『星の話』


「ねえ、綺麗だったよね。たくさんの星……」
「ああ、綺麗だったな」
「わたしが生まれ変わったら、その一つになれるのかなぁ」
「なれるさ」
「そうかなぁ……」
「昴……?」
「……」
「昴……?」
「……」
「昴!」
「……」
「すばるぅ!!!!!」




「星が見たい」
 昴は包帯が巻かれた目に手を当てながら言った。
「その目が治れば見えるさ」
 俊夫は内心の悲しさを押し隠して昴を励ます。
 その瞳に光が宿る事を信じて。
「でもいつ治るのかな? もう生まれてからずっと見えないのに」
「先生も言ってるだろう。医学技術も進歩して、もうすぐ見えるようになるって」
「でもそう言われ続けてもう何年も経ってるんだよ? もう見えないのかな。あの話みたいに」
「……見えるさ」
 俊夫は今更ながら『あの話』をした事を後悔した。
 ただ昴を励ましたかった。
 生まれてからすぐに光を失った目を持つ羽目になった妹。
 絶望し、何度も命を絶とうとした妹を俊夫は救いたかった。
 空は青や赤の色をする。
 草は鮮やかな緑色で、海は空の色を映して青く澄んでいる。
 そして、星。
『星は人々の命の輝きが空に映っている』
 その話を見つけたのはいつだっただろうか?
 街の本屋で偶然見つけた子供向けの童話。
『その輝きの強さはその人が持っている《生きる力》』
 現実的には本当に荒唐無稽な内容だった。でも、不思議とその本からは《生きる力》が感じられたのだ。
『全ての命はやがて燃え尽き、空へと帰ってまた輝き出す。永遠の輝きを』
 心を打たれた。
 普通に、昴という普通の人とは違う苦しみを背負っている僕でもここまで元気付けられた。
 昴はより生きる力が出るかもしれない。
 俊夫はすぐにその話を聞かせた。

『星の話』

 シンプルな題名のその本を、昴は毎回俊夫に読むようにせがんだ。
 日に日に生きる力を取り戻していく妹。
 その姿に俊夫は喜びを覚え、何度も何度も話を聞かせた。
 その結果、昴の視力に対する渇望は抑えきれないものになり、逆に絶望しようとしている。
「私の星はどんな輝きをしているんだろう?」
 それが昴の口癖になった。




「妹さんは助かりません」
 医者の言葉は残酷だ。わざと冷たく言う事で、現実の辛さを身内に早く認識させようとでもしているのか。
「どうしてですか?」
 尋ねる俊夫の心は妙に冷めていた。
 どこかで「やっぱりな」と呟く俊夫がいた。
 両親はいない。
 身内もいない。
 俊夫達は孤児だったのだ。
 昴の事を聞くのは俊夫しかいなかった。
「現代医学ではもう彼女の病気は治せないのです。もって半年でしょう」
「……」
 無言で胸倉を掴んだ俊夫の手を先生は外さなかった。
 先生も震えていた。
 自分が昴を救えない事を心底悔いている。
 俊夫と先生はしばらく同じ体勢でいた。
 このまま時が止まればいいのにと、俊夫は思った。
「……昴の目は、見えるようにならないんですか?」
「手術すれば、見えるようにはなるだろう。だが、その影響で寿命を縮めてしまうかもしれない」
「……私はそれでもいいな」
 振り向くと昴がいた。その顔はこれから待つ死への恐怖で青ざめていたが、壁を伝っている手には力がこもっていた。
 少しでも希望へと向かおうとする力。
 それこそ《生きる力》だった。
「どうせ死んじゃうんなら、わたし、星が見たい」
「昴……」
「せっかく『昴』なんて星の名前がついてるんだもの。わたし、星が見たい」
 よろよろと俊夫にしがみついた昴の手はしっかりと俊夫の服を握った。
 俊夫は悟る。
 妹の『世界を視る』事への思いはどんなものよりも深いということに。
「先生、手術をお願いします」
「……分かった」
 医師は拒絶しなかった。彼もまた知っているのだ。
 今は患者の意志を優先しなければいけない状況だという事に。




 草原。
 夜の帳が下りてきて、やがて辺りは光を失った。
 青い空気の中で、草も木も息を潜めている。
 徐々に空に浮かぶ星々。
 俊夫は空を見上げながら思った。
(なんて綺麗な夜空なんだろう)
 この場所を教えてくれたのは医師の先生だった。
 周りは草原。
 前方の、少し離れた場所には普通に街並みが見える。
 しかし家の灯りが星の瞬きを邪魔する事はなかった。
「涼しいね」
 昴が発した言葉に俊夫は我に返った。
「ああ、そうだな」
 車椅子を握る掌に力がこもる。次に言う言葉は俊夫に苦痛を与えた。
「今年の夏ももう終わるな」
 今年の夏。
 そして妹がおくる最後の夏になるだろう。
 目頭が熱くなった。
 今にも泣き出してしまいそうになる。
「今、空はどんな感じ?」
 昴に気付かれないように呼吸を整えてから俊夫は言う。
「綺麗だよ。だんだんと星の数が増えてきた」
 実際、星の数は急激に増していった。俊夫は気付く。
(街に、こんなにたくさんの星があったか?)
 この場所から見る星空は、いつも見ていた星空とはまるで違っていた。
 いつもは見ることのない星全てが今、この瞬間に全て終結しているかのように空は星で埋め尽くされていく。
 時刻はやがて午後十時を指した。
 昴が目の包帯を外し出す。
「これぐらい一人でやらせて」
 手を出そうとした俊夫の行動を読んだのか、包帯に触れる前に昴は俊夫をたしなめた。
 少しずつ包帯が外されていく。
 やがて包帯が昴の手の中から落ちた。
「……ああ」
 ゆっくりと開いた昴の瞳には光が宿っていた。
 そしてその瞳は確かに空を映していた。
 満天の星空を。
「綺麗……」
 改めて空を見た俊夫は更に感激していた。
 街の窓からの灯り。
 街の明かりと星空の星の明かりが一緒になって今見ている視界を全て埋め尽くしていた。
 この瞬間、何も聞こえない。
(ああ、この瞬間。こんなにも音のない夜があったか?)
 全ての音が聞こえない。全てが星の瞬きに集中していた。
「これが、外の世界」
 昴の声が音のない世界に木魂する。
「私が求めてきた世界」
 その声は弱々しく、今にも消え入りそうだった。
「私の星は……」
 ドサッ。
 我に返った俊夫が見たのは車椅子から落ちた妹の姿。
「昴!」
 慌てて抱え起こす。
 昴の命は既に限界だった。
 最後の、本当に最後の命の炎が消えていく。
(まだ、行くな!)
 言いたかった。
 叫んで、繋ぎとめるように抱きしめたかった。
 だがそれは、昴の覚悟を台無しにする事になる。
 最後まで毅然とした態度を取る事が、今の俊夫にできる最後の事だった。
「ねえ、綺麗だったよね。たくさんの星……」
「ああ、綺麗だったな」
「わたしが生まれ変わったら、その一つになれるのかなぁ」
「なれるさ」
「そうかなぁ……」
「昴……?」
「……」
「昴……?」
「……」
「昴!」
「……」
「すばるぅ!!!!!」
 昴は何も言わなかった。
 ただその顔に笑顔を浮かべていた。
 俊夫は今まで我慢していた物を全て吐き出して、妹を抱いて泣いた。
 風が吹く。
 俊夫の涙を、声を乗せて去って行く。
 草原に、世界に音が戻っていった。
 この瞬間、一つの命が天に昇ったのだ。




『星の話』

 その文字を軽く指でなぞりながら俊夫は空を見上げた。
 隣には妹の墓。
 ちょうどあの草原の近くに墓所があり、そこに何とか墓を作ってもらった。

『その輝きの強さはその人が持っている《生きる力》』

 あの瞬間、確かに昴の《生きる力》は最も輝いていた。
 あの時を俊夫は二度と忘れないと思った。

『全ての命はやがて燃え尽き、空へと帰ってまた輝き出す。永遠の輝きを』

 あの話の通りに昴の魂は空へと還っていったのだろう。
 そして永遠にその命の光を灯し続けるのだ。

(いつまでも、いつまでも……)

 俊夫は昴の墓の横に腰を下ろした。
 目の前に広がる草原の中にぽつりと立つペンションが見えた。
 ペンションの窓辺の明かりが一つずつ消えていく。
 やがて全ての光が消えた時、
 星の光だけが、いつまでも残っていた。
 いつまでも、いつまでも……。



 END


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 あとがき
 紅月赤哉でございます。
 夏の星をテーマにした今作品、どうでしたでしょうか?
 不意に浮かんだ話を書く癖のある僕ですがこの作品は本当にすんなり書けました。
 感想、できれば欲しいです。
 ではでは、またいつか。


 2001年9月3日午後九時十九分執筆終了
 作者・紅月赤哉




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