「ごめんなさい」
 その言葉はすんなりと口から出てきた。
 目の前の相手は信じられない、と言った顔でわたしを見ている。
 よほど告白に自信があったんだろう。確かに一緒に食事をしたり、何人かで遊びに行ったりしていたけど、けして『そんな素振り』は見せてなかったはずだ。
「ど、どうして?」
 やっとの事で言葉を出した。そんな感じだ。
「どうして、って。わたし、あなたの事そんな風に見た事無いし」
 わたしが言った瞬間、相手は顔を青ざめさせてしまった。
 ……悪い事をしただろうか?
「それにね」
 わたしはしょうがないのでフォローする事にした。というかそれが今回の事を断る理由なんだけれど、別に話す必要はなかった。でもこの相手は理由無しでフッたらそれこそ自殺でもしかねない。社会人にもなって情けない人だ。
「わたし、昔から好きな人がいるんだ」
 その言葉がまだ救いとなったのか、相手は「また明日」と言ってそそくさと去っていった。それにしても寂しい背中。男ならもっとシャキッとしたらいいのに。
「ね、結城」
 首元に手を伸ばして中に入れておいた物を取り出す。
 紐についた二つの指輪。
 わたしの宝物。
「今は何をしてるのかなぁ……」
 思わず呟く。今回の事で妙に懐かしくなってしまった。
 ちょうどゴールデンウィークに差し掛かって会社も休みになるし、久しぶりに地元に戻ってみるかな。
 そう思えば最近疲れ気味な仕事にもやる気が出てくる。
 わたしはスキップしそうになるのを押さえながら家に帰った。


 『Love is eternal』


 高久麻衣子は地元の駅に着いた時、背伸びをした。久しぶりに踏む地元の土。
 太陽もほどよい日差しを向けてきて、これから休日を過ごすにはもってこいの気候になりそうだった。
(さーて、もう少しで迎えに来てくれるはずなんだけど……)
 麻衣子は顔がにやけるのを何とか押さえていた。そこに鳴るクラクションの音。麻衣子はその車を見つけて駆け寄った。助手席のドアを開けて中に入り込む。
「おかえり」
「ただいま〜」
 麻衣子は上機嫌で相手の挨拶に応じた。相手は同じ年ほどの男。特に目立つ容貌でもなく、どこにでもいるような男。男はそのまま車を走らせた。どんどん駅が遠ざかる。
「それにしても、どうして俺が迎えに来なきゃいけないんだ?」
 男の口調は言葉とは裏腹に不満など全く無い。むしろこうして迎えにくる事が自然な事であるかのように振るまっている。
「いいじゃない。どうせ暇してるんでしょ」
「確かにそうだけど……。骨董品屋も忙しい時には忙しいんだ」
「じゃあ、暇な今は存分に付き合ってもらいます〜」
「はいはい」
 二人は笑いあった。そのまま車は麻衣子の家に向かう。
 唐突に男がつけたラジオからはちょうどラブソングが流れていた………。


 隣の男――三田結城は運転に集中しているからか、わたしの視線に気づく事は無かった。
 その事に安心して彼の横顔を見続ける。ずっと見ていた、あの横顔だ。
 小さい時、小学生の時からずっと一緒にいた。
 朝から晩まで泥だらけになるまで遊んで。中学からは同じ部活に入って一緒に帰って。
 一緒に喜びや悲しみを感じてきた。
 いつからだったろう?
 彼に恋愛感情を抱くようになったのは。
 そして、結城もおそらくわたしの事を好きなはずなのだ。自意識過剰とかじゃなくて。
 お互いがお互いしかいないと思いながらも、最後の一線は踏み出せてはいない。
 そんなこんなで彼氏がいない暦、二十四年。もうそろそろその《一線》を踏み出したかった。
 わたしは胸のリングに手を触れる。
 この二つのリングも一線を踏み越える願掛けのために買った物なんだ……。
「ねえねえ」
「なんだ?」
 少し気だるそうに答える結城。でもそれは運転に集中している証拠で、別に嫌がっているわけじゃない。
「ちょっと寄り道しようよ」
「……あそこか?」
「うん。『あそこ』」
 結城はしばらく考え込んでいたが、やがてハンドルをきった。わたしの家に行く道ではない。
「まだあるのかなぁ、あの木」
「俺ももう何年も行ってないからなぁ……。分からないよ」
 その口調には期待と不安。
 わたし達が共有した思い出の場所。その場所が残っているか分からない不安と、そこを再び訪れる事へと期待。
 そうなんだ。わたしも期待していた。
 そこでなら、本当の気持ちを言えるかもしれない。


 その場所は街のはずれにあった。横に数キロずれれば墓地があるような場所。
 そんな所に、その大きな木はあった。
 小さい頃に《秘密基地》として子供達の格好の遊び場所だった。
 そして広場の中央に立つ、昔からこの街を見つづけていた巨木。
 それも……今は無い。
「切り倒されたんだ……」
「やっぱり危ないんだろうな。俺達が子供の時でも結構古そうだったから、いつ倒れるか分からなかったんだろ」
 意外と淡白に言う結城。でも顔は沈んでる。
 さっきから顔と口調と雰囲気が全くかみ合ってない結城にわたしは笑ってしまった。
「何が可笑しいんだ?」
「だって……、結城は全然変わらないんだもん。いろいろ、この街も変わってるのに」
「……麻衣子?」
 結城の声にわたしは彼へと視線を戻した。今は、声の調子と顔が合っている。
 結城にある感情は困惑だった。
「え……?」
 わたしは、泣いていた。
 いつのまにか頬を涙が伝っていた。
 どうしてこんなに、わたしは泣いているんだろう?
 どうしてこんなに、わたしは悲しいんだろう?
「ご、ごめ……ん。どうしたんだ……ろう……」
 もう我慢できなかった。
 わたしは土が剥き出しな地面に膝をついてしまった。
 嗚咽が、止まらない。
「俺は結構変わっているよ。変わってないのは、麻衣子だよ」
 その声は、わたしの中に一気に入り込んできた。


 結城は麻衣子を立たせて、膝についた土をはらった。それでも膝頭に付いた泥は完全には取れない。
「こりゃあ、帰ってから風呂にはいらなきゃ取れないわ」
 最後にぽんぽん、と麻衣子の膝をぽんぽんと叩いて立ち上がる。
 麻衣子はただされるがままになっていた。さっきよりは落ち着いて、嗚咽も終わっている。
「ごめん……」
「何、謝っているんだよ」
 結城はそう言って切られた巨木の切り株を見た。そびえ立っていた巨木の名残を、切り株は充分残している。ここに木が立っていた事を知らない人でも、この切り株を見たならば、その規模がどれだけであったのかは充分想像できる。
「俺さ、大学を卒業してお前と離れてから、やっぱり痛感したんだよなぁ」
「……?」
「やっぱり、麻衣子と一緒にいる時間って大切だったんだなぁって」
 結城の言葉に麻衣子は顔を真っ赤に染めた。普段の男勝りな彼女からじゃ考えられないうろたえよう。
「自分に必要な物って、無くなったとたんに気づくんだよな……。俺、麻衣子が好きだ」
 その台詞は自然と結城の口から出てくる。普段なら絶対言えないような言葉。
 でもこの場の空気の中では、普通の言葉だ。
 麻衣子は胸の辺りに手を持ってきて握っている。
 何かに強く念じているかのように、強く握り締めている。
「俺さ、もう麻衣子しかいないなぁって思いながら、最後の一線を踏み出せなかった。勇気がなかったんだ。でも、もう躊躇はしない」
 結城は切り株から麻衣子に視線を戻した。そして半ば叫ぶように言った。
「麻衣子。俺と結婚してくれないか!」
「……いいよ」
 あっさりとした返事。その返事に結城はきょとんとした顔になる。麻衣子は結城に近づいていった。縮まる距離。そして結城のすぐ前に立つ。
「シリアスって、昔から似合わないんだよ。結城は」
「……だからって今の台詞を言うのにシリアスになるなってわけには……」
「でもね」
 その瞬間、時が止まった。
 結城の視線のすぐ傍に麻衣子の顔がある。二人の顔はほぼ密着していた。
 重なる唇。
 しばらくの間、二人はその体勢のまま過ごした。
「結城、すごくかっこよかった」
 唇を離して、顔を赤く染めて麻衣子は言った。満面の笑顔で。
 あまりの事に呆然としている結城を見て軽く笑うと胸元から首につけていた物を取り出す。
「……それは?」
 ようやく動揺から立ち直った結城が麻衣子の取り出した物を見て言う。それは紐についた二つの指輪。
「『願掛け』だよ。この指輪をお互い好きになった相手の指にはめてあげるの」
「……何かの雑誌にでも書いてたのか?」
「違うよ」
 麻衣子は紐から指輪を外しながら言って、結城の手を取った。結城は麻衣子が結城の指に指輪をはめるまでをじっと見ている。
「ぴったりだったね」
 指輪は結城の薬指にぴったりとはまった。
「じゃあ、次は俺だな」
 結城は麻衣子の手から指輪を取ってから麻衣子の手を取った。
「あ……」
 そのためらいのない行動に麻衣子の口から動揺の声が出る。結城は気にせずにそのまま指輪を麻衣子の薬指に通した。
「これで、ずっと一緒だ」
 それは麻衣子が言いたかった言葉。
 二つの指輪。
 二人の自分達。
 ずっと、同じ物を一緒に追いかけていきたい。
 そんな『願掛け』
「……うん!」
 二人は笑いあった。これからもその笑顔がお互いに向いている事を祈って。
 この幸せな気持ちがいつまでも続く事を祈って。



 この愛が、永遠に続く事を願って。



 二人がその場を後にして数時間後。
 その場所に子供達が来ていた。三人の男の子。まだ小学生だろう。
 巨木がなくなっても、子供達にとってこの場所は格好の遊び場だと言う事に変わりは無い。
「おい! 見てみろよ〜」
「あー、なんだよ?」
「なになに?」
 三人は巨木な切り株へと集まった。
「おお、すっげー!」
「生えてるよ〜」
「また木になるんかなぁ?」
 わいわいと、子供達が騒ぐ。
 そんな子供達に囲まれて、切り株の横から小さな木が生えていた。
 空に輝く太陽に向けてその頂点をまっすぐに向けて。
 再び、街を見下ろすのを目指すように……。


『Love is eternal』〜Fin〜


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 紅月赤哉です。
 以前、『LOVE,LOVE,LOVE』を書いた時に主人公の「従姉妹の姉さん」の話を読みたい、と言われたので書いてみました。
 結構僕は歌をモチーフにして小説を書くんですが、やっぱりラブソングって氾濫してますね。
 まあ思ってるよりも氾濫してないんでしょうけど。
 次はしばらくラブラブな話じゃない奴を書いてみたいなぁ。

 最後に、この話を書くきっかけをくれた翁さん。ありがとうございました〜。


 2002年4月20日・午前10時40分執筆完了




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