02.隣の席の美少女かつ不思議少女をカワイイと思いながらもウゼェと思っています。

「おはよー」
 席に着いたところでいきなりかけられた声に、反射的に杜若薫は身を竦ませた。声の主は明らか。隣からの声はこれから始まる一日に胸をときめかせ、目を光らせていると分かるほどに明るい。しかし、薫には戦慄する理由があった。
「お、はよ、う。黄金崎(こがねざき)」
「もう! 舞って呼んでよぉ。ま、いって! MAIって! 参って!?」
「いや、なんで……?」
「貴様いい加減にしろよ」
 突然に眼光鋭く薫を貫いた少女は、二秒後には舌を出しててへっと首をかしげていた。あまりにも急激な変化に薫も硬直したが、その理由自体は分かるためにショックはない。ため息から頬杖へと華麗なコンボを決めた。
「なーんて、ごめちん。さーて、みんなにもほがらか挨拶してくゆー」
 そう言って少女は立ち上がり、クラスの中央へと駆けて行く。
 薫が座るは教室の窓際の最も後ろ。即ち、教室の端。
 薫の隣に座るは黄金崎舞。
 最愛の女性、白川琴音の隣を逃した薫にあてがわれたのは、常軌を逸した美少女かつ不思議少女だった。
 つぶらな瞳とちょうどいい肉付きのほっぺたによる愛嬌。
 無駄に豊満な胸と絞られた腰回り。
 きゃぴきゃぴ動作。
 女子高生三種の神器と言っても過言ではない装備を携えた舞は始業式後、一週間でもう薫のクラスの男子を篭絡していた。薫も琴音がいなければ篭絡されていただろうと心の中でぞっとしていた。
 そして、性格は――
「あぁあん。どうしよう! どうしよう!」
(また始まった)
 薫は腕を枕にして机に突っ伏した。
 黄金崎舞。
 通称てんてこMAIの真価が現れる。
「どうしたんだい、舞ちゃん!」
「この机の脚に足の小指がかすっちゃってぇん。痛いのぉ」
「じゃあ、俺が舐めて癒してあげます!」
「いや、この俺が!」
「女性の足の小指を舐めることにかけて俺の右に出る物はいないぞ!」
「ああんもう。舞ちゃんこまっちゃうよぅ」
 舞の特性。それは良く分からないことにてんてこまいになり、助けようとする男子が争う姿を見て更に困り、その困りオーラが更に男子を引き寄せて、と困りスパイラルを巻き起こすことだ。天性のてんてこ舞い達人、黄金崎舞。ゆえにてんてこMAIと誰もが語り継いでいた。
 薫にとって今の席になって琴音の隣を逃したという理由の次に後悔した存在。なまじ、薫の好みの体型をしているだけにウザイことこの上なかった。
「はぁ。今日も一日が始まる」
「あふーん!! この柔らかいもちもちほっぺをつついてぇええん!」
 しかし、何故か制服の上を脱いで振り回しながら叫んでいる舞を視界に入れて、脳内カメラで映像を焼き付けていた薫だった。
 その時、死角から声がかかった。
「おはよー、お父様」
「おおおはよ!」
 咄嗟に視線を外に逸らしながら、薫は声の主に切り返す。勿論、視線の先は窓の外。声をかけられたのは前からだ。あまりにも不自然な動きに声の主――白川アルが不思議そうに首をかしげた。
「お父様。舞ちんに見とれていたな」
「なななな何を根拠にそんなことを」
「顔に書いてあるわよ」
「まさかー!?」
 第三者の声に慌てて顔をさすってみると、掌が黒くなっていた。明らかに水性マジックで書かれた文字をなぞったという結果。
 気づけばアルの醜悪な笑みが見える。自分のたくらみが成功したことで、口の両端を釣り上げて笑っていた。
「いつの間に」
「お父様が脳内カメラで舞ちんの映像を焼き付けていた時だ」
「ばれてるんやん」
 薫は諦め、薫は顔を洗うために立ち上がった。
「まったく。薫は分かりやすいわね」
 次の瞬間、薫の顔に白いハンカチが当てられていた。拭いているのは三番目の声の主。アルの『母親』であり薫の恋人であるはずの白川琴音だった。不機嫌な顔のままで、しかし嫌がりもせずに顔を拭く様は薫の中に一つの感情を芽吹かせる。
「なあ、琴音」
 思いもかけず、口を開く。
「呼び捨てごめん!」
 瞬時に左手に出現したコンパクト六法が振り抜かれた。即頭部に直撃され、ヒデブ!? と声を上げながら窓ガラスに激突する薫。反動で跳ね返り、倒れたところにちょうど舞が立っていた。
「きゃーん。パンツの中見られたぁ」
「なんで短パン穿いてるんだー!?」
 薫の悲鳴はクラスメイトの渦の中へと消えていった。


 ◆ ◇ ◆
 

「酷い目にあった」
「ほんとだね」
 顔のところどころに絆創膏を貼る薫は、ジト目で諸悪の根源であるはずの舞を見た。机に頬杖を付いて自分を眺めている様は、絵になっていると薫は思う。黙っていれば美少女以外の何者でもないのだ。既に学年最強とまで噂されている。
「ん?」
 薫はそこで違和感に気づく。舞の雰囲気が朝のてんてこMAIとは異なっている。落ち着き、慈愛の目で薫は包み込まれているような感覚を得ていた。
「お前、何番目だっけ?」
「今は六番目の舞だよ」
「そっか。何人いるんだっけ」
「十人の舞が住人なの」
 そう言って、舞は微笑んだ。
 黄金崎舞には十個の人格が存在する、と本人の弁だった。真偽は薫には分からないが、この現実から少し離れた世界を見ればそこまで驚くことではない。アルの存在から始まってまた一つ不思議が増えたと薫も割り切っていた。
「おー、舞。今日も元気か?」
「アルさん。本日もお可愛いです」
 口調は一気に大人しくなる。薫がいままで『出会った』人格はオリジナルらしいてんてこMAIの他は三人。六番目と八番目と九番目だ。八番目は相手を素手で殺せそうな声音を出し、九番目は相手を素手でくすぐり殺せるような声音を出していた。実際にできるかは薫は試す気になれない。
「私、このクラスになれて嬉しいです。皆さん優しいですし、アルさんはお可愛いですし、琴音さんは美人ですし、薫さんは……その、格好いい、です」
 何故か自分のことを言う時だけ言いよどむ舞に首をかしげる薫。顔を見てみれば、心なしか赤くなっていた。
「風邪でも引いてる? 顔赤いけど」
「え、あはは……なんでもないですよー」
 急にきゃぴきゃぴな動作で立ち上がる舞にまた驚いて動きを止めてしまう薫。そのまま舞は教室の中心に飛び込んでいく。そこに群がる男子諸君。
「やーん。制服の前ボタンが取れそうで困っちゃう! どうしようどうしようー」
「私がボタン代わりにおさまります! その胸へと!」
「私が!」「俺が!」「この僕が!」
 いっそ全員入ればいい、と思いながらまた突っ伏そうとすると、琴音がじっと薫を見ていた。
「え、何?」
「別に」
 言葉とは裏腹にコンパクト六法が鳩尾へと飛んでくる。蝶が舞うようなスピードに付いて行けず、衝撃は薫の体を九の字に曲げた。床に膝をつき、頭を床につけんとする前傾姿勢。朝ごはんを再び飲み込もうと頑張る薫の耳にアルの声が届く。
「どんかんだなぁ、お父様は」
 自分の席に戻る琴音から離れて薫に近づいたアルは、そのまま倒れ伏す薫の耳元に近づいていた。薫には見えないが、吹きかかる息を感じ取る。
 別の意味で何か達しそうな予感を振り払い、薫は声を絞り出した。
「何が、だよ」
「秘密ー」
(結局は俺をからかいたいだけか!)
 軽快な足取りで離れていく。その音が止まったと同時に教室の扉が開く音。
「さー、今日も一日楽しく始めキーンコーンカーンコーン」
 担任の荒木が話し終える前にチャイムが鳴る。てんてこMAIしていた舞や他の男子も自分の席に戻っていった。
「さあ、今日も一日がんばりもーん!」
『もーん!』
 舞の号令に従って生徒達が起立する。朝の通過儀礼を聞きながら、薫は床と友達になりながら思っていた。
(やっぱり可愛いけど嫌だー!!)
 黄金崎舞。通称てんてこMAI。多重人格の舞。
 後に薫組と呼ばれる集団の特攻隊長であった。


 薫の学生生活は第三話にも続く。
Copyright (c) 2012 sekiya akatsuki All rights reserved.