04.中学時代の悪事がバレたらもう明日登校する勇気がありません。

「こんなお題が出てるが、皆どう思う?」
 自分の班を見回しながら杜若薫は言った。手には『お題』が書かれた紙。机を合わせて薫を見つめている他三人の前にも同じものはあったが、特に強調して言いたいようだ。時刻は十一時を過ぎている。この時間を乗り切れば昼食タイムである。
 その前の壁として立ち塞がったのは教科・国語だった。
 国語教師の虹藤はたまに教科書から外れたことをする。基本、教育の進度が速い時の時間調整なのだが、大体は答えにくく授業よりも頭を使う課題を与えられた。今回もその一つだ。
 お題が書かれた紙をぴらぴらっと中空にそよがせていると隣から声が飛ぶ。
「なんで薫が班長みたいなことしてるの?」
「いや、なんかこういう仕切るのやってみたくて。白川やる?」
 白川琴音の斬り刻むような視線を浴びて震えた薫は咄嗟に班長の座を譲ろうとする。しかし、琴音はアルへと関心を戻していた。
「アル。そろそろご飯よ」
「わーい。今日はデミグラスソースのハンバーグー」
「薫君はそういうの似合うとおもうにょ!」
 変わりに応えたのは薫の左に座る女の子だった。
「ありがとう黄金崎」
「MAIって呼べよこの雄豚」
「いきなり人格変えないでくれよ。心臓に悪い」
 薫と白川琴音。
 二人の娘のはずのアルセルバリエル。
 十人の舞が住人である黄金崎舞。
 いつしか仲良くなったメンバーが一動に揃っている。それを見ながら何も話さない男が一人。
「あ、熱海。お前はどうだ? 班長俺でいいよな」
 熱海と呼ばれた男は少し考える素振りを見せる。頭を斜めに傾けて腕を組んで唸るという超古典的な動きだったが。
「よいと、おもうよ」
 百八十ある長身に見合う、百五十キロの巨体を椅子はきしみながらも支えていた。制服も特注の更に大きいものを着ているため、標準サイズの女性なら三人は入るだろう。
 熱海夏生(あたみなつお)。
 薫のクラスでも屈指の変人である。
 裸部と呼ばれる裸を愛する活動をしている部に所属し、既に先輩である三人を越える裸を持って期待のホープとされているらしい。
 圧倒的な存在感は薫達の班でも異常。どうしてこの組み合わせになったかと言えば、薫達と混ざれば異常じゃなくなると判断されたからだった。
 薫にとってこの『世界』は神が干渉しているおかしな世界なのだが、その中でも十分異質なのだから相当なのだろう。
「班長よりも今はお題の話じゃないの?」
 そんな異質者は、完璧に真実を突いていた。薫は咳払いをして一度間を空けてから言う。
「いやそうなんだけど。というわけで良いってことで話を進めるわ」
 薫は紙をしばらく穴をあけんとするくらいまで見つめる。書いてあることはシンプルに八文字。特に意味もなく目を近づけたとたん、反対側から指が突き出してきて薫の目を掠めていた。
「さて、中学校時代の悪事、か」
 指先の主であるアルに戦慄しつつも、薫はその恐怖を押し殺してお題を読み上げる。わざわざ自らのしでかした悪事を白日の下に曝そうとする虹藤の思惑を薫ははかりかねるが、授業の一環なのだから仕方がない。
「悩んでいても仕方がない。まず俺から言おうと思うぞ」
「じゃあ、それを提出しよう」
 熱海が再び鋭い言葉を滑らせた。紙には全員の話とは書かれていない。一人でも言えば十分だろう。黄金崎や琴音、アルも「班長なんだから」というオーラを惜しげもなく発散させながら薫に圧力をかけていた。一言もしゃべらず、視線とオーラにて。
「分かったよ。じゃあ、言うぞ」
 そうして薫の過去語りが始まった。


 * * *


 俺が中学二年の時の話だ。
 それは雪の降る寒い晩のことだった。俺は人気がほとんどない神社の、更に人からは死角になる場所で白い雪の中で体から発汗による汗によって煙が出ることで周りの雪を溶かせないかと考えた。だから腕立て伏せをしたりスクワットをしたりしてとにかく体から汗を出していた。
 服? もちろん裸だよ。パンツは穿いていたけれど。でもちょうどトランクスが全部洗濯中だったんでばあちゃんが買って来たブリーフにしたんだ。自慢になるが、俺はちゃんと腹割れてるし、鍛えていたから他の部分も人に見せて驚かれるくらいには盛り上がってた。このまま服着ないで帰ろうかと思うくらいだった。
 その時だった。誰か来たんだよ。誰もいないからって理由で俺はそこで寒空の下にパンツ一丁で汗をかいていたんだからかなりの驚きだったんだよ。それは数人の男達。それから少しして更に女の子が一人。あっという間に男達は女の子を押さえ込んだ。俺は馬鹿だった。そこまで見てようやくこれは女の子が襲われていると知ったんだ。
「ははっ……前々からさ……お前のことさ、好きだったんだよぉ」
「んああ! あええおう!」
 口に何か詰められているのかくぐもった声。俺は状況を瞬時に理解した。飛び出して叫んだよ。
「そこまでにしておけっ!」
 男達は全部で五人。俺の声がどこからしたのかと辺りを見回していた。その隙に女の子は逃げ出して、口の中から詰め物を取ると叫ぶ。
「助けて!」
「了解した」
 俺は了解すると共に同時に飛び上がり、神社の屋根の上から飛び降りた。そう。ヒーローと何かは高いところにいると言うだろう? 颯爽と雪の中に飛び降りると溜まっていた粉雪がぼはぁあっ! と舞った。それで勘違いしたのか男達の一人が「どうして雪の下から出てくるんだ!?」なんて驚くものだから、俺も乗っちゃってさ。
「そこに悪がいるからさ」
 となるのさ。まさに雪漢(ゆきおとこ)って感じだった! 調子に乗ってそこから男達を瞬殺だったね。一撃で昏倒していく様を見ると、鍛えていて良かったなとか思った。
 親玉とタイマンになると、さすがに強かった。だから俺は最終手段を取ったんだ! 即ち、自分の下着に手をかけてするりと――

 どがぁん!

 * * *


 小気味よい音を立ててこめかみに叩き込まれたのは、琴音のコンパクト六法だった。アルや舞。熱海だけではなくクラス全員が琴音に視線を集中していた。足元には舌をだらりと口の外に出して寝ている薫。六法を振り下ろした状態で息も乱さずに止まっているその様は彫像のように美しかった。
「アホは放っておいて、熱海君。あなたの話を採用するから何か言って」
 構えをといてコンパクト六法を鞄にしまいながら、琴音は熱海へと言う。それはお願いではなく命令に限りなく近いニュアンスだ。巨体が振るえ、肉がぷるるんと擬音を出す。
「分かった。言うよ。あれはね、僕が小学校三年の頃だったんだ。僕が一日ずっと逆立ちをしようとしてね――」
 そうして熱海の過去語りが始まった。


 * * *


「ん?」
 薫が目を覚ました時、既に十二時を過ぎていた。ちょうど違う班の代表が話を終えたのだろう。座ると共に周りから拍手が出る。薫はのろのろと体を起こし、周りに合わせて手を叩いた。
「よし。じゃあ今日はこれで終わりだ。あとは自習」
 あと数分で昼休みになる。それだけでクラスは浮き足立った。その中で薫は何か取り残された気分になる。気を失っていた間に何か貴重なことがあった気がしたのだ。
「なぁ。何かあったのか?」
「何もないわよ」
 自分の席に戻ろうと立ち上がる琴音へと薫は尋ねるが、少しも相手にされない。舞にも熱海にも話しかけてみたが、何もなかったと応えてくる。
(考えすぎ、かなぁ。でも何か違うような)
 それは直感。悪く言えばただの感。そこで薫は一つ聞くべき事を思い出していた。
「そういや、発表はどうなった?」
 その時、世界が止まった。
 一斉に動きを止めた生徒達。教師も教室から出ようとしたところで硬直している。ご丁寧に右足が地面についていない状態で。
「えーと」
「なかった」
 薫が気づいた時には琴音の顔が広がっていた。口が口とくっつきそうなほどの近距離で、目と目が合わさりそうになるほどの距離で、一言呟く。
「何もなかった」
 瞳には感情が見えない。しかし薫には奥底に琴音らしからぬ恐怖を見る。気恥ずかしさも手伝って視線を外すと、悠々と座って本を読んでる熱海が見えた。教室の中で熱海だけ平然と動いている。
(一体、何があったんだ……)



 謎が解けないまま、薫の学生生活は第五話に続く。
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