11.田舎丸出しだからそのスカートの下にジャージ履くのやめろよ。

 すらりと伸びた足。白川琴音のスカートは膝よりも少しだけ上。
 同年代の女生徒よりも細くしなやかな足に。
 薫は今日も踏まれていた。
「痛い痛い痛いって」
「わざと倒れて私のスカートの中を覗こうとした悪い目はここ?」
「あんぎゃ!?」
 最後は足ではなく鞄から取り出したコンパクト六法による一撃が薫の顔面を直撃した。
 薫はもんどりうちながら壁側へと転がっていく。今は掃除も終わった午後の四時。あとは帰るだけというところで薫と琴音はいつものようなバトルを繰り広げていた。外はちらほらと雪が降り、徐々に気温が下がっていく。いくら若い女子高生という琴音でも、むき出しの足は冷気を吸い込んで冷たくなっていく。
「とりあえず、早く帰りましょ。アル」
「はい、お母様」
 ひとしきり薫を踏み倒した足の傍にやってきた白川アル。恰好は小学生の体型に合わせたセーラー服。スカートは膝上よりも十センチほど高い。
「……お前、子供のくせに上げすぎじゃないか? はしたないぞ、俺の娘として」
「お父様は変なところで紳士なの止めてください」
 アルは瞼を薄くして薫をぼんやりと見つめる。その、汚物を見るような視線に耐え切れず、薫は起き上がった。背筋や側筋を伸ばしてコキコキとなる関節。ひとしきりほぐした後で深く息を吐いた。
「さあ、帰るか」
「あれは何をしているのお母様?」
 入念な準備運動の合間に、アルの意識は外に広がる景色に移っていたらしい。琴音もまた、なにかしら、と呟いてから外をじっと見ている。薫もつられて見てみると、校庭に六人ずつに分かれた男女がいた。
 降り積もった雪をえぐって外枠となる線が引かれ、その内部に固まっている六名。男子は主にジャージ姿だが、女子は何故か制服のまま。スカートから伸びる足は高校指定のジャージの青色に包まれている。白い景色にその色は鮮やかに浮かんでいた。
「スカートの下のジャージってなんか、田舎臭くない?」
「なんで寒い中、生足むき出しでスカート穿かないと駄目なのよ。殴るわよ」
 六法を取り出して威嚇してくる琴音に怯えて数歩下がる薫。いつもよりも怒りゲージが溜まるのが早い琴音に対して何が理由なのか思考を巡らす。
(そうか、あの日、か)
 思い浮かべた瞬間、アルのドロップキックが腹部にめり込んでいた。
「うぐぉお」
 呻きながらその場にしゃがむ薫にアルは両手を腰に当てて胸を張る。
「お父様。変態なことを考えていましたね」
「……アル。子供なんだから黒いパンツじゃなくて白にしろ」
「私のは見られてよいものですから大丈夫です」
 ワザと違う話題を口にしてそらそうとしてみたが、アルには通用しなかったらしい。薫は痛みに耐えつつも再び立ち上がる。
「小学生が見せパン穿くな」
「そこでコントしてないで、帰りましょ」
 琴音がそう言って階下に降りるために歩き出す。薫も痛みに耐えながら進んでいくと、隣を歩いているアルが再び薫へと尋ねた。
「ねえ、あの校庭の人達は何をしているの? お父様」
 薫は散々痛めつけられたことで教えないつもりだったが、それも一瞬のこと。素直に教えることにした。
「あれは、カバディ部さ」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 カバディ部。
 それは薫達が通う高校の中でも世界制覇に最も近い部である。
 まず、高校の競技人口が極端に少ない。
 薫は一度カバディ部に『今の競技人口なら世界制覇も夢ではない!』というキャッチフレーズと共に勧誘されたが断った。その際に言われたことは以下だ。
 いわく、全国で三十校くらい。しかもこの界隈ではこの高校しかカバディ部がないため、即全国大会だそうだ。
 あと、コーチがその道の実力者で、単純に実力も全国では上のほうであり、インターハイの後にある世界大会へいけるというもの。あとは世界の壁だが、これも競技の性質上、あまり関係ないようである。体格が物をいう競技というのは基本、日本人は分が悪いが、カバディは体格が不利でも十分世界と戦えるらしい。結局、どんな競技かという内容は聞かないまま断ったので何をしているかは薫にも分からない。
「どうしてお父様は断ったのです? 全国とか世界とか凄いです」
 不思議そうに尋ねるアルへと薫は言う。自分の選択は間違いではないと語るように。
「だって、戦わないで上のステージに進めるって寂しいだろ。そんなのは偽物さ。戦って戦って戦い抜いた先に全国とか世界があることこそ、本物だ」
「……だから変なところで紳士ですよね」
 アルの突込みには答えないまま、薫は玄関まで来た。外を見ながら待っている琴音に追いついて、薫は「お待たせ」と言うが琴音は視線を前から外さない。
 その先にはカバディ部がいた。
「ん? あれって……舞か?」
 そこには見知った顔があった。ジャージに包まれた足で雪を跳ね上げて、掌底を男子の腹部にめり込ませて吹き飛ばしている。その際に張りのある声が寒空を切り裂いた。
「カバディ!」
「なんだあれ」
「カバディなんでしょ? カバディって言っているし」
 琴音は平然と答えるが、薫は何か違うような気がして更に言葉を続ける。
「いや……カバディって別に格闘技じゃないはずだろ。でも舞が掌底喰らわせた男、泡吹いたまま雪に埋もれてるぞ」
 琴音が認識していないのかと、改めて指をさしてみるものの、薫が見た時にはすでに舞以外の生徒はすべて雪に突っ伏していた。味方まで何故か倒れている様子に薫は背筋を悪寒が昇っていくことを止められない。
「おいおい。カバディってそういうスポーツなのか?」
「案外そうかもしれないわよ。ほら、合唱部も文化系って言われているけどやってることは腹筋五百回で筋肉鍛えたり、息を深く吸って一分間息を吐き続けるのを繰り返して肺活量鍛えたりとかしてるでしょ。それと同じよ」
 全く同じじゃないと突っ込みたかった薫だったが、その前に屍を踏み越えて舞がやってきたためにそのタイミングを逃してしまった。制服のスカートの下に穿かれたジャージが雪を跳ね上げ、押しのけてやってくる。
「やあ! 皆の衆! これから帰りかね!」
「今度は何の人格なんだ……」
「今は益荒男(ますらお)だ。黄金崎益荒男。二十歳の伊達男よ!」
 二十歳でもないし伊達男でもない舞の中にいる多重人格。既に十人いるという人格という初期設定を越えているように薫には思えたが、それを突っ込んでも始まらない。今、追求すべきなのは別のものだ。
「なあ、カバディってこんなスポーツだったか?」
「ん? ああ。そうだ。弱者をけちらし、強者のみ生き残る! まさに益荒男にふさわしい競技よ!」
 そこから益荒男は説明を開始する。
 カバディとは「カバディ」と言いながら相手ディフェンスを掻い潜りつつ体に触れることで得点し、無事に自分の陣地に戻ってくるということでポイントが加算される。
 その時に戻ることを妨害できれば無得点。妨害を掻い潜って戻れれば得点。
 体に触れるのは「カバディ」と言っている間だけ。
 細かいルールはもう少しあるようで益荒男は話し続けていたが、薫は聞いていなかった。
「さて、じゃあ始めよう」
「そうか。じゃあ頑張れよー」
 そもそも寒空の下でカバディをする気はなく、薫は益荒男の横を通ろうとした。しかし、腕に首をからめ捕られて歩みを止められる。
「え、なに?」
「どうして帰る!? そこは『おお、なんて素敵スポーツがこの世界にあったんだ! ぜひご指南していただきたい! 足舐めてでも! むしろ舐めて!?』と言うところだろう」
「一瞬、舞に戻ってなかったかそこ……いや、ルールは面白そうだが、なんで部員じゃない俺達がやるんだよ。そこに転がってる奴らと一緒にやれよ」
「お父様、私やりたい!」
 二人の間に割り込んだのはアルだった。目を輝かせて舞もとい益荒男を見ている。何か壮絶な勘違いをしているような気配が薫にはしていたが、益荒男も同じくらい目を輝かせて同士の出現に心躍らせている。
「そうか! 子供だからって手加減はしないぞ! さあ、一緒にレッツカバディ!」
「カバディー!」
 薫から手を放した益荒男は、今度は走ってきたアルと手を繋いで雪の入り口前広場に突入していった。倒れていた生徒達は徐々に体を起こして、やってきた益荒男とアルに視線を送っている。そこから益荒男の号令によりチームにわかれていった。
 薫は玄関から出ないままその光景を見ている。その隣に、琴音が並んで立った。琴音を見ないまま、薫は呟く。
「なあ、なんでアルを止めないんだ?」
「だって見てて楽しいじゃない」
 その言葉に視線を向けると、分かるか分からないかという微妙な微笑みを浮かべている。その曖昧さに、薫は顔が熱くなった。
(可愛い……そうか、楽しい、のか)
 高校入学前。初めて神様と名乗る人物と遭遇して、アルという存在が出来た。
 その時に琴音が望んだことは「高校の間、エキサイトした生活を送らせて」ということ。
 季節は二月。バレンタインも特にチョコをもらうことはなかったが、日々、琴音は笑っていた気がする。
 自分や周りの人達に呆れ、しかしかすかに微笑んで。
(琴音は、望んだ高校生活を送れてるのかな)
 たとえ自分が虐げられていても。恋人と思われていなくても。
 琴音が幸せならそれでいいかもしれない。薫は、そう思いつつ視線を前に戻した。
 その時だった。隣で鞄を開ける音がして、すぐに薫の目の前にハート形をした包みが現れる。それは琴音が腕を伸ばして差し出していたものだ。
「バレンタインのチョコをすっかり忘れてたから、今あげる」
 まるで薫の思考を読んだかのように、絶妙なタイミングで差し出されたチョコ。それを受け取りながら薫は思う。
(バレンタインに貰いたかった……)
 男子にとって、チョコをもらうというよりも「バレンタインデーにチョコをもらう」が重要なのだが、琴音はそのあたりアバウトだったらしい。今の時点で差し出すタイミングが絶妙だとしても、そもそも根本からずれている。
「いらないならアルと食べるけど」
「いやいや! 貰うって! ありがとう! 正直、母さんがパンの耳みたいに枠だけのチョコとかくれただけだったから凹んでたんだ」
 薫は再びしまわれないようにがっちりとチョコを掴む。嬉しさに胸の奥が満たされる中で、チョコの包みが市販の物とは違うことに気付いた。
(……もしかして、手作り、か)
 薫の視線の意味に気付いたのか、琴音は一つため息をついて独り言のように呟いた
「初めて手作りしてみたんだけど……失敗して……間に合わなかったのよ。ごめんね」
 ミスを語ることの羞恥で、琴音の顔は少し赤かった。その横顔に薫は脳が一瞬で沸騰した。
 ちょうどカバディもアルが攻撃のためにクラウチングスタートの姿勢を取り、益荒男がそれを迎えうつような大勢を取る。
 それをしり目に、薫は口に出していた。
「なあ、琴音!」
「カバディ!」
「呼び捨て御免!」
 アルの声と琴音の声。二つの声が重なり、薫の耳に届いた時には視界は回転していた。
 そこで見えたのは、自分と同じ速度で視線を合わせてくる益荒男もとい舞の顔。
 自分と同じようにアルに弾き飛ばされた舞の姿。
(体を張った、ギャグなんだろうな……)
 そのまま薫の意識は暗転したのだった。
 だが、琴音の打撃を受けて初めて、幸福を感じた日だった。
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