そこは古ぼけた質屋だそうですよ。 そこにはある噂が囁かれているんです。 何か物を売ったり買ったりするとその人は幸せになるって。 よくある都市伝説の一つ。 汗まみれで日々を過ごす人々の心が生み出した突拍子も無い噂ですよ。 何しろその店の場所が分からないんだからしょうがない、 え? 俺は信じているのかって? まさかぁ! 伝説は伝説でしょう? あ、そう言えばその店ではないと思うんですが奇妙な店がありましたね。 あそこまだあるのかなぁ? 店長さんが凄いいい感じのお爺さんで……。 なんて名前でしたって? 確か―― 『Love knot』 男は夜の街を歩いていた。日曜日の前日はやはり夜の街は活気づいている。 しかし男の表情は陰鬱で半死人のような顔だった。 男が前を通った時計店のウィンドウに飾っている時計は、十一時を指している。 つい先程まで降っていた雨が止んで、街は湿気と夏の暑さに包まれていた。 すぐ横を通っていった車が溜まっていた水溜りの水を跳ねて男のズボンにかかる。 同時に噴出された排気ガスに咳き込み、水の跳ねたズボンを見て悪態をつく。 足取りがしっかりしていないところから見ても結構な量の酒を飲んでいる事は明白だ。 「やってらんねぇ……」 男は吐き捨てるように言って路地裏に入った。 両腕はポケットの中に納まり、固く結ばれている。 さらに右のポケットには何かが入っているらしい。 ――しばらく男は路地裏を彷徨いつづけた。 今は何もかもから逃げ出したかった。 このままどこか遠くに行ってしまいたい。 どこか、誰も自分が知らない国へ……。 「どわ!?」 半分視界が潰れていた。酒による眠気が襲ってきて目蓋が下がってきた矢先だ。 男は置いてあったゴミ箱に足をつまづかせて倒れてしまった。 「い……ってぇな!」 起き上がってゴミ箱をさらに蹴る。 ふと見上げるとそこには建物があった。 「あんだ? こりゃあ?」 周りを見てみると大きなビルがあった。大都会の象徴のようにそびえ立つビルの間に挟まれて存在する、古びた建物。空襲時を乗り切ったかのように所々痛んだものだ。 「こんなとこにあるなんて物好きな建物だぜ」 男は入り口の少し上に掲げられた看板を見てみる。そこには達筆な文字が書かれていた。 「『黄金堂』」 声に出して読んでみる。 おうごんどう。 大層な名前だ。 (こんな古びたたてもんが『黄金堂』なんてもんかよ) 視線を横に向けてみると張り紙があった。読んで男は少し眼を輝かせる。 「そうか、ここは質屋か。ちょうどいい」 男は意気込んで入り口のドアを開けた。 「いらっしゃい」 中は意外と綺麗だった。各棚にわかりやすく分けられた商品。 ぱっと見た感じ、埃など見当たらない床。 指輪などの宝石類が飾られているガラスケースの向こうに、ここの主人らしき老人が座っている。 「あー、ここは質屋なんだな」 「はい。質屋『黄金堂』です」 「きん――どう?」 きんどう。 『黄金堂』と書いてきんどう。 おかしな名前だと思い、店内を見回してみた。すると一つの張り紙が目に付く。 「……毎週金曜土曜開店って、しゃれか?」 「いえいえ。先代から続いている事です」 (じゃあ、その先代がしゃれを?) なんとなく真面目にそこを追求したくなったが、酒に酔った頭は正常に働いてくれない。 しかも気持ち悪くなってきた。 「どうやら気分がすぐれない様子。トイレに行かれますか?」 「……すみ、ません」 男はそのまま奥のトイレに駆け込んだ。 「すみませんね……」 男と老人はカウンターの奥にある座敷に、座布団を引いて座っていた。 男の前にはお茶が置かれていて全て飲み干されている。 「いえいえ。人が困っている時は助けるのが普通です」 老人は皺が深く刻まれた顔を笑みで満たす。その顔は一般的に見れば醜いかもしれない。 でもそんな事は男は思えなかった。 とてもいい笑顔と思った。 「して、何を売るんですかね?」 老人は優しく男に尋ねた。酔いが覚めてきていた男は肩を落とし、しかしポケットから物を取り出した。 それはケースに入った指輪だった。 「……俺、昨日奥さんに離婚されたんです。そして結婚指輪を叩き返されて……。いつまでも持っていたら未練がましいから、どこかに売ろうと思ったんです。でも、いざ質屋に入ろうと思ったら怖くなって……夜までずっと質屋を転々としていたんです」 それから男はそんな自分が情けなくて自棄酒をしたと語った。 酒に酔ったいきおいならば、捨てられるかと思っていた。 しかし結局捨てられずに情けなさだけが残ったのだ。 「ふむ……」 老人は指輪を受取っていろんな角度から見ている。そして何か口を開こうとしたその時、 「ごめんください」 入り口の扉が開いて一人の女が入ってきた。 その瞳は涙に濡れていて、顔はほんのり赤い。 明らかに男と同じく酒がはいっているようだ。 「この指輪、売りたいんですけど!」 ガラスのケースが壊れるのではと思うほど強く叩きつけられた指輪ケース。 老人と男は座敷から呆然とその女を見上げていた。 女はその視線の意味に気づいたのか顔をさらに赤くして首を振った。 「あ、あ、あ、ああの……すみません」 「……まあ、あなたもこちらにおいでなさい」 老人が静かに言うと女は落ち着いたようでゆっくりと座敷に上がってきた。老人は座布団をもう一つ用意して男の隣に置いて女に勧めた。 女が座るのを確認して、老人はガラスケースの上に置かれた指輪ケースを取った。 指輪を中から取り出すと、男が驚きの声を上げる。 「何か?」 女は初めて男の存在に気づいたかのように驚く。男はいや、と少し呟いてから言った。 「その指輪……俺が売ろうとしている指輪と同じ種類だから」 「そうなの?」 女は老人が座っていた座布団の前に置かれている指輪を見た。 確かに女が持ってきたものと同じである。 「失礼ですが……どうしてまた、売ろうと?」 男がおずおずと尋ねると女はふん、と鼻を鳴らして怒りがまじった声で話し出した。 「今日、男に捨てられたの! これは付き合って一年目で渡された指輪。大事に取ってたけど……未練がましくてみっともないから捨てようと思ったの。まあ、ただ捨てるのももったいないからお金に換えようと思ってね……。で、あなたはどうして?」 「ああ、俺のは結婚指輪なんだ。今日奥さんに離婚されてね……」 女はその言葉に目を見開いた。 「あなたって、バツイチなの? 凄く若いじゃない!」 「まあ、三年前に結婚しましたから。今は二十九です」 「まだまだこれからじゃない! 女は一人だけじゃないわよ〜」 男と女は初対面にも関わらず意気投合しつつあった。しかし男の顔が悲しみに沈んだ事を契機に女も表情を曇らせる。 「でも……やっぱり忘れられないんですよね。未練に引きずられて自棄酒して街を彷徨ってここに辿り着いたんだ。さっきもここのトイレで吐かせてもらったばかり。情けない……」 「わたしも、やっぱりまだ彼の事が好きよ。大学生活から数えて四年も同棲してたのに、いきなり他に女を連れこまれて。惨めで、死にたくなったけどそれでも嫌いになれない……。まったく、未練がましい女」 両者が同時に溜息をついた。会話の終わりを見計らったかのように目の前で二つの指輪を鑑定していた老人が口を開いた。 「あんたたちは……何かと、未練がましいというが……、それのどこが惨めなんじゃ?」 「だって……終わった事をいつまでもこだわって……」 「もう取り戻せない物をいつまでも思ってたって……」 「あんた達のような若者が惨めだと思うなら儂は何も言えんが、あんた達が思っている事はさして惨めでもなんでもない。当たり前の事じゃよ」 老人は指輪を光に照らした。眩しさに片目を細めながら眺める。 「それだけ引きずっているという事は、あんた達にとってその思い出は大切な物じゃったんじゃよ。なら、無理して忘れる事もないんじゃないかのう? 人間、そんな記憶を背負っても生きていけるもんじゃよ。ほっほっほ」 老人は指輪を置いて笑った。男と女は顔を見合わせて、そして老人を見る。 「お爺さんも……辛い思いをしたの?」 女が尋ねると老人はすらすらと答える。 「おお! もちろんじゃ。これだけ生きればいろいろと経験するもんじゃ。婆さんは空襲で焼け死んでしまったしのう」 まるで近所の子供が悪さをしてねぇ、とたわいも無い事を言うかのように重い言葉を言ってくる老人に二人は驚いた。 「死体も発見されないほどでのう……ちゃんと墓に入れたかった。だから、ここが墓代わりじゃ。儂が死ぬ時に一緒に婆さんも入れてもらうためのなぁ」 「お爺さん……」 「そんな事が……」 二人はもう声も出ない。 自分達が悩んでいる事なんてこの老人の前では埃くらいの価値しかないのだ。 「儂はもう新しい相手など見つけられはせんが、あんたらはまだまだ若い。やり直しはいくらでもきくじゃろう? なら引きずっていても立ち止まっちゃあ行かんよ」 その言葉はとても説得力があった。 そして、とても暖かかった。 無理できないなら無理しなくてもいい、とそんな優しい言葉に聞こえたから、二人の心は晴れていった。 「「……はい」」 二人の返答が被った。そして顔を見合わせて笑い出す。 出会ったばかりなのに息があっている事が、何か可笑しかった。 「……さて。指輪の代金はこんな物じゃが、いいかのう?」 差し出された金は相談に乗ってもらった友人が予想してくれたのと、ほぼ同じ金額だった。二つの指輪は全く同じ金額。 男も女も金額に納得した。 「似たような理由だしね」 女の言葉に男は頷く。二人は代金をもらって座敷を立った。 「ありがとう、お爺さん。何か胸のつかえが取れたみたいです」 「本当にそのとおりですよ。ありがとうございました」 女と男が頭を深深と下げる。老人は笑顔で頷いた。 「若者は元気が一番じゃよ」 その言葉を聞いて二人は笑いあった。そして店を出て行く。 二人の後ろから聞こえてくる老人の言葉に後押しされて。 「不幸を買い、幸せを売る『黄金堂』。またおこしくださいませ……」 とまあ、そんな事があったんです。 そこで知り合った女性と今は結婚してます。 いやー、すみませんね。関係ない事を話してしまいまして。 え? 指輪はその後どうしたかって? 後で付き合うようになった時にまたそこへと買いに行きました。 縁起が悪いと奥さんは言ったんだけど、やっぱり二人を会わせてくれた指輪だからって。 その時にお爺さんも言ってくれたんですよ。 『一つ一つは縁起悪くても、二つなら縁起がいい』ってね…… 『黄金堂』 そこは今日もどこかで開店しているんだろう。 名前の示すように、週末の二日間に―― 完 紅月赤哉です。 ぱっと思いついてどばっ! と書いた作品です。 何かこのタイトルで小説書きたいと思っていたのですが、最初考えていたベタベタ甘甘が行き詰まりお蔵入りでした。 しかし発想の転換で見事、こういう短編として甦ったのでした。 一応、指輪がキーワードの「Love……」シリーズの完結編みたいなものです。 完結編とは言っても前二作とは繋がってませんが。 感想いただけると幸せです。 |