『LOVE,LOVE,LOVE』


 夜の体育館というのは人がいなくなると意外とひんやりとするものだ。
 部活が終わり、部員達がかたずけて帰ってしまった後ならなおさら、その事を自覚する。
 窓から差し込む月明かりがとても済んでいて、今日は満月だな、と何の根拠もなく思う。
 少年は最後まで残っていた。
 二、三年が帰った後でしか一年は練習できない。まだまだ一年は肩身が狭い。
 しかも練習後は体育館の電気を無駄遣いしないために使っているゴールの傍しか点ける事ができない。
 他の一年部員も明日の宿題を済ませる為に先に帰ってしまい、少年だけがいた。
 少年の息遣い。
 バスケットボールのバウンドの音。
 手の中にボールが納まる音。
 バッシュがコートを蹴って、飛び上がる音。
 放たれたボールが綺麗な放物線を描いてゴールに納まる音。
 落ちたボールがコートを叩く音。
 それだけが、その場に存在している音だった。
 しかしある時、異質な音が混ざる。
 ガララ、と体育館のドアが開く音。
 少年は不審に思って振り向いた。守衛には帰る時に鍵を渡すと言ってあるから来ないはずだ。
 振り向いた先には一人の女の子が立っていた。顔はまだ影になっていて分からなかったが、雰囲気が女の子だと少年は思った。
 その人物はどこか躊躇いがちに少年に近づいてくる。
 やがて月明かりに照らされた顔は思った通り女の子だった。
「高久、君……。好きです。付き合ってください」
 顔が良く見えるほど至近距離に近づいた時に少女は突如、そう言った。
 肩を震わせ、親の敵でも見るような瞳で少年を見つめてくる。
 少年――高久稔彦はその少女が言った言葉を慎重に吟味した。
 自分の恋愛に縁がない人生を振り返ってみて考える。
(ドッキリカメラ?)
 残念だが素直に本当と思えないのは仕方がないことだった。
 今まで生きてきた十六年間の間で告白した事、五回。
 どれも「友達のままで」と柔らかく拒絶の言葉を受けてきた彼だからこそ、自分が言われるなどとは考えが追いつかなかった。
「あ、あの……」
「……あ、いや、その……」
 長い沈黙が相手を不安にさせたのだろう。
 少女は期待と失望が入り交ざった表情を浮かべている。
 相手の少女は稔彦の好みかと言われればそうであった。
 髪は背中まであるロング。目も少し大きめでルックスは平均よりも少しだけ高い。
 派手すぎ、美人すぎを嫌う稔彦には正に理想だった。
「……とりあえず、さ」
 稔彦は何とか言葉を口にした。少女は体を振るわせる。
「名前、教えてくれるかな」
 稔彦の言葉に少女はあっ、と短く驚きの言葉を発した。そしてぼそぼそと何かを呟くと伏せていた顔を敏文に向けた。
「わたし、一年D組の三月香奈子です」
 少女は――香奈子は精一杯の勇気を振り絞ったという感じで顔を強張らせている。
(そこまで緊張しなくても……)
 かく言う自分も最初は思い切り緊張していたのだが、そのことはもう忘れていた。
 自然と持っていたボールをバウンドさせる。香奈子はその音に驚いて一瞬体を仰け反らせた。
「あー……、どうして俺の事を?」
 稔彦は失礼とは思ったが、そう言ってからゴールに向いた。自然と熱くなっていた思考が冷める。
 一瞬、溜息をついてゴールを見る。
 そのまま自然な動作でボールを放った。
 小気味いい音を立ててボールはゴールに吸い込まれる。
(もう大丈夫だ)
 稔彦は自分に言い聞かせて改めて香奈子に向き直った。
「俺さ、今までこんな……恋愛に縁がなかったんだ。だから、こういう時どうしたらいいか……」
「わたしも、です」
 初めてだった。
 笑顔を見て心をときめかせたのは。
 自分の顔が真っ赤になっているのは容易に予測できた。そしてそれは相手も同じだった。
「……」
「……」
 お互いにまたしても固まる。
 少しだけ二人の距離は近づいたが、その分また緊張が増してしまったのだ。
「さ、さっきの質問……」
「は、はい!」
 稔彦その場に腰を降ろした。そして手で香奈子にも座るようにそくす。
 香奈子は少しぎこちなくだが、その場に腰を降ろした。
「どうして……俺の事を? 俺と面識、ないよね」
「はい。たまに廊下ですれ違う程度で……」
「……どうして、敬語なの?」
「えっ!」
 香奈子はその時、初めて気づいたように驚いた。稔彦はその様子がおかしくてまた笑った。
「同い年なんだし、タメ口のほうが話し易いだろ?」
「そう……だね。うん、そうだよね!」
 実際、香奈子は楽になったのかやっと表情を崩した。その時にはすでに稔彦もすでに落ち着きを取り戻している。
「……試合をね、見に行ったんだ」
「え?」
 香奈子の言った『試合』と言うのが一月前に行われたものだというのに気づくのに時間がかかった。
 何故なら……
「でも俺、その試合出てないぜ」
 そうなのだ。
 自分の事を知っているからにはバスケットの関係かと落ち着くと共に頭に浮かんだ。
 しかしバスケットの関係のようだが、自分が出てない試合を引き合いに出されても……。
「うん。高久君、観客席で応援してた」
 香奈子はその時の事を鮮明に思い出そうとしているように目を閉じ、ゆっくりと語る。
「試合の終わりにさ、うちの学校の選手がボールをショットしたでしょ? それが決まれば逆転だって時。その時にさ、高久君は叫んだんだ。
『入れ!』って」
 確かにそうだった。
 会場中に聞こえるような大音量で。
 自分でもそこまでの大声が出るとは思っていなかったから、周りのみんなの好奇の視線を浴びたのだ。
 結局、ボールは入って逆転。そのまま試合は終了したのだ。
「その時のさ、高久君は、なんていうか、その……」
 香奈子はどうにかして自分の、その時に思った事を伝えようとしていた。
「必死さ、みたいなモノが伝わってきたの。他の人達はどこか、自分達が出てないからってあまり真剣に応援している様子はなかったように思えたんだ」
「三月……さん」
「それから、わたしは……高久君の事が頭から離れなくなっちゃって……」
 香奈子は言っていて恥ずかしくなったのか、また顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 それから会話が止まる。
「帰ろうか」
 最初に口を開いたのは稔彦だった。
「もう遅いし。一緒に帰ろう」
 稔彦は立ち上がって更衣室に向かう。その背中を香奈子は呆けた顔で見ていた。
「……玄関のところで待っててよ」
「あ……うん!」
 香奈子は顔を輝かせて体育館から出て行った。この時すでに、稔彦の考えは決まっていた。


「もう少しで夏だね」
 自転車に乗りながらなので聞き取りずらかったが、稔彦の耳には香奈子の言葉が届いた。
 稔彦の思った通りに空には満月が昇っている。
 雲一つない晴天。
 その下を二つの自転車が滑走していく。
 運動後の体には、それが引き起こす風がなんとも心地よかった。
「なあ……三月、でいい?」
 信号で止まっている時に稔彦は香奈子に言った。
「うん。いいよ!」
 自然に会話が出来るだけで嬉しいのか、笑顔で言葉を返してくる香奈子。
「三月はどうしてこんな時間まで学校に? まさか、俺を待ってたってわけでもないだろ?」
「たしかに偶然なんだ。高久君を見つけたのは。わたし、新聞部でね、さっきまで原稿を書いてたの」
 稔彦は内心で納得した。
 試合もおそらくは新聞部の取材として来たのだろう。
「それで帰ろうとしたら体育館に電気が点いててね。今日はバスケ部の練習日だからもしかしたら……と思って」
 信号が青になり、二人は再び走り出した。
「その、さ。告白の返事なんだけど……」
「う、うん……」
 公園に差し掛かった時に、おもむろに稔彦は自転車を止めた。それに合わせて香奈子も自転車を止める。
 自転車から降りて二人は向き合った。
「目、つぶってくれ」
「うん……?」
 香奈子は突然言ってきた稔彦を不思議に思いつつ眼を閉じた。
 それを確認した稔彦はポケットから目的のものを取り出して香奈子に近づいていった。
 香奈子の手を取る稔彦。その行動に香奈子はびくっ、と体を震わせた。
 少しして、全てが済んだ後に目を開けた香奈子は驚きを隠せなかった。
「高久君……これ……」
 香奈子は自分の指にはめられている指輪を見ていた。
 稔彦は香奈子の指に指輪をはめたのだ。
「俺さ、大好きだった従姉妹の姉さんがいてね、もう結婚しているんだけど。その人がさ、ある事をやってたんだ」
 稔彦は懐かしむように夜空を見上げ、そして言った。
「自分が好きになった相手に、この指輪のうち一つをつけてもらう事」
 稔彦は自分の首から下げたペンダントを胸元から出した。
 紐の先には一つの指輪。
「俺も願掛けで、それをやろうとしてたんだ。結局今まで成功しなかったけど」
 照れ隠しの笑顔。
 香奈子の目にうっすらと涙が浮かぶ。
「じゃ、じゃあ……」
「こんな俺でよければ、付き合ってくれないか?」
「う……うん!」
 香奈子は嬉しさのあまりに稔彦に飛びついた。
 その行動に驚きつつも稔彦はそのままの状態でいる。
 しばらく二人はそのままでいた。
 星明りの、月明かりの下。
 二人の影が一つに重なっている。
 まだまだ先は長い物語の、始まった瞬間だった。
「大好き……」
 それがどちらの言葉だったのか、空から見ていた星達だけが知っている。


『LOVE,LOVE,LOVE』〜Fin〜


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 あとがき
 はお〜、紅月赤哉でございます。
「ベタ甘」なものにチャレンジしようと思ったのですが………理解できなかったので無理でした。
 無理せずほのぼの系で、というコンセプトで書いてみました。
 やはりほのぼのは落ち着きます。この厳しい現代社会において癒し系となるでしょう(笑)
 では、またいつか〜




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