『Calling you』





『携帯電話の使用は他のお客様のご迷惑になりますので電源をお切りください……』







 車内アナウンスと同時に軽快な電子音が鳴り、省吾の隣にいた女性が慌ててバッグの中

を探る。出てきたのは携帯電話だ。女性は電話の主を確認すると立ち上がり、混雑する電

車の中を乗客に対してすまなそうな顔をしないで謝りながら歩いていった。省吾は周りの

客の迷惑そうな呟きを聞き流しながら内心、うらやましく思っていた。

(いいな。あの人は、かけてくれる人がいるんだ)

 省吾は携帯を取り出して受信記録を見た。

 そこには数々の電話番号が踊っている。しかしそのどれも名前は無い。

 番号を眺めている時、電話がかかってくる。だがその受信は一瞬で切れた。

 迷惑電話。

 ワンコールだけかかって、切れる電話。

 省吾の携帯電話には自分にとって意味の無い番号が二十件全てに入っている。

 続いてメールが受信された。受信ボックスを開くと未開封のメールばかり。タイトルに

は読んだだけで内容を予想できるメール。

 迷惑メールと呼ばれる一方通行の物だった。

 別に、省吾に友達がいないわけではない。

 学校でいじめにあっているわけでも、誰とも話さないわけでもない。住所録もちゃんと

二十件は埋まっている。

 ただ、友達と呼べるような友達がいない。

 高校で積極的に一緒になって食事をする友達がいない。

 高校から帰ってわざわざ遊ぶ友達がいない。

 いろいろな悩みを打ち明ける友達がいないだけなのだ。

 だからこそ、彼も携帯を使う機会が無い。携帯を持ったのも、親が連絡に困らないと言

ったからであって、その親は定時に帰る息子を心配する事は無く、家に帰る前に連絡しよ

うとはしない。そうした結果、今現在の状況が省吾を取り巻いているのだ。

(本当、嫌になるなぁ……)

 省吾は隠さずにため息をついた。自分の電話番号を呼び出して眺める。

 この存在しているだけで何も意味をなさない番号に、同情する。

 別に一緒にいる友達がいないから嫌なのではない。学校の中で、限られた付き合いしか

していなくても、省吾は今まで満足だった。無理に友達と付き合う必要はないと思ってい

たし、いじめがあるわけでもなかったから。

 だが、今の彼は空しさを内に抱えていた。

 それは携帯がもたらした感情だった。

「携帯、意味ないじゃん」

 電車を降りて小さく呟いた省吾は携帯を取り出した。そこで彼は、着信が来ている事に

気付く。ワンコール電話だと思ったが、いつもの癖で確かめていた。

 そして信じられない物を見た。

『15:35 ミサト 090×××……』

(ミサトって誰だ?)

 省吾は顔から冷や汗が出ることを感じずにはいられなかった。周りに人々がいるにも関

わらず、この場に自分だけがいる気がした。

 誰かに気付いて欲しい。

 自分の携帯電話に知らない名前と電話番号が入っている、驚愕の事実を。

「いや、きっと住所録にある名前なんだ。ミサトって人」

 そうして省吾は携帯電話に保存されている住所録を一通り見る。しかしミサトという名

前を見つけることが出来なかった。

 今度こそ、省吾は恐怖を感じた。

「どうして登録してない番号と名前が表示されるんだ? どうして?」

 省吾は不気味な気配を感じつつ家路についた。帰ったのは四時だったが、家には誰もい

ない。ちょうど母親は夕飯の買出しにでも行っているのだろう。いつもならば一人でいる

ことは苦痛ではないが、今日ほど親にいて欲しいと思うことは無い。

 省吾は家に入るとすぐに自分の部屋に向かった。扉を閉めてベッドの上に体育座りにな

り携帯電話は少し離した所に置く。じっと見つめていると、そこから得体の知れない気配

が立ち昇っているように思えた。

 しかしその後、携帯電話に電話がかかってくることもなく、母親が帰ってきた。ドアを

開ける音にかなり安心した自分を笑う。

(まあ、いっか)

 省吾はミサトの着信記録を消した。





 深夜。誰もが寝静まった後、省吾は学校から出ている宿題をしていた。ある程度勉強が

出来る省吾だからこそ、前日に少しの時間を割くだけで学校の宿題は終えられる。

 その理由から、省吾は前日の夜に時間を使うというやり方だった。

 シャープペンの動きが止まり、省吾は体を伸ばした。時計を見ると午前一時半。良い時

間帯だ。風呂に入って寝ようと立ち上がったその時、振動音が省吾の耳に届いた。

 その音になれていなかったために、省吾はしばらく音の発生源を探した。そして見つけ

たのはランプを点滅させながら震える携帯電話。

 今までのワンコールやメールなどではない。

 もう長い間震えつづけている携帯電話に省吾は恐怖を感じた。しかし、自分の携帯電話

にかけてくる電話の主への好奇心が勝った。

 携帯を取り、液晶画面を見た。



『ミサト 090×××……』



 あの『ミサト』だ。ここまでくると恐怖よりもこの相手を確かめたい衝動にかられる。

 初めて、自分の携帯にかけてきた相手なのだから。

「もしもし」

 衝動に負けて、着信ボタンを押すと省吾は答えた。

『あー、もしもし! そちらは誰の携帯ですか〜』

 聞こえてきたのはかなり陽気な女性の声だった。

 酒でも入っているのだろうかと省吾は眉をしかめる。省吾の困惑を他所に『ミサト』は

言葉を続けていく。夜に似合わぬハイテンションで。

「あ、田中省吾と言いますが……」

『あー、私ね。ミサト! 突然電話されてびびってるでしょ! 大丈夫よ〜。私はちゃん

とした人だから』

 何を持ってちゃんとした人というのか分からないが、とにかく悪意はないらしい。省吾

はとりあえず『ミサト』に合わせる事を決めた。どんな相手にしろ、初めての電話相手な

のだ。長話になりそうだとベッドに倒れこむ。

「で、そのミサトさんが何の用なんですか?」

『んーとね。どうやら私、みんなから苛められてるらしいの』

「は?」

 いきなり聞こえた言葉は簡単に自分の中に入ってこない。省吾は『ミサト』が言った事

を心の中で復唱しようとしたが、先に『ミサト』が言葉に出した。

『なんかねー。誰も私のこと見ようとしないの。電話もかかってこないし。で、なんか同

じように落ち込んでる君が携帯を眺めているの見たの。それで自分の番号見てるもんだか

ら携帯に記録したわけ』

 省吾は電車の中で自分の番号を見た時を思い出した。あの時に番号を覗き見られたのだ

ろう。だが、見られたことは少しも気付かなかった。

(それにしても……可哀想な人なのか?)

 省吾はこのミサトという人物に奇妙な親近感を覚え始めていた。自分は苛められてはい

ないが、人との関わりがない。しかしミサトは……彼女の話からすると完全な苛めだ。

 しかし省吾にはどうしたらいいのか分からない。

 と、そこでミサトが言ってきた。

『ねえ! 君が降りた駅で今から会おうよ! 少し話をするだけでいいんだ!』

 その言葉を素直に取ろうとは思わなかった。これで出かけていったら何人もの強面の男

達に捕まって金を巻き上げられるかもしれない。新聞などでは見なかったから、新手の悪

質な出会い系かとも思った。

 でも、彼女の明るく振舞いながら発してくる言葉の中に、省吾は寂しさを感じていた。

 それは同じような境遇の者しか感じられない物。

 省吾とミサトが持つ寂しさの周波数が同調したのだ。

 だから、省吾は彼女の要求をのんだ。

「いいよ。あと二十分後に会おうか」

 省吾の腹の内は決まっていた。初めて、自分の悩みを打ち明けられる人が出来たのかも

しれない。内から込み上げてくる嬉しさの衝動に省吾は勝てなかった。電話を切ると急い

で着替え、静かに家から出た。

 深夜の道路を歩くのはどっか新鮮で、省吾は別世界を歩いているかのような錯覚に襲わ

れた。実際、別世界に迷い込んでいくのではと省吾は思う。

 得体の知れない相手からの電話に出て、その相手の要求に従って外を歩いている。そん

な自分が次第に滑稽に思えてきていた。しかし引き返そうという気になる前に、駅へと辿

り着いた。

 とたんに着信する。

「もしもし」

『きてくれたんだね、ありがとう』

 省吾は周りを見回してみたが、それらしい人影はどこにもない。というか、人ひとり見

当たらない。一体どこからミサトは自分を見ているというのか。きょろきょろとあたりを

見回しているとミサトが言葉を発する。

『わたしね、みんなが無視する原因分かったみたい』

 その声は相変わらず陽気だった。だから省吾は気にせずその理由を問う。

『わたし、もう死んでるみたいね』

「……は?」

 省吾は聞き間違えかと聞き返したが、ミサトは否定して更に続ける。

『今、実は省吾君の前にいるんだ。でも省吾君はわたしが見えない。それでよくよく考え

てみたら、わたし、一年前にここで死んだんだわ』

(そういえば、一年前に交通事故があったとか言ってた気がするな……)

 省吾は何とか断片が残っていた事件記事の情報を思い出していた。この場所で確かに一

年前、通学中の高校生が死んでいる。じゃあ、電話の相手は幽霊と言うことになる。

「ふーん。じゃあ幽霊なんだ」

『そう。自縛霊ってやつ? まあ兎に角この場所から離れられないみたい』

 幽霊と言われてすんなり信じている自分もどうかしているが、あっけらかんとしている

ミサトもミサトだと、省吾は思う。そんな内心に持つ馬鹿馬鹿しく思う気持ちをミサトは

察したのか、急に笑い出した。

『あはははは……そうだよね。信じられない話だよね。でも、実際起こってるんだから仕

方が無いでしょ』

「……まあそうだけど。こうやって電話してきてるってことは、どんな形であれ『存在し

てる』って事だろ」

『省吾君はずいぶん変わってるんだね。幽霊だよ? 恐ろしくないの?』

「恐ろしいと思うほうが難しいんじゃないかな」

 彼女の問いかけはもっともなことだったが、省吾にとって恐ろしい幽霊とは顔の片側が

潰れていて青白い光をまとっていて、肩が重くなったり奇怪な行動をさせられたりするよ

うな幽霊のことだ。少なくともこんなに明るい声を出したりするような女の子ではない。

「……でも、自縛霊って奴なら何か思い残したことがあるんじゃないのか? なら、それ

をやれば成仏するんじゃないかい?」

『……話を、したかったんだ』

 急に話題が変わる……いやミサトは『思い残したこと』をしようとしているのだ。彼女

の声に今までとは違うものが混じっていた。省吾の耳に残る彼女の言葉。

 今までは明るい言葉の中にも少し悲しみが混ざっていた。しかし、今は口調自体が沈ん

でいる。それは彼女が初めて見せた弱さだった。

『私ね。駅から少し行ったところでさ、彼氏と待ち合わせしてたの。あの日もいつもと同

じように信号渡って彼氏のところに行こうと思ったらさ、あいつ、隣のクラスの美奈子と

腕組んでたのよ! それで私呆然としちゃってね。ちょうど黄色信号の時に渡ってたもん

だから、信号変わって突っ込んできた車が止まれずに私を撥ねちゃったってわけ』

 ミサトは怒りを含んだ口調で矢継ぎ早に言葉を紡いだ。省吾は早口になる彼女の言葉を

何とか聞き取って、自分の考えを口にする。

「そうだったんだ……酷い彼氏だね」

『彼氏の事悪く言わないで!』

 しかし、怒りの矛先は省吾に向かっていた。どういう事なのか省吾には分からない。

(彼氏に恨みがあったんじゃないのか? 僕が悪いのか?)

 混乱する省吾に息を落ち着かせてミサトは話を続けた。

『ごめんね。でも、私、彼氏が二股かけてるの知ってたの。それでも好きだったから、一

緒にいたかったから我慢してた。二股かけても私のほうを愛してくれてるんだって信じて

いたから』

「……そういうもんなんだ」

『そういうもんよ』

 省吾には全く理解できない感情だったが、それでも聞かなければならない。何しろミサ

トは話さなければ成仏できない。そして、省吾と話が出来るようになったというのは、逆

を言えば、省吾にだけミサトを成仏させることが出来るということだから。

『美奈子と付き合ってるっていうことは知らなくてね。だから、美奈子とあいつの姿を見

て、ちょっと思っちゃったの……ああ、二人はお似合いだな。私は二番手だなってさ。そ

したら足が動かなくなっちゃって……』

 省吾はミサトがいる位置から少し横に視線をずらした。省吾のいる場所から道路を挟ん

で反対側。そこにはミサトに向けての花束なのか、幾つもの花が供えられていた。おそら

く間違いはないだろう。そして、そこに一人の男が花を持ってきていた。

『でも、これで良かったかなとも思う。親には悲しい思いをさせちゃったけど、皆にも悲

しい思いさせちゃったかもしれないけど、私は私でもう辛い思いしなくてすむし、やっぱ

り自分一番じゃない?』

 その言葉はけしてミサトの本心ではないと省吾は確信していた。そして、今更何を言っ

ても時は戻らないことを知っているからこそ、こう言うしかないのだということも。省吾

は花を供えて真摯な態度で手を合わせている男を見ながら、ミサトに言った。

「でもきっと、その美奈子さんよりもミサトさんのほうが可愛いよ」

『……どうしてそんなこと言えるの? あなたには私の姿が見えないんでしょ?』

 省吾は自信を持って彼女へと返した。

「だって、話していてとても楽しかったもの。人間、姿形じゃなくて、やっぱり心だと思

うけどね」

『……馬鹿』

 少し後に聞こえた言葉には鼻声が混じっている。ミサトは泣いている。きっと、人には

見せられないほど顔をくしゃくしゃにして。省吾は視線を戻すと目の前にいるだろうミサ

トへと笑顔を向けた。

「電話、ありがとう。僕も、寂しかったんだ」

 心からの言葉。

 誰も心の底を打ち明けることが無かった省吾の、初めての告白。ミサトは電話口で溜息

をつき、先ほどまでとは違って落ち着いた口調をしていた。

『こんなところまで呼び出しちゃって、ごめんね。私はもう行くわ』

「もういいのかい?」

『うん。最後にあなたに話せてよかったかもね』

 ミサトの声は最後まで明るかった。省吾はもう少しだけ彼女の声を聞いていたかったの

だが、ミサトが小さく「もう行かなきゃ」と呟く声が入ってくる。

『電話、あなたが切ってくれる?』

「……うん。……じゃあね」

『さよなら。楽しかったよ!』

 ミサトの声をゆっくりと自分の中で反芻しながら、省吾は電話を切った。いつもの絵が

表示されているディスプレイを少しの間眺めた省吾は、道路の向かいに渡ると、ミサトへ

の花束がある場所へと歩いて行く。そこにはまだ、男が手を合わせていた。

 すぐ傍まで近づくと、男は顔を上げて省吾を見る。

「僕も手を合わせていいですか?」

「え、ええ……君は?」

 男の問いかけに省吾はどう答えようかと思ったが、結局、無関係の他人を装うことにし

た。思えば自分は他人以外の何者でもない。ただ、少しの間だけ彼女と話しただけ。

 彼女のことはほとんど知らないのだから。

「ただの通りすがりです。……ここで死んだ人がいるんですね」

 省吾は男の隣にしゃがみこむと手を合わせた。男は再び手を合わせながら呟く。

「大事な人だった。ただ、この人を俺は傷つけていた。ちゃんと誤解を解く前に、死んで

しまった。俺を恨んで死んでいったかもしれないと思うとやりきれなくて……一月に一回

はこうして花を備えにくるんです」

 男の言葉は後悔に染まっていた。その思いに反発するように省吾は反射的に言った。

「ここで死んだ人は、あなたを恨んで死んでいくような人でしたか?」

「……」

 男は省吾の言葉に何も言えない。省吾は手を合わせることを止め、男の目を見て言葉を

紡ぐ。自分の中にある思いを精一杯伝えるために。

「どうです? ここで死んだ人は、あなたの目から見て、そんな人でした?」

「……違うと、思います」

 男は自信がなさそうに答える。省吾はその言葉に満足して立ち上がった。もうこの場に

は用はない、とでも言うように背を向ける。男は立ち上がって省吾の後姿を見るだけ。

「あなたが信じてあげなければ、死んだ人が浮かばれませんよ?」

 それだけ言うと省吾は歩きだした。もう後ろを振り返ることは無い。男がどう思うのか

はもう男次第だろう。自分の役目は終わった。彼女と男の思いは一つになることはなかっ

たのかもしれないけど、良い思い出として、二人は過ごした日々を宝物にすることができ

ただろう。

 振り返っても、もう男の姿が見えなくなった場所で、省吾は携帯電話を取り出した。見

ると、いつの間にかメールが届いている。開いてみると本文には一言だけ書かれている。



『ありがとう』



 差出人は分からなかったが、きっとミサトだと省吾は思う。成仏した振りをして、男と

自分との会話を見ていたのだと気付くと、省吾は笑いながら道を歩いて行った。

 幽霊との長電話などという不可思議な出来事が終わって、いつも通りの現実世界に戻っ

てきた省吾が見た空は、今までとは違って少しだけ明るく見えた。今、自分を包んでいる

満足感もまた、初めてのことだった。

「携帯電話も捨てたもんじゃないね」

 メールを保護にして消えないようにしてから、省吾は鼻歌を歌いながら月夜を歩く。

 この空のどこかに、ミサトは昇っていく最中なのだろうかと思いながら、省吾は少しだ

け軽やかに道を歩いていった。 





『完』





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