09.昨日母親と喧嘩したら、弁当箱に缶詰(未開封)だけが入っていました……。

『親に向かってなんて口の聞き方だよこのザル頭!』
『ぽめらにあ――!』
「――っん!」
 夢の中の自分の叫びと同時に、杜若薫は上半身を起こしていた。布団を跳ね上げてベッドの外に投げ出したあとに勢い余ってベッドの上に立つと、そのままラジオ体操を始める。ラジオ体操第一が終わったところで勢いも収束したのだろう。薫は目覚まし時計を見て顎が外れそうなくらいに口をあけた。
 午前八時。あと三十分でホームルームが始まる。
「うえうぇえええええ!?」
 一瞬で寝巻き代わりのジャージを脱ぎ捨て、トランクス一枚になるとそのまま学生服に着替えて階下へと降りる。朝ご飯を食べている時間はない。居間に入ると母親の姿はなかった。テーブルの上にはいつもの弁当袋に包まれている弁当箱。そこで、夢の内容が昨日の夜の喧嘩だと思い出した。
「喧嘩してもちゃんと弁当を用意してくれるなんて、許してくれたんだな。サンクス母さん!」
 姿の見えない母親に挨拶してから弁当袋を取って玄関へと向かう。靴のかかとを潰しながらも玄関を出て自転車に乗り、こぐ。一連の動作は滑らかに、正に流水のごとく美しかった。


 そして。


「杜若。遅刻するとはたるんどるぞ」


 結局、一時間目の授業が始まって十分は過ぎていた。


 * * * * *


「薫。今日は何で遅刻?」
「見事に寝坊した。昨日母さんと喧嘩して疲れたんだな」
 朝の遅刻による体力の低下から授業を四時限受けて精神的疲労。二つのショックで薫は机に突っ伏していた。だが、何とか昼休みに突入したことで安堵感が広がり、体力が回復していく。
「薫君が遅刻してもボクがノートとって上げるよ」
「ありがとう黄金崎……今は誰だ?」
「みなも、よん」
 何十人格なのか良く分からなくなってきたが、会うたびに人格が違ってるのはどういうやつなんだろうかと薫は内心ため息をついた。
「とりあえずご飯にしよーよ」
「私は既に食べ始めてるけどね」
 薫の傍に集まっているのは隣の席の舞と、恋人(のはずの)白川琴音に、二人の子供(らしい)白川アルセルバリエル。二人の弁当は琴音が作っているのか、同じ食材が入っていた。
 箱の半分は玄米ご飯。残りはタコの形になったウィンナーにゆで卵。彩り豊かな内容だった。
「さて、俺のはっと」
 朝にテーブルから持っていった弁当袋から中身を取り出す。そこで薫は凍り付いていた。
『秋刀魚の蒲焼』
 未開封の秋刀魚の缶詰が薫の手の中にあった。
「薫の弁当は、弁当なのか? あの缶詰の中にご飯とかタコさんウィンナーとか入っているのか?」
「薫のお母さんならきっとやるわね」
「流石にそこまではしないぞ」
 固まっていても仕方が無いと缶詰のプルに指をかけ、一気に引き抜いた。
 小気味良い音を立てて剥がれた蓋。その下にあったのは。
「……なんで?」
 何もなかった。
 中身は綺麗に洗われていて、タレもなにもついていない。最初から中身がなかったかのごとく。
「これは……一体どういうことだ?」
「未開封の缶詰の中身がない。ミステリーだね」
 舞は自分の弁当を平らげてから爪楊枝を使って歯の間の残りかすを取っていく。
「お前は……」
「俺は平成の名探偵。黄金崎舞造だ。俺の辞書にプランBはない」
「えーと、意味分かりません」
「お前が意味不明よりも、このミステリーの謎を解かねばならないだろう?」
 そう言って舞(舞蔵?)は缶詰を取り上げてまじまじと見つめた。中を見てから外側をくまなく見ていく。その鋭い視線は猛禽を思わせ、どんな些細な謎も見逃さないと言外に語っていた。
 三分ほど経って、缶詰は薫へと戻される。舞は窓の外を見て思考をまとめているようだった。
 季節は既に十一月。師走も近づき、冬に向けて着々と坂道を転がっている。教室内の気温差によって多少曇り気味のガラスの外は、いつ雪が降ってもおかしくない程度には気温が下がってきた。舞の瞳は、まさにその冬の空気のごとく徐々に温度をなくしていく。その様子を見て薫は唾を飲み込んだ。
 そのままの体勢を崩さずに、舞はその場から後ずさりしていった。背中に眼が付いているとでもいうように、するすると机と人を避けていき、最後には教室の外に出て扉を閉めた。
 その場は昼休みの喧騒を崩さないまま時が流れた。
「結局分からないってことか」
「なんだろなー。河童かな?」
「河童!?」
 アルの発言に薫は開いた口を閉じられなかった。どこからそんな知識を持ってきているのか分からない上、どうしてこの話題で河童が出てくるのかも分からない。アルの思考回路を追いきれないことへの驚き出て行かない中で、アルは話し出す。
「この缶詰。どこかで見たと思ったら田中さんがバイトやってるコンビニのだよ」
「その田中さんが河童ってこと?」
 薫が尋ねるとアルは首を縦に大きく振った。その仕草は年相応の可愛らしいものだ。
「なんかコンビニのバイト暦百年なんだって。配達されたサンドイッチとか牛乳とか三分あれば全て並べられるし、冷凍室の缶も三分あればいいし。もう店長以上に店長らしいんだ。知らないことなんでも答えてくれるし」
「それがどうして河童に繋がるんだ?」
「だから、田中さんが河童なんだよ」
 それがどうして缶詰の中身に繋がるのか。そろそろその話題に移ろうと思った時、琴音がアルの頭を軽く六法で小突いた。痛い、と呟いて振り向くアルの眼には涙がたまっている。薫には強気でも、まだまだ琴音には弱い。これでも最初の頃よりは落ち着いたものだ。
「どうして田中さんが犯人……犯河童だっていうの? 河童なら中身だけ抜き出せるの?」
 それは薫が知りたかったこと。琴音も話の続きが気になるのだろう。アルは「あ、そうか」と自分の話が繋がっていなかったことにようやく気づき、続きを話す。
「河童ってしりこだまってものを抜くらしくて。なんかお尻から取るらしいんだけど、最近だとガードが固いからとうとう中に手を入れずに外にしりこだまを抜き出す技術を完成させたらしいよ」
 それはあからさまに犯人……犯河童ぽくて嫌だ。そんな台詞を言おうとした薫だが、琴音が先にまた言っていた。
「それじゃあからさまに犯河童じゃない」
「うん……でもそれだと面白くないよね」
 落ち込むアルを見かねて、薫は言った。
「まあ、今回は俺の母さんのせいってことでいいじゃないか。その田中さんも犯河童にされたらたまったもんじゃないだろ。これからもそのコンビニで物買うのに、何か引け目感じちゃうぞ」
「分かりました。ありがとうお父様」
 言葉になにも「ありがとう」という気持ちを感じないまま、薫は缶詰を弁当袋にしまう。結局、ご飯は食べれず、謎も解けないまま昼休みを終えるのかとため息をついた時、ゆで卵とたこさんウィンナーが差し出された。琴音とアルから。
「食べなよ。授業中に腹の虫鳴られたら恥ずかしいし」
「あまりに哀れだから、恵んであげますよお父様」
「二人とも……」
 今までなら勢いで琴音やアルに抱き着くが、それをすると今回の恵みも没収されそうだと考え直し、薫はそれぞれのおかずを口の中に入れた。まろやかに広がる旨味。口の中で奏でられる味のハーモニー。特に空腹の今は、極上の料理を食べたかのような幸福感に満ちている。
「ごちそうさま。美味しかったです」
「礼は良いわよ。さーて、次の予習予習」
「よしゅー」
 二人はそう呟きながら自分の席に戻っていった。特に表情に変化はないように見えたが、アルのほうはかすかに頬が赤らんでいる。照れているのかと薫は二人に気付かれないようにほほ笑んだ。
 四月当初に比べて、だいぶ距離が近づいているのではないかと薫は嬉しくなる。
 神様とかいう存在に与えられたアル。琴音との距離。
 もっともっと、近づきたいと薫は思った。




 その後

「なあ、母さん。今日の俺の弁当」
「中身なくて驚いたでしょ! 母さんの自信作」
「どうやって作ったんだよ……」
「実はね。コンビニの店員で仲良くしている人がいてね。その人にやり方を教えてもらったのよ〜」
「……」


 河童の田中さんの絶技の内容が尾を引きつつ、第十話に続く!
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