一周年記念&ホワイトデー記念短編小説

『十年目のWHITE・DAY』



 それを思い出す事は今まで無かった。

 夢の中で鷹取司(たかとりつかさ)は、もう何年も前に着なくなった制服を着て、同じ学校の制服を着ている女子を前にしていた。人が、この時間帯だと誰も通らない体育館裏。
 夕日が背中から射し、逆光となっていて相手の顔は良く見えない。
 司にはその場面がいつの事なのかはっきりと分かった。
 自分が中一の時の、二月十四日。
 初めてチョコをもらい、初めて告白された日。
 見ているとどうやら会話が進んでいるようだが、内容は全く聞き取れない。口はぱくぱく動いているのだが、言葉は聞こえてこなかった。
 一歩、女子が踏み出して司に近づく。
 その事でよく見えるようになった顔は、夕日の赤に負けないほど紅い。体を震わせ、親の敵でも見るような険しい顔で司を睨みつけてくる。余程緊張していたのだろうか。
 夢の中の司は耐え切れずに笑い出してしまった。
 女の子はきょとんとした顔で急に笑い出した司を見ていたが、やがて一緒に笑い出す。
 二人の間にあったやけに張り詰めた空気はそれで霧散し、和やかな雰囲気に包まれた。
【これ、受けとってもらえる?】
 それが初めて聞こえた、女の子の声だった。



 ピピピピピピピピピピピピピピピ……

 目が覚める。
 秒針がいつからか取れているこの時計は、目覚まし音が馬鹿でかいという理由だけで生き長らえている。そうでなくてはとっくの昔に新しく買い換えているだろう。
いつも大事な時にはこの目覚ましが役立ってくれたが、今回ばかりはその性能を恨んだ。
「タイミング悪りぃよ……」
 鷹取司は床を揺らすほどの轟音を立てている目覚ましを、布団から這い出して止めた。
 一瞬にして辺りは静寂に包まれる。
 いつもならすぐに起きて服を着替え、歯を磨き、朝食は大学の学食に食べに行くというのに、今はその気分ではない。
「久々に懐かしい夢を見たってのになぁ」
 卒業論文を書いてから整理をしていない机の上に飾ってある写真。
 資料の山に埋もれつつもその姿をはっきりと司の前にさらしているそれは、二人の姿が映っている。
 どちらかと言えば、可愛いというほうに属される、ショートカットの女性。誰がどう曲がった視線で見ても恋人同士だと分かる。
 日付は四年前。
 まだ、青春真っ盛りだった高校生の頃の写真だ。おそらく卒業式の後。二人は正装していて、手には卒業証書の入った筒。
「はぁ……。高校も早かったけど、大学生活も早いねぇ」
 司はようやく起き上がり、てきぱきと準備を始めた。写真を見ていてこんなにのんびりしている暇はない。約束の日まであと二日。その内にバレンタインのお返しを買っておかなくてはいけない。
 さっと着替えて時刻を見ると午前十時。だいたいどこの店も開きだす時間だ。
「さて。行くか」
 司は頬を叩いて気合を入れてから外へと出て行った。


 司と紫藤美佐が出会ったのは中学一年の時。
 丁度、同じクラスだった二人はすぐに親しくなり、やがて恋に落ちる……。
(そんなこんなでもう十年、か……)
 司は自分の事ながら、よく今までこの関係が続いているなと感心した。
 世の中には長らく続くカップルも居れば三日で別れるような奴等もいる。
 その中では、司と美佐は特異な例と言えるだろう。
 別に幼馴染みでもない二人が十年も続くなんて誰が予想できたか。当時の友人達は誰もがいまだに続いている司達の事を聞いて驚きを隠さない。
(十年も続けば、プレゼントだって品切れるよ……)
 大学は別々だったために休みというのは二人が唯一会う機会だ。
 春、夏、冬。
 地元が同じなので里帰りするたびに会って一緒の時を過ごす。
 特にクリスマスや、バレンタイン、ホワイトデーなど恋人達が基本的に行う行事と言うものを二人は大事にした。
 どんなに忙しくても何とかそれらは行ってきたのだ。
 おかげで司がバレンタインデーにチョコやその他をもらうのも十回を数えたし、自分もホワイトデーにお返しをするのも通算十回目なのだが………。
(そう言えば最初のホワイトデーって何をあげたっけ?)
 今朝の夢。
 初めてのバレンタインデー。
 美佐から告白され、付き合うようになった日。
 その後のホワイトデーに自分は何を美佐に渡したのだろう?
「記憶力はいいほうなんだがなぁ」
 今まで過去に渡してきた物は覚えている。
 美佐がバドミントン部に入っていた事もあってタオルをあげたり、ビーズのリングをプレゼントした事もある。毎年毎年、美佐の方もバレンタインデーにチョコの他、マフラーやセーターなど凝った物をくれるので対抗意識があったからだ。
 しかし、何故か一番初めの物は思い出せない。
(……何か、恥ずかしい事があった気がする)
 記憶にかすかに残る恥ずかしさ。
 何か、その時とてつもなく恥ずかしい事をした気がする。
 その事が思い出す事を妨げているのか。
 いろいろとその事を考えつつ、司はしばらく歩いた先にあった宝石店に入った。
 今回贈るプレゼントは既に決めている。今まで手を出そうと思っても金が無くて出せなかった物だ。
「この指輪には名前が彫れるんですが、なんと彫りましょう?」
「Misa、で」
 司が選んだのは指輪だった。それほど高い物でもない。しかしそう簡単には手を出せる物ではなかったし、指輪を贈る、となると途端に恥ずかしくなる。
 近頃カップルは普通に指輪を彼女につけさせているが、何となくもう結婚真近と言った感じがして不思議な気持ちになってしまうからだ。
(もうそろそろ……いいよな)
 自分も一浪を経てようやく大学を卒業し、就職。
 美佐も一年早く卒業して会社づとめだ。
 もうそろそろ結婚を考えてもいいと思っている。
「ありがとうございました〜」
 店員の声に押される形で店から出る司。
 その顔には自然と笑みが零れ、通行人達の視線が少しイタイ。
「……さて、帰るか」
 気を取り直して司は帰路についた。


 景色がぼんやりとしている。夕暮れが綺麗なところからも、体育館の裏だという所からもあのバレンタインの時の夢だと司は分かった。
 視界に映るのは中一の頃の司と美佐。
【ちょ、ちょっと待ってくれないかな……】
【あの、駄目………?】
 上目使いで司を見てくる美佐。夢の中の司はどぎまぎして慌てふためていている。
【い、いきなり言われたからさ……。そりゃ、今まで凄い仲良くてさ、うちのクラスの奴となら、誰と付き合うって言われたら紫藤だけど……】
【なら、待ってる】
 美佐はそう言ってきびすを返した。司は走り去っていく美佐の後姿を見ていることしかできない。
【……どう、しよう……】
 夕日が常に背に当たる位置に居たにもかかわらず、司の体は緊張と焦燥で冷えていた。
 どう答えを出したらいいか。その事を考えると何も他の事を考える事は不可能だった。


 ピピピピピピピピピピピピピピ……

 目が覚めた。
 寝ている間に上方に移動していたらしい。
 目覚めを告げる音のための振動が直接頭へと響いていた。
「……いてぇ」
 司は自分の頭と密着していた目覚ましを手にとってボタンを押す。しかし音は止まらない。
「とうとう壊れたかよ」
 何度か側面を叩く。しかしどうあっても止まらない目覚ましは更に音が大きくなったように思える。
「……」
 司は電池を抜いてその辺に目覚ましを転がした。今の間に眠気は無くなっている。そして頭の中に浮かぶ事。
「バレンタインデーから付き合ったんじゃなかったっけ?」
 付き合い始めた日が違う事は司に多少なりともショックを与え、そして記憶の底にわだかまる、忘れていた事を思い出させた。
「そうか……分かった。最初のホワイトデーに何を渡したのか」
 司は思い出して、それに伴いなかなかいい考えが浮かぶ。
 今日は約束の日で、会う時間は十時。
 現在は九時。
「まだ間に合う」
 司は急いで着替えると机の上にある物を全て床に置いてスペースを作った。そして机に向かい紙とペンを取る。
 カリカリと……、紙の上をペンが走る音が部屋に響いた。


 司が待ち合わせ場所に息を切らせて行った時には、既に美佐は待っていた。
 紺の上下に中は黄色のセーター。
 小さなバッグを体の前で両手で持ち、軽く体を揺らしている。
「悪い悪い! 遅くなった」
「久しぶりに会うんだから時間ぐらい守ってよ!」
 美佐は口調とは違って顔には笑みを浮かべていた。
 待つという事を楽しんでいる節もある。
「じゃ、行くか」
 司と美佐は手を繋いで歩いて行く。行き先は司が以前から目をつけていた喫茶店だった。
 二人で飲み物を注文し、しばしの時間が流れる。
「それにしても、十年かぁ……。長いよね」
 美佐がしみじみと言ってくる。司は何、年寄りみたいなこと言ってるんだ、と笑って美佐を小突く。穏やかな空気が流れていた。
 注文した飲み物もきて、二人で味を楽しむ。中学から高校。高校から大学を経て変わっていった過ごし方。それは二人の間でしか共有できない物だ。それを分かっているのか二人は黙ったまま、特に何をするでもない。長い時間を一緒に過ごしてきて、こうして二人で居る事だけで十分というのが分かるからだ。
「今日のプレゼントなんだけどさ」
 司は唐突に話を切り出した。
 美佐も分かっていたのか少しも驚かずに司を見つめる。穏やかで、優しい視線で。
「これだよ」
 司がそう言って出したのは指輪ともうひとつ。
「手紙?」
 指輪の箱の隣に置かれたのは封筒に入った手紙だった。
 どこか懐かしさを感じさせる手紙に美佐は首をかしげる。
「読んでみなよ」
 司に言われるままに封筒の端を破って中身を取り出す。
 二つ折りされた中身を開いて眼を通した時、美佐はあっ、と声を上げた。
「これ……」
「そっ。一年目のホワイトデー」
 司は照れて頬を指でかきながら答える。美佐は懐かしむように手紙の文面を読んだ。
「いきなり思い出してさ。俺達最初のホワイトデーの時に書いたラブレター」
 そうだったのだ。
 告白されて、返事を考えた司はホワイトデーに手紙を美佐に渡したのだ。それから二人の恋は始まった。思い出の、ラブレター。
「渡すのをクラスの男子に見られて……それで凄く恥ずかしかったのよねぇ」
 美佐は読み終えると口に手を当てて笑う。
「そうそう。それで二年になってからしばらく冷やかされたっけ」
 若りし頃の思い出に笑う二人。まだまだ思春期に入り始めたばかりの男にはその恥ずかしさは耐え切れなかったのだろう。その事が、忘れていた原因だったのだ。
「できるだけ思い出して正確な文面にしたんだ。どうだ? 懐かしかっただろ」
「うん。十年目に、凄いいい物をもらったわ。大事にするよ」
 そう言って手紙を封筒に入れてしまう美佐。司は箱から指輪を取り出した。
「十年前に加えて、これ。結婚指輪はもっといいのを買うよ」
「……ありがとう……はめて、くれる?」
 お互いに顔を赤らめながらも指を差し出す美佐。その手を取る司。
 指輪が、ゆっくりと美佐の指にはまっていった……。


【これ、この間の返事】
【……ありがとう】
 手紙を読み終えて美佐は司をまっすぐに見た。その目が潤んでいた事からも断られた時はどうしよう、といった心配があった事を伝えてくる。
【これからも、よろしくね】
 差し出される司の手。
 その手をおずおずと握る美佐。
【この手紙、いつまでも大事にするね】
 繋がれた手がこの先、いつまでも繋がれていく事など《一年目》の二人は知らない――BR>

 十年目のホワイトデー。
 それから数日経った美佐の部屋。
 微かに開いている机の引出しからはみ出ている封筒がある。
 過ぎ去った年月を示すように少々黄ばんでいるその封筒と一緒に、真新しい封筒があった。
 同じ書き手。
 そしてほぼ同じ文面。
 十年の時を超えて、二つの手紙は今、静かに机の中で眠っている――。


『十年目のWHITE・DAY』〜Fin〜



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 紅月赤哉ですよ〜。
 今回の小説は一周年記念と言うことであまーくしてみました。
 でも実際、中一から大学卒業まで続くようなカップルっているんですかね?
 うちの父母は同じ高校同学年で付き合って、大学が離れたのにまたくっついて結婚した 人達ですが、母親に聞いてみると「他の人探すのがめんどくさかった」とかいう理由だそうです(汗)
 
 小説を書き始めたのが高校三年の春頃だと言う事でもうすぐ三年になるんですが、こういうのを書い てると現実とのギャップがあるなぁって思います。
 でも、僕は「お話の中でくらい、ハッピーエンドでもいいじゃありませんか」という理念の下、こう いった短編を書きつづけるでしょう。
 近頃は特に現実はハードなので、勉強に差し支えない程度に精力的に(なんじゃそりゃ)書いていこうかと思ってます。
 ほんとにやんなきゃなぁ。大学生活なんてあっという間ですよ、ほんとに。
 では、次の作品でお会いしましょう〜。




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