05.盗まれたスクール水着を捜し出せたら、そいつが犯人ってことにしておこう。

 夏。それは甘美なる響き。
 夏。それは心が体から開放され浮き浮きわくわくする時期。
 夏。それは、男も女も体を鍛える時期である。
「俺の鍛えた肉体美を見せてやるぜ、白川ぁああああいでで!?」
「傍に寄らないで。暑苦しい」
 珍しく徒手空拳で薫のテンプルを打ち抜いた琴音は、学校指定のパーカーを羽織っていた。いつもの辞書も今はない。そもそも、今、琴音は衣服を着ていないのだ。
 身に着けているのはただ一つ。
「スクール水着〜!」
 琴音の足元でアルがはしゃいでいた。そもそも高校生ではないため、アルのスクール水着は存在しない。だから今着ているのは琴音の手作りだった。
「お前のスクール水着なんて見ても嬉しくない」
「じゃあ誰の見たら嬉しいの?」
「もちろん琴……白川のに決まってる!」
 無言で殴り倒された薫を意にも介せず、体育教師は号令をかけた。
「ほら、皆ここに集合! プールサイドだ。滑って転んで頭打って植物状態にでもなったら俺が責任取るんだからな。絶対やめてくれ!」
 リアリティがあるようでないような例を出しながら体育教師、神輿裕也(みこしゆうや)が言う。薫を除いたクラスの面々が教師の前に集った。
 学校に備え付けられたプール……ではなく市民プール。関東に比べて気温が上がらない北海道ではプールがついている学校のほうが稀だ。
 今回は体育を二コマ取って大規模移動から体育実施中なのだった。
「じゃあ二人組になって体操な」
『はーい』
 真夏日に合法的に水に浸かれることや、女子の体の曲線、男子の筋肉美など多くの萌え要素が湧き出ていることで場の雰囲気はまろやかだった。ただ一人ボロ雑巾のように落ちている薫を除いて。
 ――しばらくして目覚めた薫が見たのはペアになっている男女だった。それも元から彼氏彼女だった者達がくっついているのではなく、意図的に教師が分けたに違いない。一人余って体操をしているのはアル。さすがに体躯に合う者はクラスメイトにはいなかった。
 ちなみに琴音は何故か舞と体操していた。
「おおお。ねぇちゃん。なかなかいい柔らかさをしておるのう。今度わしのお相手をお願いしたいもんじゃ」
「あなたの体も柔らかいわよ」
「ひぇーっひょっへっひょっひょ。嬉しいネェ」
(どこかの誰か乗り移ってるんじゃないか? また違う人格かよ)
 男人格の舞は男としてカウントされるらしかった。相変わらず意味不明な舞の住人。
 ふと視線を転じると逆に男二人でストレッチをしている光景があった。
「おおお。にぃちゃん。なかなかいい柔らかさをしておるのう。今度わしのお相手をお願いしたいもんじゃ」
「お前の体も柔らかいぜ」
「うひょひょひょひょひょぉお。嬉しいネェ」
(いや、それは勘弁してくれ)
 心の底から思い、薫は顔を背けていた。
「お父様はしないのですか?」
 見上げてくるアルに薫は手を振って否定した。すでにスイートハニーは取られ、男女共にラブラブな雰囲気が漂っている。
(ならば自分はアルとラブラブになるか)
 期待十分の一。残りは諦めの心で視線を向ける。すると突然、アルは水着の股あたりを掴んでもじもじし始めた。
「や。やめてよ。見るの。恥ずかしいよ」
 頬を赤らめて俯く様子に薫の心に甘酸っぱい間隔が広がっていく。それは小学生の時に好きになった子に抱いた想いと同じようなもの。
 即ち、嗜虐心。
「アルぅ? とても可愛いぞ? もっとお父さんに見せてくれないか?」
 両手をわきわきと動かしながらアルに近づく薫。アルは「ひっ」と息を呑んで後ろに下がった。その表情はいつも琴音と共に薫を罵倒する貌ではない。歳相応に男を恐れる女の子だ。
「はぁ、可愛いなぁ」
 だからこそ、薫は攻める。今までの蔑まれた状態から威厳を取り戻すために。取り戻すために何か大事なものを無くすような気もしていたが、今は刹那の快楽を求めて突き進む。
「ほら。お父さんに全てをさらけ出してごらん?」
「い」
 わきわきした手が、アルの肩に届いた時。
「いやぁああああああああああああああああああああ」
 世界は光に包まれていた。


 * * *


 体が穏やかにたゆたう感覚に、薫は目を覚ました。いつの間にかプールの中にいて、上向きにぷかぷかと浮いている。体は動かず、目をきょろきょろと動かせる程度だ。そのかすかな動きで追えたのは、自分以外のクラスメイトが水泳の授業を滞りなくしているところだった。
(お、俺の存在は?)
 どうやらアルが何かをしたというのは分かったが、体が動かないことには何も出来ない。それでも何とか水で濡れたスクール水着を見たいと動こうとする。 
 だが、体は動かない。プールの天井が高い。水に浸かった耳に聞こえてくるのはゴボゴボという音と、笑い声。
(わらい、ごえ?)
 水中で笑い声が聞こえてくる。そんな経験を薫はしたことがなかった。空気よりも音の聞こえはいいと知っているが、笑い声がクリアに聞こえるということは即ち、水中にも関わらず普通に声が出ていること。水に邪魔されることなく。
(な、誰だよ)
【ウフフ】
 その時、薫の脳裏に怪談話が蘇った。それは先日、薫と琴音とアルの三人で百物語をやることになった時だった。結局一人一話ずつしか思いつかず終わってしまったが、その中でアルが語った話だ。といっても情報ソースは琴音だろう。

 市民プールの排水溝からたまに煮汁が溢れてくる。

 最初、その言葉を聞いた時に薫は意味が分からなかった。煮汁ということは何かを煮たことによる汁だ。そしてそれがプールの排水溝から出て来る。
 それは水に混じってしまうのではないか。
 アルの話ではにじみ出てきてから煮汁はターゲットを探し、笑いながら近づいていくという。水遊びに興じて油断していた対象者は水の中に一気に引き込まれ、次に水面に出た時はムキムキマッチョへと変貌する。
 体も、心も別に塗り替えられて。
 その煮汁はエイリアンが液体と化したものらしい。
【アハハ】
(そんな、わけない)
 一気にSFとなった展開に笑った薫だったが、実際に話どおりに笑い声が近づいてくると怖さが襲ってくる。
(うおお。どうすれば。頼むわ……誰か、助けてくれ!)
 ついに恐怖から目を逸らせず、薫は心の中で助けを求めた。口に出そうにも体力は回復せず、身動きも取れない。
【アハァアアアアアアハハハハハハハハハァアアアアアアアアシィイイイイイイイハハハハHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAAHぁあああああぁあああぁああああああぁあああああああぁああああああぁああああああぁあああああああああぁぁぁぁぁああ嗚呼あああああああああああぁぁぁぁぁあああああああ】
「ぅぎゃあ!」
 耳元まで声が迫った瞬間、集団から離れて泳いでくる人影を薫の瞳は捕らえていた。
「あ、た、す(たすけてくれ)」
 口を動かすも言葉にならない。姿をしっかりと確認できた時、更に恐れが体を包む。
「あ、アル」
 自分をこの状態に追いやった元凶が平泳ぎで近づいてい来る。そんな彼女が薫を助けるわけがない。
「頭冷えた?」
 だが、アルから聞こえた言葉と共に、耳元の笑い声は消えていた。そもそも、アルの姿を見てから煮汁の気配は完全に消えている。
「私にセクハラしようとしたから罰を与えてみました」
(おのれ……)
 言い返そうと思ったが、また同じ思いをしたくないと薫は黙る。それを反省と捉えたのか、アルは薫の頭を掴むとプールサイドへと引っ張っていく。水に浸かることで軽くなった体重ならば、片手でも十分移動させることが出来た。
「本当。お父様だからって娘にセクハラがいいわけないじゃない」
「すまん」
 まだ短い言葉しか言えない。だから、精一杯の謝罪を込めて一言口にする。罪悪感というよりも恐怖からだったが。
「今回は水に流して、今度楽しんで、水泳」
(水泳授業は一回しかやらないんだよ……)
 心で泣きつつ、薫はアルに引っ張られるまま引き上げていった。
「ところで」
「なに?」
「今回の話はスクール水着を盗んだ奴が犯人ってことにしておこうとかじゃなかったけ」
「いいと思います。たまにはタイトルに沿わない話でも」
「それは詐欺ではないだろうか?」
「気づいてないようですね」
 アルは一オクターブ声を低くして呟いた。


「この話自体、理不尽の塊で出来ているわけだし」



 スクール水着を盗まないまま、薫の学生生活は第六話に続く!
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