湖上清彦は眩い光の中にいた。
 全てが、光に包まれている。そして、その向こう側からは人々の歓声が。
 心の奥底から湧き上がってくる興奮。
 それは、清彦が長い間、それこそ幼い頃から求め続けてきたものだった。
(俺はここにいる。やっとたどり着いた)
 清彦は光と歓声の中心、ステージの真ん中で顔に満面の笑みを浮かべた。
(俺の追い求めていた夢が、今、叶う)
 夢。
 清彦が追いかけていた夢。
 それはミュージシャンになること。
 清彦は、そこに到達した……。


『Dream to new world』
                  〜空よりも近い夢〜



 湖上清彦はベットの上に寝転んで手に持ったはがきを眺めていた。
 面には清彦の家の住所。
 そして裏には大学の合格通知だった。
 一方には地元の、中堅レベルの大学。機械工学系の大学で、清彦が前から行きたかった大学である。
 そしてもう一つは……。
「まさか、本当に合格するなんてな」
 清彦は自嘲の笑みを浮かべた。
 はがきには、清彦が地元から遠く離れたミュージシャン養成音楽スクールに合格したと明記されていた。
 受かるなんて思っても見なかった。
 確かに昔から音楽活動に憧れ、高校までバンド活動などを地元で行ってきた。
 しかし、活動すればするほど自分の力量と目指す場所の差がはっきりと身に染みてきて、その内に諦めていた。
 今回もバンドの仲間から記念に受けてみれば、と言われたから受けてみたのだ。
 そして今、清彦は思わぬところから昔からの夢への階段に、足を踏み出しかけている。
「でも、駄目だよ」
 清彦ははがきをベットの下に落すと両の腕で顔を覆った。まるで今の顔を誰にも見せたくないかのように。
「今更、夢なんて……」
 呟くと共に階下から親の声が届いた。


「清彦おめでとう」
「やったな、清彦」
 清彦の大学合格に、当人よりも興奮している父と母。
 そのテンションにあわせながら清彦はどことなく居心地の悪さを感じていた。
(どうしてこんなに居心地が悪い?)
 清彦にもわけが分からなかった。
 念願の大学には入れたというのに、今までいろいろと迷惑をかけた親にもこれで少しは恩返しができたと思ったのに。
 どうしてこんなにも心がざわめくのだろうか?
「今日はお寿司を頼んだわよ。盛大に祝わないとぉ」
「本当だ。清彦、もうすぐ届くからお前もテーブルについとれ」
「……ああ」
 清彦は心の陰鬱さを何とか隠してテーブルについた。
 それから数分して夕食が開始されたが、清彦の心は浮かないままだった。


『合格おめでとう、清彦!』
「お互いにな、香奈」
 夜、いつものように清彦は彼女である桐嶋香奈に電話をしていた。
 相変わらず心は晴れてはいなかった。
『……どうしたの? 元気ないけど』
「ん? ああ、実は……」
 付き合い始めて一年。清彦は香奈には隠し事ができないことを知っていた。
 声の微妙な変化を香奈は見抜いてしまうのだ。
 だから清彦は初めて会った中学生の時から何度か悩みを打ち明けていた。その結果、今の関係があるのだろう。
『清彦、夢が叶うじゃない! どうしてそんなに元気ないのよ?』
「……俺には自信がない」
 清彦は弱音を吐いた。2月の夜気はストーブをつけている部屋にも滑り込み、清彦の体を振るわせた。
「それに、みんなと離れるのが嫌なんだよ。あんなにいい奴等、そういないからな。それに……」
 清彦はここで一泊置いた。
「香奈と離れるのは嫌だよ」
 電話の向こうで香奈が息を飲むのが聞こえた。清彦の突然の言葉に驚いているようだ。
「だから俺は……」
『嫌いだよ』
 清彦が先を続けようとしたとき、香奈が鋭い口調で言ってきた。
『そんな清彦、嫌いだよ』
 聞こえてくる言葉に清彦は言葉を返せない。
『中学の頃、自分でミュージシャンになるって言ってたじゃない。そう言ってる時の清彦、一番かっこよかったんだよ』
 清彦は気づいた。香奈の声が涙声になっていることに。
『遠くに行っちゃうのは寂しいけど、夢を追いかけてた清彦がいなくなるのはもっと嫌だよ』
 電話の向こうで香奈が嗚咽を洩らす。清彦は電話越しに何も声をかけることができなかった。
(俺の、夢……)
 結局。どちらからともなく電話を切る。
 清彦は部屋に戻るとベッドに倒れこんだ。
 それは甘美な誘惑だった。
 とりあえず、眠れば考えなくてすむ。
 考えるだけで頭が破裂しそうだ。
 清彦は結論を出す事を避け、そのまま眠りについた。


 日々が過ぎていく。
 後は、卒業式に出るだけでいいので基本的に暇な時間ができる。
 受験勉強でたまっていた鬱憤を晴らすかのように清彦は仲間と遊びに興じた。
 清彦は無論、それだけではなかったが。
「春からまたよろしくな、清彦!」
 カラオケの席、隣にいた友人がそう声をかけてくる。
「そうだぜ! 何せ俺ら中学からの仲間だからな。まさか大学まで一緒とはな」
「大学行ってもバンドは続けような」
 中学からの、古巣の友達。バンド仲間でもある。
 こいつらと、香奈。
 絶対離れたくはない。離れたくはない、はずなんだ・・・・・・。
「俺、多分同じ大学は行かないよ」
 皆の動きが止まる。
 場の空気が冷えていくのを清彦は自覚した。
「俺、ミュージシャン養成スクールに行くと思う」
 言い出すはずのない言葉。
 しかし清彦の口は自然とその言葉を口に出していた。
 友人達は黙っているしかなかった。


 遂に卒業式が終わる。
 清彦は欠伸をかみ殺しながら長い話を聞いていて、そう思った。
 あれ以来、カラオケで宣言した時以来友人達とは会ってはいなかった。
 今日会ってもどこかよそよそしげだった。
 そして香奈とも。
(俺は皆を裏切ったんだからな。当然だ)
 親に行くと言った時、最初は驚愕していたが、すぐに認めてくれた。
《お前の人生だしな。責任を持てよ。でも、疲れたらいつでも戻って来い。ここがお前の帰る場所だ》
 また親には迷惑をかける。
 しかし最高の両親だと思って泣いてしまった。
(全て、殆ど全てをなくしたな)
 残ったのは親の愛情と、自分の夢だけ。
(でも夢を追い求めるって事はそういうことかもしれないな)
 そして、卒業式が終わった。


 卒業記念のクラス打ち上げの時間を聞いて清彦はすぐに学校を出た。
 校門を出た辺りで香奈達を見つける。
 清彦はばつの悪い顔をして立ち止まった。
「清彦……」
 清彦は身構えた。これから来るとされる辛らつな言葉に対抗するために。
 しかしそれは外れた。
「寂しくなるな」
「え?」
 清彦は呆気に取られたまま香奈達を見る。
「でも、これで清彦がビックになったら凄くねぇ? サイン貰っとくか」
「俺達が最初のファンだな」
「お前等……」
 清彦は目頭が熱くなるのを感じた。
「俺を許してくれるのか?」
「許すも何も」
 香奈が一歩前に出て清彦の前に立つ。
「清彦の夢なんだから、邪魔する気なんてないよ」
 そして姿勢を正してから言葉を続けた。
「夢を追いかけるって事はいろいろと犠牲にしなきゃいけないけど、捨てるって事じゃないよ。
 胸の内にしまっておいて、いつでも取り出せるようにしておくんだよ」
 香奈の笑顔が、清彦にはとても眩しかった。
「それに、夢なんて存外遠くじゃないさ」
「そうそう、空よりも近いよ」
「俺らの友情の方が近い」
「……そうだな!」
 清彦は胸のつかえが取れていった。
 久しぶりに心から笑う。
 そしてみんなの肩を掴んで歩きだした。
 何を恐れていたのだろう?結局、自分ひとりで悩んでいただけだったのだ。
 別れてしまう道だけど、自分達の絆は切れない。
 そんなあたりまえの事を何故信じる事ができなかったのか?
 結局、別の道を行く事が不安だっただけなのだろう。
 五人で高校を横切る。
 校内に生えていた桜の木から花びらが舞っていた。
 三年間見てきた中で、一番綺麗だった。
「さよならは言わないぜ」
 誰かが、そう言った。清彦には最後まで誰かは分からなかった。


「……この曲は昔組んでいたバンドの仲間と作った曲を俺がアレンジしたものです」
 清彦は眼前の、大勢の客に言う。
「それでは聞いてください。『Dream to new world〜空よりも近い夢〜』」
 曲が流れ始める。その中で清彦は考える。
 夢はまだ途中だ。
 終わりがあるかも分からない。
 でも、この絆があれば乗り切れる。
 最高の友人達を思いながら、清彦は歌詞を口にした。


『Dream to new wolrd〜空よりも近い夢〜』  了


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 あとがき
 どもども。久々短編の紅月赤哉です
 卒業シーズンだったので書きました。
 夢を求めるのは美しい響きだけど難しいですな。
 ぜんぜん僕は追い求めてません(汗)
 ではであ〜。




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