12.お前らの関係ってカレカノなんですか、それともパシリ?

 放課後の教室。
 夕暮れの太陽光が差し込む教室は現実世界と切り離されて、異世界へ誘われたように杜若薫は思う。輪郭がぶれて、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。自分の輪郭さえもぼやけて世界と同化するのではないかと感じていた。
 しかし、その中ではっきりとした形を持つ声が薫へと叩きつけられた。
「どうなの?」
 黄金崎舞がそう言って薫に問いかけた。
 しかし薫は首をかしげて舞を見るばかり。更に強い剣幕で舞は突っ込んでいた。
「どうなのどうなの!?」
「えーと、今回は本体なのね」
 本体、という言い方に舞はむーん、と鼻を膨らませた。体の中に何人もの人格を持っている黄金崎舞。一年前から今月まで、ずっとそれらに振り回されてきただけに、久々に舞本人を見たような気がした。
「でも本体でも最初とテンション違うような」
「皆がてんてこМAIと言ってる人格が本人と思ってるなら、それも本人じゃないわよ?」
「えっ!?」
 驚愕の事実に薫は座っていた椅子から滑り落ちた。舞は心外と言わんばかりに胸を張り、つんとある程度の大きさを持つ乳房を突き出してくる。机一つ挟んでいるから触れるわけはないのだが、何か薫を焦らせた。
「これが本当の私なの」
「そうか……でもな、舞」
「なに?」
「どうなの? って根本の質問を俺は受けていないんだが」
「言ったじゃない。『お前らの関係ってカレカノなんですか? それともパシリ?』って」
 それは一言も言われていない。と言おうとした薫だったが、舞はそんなことお構いなしという気迫で倒れた椅子を起こして右足を乗せて、右ひざに右ひじを乗せる体勢を取るとグイッと詰めよった。
「実際、二人って付き合ってるんだよね?」
「はい。それは」
「でも、一年間一緒に遊んできたけど、それっぽいシーンなかったじゃない。むしろ奴隷とご主人様じゃない?」
「そうだったっけ」
「そうじゃない!」
 薫はここ一年を思い返してみる。記憶にあるのは台風の日だったり、ガラナを飲んだりとしたことばかりだった。確かに彼氏彼女らしいことなど一つもしていない。あとの大半は六法全書で殴られ、アルには足蹴にされたりしていた。
「結局さ、薫君はパシリというか奴隷マックスなんじゃないの?」
「マックスってなんだよマックスって。でも否定はできない」
「なら、私と付き合っちゃいなよ」
「は?」
 薫はその明らかに唐突な告白に面を食らう。舞は体勢はどうあれ真剣な眼差しで薫を見つめてくる。その瞳は潤み、夕暮れの教室という特殊シチュエーションにより色気が増大していた。薫の心拍数が徐々に上がっていく。薫は何度か深呼吸をしてから立ち上がり、舞をまっすぐ見て言った。
「それが本当か分からんけど……俺は、白川が……琴音が好きだ。だから、舞とは付き合えない」
「……真面目にありがとう。ドキッとした」
「やっぱりネタか」
 舞は片足を椅子に乗せた体勢から元に戻る。その顔は少し赤らんでいて、薫の真面目な言葉に照れているようだった。いろいろな人格がいてもやはり女の子なのか男のストレートな言葉には免疫が少ないらしかった。
「そんなわけで、録音したから琴音に聞かせてくるね」
「……はい?」
 そこで舞は颯爽と走り去っていった。
 あまりのことに薫はその場で呆然とする。我に返ったのは舞の足音が聞こえなくなってからだった。
「おい待て!?」
 慌てて立ち上がり、教室から出ようと扉へと駆け寄った薫だったが、扉を開けた瞬間にそこに立った琴音を見つけてしまった。琴音はじっと薫を見たままで動かない。薫もまたいろいろと考え込んでしまう。
(おい……まさか舞のやつ、あれ聞かせたのか? でもさすがに早すぎないか? ぼーっとしてたとはいえ二分くらいしか経ってないはずだ。その間で聞かせるところまで行くか?)
 そんな薫の葛藤を知ってか知らずか。琴音はゆっくりと教室の中へと入ろうと足を進める。薫は自然に横に体を横にして琴音を迎い入れた。
「どうしたの?」
「あ……いや……その……」
 琴音が舞から聞いていなければ逆に地雷を踏んでしまう。それとはまた逆に、聞いているならば自分の発言をどう思おうのかを聞きたい気がする。
 薫はジレンマに悩まされる。このままではのぼせてしまいそうだった。
「あ、そうだ」
 琴音はそう言うと、一瞬にして薫の傍に寄った。傍にというよりも、体を密着させていた。
 さらに言えば、ほっぺたに唇をつけていた。
 薫はその瞬間に頭が真っ白になって何も言えなくなる。目の前に琴音がいることは分かっても、それが夢なのか現実なのか。何故、琴音が急にキスをしてくるのか全く理解が及ばないために錯乱に近い思考の崩壊を経験する。
「こと、ね」
 いつもは禁止されていた言葉を呟く。しかし、琴音は髪を少しかきあげただけで何もしてこない。
 六法全書で殴りつけることもしない。夕暮れの教室とはここまで異世界なのか。人の心までも変えてしまうのか。そこでようやく薫の思考が追いつく。即ち、この琴音は偽物なのではないのかと。
「白川」
「なに?」
 何度か深呼吸すると、脳に酸素が供給されたからか薫の引き裂かれた思考の断片が戻っていく。
 時間をかけて再生させたところで、疑問点を素直に口にした。
「どうして俺と付き合ったんだ?」
 それはこの場での出来事ではない。そもそも、二人のスタート地点。根本的なところだ。
 中学時代から周りにモテていた琴音。
 中学時代から人気はあったがモテはしなかった薫。
 自分の思いを伝えようと決め、伝えた時の会話が脳裏に蘇ってくる。
「俺は白川のことが本当に好きだ。だから、付き合えた時は楽しかった。でも、さっき、舞に尋ねられたんだ」
 正確に尋ねられてはいなかったが、その言葉を心の中で反芻する。しかしすぎに声になって外に出ていく。琴音へと伝わっていく。
「俺達、恋人同士のことしてるのかなって。俺達は、彼氏彼女なのかなって。考えたら……確かに学校生活は楽しかったけど、俺らって彼氏彼女っぽいことしてなかったじゃん」
 薫は琴音をしっかりと見る。逆光になった琴音の顔は薄暗く、しかし強い意志が込められた瞳がしっかりと薫の目を見返していた。一字一句聞き逃さないように集中しているらしかった。
「俺は……もっと恋人らしいことしたかっ――」
「だから、したじゃない。私もしたかったし」
 薫が言いきろうとしたところで琴音が口をはさんだ。その顔は当たり前のことをただ行ったという、事実だけを薫に突きつける。即ち、キスは琴音がしたかったからしたのだと。
「私は、したいことしかしないわ。薫が告白してきた時も嫌じゃなかったら付き合ったし。高校生活も一緒に過ごしてきたのは嫌じゃなかったから。アルもいて楽しかったし、舞や熱海君も一緒で楽しかったし。とても楽しい生活を送れたと思う。神様に感謝しないとね」
 神様。
 それは薫の告白が実った時に現れた小人。あれ以来、姿を現さないがその存在は今までのどこか現実離れしたイベントの数々から。もっと根本を言えばアルの存在からも伺える。
 二人がカップルになった時の願い。
 薫はアルを望み。琴音はエキサイトした学校生活を望んだ。
 それは今、叶えられている。
「今、とても楽しい。私は十分幸せ。でも、確かに独りよがりだったかなって反省してる」
「琴音……」
 薫が名前を呼ぶと、琴音は顔を赤らめて手を少し動かした。しかし六法全書は飛んでこない。
 その様子を見ていてようやく薫は気付いた。
「もしかして、恥ずかしいの?」
「……異性に名前で呼ばれるのって恥ずかしくない?」
「――ははっ」
 薫はいきなり顔が緩んで笑ってしまう。何のことはない。琴音の攻撃は照れ隠しだったのだ。恋人恋人したことをした記憶がないのも、琴音が恥ずかしがって先に進まなかっただけなのだろう。
 その場にいて、一緒にいるだけで琴音は幸せを感じてくれていた。今まで通りで良かったのだ。薫はそう思うと涙腺が緩み、涙が出てきた。
「え、ちょっと。何泣いてるの?」
「……嬉しくてさぁ。俺、大丈夫だったんだって」
 薫が涙をぬぐっている間に、琴音はため息をつく。何を言っているのかと半分は馬鹿にしたような声音で言った。
「何言ってるのよ。大丈夫に決まってるでしょ」
 琴音は六法全書で軽く薫を小突き、頭を上げさせる。そして目を見て言った。
「私の高校生活は、これからもっと続くでしょ。楽しくさせてね?」
 琴音の赤らめた頬からの微笑みに薫はノックアウトされていた。それでも、口からは自然と言葉が出ていた。
「当たり前だよ」
 薫はそう言って琴音に両手を伸ばして体を引き寄せようとする。しかし、そこで教室の扉が一気に開かれた。
「お母様。お話終わった?」
 扉を開いたのはアル。
 そして、六法全書を薫の顔にめり込ませた状態で琴音は「終わったわよ」と答え、薫の手を引いて教室を横切っていく。
「さ、いこう」
「……そうだな」
 顔の痛みも今は心地よい。変な趣味に目覚めそうだと思いながらも、それもまんざらではないと考えて薫は顔をほころばせたまま、先を行く琴音とアルの背中を見ていた。



 お前らの関係ってカレカノなんですか、それともパシリ?
 その問いに対して、薫は堂々と答える。
 いや、琴音も含めて、二人で答える。

『もちろん、カレカノだよ』
 

 薫達の高校生活は、これからも続く。
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