『翼』





 エニルがその事を意識したのは『翼人(よくじん)』の年齢で五歳の頃でした。

 お父さんと二人でお話をしているとき、エニルは自分の姿とお父さんを見比べてみたの

です。

 お父さんは銀色と髪と同じ色の一対の翼。

 対してエニルは灰色の髪と白い色の片翼です。

 ただ、着ている薄緑のローブは大人も子供も関係ありませんでした。

 暖かいときも寒いときも、そのローブは翼人を守ってくれるのです。

 エニルはローブの一箇所から突き出している翼を見るために顔を後ろに向け、そのまま

その場でくるくると回転し始めました。

 それは翼の確認というよりも、遊んでいると言ったほうが近かったでしょう。

 しばらくしてその遊びにも飽き、それと同時にエニルは疑問に首を傾げました。

「おとうさんのせなかのつばさは、どうして二つもあるの?」

 お父さんは少しだけ寂しそうな顔で笑うと、エニルの頭を優しく撫でてあげました。

 エニルは頭を撫でられると何か落ち着かなくなってしまって、ふふ、と笑みをこぼしま

す。お父さんは手を動かしながら言います。

「エニルもあと五年経ったら分かるよ。翼人は十だけ歳を取ると大人になる準備が出来る。

その時に、背中の羽がちゃんと一対になるんだ」

 エニルは背中の羽をもう一度見て、自分がお父さんと同じような翼を持つことを想像し

ました。

 今はただの白い、片方だけの翼。

 それが銀色になり、もう一枚付いて、空を飛べるようになることを想像しました。

「……かっこいー! 僕、早くおとなになりたい!」

「はは。それまではいい子にしているんだよ?」

「はーい!」

 エニルの笑顔に満足して、お父さんは頭から手を離すと歩き出します。

 自分から離れていく背中に生えている羽を見ながら、エニルはうきうきとする自分を抑

えられませんでした。

「早く大人になりたいなぁ」

 銀色の羽を目指して、エニルは大人になることへの思いをはせていたのでした。



* * * * *
 少しだけ時間が流れて、エニルは十歳になっていました。  初めて大人になるということを感じた時から、ずっと銀色の翼を背中に持つ事を考え続 けてきたエニルは、ある日お父さんに言われました。 「エニル。君はこれから『人間界』に行くんだ」 「『人間界』に?」  エニルは少し驚きました。 『人間界』という所には『人間』という種族が住んでいる事。  大人の翼人はそこに行って、自分達が持っている力を分け与えてくる仕事をしている事。  十歳になるまでにエニルは大体の事を習っていたので、理解はしています。  しかし、まだ大人になっていないエニルが行くなどというのは初めて聞いたのでした。  そしてエニルが驚いたのはそれだけではありません。 「僕はどうやって戻るの? 翼が一枚じゃ、飛べないんだよ?」  翼人の翼は一枚では飛べませんでした。  もともと彼らの世界と『人間界』は離れた場所にあるらしく、その間を飛び越えるため に翼が必要だったのです。  エニルが勉強をして得た知識では、どうやら一枚の翼でも『人間界』には行けるようで すが、自分の力で戻ってくるのは出来ないようでした。 「お父さんが迎えにきてくれるの?」 「いや。お父さんはいかないよ」 「……なら、どうすればいいの?」  エニルは泣きそうな気持ちになりました。 『人間界』に行けば翼人はいません。  知っている仲間がいない中に一人でいることを想像して、エニルは目に涙を浮かべます。  しかしお父さんの掌が頭に置かれることで、涙を流すことはありませんでした。 「いいかい。これから言うことをようくお聞き? エニル。君はこれから大人になるんだ」 「大人?」  突然出てきた言葉。  それは五歳の時から思い描いていた言葉。  エニルは急に自分が元気になった気がしました。 「君は『人間界』で『お母さん』を探すんだ」 「『おかあさん』?」  お父さんはエニルにゆっくりと説明をします。  翼人は『人間』の中の『女の人』との間に生まれる子供だということ。  その女の人を『おかあさん』と言うこと。  生まれた翼人は十歳になるまで翼人の世界で育てられること。  十歳になって『人間界』に降りてお母さんに逢い、そうすると大人になるということ。  ゆっくりと、ゆっくりと説明をしました。  エニルはゆっくりとゆっくりと、お父さんが説明してくれる言葉を分かるよう努力しま した。しかし、お父さんがその話の合間に見せる寂しそうな顔も気になっていました。 「分かったかい? 『人間界』に付けば、君の翼がお母さんの所へと連れていってくれる。 お母さんに逢えば、君は大人になる」 「――そうなんだ! 分かったよ〜! 僕、行ってくる!!」  大人になることの嬉しさと、自分が知らない『おかあさん』というモノへの好奇心が、 エニルの顔を赤くします。早く行きたいという思いによって動く体を、お父さんが静かに 包み込みました。  最初に両腕が。  次に銀色の羽が。  エニルはお父さんの羽の匂いが好きでした。  鼻や口から吸い込む匂いは、体の中を綺麗にしてくれるように感じるのです。 「いいかいエニル。お母さんに逢ったら、『お父さんは元気です』と言ってくれるかい?」 「? うん。分かった! 『お父さんは元気です』!」 「……さあ、ついて来なさい」  お父さんはエニルから体を離して、手を取りました。  お父さんの掌は大きくて、暖かくて、エニルはとても安心します。  翼人の大人達が『人間界』へと行く時に通る場所へと向かう間に、エニルは『おかあさ ん』のことを考えました。  エニルや他の翼人の子供は、自分達の事や『人間界』の事を勉強します。  でも『おかあさん』のことや、大人になる方法は初めて聞いたことだったので、エニル は自分が急いで『人間界』へと行きたがっていることに気づきました。 (今まで教えないのは、きっと教えちゃったらみんながすぐに行きたがるからかな?)  エニルはお父さんと繋がっていない手を口元にあてて笑いました。  しばらくして『人間界』へと繋がる場所へと着くと、エニルは緊張してきました。  そこは大きな湖なのですが、中心に向けて水面が流れていきます。中心部分はうっすら と光が昇っていて、お父さんがそこに飛び込んでいくのを何度もエニルは見ていました。  緊張するエニルをお父さんが抱きかかえ、光の柱へと飛んで近づきます。そして柱を目 の前にしたとき、エニルの緊張は最も大きくなって、体が固まってしまいました。  無理もありません。エニルには初めての『人間界』なのです。  頭ではどんな所か分かっていても、やはり不安なのでした。  お父さんはそんなエニルの頭に手を置いて言いました。 「いってらっしゃい」  それは魔法の言葉です。  エニルの緊張は、その言葉によって溶けてなくなってしまいました。そして笑顔をお父 さんに向けて、彼の中から飛び出します。 「いってきます!」  そのままエニルは、光の柱の中に飛び込んでいきました。  少しだけ頭がふらふらとして、目の前が真っ白になった後で、エニルは自分が立ってい ることに気づきました。  いつの間にか閉じていた目を開くと、そこは森の中でした。  自分がいた場所にもあった大きな木がたくさん並ぶ場所。  エニルは最初、『人間界』には来れなかったのではないかと思うほどでした。  でも空気の匂いが違うことに気づいて、ようやく自分が『人間界』にいることが分かり ます。翼人の世界の空気は透き通った匂いなのですが、『人間界』の匂いは少し胸が苦し くなるのです。 「どこだろう……」  呟いてみると、頭の中におぼろげな風景が浮かびました。そしてなんとなく進む方向が 分かり、歩いていきます。  エニルには背中の翼が道を教えてくれているんだと分かりました。  お父さんが言っていた言葉通りです。  最初は気づきませんでしたが、森の中には道がありました。草が生えているところとそ うじゃないところ。はっきりと分かれているのです。  まるで、草木が自分が歩く道を作るために避けてくれているようにエニルは思い、笑い ます。頭の中にはまだ見ない『おかあさん』のことが浮かびました。 (やっぱりお父さんみたいなのかな?)  人間と翼人はほとんど同じ生活をしているということを聞いていたので、エニルはさほ ど自分達と違わないだろうと思っていたのでした。  やがてエニルの視線の先に一軒の家が見えてきました。翼人の家とさほど変わらないそ の家は、赤いれんが作りの家です。煙突からは煙が出ていて、何か食べ物を作っているの かもしれません。  エニルはそこに『おかあさん』がいると思い、走り出しました。  途中で何度か転びそうになりましたが、無事に家の前までたどり着いて、ドアを叩きま す。中から声が聞こえて、ドアがゆっくりと広げられました。 「どちら様ですか?」  出てきたのは顔立ちが小さく整った『人間』でした。  栗色の長い髪を頭の上で縛り、垂らしています。翼人が着るような薄緑のローブではな く、上下に分かれた服を着ていました。  エニルはすぐにこの『人間』が『女の子』なんだと思いました。そして走ってきたため に乱れた息を整えることも惜しいといったままで、言ったのです。 「『おかあさん』!」 「……君は翼人なんだね?」  その『女の子』の言葉にエニルは頷きます。すると『女の子』は少しだけ寂しそうな顔 をして、エニルの手を取りました。 「君の『お母さん』はこの中にいるよ。いらっしゃい」 「うん!」  エニルは言われるまま、手を引かれて家の中に入ります。その時に見た『女の子』の顔 は、お父さんがたまに浮かべる顔と同じでした。でも『おかあさん』に逢えることに頭が 一杯のエニルはそれに気づかなかったのでした。 『女の子』は家の中で、入り口から一番奥にある部屋へとエニルを連れてきました。  その扉をゆっくりと叩きます。 「おばあちゃん。あなたの『こども』が来ました」  扉の向こう側に『女の子』が言った言葉は、エニルの頭の中にあるのとは違う物でした。 「違うよ。『おかあさん』を探しているんだよ」 「ごめんなさいね。あなたの『おかあさん』よ。この扉の奥にいるのは」 『女の子』は申し訳なさそうに笑い、目を伏せます。扉をエニルのために開き、戸に隠れ るように立ちました。  エニルはゆっくりと部屋の中に入ります。  部屋の中は衣服を入れるタンスと、火を起こすための暖炉。  そして、ベッドがありました。  そのベッドの上で、体を起こしている『人間』を、エニルは見つけました。 「『おかあさん』?」 「あなたが……アスファの子供ね?」 『人間』はエニルの父親の名前を言いました。そのことで、エニルはこの『人間』が『お かあさん』なのだと強く思いました。走って傍に寄って、叫ぶように言います。 「『おかあさん』!」 「よく……来たわね」 『おかあさん』はお父さんに比べると体も小さく、どこか弱弱しさがありました。  顔には多くのしわがあり、体の線も細く、どうやら動くこともうまく出来ないようです。  ただ、着ている物は翼人の服装に似ていました。薄緑の、上下が連なった服です。  エニルは心配してたずねます。 「『おかあさん』、大丈夫? どこか具合でも悪いの?」  エニルはお父さんがたまに青い顔をしてベッドに寝ている時の事を思い出しました。  それは病気によるもので、『おかあさん』もきっと病気に違いない、とエニルは思った のでした。しかし『おかあさん』は笑顔を作ると首を横に振りました。 「大丈夫よ。少し……疲れただけだから」  ベッドに寄りかかるようにしているエニル。  その頭の上に『おかあさん』は手を乗せて、ゆっくりと撫でます。  エニルはお父さんに頭を撫でられているような気持ちになりました。 「お父さんに撫でられているみたい……」  目をとろん、とさせて言うエニルに『おかあさん』は微笑みます。その笑みは少しだけ 寂しそうにエニルを見ていました。 「さて、あなたがここに来たのは大人になるためですね」 「う、うん! お父さんは『おかあさん』に逢えば大人になれるって言ったんだ!」 『おかあさん』は大人になることに期待を隠し切れないエニルをじっと見た後で、首の後 ろに手を回しました。ゆっくりと『おかあさん』の胸の中に顔をうずめるエニル。 「あなたはこれから大人になります。その前に、分からないかもしれないけれど、聞いて おいてね」 「うん」  エニルの頭を撫でながら、『おかあさん』は言います。 「翼人の翼はね、それぞれお父さんとお母さんの想いで出来ているの。あなたの翼も、片 方はお父さん。そして、もう片方は私。最初はお父さんが、あなたが十歳になるまでたく さんの愛情を与えながら育てるの。そして、その後で私があなたにあげるのよ」 「何を?」 「愛情と、人間の記憶」  エニルは『おかあさん』が何を言いたいのか分かりません。しかし、何かとても悲しい 話になるのではという不安が心をよぎり、泣きたくなりました。 「翼人はね、人間にささやかな幸せを与える者達なの。何気なく生きている中で、ほんの 些細な幸せ。ただ、それを感じることで『生きていてよかったなぁ』と思えるような幸せ を人間に感じてもらうのが、翼人のお仕事なのよ。人間が幸せを感じることで翼人は力を 貰い、その力を使って、翼人は人間に幸せを感じてもらうの」 『おかあさん』は一度言葉を切って、深く息を吐きます。  とても疲れているように見える『おかあさん』を、エニルは心配そうに見つめます。 「だから、翼人は人間を愛しなければいけない。愛されなければいけない。でも翼人は人 間のいる場所には長い間いることは出来ないし、人間は翼人の世界にはいけない。だから、 別れてそれぞれ子供に愛情を与えるの」 「『おかあさん』?」  エニルは言葉に表すことが出来ない怖さに体を震えさせます。その震えを止めるためか、 『おかあさん』は少しだけエニルを強く抱きしめました。それは弱弱しくて、注意しなけ れば分からないような強さの違いでした。 「翼人との間に子供をもうけた女の人は、寿命が尽きるまで死ぬことはないの。それはね、 子供に自分の命と引き換えに、自分が育んできた記憶と、愛情を与えるため……」  死。  エニルはその言葉だけは知っていました。  生きているモノ全部に当てはまることで、エニルは『ずっと眠っていること』だと聞か されました。最初はただ寝ているだけなんだと思っていましたが、ずっと寝ている自分を 想像して怖さに震えたことが、エニルにはありました。  心の中に生まれて、大きくなっていく不安。  エニルは思わずうずめていた胸から顔をあげて、『おかあさん』の顔を見ました。 「『おかあさん』!」 『おかあさん』は笑っていました。  笑って、エニルに問い掛けました。 「アスファは元気だった?」  エニルの中で、『おかあさん』がとても速く弱っていくことが分かりました。もしかし たら『おかあさん』は死んでしまうかもしれない、眠ったまま起きなくなるかもしれない という不安がエニルを飲み込みました。  だからこそ、エニルは言いました。 『おかあさん』を助けるために。 「『お父さんは元気です』!」  その瞬間、『おかあさん』の体が光り出し、同時にエニルの翼も広がりながら光を出し ていきました。エニルは何が起こっているのか分からずにおろおろと自分の背中と、『お かあさん』を見ることしか出来ません。  光の中で徐々に輪郭を失っていく『おかあさん』は、エニルに笑顔を向けました。  そこでエニルは気づいたのです。  自分の言った言葉が、『おかあさん』の背中を押してしまったことを。 「エニル。私の子供。あなたはこれから生きていくけど、たくさんのことを考えるでしょ う。でもね、これだけは忘れないで。あなたを形作っているのは、間違いなくアスファと 私の愛情なのだから……それを、最初に考えてね」  言葉と共に、エニルは頭の中がとても綺麗になっていくように感じた。今までは霧がか かったようにぼんやりとしていたものが、よく見えるようになる。  それは『おかあさん』が今まで生きてきた中で得た経験や、知識がエニルの頭の中に入 って行くからでした。 「おかあさん……」  すでにエニルは理解していました。  もうすぐおかあさんは死ぬ。  翼人の、自分のためにおかあさんが死ぬと。 「――お母さん!」  まぶしい光の中でかすかに見えるお母さんの顔。エニルの呼ぶ声に、その顔は今までの 悲しみが混じった笑みではなく、満面の笑みが浮かんでいました。 「お母さんはね。もう寿命なの。翼人と人間の時間の進み方が違うから、あなたは十歳で も、私はもうお婆ちゃんなのよ……だから、気にしてはだめ」  光の中に消えていくお母さんに、エニルは手を伸ばします。かすかにまだ弾力がある体 をエニルはゆっくりと腕で覆いました。 「お母さん……やっと逢えたのに……もうお別れなんて」 「誇らせて頂戴。あなたに人間の愛情を与えて、私は死ぬことが出来るんだから。翼人の 加護のおかげもあるでしょうけど……幸せな人生でしたよ」  額に触れる軟らかい感触。  それを最後に、エニルの腕の中から、お母さんは消えてしまいました。徐々に光が消え ていくと、その光はエニルの背中に集まっていきます。  行方を追ってエニルが目を向けると、光が翼の形を取っていきました。  やがて現れたのは銀色の翼。いつのまにか最初からあった翼も銀色に染まっています。  完全に光が消えた時、エニルは自分の頭の中に様々な知識があることに気づきました。  翼人として教えられてきた記憶と。  人間が歩んできた記憶と。  特に人間の歩んできた歴史はエニルにはとても恐ろしいもので、体を抱えて震えてしま います。 「ううう……お母さん……」  しかし、その震えを止めたのは、後ろから自分を包み込む一対の翼でした。  エニルの意思を離れて彼の体を包み込んでくれる一対の翼。  そして、その翼の中に、エニルはお父さんとお母さんの姿を見ました。  暖かい気配に包まれて、震えを止めるエニル。  そして柔らかな笑みが自然と浮かんできます。 (お母さんはここにいます。あなたの傍に)  エニルは自分が優しく、暖かな愛情に包まれていることに気づきました。  お母さんが生きている間、愛情を忘れずに過ごしてきた事。  お父さんが今まで、自分に愛情を常に与え続けてきてくれた事。  それはとても尊い事。  それはとても誇らしいことなのだと、エニルは気づいたのでした。 「お婆ちゃん。いってしまったのね」  振り返ると、そこには先ほどの少女がいました。  今のエニルには、その人間が少女だということも、おそらくお母さんの孫という人なの だということも分かります。  エニルはうっすらと目に溜まっていた涙を拭きました。 「今まで、お母さんを助けてくれてありがとう」 「私にとっても、大切な人だったから」  少女の目にはやはり、うっすらと涙がありました。きっとドアの外で涙をこらえていた のでしょう。  そう思うと、エニルは少女の傍へと寄り、頭を撫でてあげました。身長が足りないので 少し背伸びをする体勢になりました。 「あなたに、ささやかな幸せを」  エニルが大人になって最初の仕事。  それはとても誇らしい事なのだと、エニルは胸を張りました。 「……ありがとう」  少女は満面の笑みを浮かべていました。それはおそらく、エニルのお母さんに撫でられ た時と同じような感覚なのだと、エニルは思いました。 「さよなら」 「うん。……さようなら」  少女に見送られながら、エニルは歩き出しました。家が見えなくなるまで歩き続けた後 で、彼は一度振り返り、下を向きます。  何かをしばらく考えるようなそぶりをしていましたが、ふと視線を上に向けました。 「いこう。お母さん」  ゆっくりと、翼が広がっていきます。  そして一度。二度。三度と翼を動かすと共に、エニルの体は宙に浮いていきます。  六回ほど翼を動かしてから、エニルは大空へと羽ばたいていきました。銀色の翼からは きらきらと光の粒が散って地上へと落ちていきます。  光の雨を降らせながら、エニルは彼の世界へと戻っていきました。  そして今日も、翼人は人々にささやかな幸せを分け与えているのでした。  そのたくさんの愛情が詰まった銀色の翼を背に広げて……。 『完』

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