『こんな出会いはいかがですか?』





「出会い系ねぇ」

 水島崇(たかし)はパソコンのディスプレイに映るサイトを眺めながら呟いた。そこに

は金色の背景に文字が躍っている。内容は全てそのサイトがいかに健全で、素敵な出会い

が待っているのだと他者を説得するための物だった。崇は湿気を伴侶としている黒髪を片

手でかき混ぜながら、一文字一文字見逃さないように文章を目でたどっていく。

 曰く、このサイトには純粋な出会いを求める人々だけが集まっている。

 曰く、このサイトで出会い、結婚まで行ったカップルもいる。

 曰く、友達から結婚を前提としたお付き合いまで任せてください。

 曰く、こんな出会いはいかがですか?

(……いかがですか、だぁ?)

 夏の夜の生暖かい風によって部屋中に湿気が生まれている。この夏で最も暑いこの日に

クーラーの無い部屋唯一の希望である扇風機は昇天した。

 その間の悪さがまた陰鬱な怒りを増幅させている。

 空手をやる事で鍛え上げた身体にも造型が整った顔にも、内からふつふつと湧き上がる

怒りと湿気のために汗が滲んでいない個所は無かった。

 崇の脳裏にあるのは自分を捨てた恋人のこと。笑顔で、いつものデートの待ち合わせ場

所で、いつもの口調で、さらりと別れ話を切り出してきた恋人のこと。

 曰く、好きな人が他に出来た。

 曰く、出会い系サイトで出会った人だ。

 曰く、貰ったメールと一度会っただけであなたよりも素敵だと思った。

 曰く、別れてほしい。

 次々と断片的に浮かんでくる言葉。

 それは連続して言われたのかもしれないし、そうでないかもしれない。

 ただ分かっている事は、それがどうしようもないほどの別れの言葉であって、彼女の中

ではすでに自分との日々は過去となったのだという事。

 自分はまだ彼女との日々を過去に出来てはいないという事だった。

 頭の中を飛び回る言葉達を崇はうなることでかき消した。

 キーボードを避けて机を叩くと打ち所が悪かったのかやけに痛い。一人暮らしの部屋の

中では物音に文句を言う者はいなかったが、隣や上の住人はもしかしたら何か言ってくる

かもしれないと、崇は自分に言い聞かせた。

 怒りに叫んではいけない。

 物に八つ当たりしてはいけない。

 文句を最も言った恋人は、もう自分の傍にはいない。

 言い聞かせる事で多少は怒りがおさまると、今度は痛みが増していく。打ち付けた右手

の側面を摩りながら再びディスプレイに視線を戻す。

 そこは前日に自分を捨てた恋人が登録していたという出会い系サイトだった。

 そこを開いたのは何の事はない。別れた時に『あなたもそこに登録すればすぐ新しい人

が見つかる』と言われたことに腹が立ったからだ。

 もう彼女としては崇がサイトに登録して、新たな恋人を見つけようと見つけられまいと

関係ないのだろうが、崇としてはこのサイトで新しい相手を見つけることが出来れば、彼

女に対して何かしらの報復になるのではと考えたのだ。

 一方でそれが全く無意味で空しいものだとも自覚していたが。

(大丈夫。少し時間が経てば気が晴れる。これは失恋の薬みたいな物だ……)

 自分を正当化して崇は心を決めて、新規登録のために登録規約を見た。

 ちょうど今の期間は無料で体験登録出来るということらしい。通常ならば金を振り込ん

で手に入れたポイントを消費する事で、メールの中身を見たりメールを相手に送ったりす

るらしい。

 登録項目を埋めていく。

 大学生・二十三歳。

 真剣に付き合える恋人募集。

 活動地域……。

 容姿は……。

 性格は……。

 崇は登録手続きを完了させた。

(女性は無料だが男性が有料っていうのが気に食わないよなぁ。男性も無料なら、もしか

したらずっと前から使ったかもしれないけど)

 失恋の痛みが回復するまでとは思っていても、やはり未知の世界に足を踏み入れる事と

もしかしたら本当に新たな恋人に出会えるかもしれないという期待があった。だからなの

か登録したことで気分が少し高揚してくる自分を崇は自覚する。

 指示に従ってサイトにログインしてみると、つらつらと並ぶコンテンツがあった。

 メール受信。メール送信。女性リスト。登録内容変更などなど……。

 メールのやり取りは直接自分のパソコンにメールが送られるのではなく、全てはウェブ

上に保存されてそれを確認する。

 送るほうはサイト上に登録しているデータやメッセージを見て、これだと思う人にメー

ルを送る……。

 と、いきなりメールが来ていた。

(早! 登録して十分ほどしか経ってないぞ)

 早速見てみるとメールが三通ある。タイトルを見て崇は嘆息した。

【四十一歳処女です】

【身体だけの相手募集】

【主人が昼間はいないので、疼きを止めてください】

 名前がそれぞれ書かれていたが、ハンドルネームなのか本名なのか良く分からない。

 どうやら中身を見るだけでポイントが減るようだったので、崇は全て中身を見ずに削除

した。先ほど感じた高揚感が冷めていく事もまた、崇は自覚する

(……みんな暇なんだな)

 自分がその一人になりつつあるのだと言う事に頭を振って否定しつつ、崇はサイトから

ログアウトした。初日はこんなものだろうと思いながら。



* * * * *
 登録してから三日ほど過ぎ、崇は自分の考えが甘い事を知った。  金を消費しないことを考えながら相手を見つけようとするのはかなり難しい事に気付い たからだ。  受信自体はタダだが、メールの中身を読んでそれに返信するだけで千円分を消費する。 無料体験で貰ったポイントは千四百円分だけ。これこそこういうサイトの手段なんだろう と崇は自分をしっかり持った。 (一回で成功させねば)  崇の思考はいつの間にか彼女への仕返しのために新しい恋の相手を探すということより も、いかに一発で良い女性を見つけるかというように変わっていた。失恋の痛みを忘れる という点を見るならその目的は達しているのかもしれないが。  しかし来るのは最初の日と同じようなタイトルのメールばかり。 【十八歳の処女いりませんか?】 【今、会社から帰る最中なの。会おうよ】 【何かストーカーに狙われてるみたいなの、助けて】 【何度もメール送ってるのにどうして返事くれないの?】  中には同じ名前の女性からのメールが何度か来ていた。三時間くらいごとに一度。この 女性はつまり三時間ごとにパソコンの前に座っているということなのかと、崇は急に恐怖 を感じた。メールアドレスが非公開ではないとしたら、これはストーカーにでもなるので はないのか。 (おいおい……出会い系ってこんなんばかりか?)  頭の中でそう考えて崇は頭を振った。この三日で何人か出会い系サイトに登録した事の ある友人にも聞いてみたが、サイトによって質が異なるらしい。最初は悪いと思ってもし だいに良く思えてくる事もあると言われていた。 「あと一日。あと一日様子を見て、続けるか止めるか決める」  そう自分に言い聞かせた矢先に一通のメールが届いていた。 【あなたのお母さんの顔です】  タイトルを読んだ時、崇は心の中が氷に閉ざされていくような冷え冷えとした気持ちに なっていた。  続けて来たメールのタイトルには『こうでもしないと気が引けないと思ったから』との 文字。名前は、探偵・マイと書かれていた。  その瞬間に崇は登録解除の手続きを行っていた。本当に顔写真を添付してきているのか を見る気は起きない。  どうせ嘘だろうと思っていたこともあるが、もうこの世界とは関わりあいたくないと崇 は心の底から思っていたのだ。人と出会うためのサイトであるのに、このような半ば脅迫 めいたメールを送るような女性がいるというのが、崇の中に恐怖にも似た感情となって流 れこんできた。  退会手続きを済ませて崇はサイトをログアウトしようとした。と、そこでまたメールが 来ている。無視すればいいものの、崇は思わずメールボックスを開く。新たに現れたメー ルのタイトルは…… 【逢いたいです。好きです 探偵・マイ】  即座にメールを消して、崇はサイトからログアウトした。
* * * * *
 崇は何となく気持ちの悪い日々を過ごしていた。三日ほど登録しただけの出会い系サイ ト。退会手続きはしたが、登録して一月の間は退会出来ないということで、一月経つと同 時に自分は退会となるらしい。  つまりはここ一月、メールはサイト上に受信され続けているのだ。  一月経つまであと一日。明日になれば崇の名前はサイトのリストから消滅する。 (あの『探偵・マイ』は俺がずっとメールに返信しないと思ってる……のか?)  そう思うと恐怖で胸が押し潰されそうになる。  こちらが退会したと知らせる手段はなく、いつの間にか名前がリストから消えていたこ とでしか理解出来ない。崇は三時間ごとにメールを送ってきていた女性を思い出した。タ イトルには返事をしない自分への不安、憤り、悲しみがストレートに書かれていて心の底 から震えが来る。あのマイもそのようなメールを自分へと送りつけているのではないか。 『探偵・マイ』からのメールがあってから、崇は誰かにどこかから見られているような気 がしていた。  外を歩いていて気配を感じ、振り向いても誰もいない。  マンションの前にゴミを出した時に、視線を感じて見回しても誰もいない。  風呂場で髪を洗っていてふと背後に気配を感じて振り返ると、誰もいない。  誰もいない。  誰もいるわけがない。  でも、誰かいるかもしれない。  崇の精神は徐々に恐怖に犯されていった。  その恐怖を沈める手段として、崇は一つしか見つけられなかった。  パソコンを立ち上げて、サイトを開く。  恐怖に震えるくらいなら、現在の状況を確認するしかなかった。  約一ヶ月ぶりのログインに、崇の手は震えた。ディスプレイ上の揺れる矢印に自分の感 じている恐怖を認識しつつ、メールボックスの欄に矢印を合わせる。  メール受信ボックスの文字の横には自分が離れていた期間に来たメールの総数が表示さ れていた。刻まれているのは百を越す数。  一ヶ月の間に降り積もった欲望や寂しさの塵。  乾いた喉に唾を飲み込む。何度か同じ動作を繰り返して動悸を落ち着けると、崇は受信 ボックスを開いた。  そこには数に見合った光景がある。  ずらりと並ぶ受信メール。  違う名前もあるが、ほとんどは同じ名前。自分が恐れた、一つの名前によるメール。 【どうしても振り向かせてあげる】  最新のメールのタイトルを見てから下へとマイのメールだけを探していく。そこには崇 に無視され続けていることへの不安、憤りが書かれていた。無論タイトルだけだが、本文 はおそらく想像もできない程の言葉で埋めつくされているんだろう。  と、そこで新しくメールが来た。崇はゆっくりと最新のメールタイトルを見る。 【あなたの携帯メールアドレスゲットしたわ】  信じられない言葉。咄嗟に自分の携帯を見てしまう。その瞬間に再びメール。 【あなたの家の住所が分かったわ。これから行きます】  崇は絶叫した。  誰かの視線が急に現実味を帯びて崇を支配していく。  もう傍の住人のことなど考えていられる状況ではなかった。どんなに苦情を言われよう と、今、自分を包んでいる恐怖から逃げられればどんなことを言われても許そう。だから 今だけは叫ばせてくれ、と見えない誰かに祈りながら崇は玄関へと駆け出した。  とりあえず逃げるのだ。  金を持って実家に帰る。  元々実家からでも大学には通えるのだから、一月ほどそこから通えばいい。  とにかく一刻も早くこの場所から離れなければならない。  そんな焦燥感に包まれながら玄関で靴を履いた時、チャイムが鳴った。  動きを止めてドアを見る崇。  少し間を置いてから再び鳴るチャイム。  崇は動けなかった。身体が金縛りにあったように動かない。その中で徐々にチャイムが 鳴る間隔が狭まっていった。  ピポピポピポピポピポピポピポ……。  頭の中にうるさく入ってくるチャイム音をバックミュージックに、文字の羅列が崇の頭 に浮かぶ。  曰く、そのサイトには純粋な出会いを求める人々だけが集まっている。  曰く、そのサイトで出会い結婚まで行ったカップルもいる。  曰く、友達から結婚を前提としたお付き合いまで任せてください。  曰く、こんな出会いはいかがですか?  こんな出会いはいかがですか? (……いかがですか、だぁ?)  鳴り響くチャイムが途切れ、次には携帯がメール着信を告げる。熱に浮かされたように ぼう、となったまま崇は携帯を取り上げてメールを見ると、そこには知らないメールアド レスから来たメールが一つ。  本文には何も書いてはおらず、あるのはタイトルに一言だけ。 【やっと会えたね】  ドアの鍵が静かに開錠される。微かに開いたところで、ドアはチェーンのために止まっ た。隙間から現れた病的に白い掌がドアチェーンを押し上げる。  同時に扉が限界まで閉まり、巧みにドアを束縛するチェーンを解き放つ。  その光景をただ呆然と見ながら、崇は思った。 (最悪だよ) 『こんな出会いはいかがですか?・完』


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