最初、その変わりようにわたしは声をかけるのを躊躇った。

 二年前、突然音信を絶った友人。

 わたしにとっては親友と思える人が電車の窓から見えた。わたしは息せき切って電車に

乗り込み、彼の下へと急ごうとする。

 でも電車に乗り込んでから見えた顔に、昔の面影はほとんど無かった。そのことがわた

しの足を鈍らせ、一度止めた。

 あの、好きだった笑顔の面影が何一つ無い。その理由には一つ心当たりがある。

「久しぶり……」

 結局、わたしはそんな感情を表に出さずに久しぶりに友人に出会った自分を演じた。

「……ああ。久しぶり」

 帰ってくる反応は冷ややかだった。

 しかし心当たりがあったために、責める事が出来なかった。

 隣に座って彼――琢磨を見る。

 高校時代、男の人にしてはみずみずしい黒髪だったが、茶色に染まり、ひ弱な印象を持

つ髪になっている。顔だちはどこか疲れていて、彼がこの二年の間にどれだけ苦しんでき

たのかを表しているようだった。

 MDウォークマンをしたまま、わざとらしい欠伸。

 そして――眠る。

 最後まで、わたしが電車を降りるまで琢磨は寝ていた。

 それが演技だという事も分かっていた。わたしはその隣で最後まで何も言えなかった。

 ふと、彼のウォークマンから流れ出る曲。

 それは懐かしい曲。

 まだ、彼が足枷をはめていなかった頃に好きだった曲。

 その曲の調べはわたしに、彼にまだ立ち直る可能性があるのだと思わせた。



 そして、わたしは決心した。

 あの頃を取り戻すために……する事を。





『罪人の記憶』





 それは過去の記憶。まだ、二人の中に穏やかな空気が流れていた時の、記憶。



『付き合い始める事になったんだ!』

 そう電話で言ってきた琢磨の声は弾んでいた。

 わたしには理由が分かる。

 話を聞くと、どうやら向こうから告白されたらしい。告白されたのは初めてだったらし

いから喜ぶのも当然なんだろう。

 相手はわたしの友達の妹。

 そして琢磨は――その友達の事を親友だと言っていた。

 その娘は同性異性関係なく皆と楽しむ性格の娘で、琢磨とも里帰りの度に遊んでいた。

 妹も一緒に遊んでいたようだ。

 今回の告白は大学の夏休み中。琢磨は遠くの大学に行っているから、いきなり遠距離恋

愛になる。

 以前、琢磨にわたしは告白され、断っていた。

 確かに異性では最も話せる友人だったけれども、それが恋愛感情かは最後まで分からず、

わたしは断るしかなかった。

 それから一年ほどはぎこちなかったけど、今は普通に接してくれる。

 つい最近、彼氏と別れた時も慰めてくれた。

 わたしにとって琢磨はいつの間にか友人以上の存在になった。

 恋人とか、恋愛対象では無かったけど、ある意味それ以上な存在。

 だから琢磨からその事を聞かされた時、正直に嬉しかった。

 わたしに断られて以来恋愛から遠ざかっていたから。

 そして何より恋愛を怖がっていたから。気持ちをぶつけ、伝わらない痛みから逃げてい

たから。だから琢磨がそれから立ちなおり、幸せになるのはわたしにも嬉しい事だった。

『ただ、遠距離が心配なんだよなぁ』

「大丈夫だよ、琢磨なら」

 本当にそう思った。琢磨の想いの強さなら、きっと距離の壁を越えていける。

『……ありがと』

 本当に嬉しそうに、琢磨はそう言って電話を切った。わたしも心に嬉しさが込み上げて

くる。

 でも、それが悲しみの始まりだった。

 わたしにも琢磨にも、そんな悲劇の足音など聞こえはしなかった。





 ……あの頃の夢を見たのは久しぶりだった。わたしは眠たい目を擦ると自分がしようと

していた事を思い出し、携帯を手に取った。

 十回ほどのコール音の後で、相手は出た。

「カラオケにでも行かない?」

 電話口の声が少し考え込むようにうーん、と唸る。

「こっちに帰ってきてから一緒にいこうって言ってたでしょ?」

『そうだな』

 相手――琢磨は変わらずそっけない。わたしはなんとなく寂しい気持ちになる。

 今、この会話を続けようとしている事が急に馬鹿らしくなる。

『分かった。約束だしな。約束は守るもんだ』

 わたしが耐えられずに会話を断ち切ろうとした時、琢磨は口を開いた。自分で誘ってお

いて矛盾するが、予想外の返答だった。

「そ、そうそう。じゃあ、あと二、三人わたし誘うから」

『分かった。……佐伯』

「何?」

『……なんでもない。んじゃ、決まったらまた連絡してくれ』

「うん。分かっ……」

 電話は切れていた。

 もうこれ以上会話を続けたくない。

 そんな意思表示だった。

 わたしはやりきれなくなって携帯電話のボタンを押した。

 他の友人に電話する事で、このもやもやを取りたかった。しかしこの瞬間、何かがわた

しに警告する。何かは分からない。ただ、琢磨は何かわたしに言いたかったのではないだ

ろうか?

 その予感が正しいのかは分かるはずもなく、わたしは他の友人と連絡を取った。





 結局、元同級生で地元にいた、有沢君と那須賀ちゃん二人と一緒にカラオケに行く事に

なった。彼等二人は琢磨と仲が良かった。琢磨が少しでも高校時代の感覚を思い出してく

れればと思っての人選だった。

 琢磨はカラオケが上手い。

 高校初めの頃は仲間内でよくカラオケに行ったものだったが、わたしにフラれてから琢

磨はわたしと一緒にいるのを拒んだ。

 けして嫌ったわけじゃなく、何となく一緒にいずらかったようで、一緒に活動していた

文科系の部活も止めて、本業の運動系の部活に集中した。

 最後に一緒にカラオケに行ってから三年になる。

 だからこの日は楽しみだった。久しぶりに琢磨の歌を聞けるから。

「さーって、じゃあ俺から!」

 有沢が歌い始めて皆が声を上げる。

 琢磨もあのかげりは影をひそめている。

 事情を知らない人に不快な思いをさせたくないんだろう。

 わたしはそれを見て安堵した。

 少しでも歌って気を紛らわせる事ができればいいな、と思った。

 大体二時間が経過したそこで有沢が次の曲を選んだとき――

「琢磨、お前『ゆず』得意だったろ? ハモるの」

「……ああ」

 その声が微妙に違うのにわたしは気付いた。

「でももう忘れたよ。ゆず、この頃歌でないんだもんな」

「そうかー。じゃあ他のやつでハモろうぜ」

「おう!」

 そう言って他の曲を選曲し出す二人。

 そうだった。ゆずは、あの娘と――的場さやかとカラオケに行った時にいつも歌ってい

たはずだ。二人で。

 いくら妹の事があっても、さやかとも何かあったのだろうか?

 ふと、わたしはあの頃の記憶を思い出していた。久しぶりに見た、夢の続きを――。





『メール拒否になってる』

 その声の沈みようにわたしは一瞬声が詰まっていた。

 琢磨が付き合いだして次の日からいきなり相手の――知香ちゃんの反応が冷たくなった

事は聞いていた。メールもなんとなくそっけないらしい。

 ちょうど風邪をひいていたみたいで電話にも出れない状態だったようだ。

 わたしは風邪のせいじゃない? としか言えなかった。実際に、風邪がひどいからメー

ルを返す暇が無いんだろう、と楽天的に考えていたんだ。

 琢磨はひどく動揺していた。

 当たり前だ。

 彼氏彼女の関係になって一日とたたずにそんな状況になれば誰だって動揺する。

 そして今日、琢磨が付き合って三日目にして、決定的な物が崩れた気がした。

「知香ちゃんが何を考えてるか分からないね」

 わたしは素直にそう言う。――他に言葉が浮かばなかった。

『しかも電話拒否だ。いったいどうなってんだろうな』

 その声は自虐的で、痛い。

『付き合う事になった電話以来、三日でどこに嫌われる要素があるんだろうな』

 言葉が出ない。

 知香ちゃんの行動は確かに意味不明だった。

 拒絶するなら最初から付き合わないし、琢磨の話が本当なら数回のメールのやり取りだ

けで知香ちゃんは琢磨を拒絶した事になる。

「……? もしもし? 琢磨? 琢磨!?」

 電話はいつのまにか切れていた。

 悪い予感がして、それは……現実になった。

 その電話から更に三日後の夜、琢磨からの着信をわたしはすぐに取った。

 わたしはバイトから帰ってきたばかりだったけど聞かずにはいられなかった。琢磨はす

でに大学のある場所へと帰っていたから直接会って確かめられなかったのだ。

『理由がわかったよ』

 今にも琢磨の声は消え入りそうだった。

『知香ちゃんさ、前の彼氏の子供、妊娠してるかもしれないんだって』

 頭の中が真っ白になった。とにかく驚きだったから。

 何? 妊娠? 前の彼氏の?

『それで、前の人がやっぱり好きなんだって。だからもう二度と連絡してこないでって、

メールが届いたよ。電話したらやっぱ着信拒否でさ、ここ三日、何度か電話してたら耐え

切れなくなったようだ』

「そう……なんだ」

 何か言いたかった。でも何も言えない。

 わたしが何か言っても、琢磨の中にある悲しみには何の意味も無い。

『その他にもいろいろと言ってくれたよ……まるで俺が悪者みたいだな。ていうか、あっ

ちは完全に俺の事を悪者扱いしているみたいだ。……実際、俺が悪いのかもな』

「……どうして?」

 琢磨は声を震わせていた。何を言われたのか分からないが、よほど彼にとってひどい事

なんだろう。

『遠距離恋愛しようと思った時点で、間違っていたのかもしれないな』

「……そんな事、ない」

 彼に対して、わたしはそれしか言えなかった。

 弱々しい、声。

 駄目だ。こんな事じゃ琢磨を慰められない。

 わたしの時も慰めてもらったんだ。今度はわたしが……。

『自分から愛情を求めても駄目で、向こうから来てくれたのも一瞬にして消えた。俺にど

うしろって言うんだろうな」

 渇いた笑い声。

 涙が浮かんでくる。琢磨の抱えている悲しみは深すぎる。

 わたしには、重すぎる……。

「い、今、は自暴自棄になってるだけだよ。琢磨のせいじゃない。悪いほうに物を考えち

ゃ駄目だよ」

『……俺が断ればよかったんだ。断って、前のように友達でいようって言っていればこん

な事にはならなかった。俺が感情のままに行動したから、こんな結果に……』

 泣いている。

 琢磨の声に涙が混ざった。

 本気で、失いたくなかったという事が分かる。

 的場知香という娘のことを。

「……今はゆっくり休んでよ。寝て、明日になればまだ……」

『……いいよな、お前は』

「え!?」

『次が、あるんだから』

「……!!?」

 電話が切れる。

 わたしは唖然となった。琢磨がそんな事を言うなんて、考えもしなかった。

『次』というのがわたしの、今の彼氏――現在ではすでに別れているが――の事を言って

いるんだろう。それがわたしに対する皮肉だという事は理解できた。

 悲しかった。

 そんな事を言うほど琢磨の精神は追い詰められているのだと知った。

 人が傷つく事などどうでもよくなるぐらいまでに。

 人を傷つけることを誰よりも嫌っていた彼が。

 涙が出てきた。

 抑えることなど出来なかった。

 その後、琢磨からの連絡は途絶えた。心を閉ざしてしまったのは明らかで、わたしから

連絡しようという気も起こらなかった。傷を癒すのは、時の流れしかないのだと思ったか

らだ。それから二年の月日が流れた……。

 



 有沢君と那須賀ちゃん二人と別れてわたしと琢磨は喫茶店に入った。

 向かい合って席に座る。

「やっぱり歌うまいね」

「……ありがと」

 琢磨はわたしと目を合わそうとはしない。

 あからさまにわたしを避けていた。

 ここにもわたしが強引に連れてきたのだ。

 確かめたかった。琢磨の事を。

「あれから、またなにかあった?」

「……うるせぇな」

 静かだったけど、怒気が混ざる。

 ここで引き下がるわけにはいかない。

「だったら最初からわたしに話さないでよ。わたしにどうして欲しかったの? 話を聞い

て欲しかったんじゃないの?」

 時間が経って、わたしの中の悲しみはしだいに怒りに変わっていた。

 自分への怒りもあるが、琢磨がいつまでも傷ついている事に無性に腹が立っていた。

 その理由はよく分からない。ただ、落ち込んでいる琢磨を見るのが無性に辛かった。

「……お前といると、辛い」

 琢磨が話し始める。その第一声はわたしに深く突き刺さる。

「お前といると、知香ちゃんとの事を思い出すんだ。お前だけだからな、言ったの。自分

で言っておいて辛くなって、会いたくなくなるなんて自分勝手だよな。もう、俺には地元

にいる意味はないのに……帰ってこなけりゃ良かった」

「どういう意味?」

 琢磨は友人を大事にするタイプだ。

 わたしも友人と言ってくれたし、他にも仲のいい友達もいる。

 いくら知香ちゃんの事が辛かったからって、それだけでそんな事を言う奴じゃない。

 でも、わたしはこの後の言葉を知っていたのかもしれない。

 だからこそ、こんなに怒っているのかもしれなかった。

「さやかに絶縁されたよ」

 何となく予想できた答。出るのが当たり前のように予想できた答えだった。

「最近さ、さやかに送った電話もメールも返ってこないから、何かあったのかなって思っ

てた。そうしたら、地元に帰る直前にメールがきたよ――知香ちゃんの件で、もう絶交だ

ってさ」

 テーブルが揺れる。

 琢磨は手を握って震わせていた。

「俺さ。最初の頃は自分が悪いんだ、知香ちゃんは悪くないって思おうとした。あっちが

嫌いになっても俺自身は知香ちゃんを嫌いになりたくなかったから」

 琢磨は何とか冷静に言葉を紡ごうと努力していた。しかしその思いは空しく消えて、熱

を帯びた言葉がわたし達の周りを覆い始める。

「いつか時間が経って、お前との時みたいにまた友人でやり直せる時が来るって信じてた。

だから、今はこれ以上傷つけたくなくて……さやかに話したんだ。俺の名前出したら知香

ちゃんが傷つくから、里帰りした時は言わないでいてあげてくれって」

 わたしは無言で話を聞く。

 まっすぐ、琢磨の顔を見て。

「さやかは分かったって言ってくれた。それで俺はこの件はもう大丈夫だろうと思ってし

まったんだ。でもさやかに絶交だと言われて、俺は大事なものを完全に失ったって気付い

た。俺の話を聞いて、さやかは俺が知香ちゃんを傷つけたんだと思ったんだろう」

 その時ちょうど注文していたコーヒーが届く。琢磨は一息入れるためかゆっくりとそれ

を飲んだ。カップがテーブルに置かれ、また言葉が続けられる。

「そして俺の中に怒りが湧いてきた。俺が我慢して我慢して、必死になって知香ちゃんは

悪くないって思おうとしていたのに、当の知香ちゃんはよく分からない怒りを振りまいて、

さやかも最後には妹の味方をした」

 琢磨は顔には表れていなかったが、泣いていた。

「俺は……多分……悪くないはずだ。なのに本当に悪い知香ちゃんは逆ギレして、さやか

も俺に敵意を向けてくる。俺は馬鹿らしくなったよ、我慢するのは。そして――自分から

あの二人の下を去った」

 琢磨は携帯を取り出して眺める。

「メルアドも、電話番号も消した。もう二度とあいつらと会う事は無いって決めた。一番

大事だった親友は、俺の中にはもういないんだ。だから、もう……」

「何よそれ」

 琢磨の言葉に、わたしの心は遂に血を噴いた。痛みは全身を駆け巡り、やがて例えよう

もない怒りに変わる。もうわたしの理解不能の怒りは抑えきれない物になった。

「佐伯……」

「もう大分時間が経ってるのにまだ立ち直れないで、次を探そうともしないで。前にわた

しに琢磨言ったよね、次があるのが羨ましいって。わたしだってねぇ、そういう相手を探

すの苦労してるんだから。辛さに立ち止まって何もしようとしない人とは違うわ。わたし

だって辛かったんだから、彼氏と別れた時」

 琢磨の顔が引き攣った。その顔があまりに痛々しく、わたしの心に更に激痛が走る。

「あと、わたしに会いたくなかったなら最初から来なければ良かったでしょ? この場に

来てまで会いたくなかったなんて、言われるこっちも迷惑よ」

 こんな事を言いたいんじゃなかった。慰めてあげたかった。

 言葉が止まらない。感情に任せて吐き出される言葉は止まらない。

 止めて、誰かわたしを止めて!

 琢磨はそれでも助けを求めてたんだよ! そんな事分かってる!

 もう止めて! これ以上言いたくない。琢磨の、あんな泣きそうな顔なんて見たくない!

「さやかさやかって、たくさんの友達よりも一人の親友のほうが上なの? っていうか、

親友って思ってたの、琢磨だけだったんじゃないの?」

 とどめの、一言。

 琢磨の顔がはっきりと絶望に染まる。わたしは息を切らせて言葉が止まる。

 そして自分がもう後戻りできない言葉を出した事を痛感した。

「それでも、よかったんだよ、俺は」

 琢磨はふらりと立ち上がった。

「あ……」

 何か言わなくちゃ! 謝らなくちゃ! 今、言った事を!

 わたしが焦る最中に琢磨は言葉を続ける。

「自分が勝手に思っていたんだ。さやかは親友だと。でも俺はそれで良かった。ただ、ず

っとさやかと友人でいたかった。彼女になってくれなくてもいい。傍にいてくれなくても

いい。ただ、友達でいてくれれば、俺は最後の最後に支えてもらえる。崩れ落ちずに、立

っていられる」

 トレイを手にとって琢磨は歩いて行く。

 わたしは椅子から動けなかった。

「俺がもっと上手くやっていれば、さやかは失わずにすんだかもしれない。それも辛いけ

ど、一番辛いのは、もうさやかにも知香ちゃんにも俺の言葉が届かない現実なんだ……」

 振り返った琢磨の顔は笑っていた。

 何故かわたしは今まで見た中で一番いい笑顔だと思った。それは全てを諦めた、悲しい

笑顔なのだと分かっていながら。その顔のままわたしに琢磨は告げる。

「さよなら」

 それが琢磨の最後の言葉だった。





 駅に向かって歩きながら、わたしは泣いていた。

 幸い吹雪で、わたしの顔には雪がたくさんついているだろうから、涙は分かりはしない

だろう。何故、あそこまで怒りがあったのかようやく分かった。

 わたしはさやかに嫉妬していたのだ。

 琢磨に『親友』と言わせているさやかに。

 わたしは琢磨に、『琢磨は親友だ』と言った事がある。

 でも琢磨は、親友はさやかだけだと言って、結局わたしは最後まで親友と呼ばれること

はなかった。わたしはそれが悔しかったのだ。それを悔しがる立場じゃないのに。

 一度、彼を否定したのに。

 自分が一番彼の傍にいるものだと思っていた。大学生になってからさやかは琢磨よりも

更に遠くに行き、連絡もまばらになったため、特に親しい異性の友達はわたしだけになっ

た。普段の態度からしても、一番琢磨と仲がいいのはわたしだと思っていた。

 でも琢磨の中にはさやかがいた。

 たまに地元に帰って来た時に乗り合わせた電車の中で、さやかの事を話さない日はなか

った。それが許せなかったんだろう。

 独占欲だ。

 そんな事を思うなら、どうして彼の告白を受けなかったのだ?

 そんなに思うなら彼氏彼女の関係になればよかったのだ。

 建物に入って目元を拭う。

「謝らなくちゃ」

 携帯メールで『ごめんなさい』と送信。

 とても声を聞く勇気は無かった。

 送ってから数分でメールが返ってくる。

 差出人がよく分からないメールを開くといろいろと書かれていた。

 分かる文章は一つ。

『お客様の要望により、メールは送信されませんでした』

 凍てつく鉄槌が心に振り下ろされる。

 これならば、おそらく着信も拒否されているだろう。

 ああ、わたしは大切な物を失ったんだと、ひどく冷静にそう思う。

 絶望していた琢磨を、更にわたしは突き落としたんだ。

 確かに琢磨はわたしに甘えている部分があった。今回の事も、乗り越えて先に進むしか

ないのに、その場で立ち止まっているまま。わたしの言った事は正しい部分もあった。

 でもそんな真実は、今時点では不必要だった。琢磨を散々苦しめた現実を、更に突きつ

けるのは明らかに逆効果だった。今はたとえ現実逃避だとしても、彼を認めてあげなくて

はいけなかった。本当に親友だと思っているのなら。

 今なら琢磨の気持ちが分かる。

 大切な物を失う気持ちが。

 取り返しのつかない、ということが。

 琢磨の、そしてわたしの悲しみは当分終わりはしないだろう。

 それでもわたしは願わずにはいられない。

 琢磨の悲しみがいつか、白く色褪せる事を。

 たとえもう彼と会うことがなくても。

 今のわたしに出来ることはもうそれくらいしか見出せない。

「いや、一つ……」

 わたしは携帯のアドレスを開くと琢磨のデータを呼び出した。そしてメニューを開いて、

自分の求める項目を探す。

『データ保護』

 誤って個人データを消さないための機能。

 わたしはボタンを押し、琢磨のデータを保存した。

 琢磨はさやか達を切り捨てた。でもわたしは琢磨を切り捨てたりはしない。たとえもう

連絡できなくても、永遠に覚えていよう。

「待ってるよ、琢磨」

 再び流れ出していた涙を拭いて、わたしは歩き出す。

 心の中に残る罪人の記憶と共に……。





『罪人の記憶』完



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