。

「アイン君がわたしを好きでいてくれてるっていうのは気づいてた。でもわたしは、もう

相手を見つけたから」

「ああ。ラーレスと幸せに」

「からかわないでよ」

 そんなやりとりをルシータは眩しそうに見つめていた。長い間、願っていたはずなのだ。

 ヴァイはこう言った、ありふれた家族の会話を望んでいたはずなのだ。

 目から零れ落ちた涙を気づかれないように拭う。

 やっと手に入れた幸せを、いつまでも失いたくない。

 ルシータはそう思った。





 夜、ルシータは何故か目が覚めた。そして何かが心に引っかかり、廊下に出た。

 窓が開いている。そこから確か屋根の上に出られるはずだ。

「まさか……」

 ルシータは窓から外を覗いた。案の定、ヴァイが屋根の上に座っていた。ルシータは静

かに窓から身を乗り出し、屋根を伝っていく。

「ルシータ……」

「ヴァイ。どうしたの?」

 そう訪ねなくてもルシータにはなんとなく理由は分かっていた。

 ヴァイの顔が悲しさに満ちていたから。

「ヴァイ」

 ルシータはヴァイの隣に腰掛ける。そのまま頭をヴァイの肩に預けた。

「……終わったんだな」

「うん……」

「これで、やっと泣いてやれるよ」

「……ヴァイ……」

 ヴァイは涙を流していた。傷ついた心がやっとその捌け口を見つけた。

「レイ……フェナ……」

 大事だった者達の死。

 その死が無ければ世界は救われることは無かっただろう。

 しかし思ってしまうのだ。



『あの時、もし……だったら』と。



「今は、泣いてあげようよ。二人の大切な友達のために」

「……」

 ヴァイは言葉を話せなかった。嗚咽が邪魔をして言葉が出ない。ルシータも一緒になって泣いた。

 引っかかっていた物がなくなる感覚。

 ようやく、全てが終わったんだなぁとルシータは思った。

 空に浮かぶ月は、反射された光を充分に大地に浴びせていた。





 月を見ながらアルスラン=ラートは嘆息した。

 世界は救われた。しかし彼の心は晴れない。

 最後の最後にあった、ミスカルデの行動。それが納得できなかった。

「ミスカルデ。お前の『望み』とはなんだったのだ?」

 その問に答える者はその部屋には誰もいない――はずだった。

【それはたった一つ】

 その声は唐突だった。アルスランは驚きに顔を強張らせて振り返った。

 月明かりが入り込む部屋。

 その光が集束する地点にその影は浮かんでいた。

「ミスカルデ……」

【わたしの『望み』はたった一つ】

 アルスランはミスカルデに近づいていった。

 触れてしまえば消えてしまいそうな影。

 それでも近寄れずにはいられない。

【あなたに、死んでほしくなかった】

「……」

【わたし達を創った、父たるあなたが命を失うのを見ていられなかった】

「ミスカルデ……わたしは……」

【それだけを、伝えたかった】

 その言葉にアルスランははっとなる。影がだんだん薄くなっているのだ。アルスランは

思わず叫んでいた。

「ミスカルデ!」

【『ゲイアス・グリード』は『最終章』を止めるために生まれてきた。それがなされた今、

もうこの世界に未練はありません】

 消える。

 幻が、消える。

 アルスランは無駄だと分かっていてもミスカルデを抱きしめていた。むろん触れられる

はずは無かった。輪郭にあわせて腕で包むだけだ。

「お前達を創った事、生命を弄んだ事、私は後悔している」

【わたしは、生まれてよかったと思えています。アルスラン様】

 その声色は今まで聞いたミスカルデの声の中で一番優しいものだった。

【あなたに、会えたのですから】

「ミスカルデ……」

【さようなら】

 その言葉を最後にミスカルデは姿を完全にした。アルスランはしばらくその場に立った

ままだった。

 今のが幻か、それとも幽霊だったのか分からない。しかしアルスランには充分だった。





「準備は整ったか?」

「うん」

 ヴァイとルシータは一通り確認を済ますと家のドアを閉めた。

 自分が昔住んでいた、家族の思い出が詰まった家。レインはすでにゴートウェルに帰っ

ていた。もうここを使う者はいないだろう。

「もったいないね。こんな良い家」

「まあ、仕方ないさ」

 そう言ってヴァイは荷物の中から何かを取り出した。それから風に乗って曲が流れる。

「それ……」

「アルスラン様から貰ったんだ。『エンドレス・ワルツ』のオルゴール。俺はこれを伝えて

いこうと思う」

 ヴァイは眼を閉じた。風の音、それにのる曲。

「古代幻獣王が破滅させようとしなくても、いつか世界は人間によって破滅してしまうか

もしれない。だから少しでもそれを防ぐために、俺はこの曲を世界に広めていこうと思う。

今度の旅は急ぎはしない。のんびり、ゆっくり進んでいこう」

 ヴァイはオルゴールを閉じるとルシータに手を差し出した。ルシータは少し躊躇したが、手を握る。

「これからも、一緒に来てくれるか?」

 ヴァイは真剣な眼差しを向けてくる。ルシータは顔を赤らめて俯いた。しかし次の瞬間

には勢いよく顔を上げた。

「もちろん! 来るなって言われてもついていくわ!」

「……それでこそ、ルシータだ」

 お互いに笑みを浮かべる。

「さあ、いこう。俺達の新しい旅に」

 二人は歩き始めた。

 これからまた新たな出会いがあるであろう、終わる事のない旅路を。

 未来へと続く道を――





「行ったか」

 アインは歩いて行く二人を遠くから見ていた。

「名残惜しいか?」

 ライが後ろから肩を叩く。アインは軽く笑った。

「まあな。寂しいものだが、仕方ないだろう」

 アインはきびすを返して城へと歩いて行く。その先には《リヴォルケイン》の仲間がいた。

「さらばだヴァイス」

 ゼクスは眉一つひそめずに呟く。

「なんでもないように言ってて、寂しいんじゃないの?」

 フィアルはけたけたと笑ってゼクスを見る。

「……」

 シールは無言で二人のやりとりを見ながら嘆息した。

「みんな」

 アインは六団長の前に立って皆を眺めた。

「ヴァイスの分まで、頑張ろう」

 六団長の面々はアインの言葉に一様に微笑んでいた。





 運命と言う名のオルゴールは鳴らしていた円舞曲に終わりを告げ、新たに曲を紡ぎ始める。



『破滅』と言う名のメロディから、『未来』と言う名の詩を。



 二人の通った道をなぞって、風に乗って円舞曲が流れる。



 それはこれから訪れる未来へと捧げられる詩。



 運命を称えた、最後の詩。



 それは、未来へ奉げる運命の詩。







            『エンドレス・ワルツ』〜終幕〜





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