俺達の終戦記念日
EX【ある春の日の話】
恭平は目の前に展開されている光景に飛び込むことを躊躇していた。デパートの一角にもうけられた特別なスペースというだけでも他の理由でそこにいると誤魔化すことはできず、恥ずかしいという思いが膨れ上がってくる。
(やっぱり、コンビニで売られてるやつでいいんじゃ……)
楽な方向へ逃げようとする心を押し止める。去年の忙しい時期に使った手段であり、今年は卒業式も合格発表も終わり、部活さえもないため忙しいという理由はどこにもない。強いていえば高校入学の準備だが、恭平に思いつくことは何もなかった。勉強でもバドミントンでも特にこのイベントの準備を中断する理由にはならない。
(明日くらいはなぁ。今後は高校離れるんだし)
幕に大きく書かれた『ホワイトデーフェア』の文字。
明日、3月14日はバレンタインデーのお返しに男子が女子へとプレゼントを渡す日と周知されている日。バレンタインデーと同じくデパートの陰謀だと口にする人は多いが、結局のところ、口にする人々もプレゼントは買っている。そのために、恭平の目の前の特設コーナーには同い年から年上の同性が数名品定めをしていた。中にはカップルで来ていてプレゼントを決めている女子までいる。
「……いくか」
静かに呟いて足を踏み出すが、やはり入れない。特設コーナーから来る独特の雰囲気が恭平を未知の場所へと向かわせない。このまま立っていればそれだけで不審者に見られそうになった時、背中から声がかけられた。
「よう、田野」
弾かれるように振り返ると、竹内が立っていた。笑って手を振り、笑顔を向けてくる。
「お、おう。竹内。久しぶりだな」
「卒業式の次の日以来だよな」
竹内は寂しそうにため息をつく。バドミントンと中学校。大きな繋がりを二つ失えば、恭平には竹内と会う理由がほとんどない。貸していたCDや漫画を卒業式の次の日に竹内の家へと取りに行ったくらいだ。一緒の学校に行くというならばバドミントンの練習も一緒にするが、行かないのだからする気も起きなかった。
「ところで何のようだ?」
見知った顔に会ったことで気が緩んだが、そもそも恭平がいること自体が珍しい場所に竹内もいる。事の重大さに気づいて恭平は問いかけた。すると竹内は世間話をするかのように緩いままで答えた。
「ああ。そこでホワイトデーのやつ、買おうと思って」
「だ、誰に?」
すらりと答える竹内に恭平は驚きを隠して続けて尋ねた。
誰に渡すのか。簡略化して聞いても、竹内は把握したのか「寺坂」と残念そうに呟いた。どうして残念そうかを聞く前に、竹内は恭平の手を掴んで前に歩きだす。先には特設コーナー。恭平は抵抗するまもなく幕がつけられたゲートを通った。
「さっさと買って帰るぞ」
自分を鼓舞するように呟く声が聞こえて、恭平は少しだけほっとした。事情は違うとしてもダブルスのパートナーだった男がこの場にいるというのは心強い。言っているようにさっさと選んで帰ろうと決めて、隣に並ぶ。
「なあ、どんなのがいいんだ? クリスマスにプレゼントとかしてるんだろ、菊池に」
問いかけてくる竹内の表情が明らかに薄暗い。この場にいるだけで体力が削られていくように見える。実際には精神的に削られているのだろうが。恭平が見る限り、ホワイトデーコーナーにいるのは彼女がいる男子しかいない。彼女を連れている男は論外として、他の男子の物を選ぶ様子が、具体的にどう似ているということは言えないが、自分が菊池にプレゼントを選ぶ時に似ていた。
「そりゃまあ、してるけど。それは里香が何好きだとか分かってるから選べるんだけどな」
そう言って恭平は目についたタオルハンカチを二枚手に取る。同じメーカーの色違い。これから離れるということで、お揃いの小物を使うというのは悪くない選択かもしれない。そう考えて、恭平は早々に菊池へのプレゼントを決めた。
「お前。もっと時間かけて選ぶとか、愛のあることをしないのかい」
「言い方変。それに、さっさとこの場から去りたいし。元々そこまで時間かける方じゃないんだ」
芝居がかった口調で話しかけられて、言い返す。竹内は単純に早く決められたことが不服だったのか、すぐにプレゼント探しを再開する。
恭平はタオルハンカチを見せながら竹内に言う。
「寺坂もこれでいいんじゃないか?」
「菊池と同じのだとバレたら、手を抜いたと言われそうだ」
寺坂と菊池も違う高校に進学するが、プライベートで会う可能性は十分あった。その時に同じハンカチを持っていると知った時を想像して恭平は納得する。
「竹内は同じ高校だもんな。疲れそうだな」
「ほんとだよ……いつのまにあんな感じになったんだか。中二の時まではなんかオドオドしてたり自分に自信なかったりしたんだけどな」
竹内の言葉に寺坂の過去を振り返る。小学校の時から町内会のバドミントンサークルで一緒に過ごしていて、中学も引き続き一緒になった。先輩が引退して部長を任されてからもしばらくは部員に振り回されている印象だった。
それでも徐々に成長していって、今に至る。
(多分、竹内には一番楽に接することができるんだろうな……付き合えばいいのに)
思い浮かんだことは口には出さず、竹内がいろいろと眺める様をしばらく眺めていた。
* * *
結局、竹内はホワイトデーコーナーでは買わずにスポーツ用品点に行くと言って恭平と別れた。バドミントンのリストバンドやタオルなど実用的な物と、クッキーで手を打ってもらう、と呟きながら去っていく竹内に不憫な気持ちになる。彼氏でもないのにこうして使われるのは、いろいろと握られている物があるのかもしれない。
(寺坂も、悪意はないだろうから大丈夫だろうけど)
恭平はビニール袋の中に入っている二つの包装紙にくるまれたハンカチを見る。赤と青と対比された色の包装紙がちょうど店頭にあったため、プレゼントだと言って包んでもらったのだ。元々ホワイトデー用のコーナーであるためその点は特に気負いなく告げることができた。
購入を終えて気分が楽になると他のことに気を使えるようになる。
(さって。どうするかな、これから)
腕時計を見ると午後二時。元々時間をかける気はなかったために想定通りの時間帯ではあるが、このまま家に帰るというのももったいなく思える。恭平はしばし思案した後でまたデパートの中に入った。
(確か、ゲーセンがあったな……)
デパートの最上階にはボーリング場とゲームセンターが一つになっており、たまに家族で訪れたことがあった。ゲームセンターへの立ち入りは中学生ではまだ親や教師の目は煩わしいが、昼間であるならば問題ないと結論づけてエレベーターに乗る。多少がたつきながらも昇っていったエレベーターが止まって扉が開くと共に、音の洪水が恭平の中になだれ込んできた。
ボーリングのピンが倒れる音。BGMとして大音量で流れている音。ゲームの筺体から流れてくる電子音。他にも遊びに興じる子供や同年代、大人の声が混じりあっていて、恭平は思わず顔をしかめた。
(やっぱり止めるか……)
頭の中に響く騒音に目をシパシパさせて、恭平は帰ろうとする。だが、その背中に声がかかった。
「あれ、もしかして田野?」
聞き覚えがあまりなかったが、聞いたことのある声。
振り返ると、ミニスカートに黒タイツを穿いたすらりとした足が目に付く。最初から視線が低かったと、慌ててあげた恭平の目には見知った顔が映った。
「今村じゃん。こんなところで何してるんだ?」
「こんなところって。卒業記念でボーリングで遊んでるんだよ」
市内で恭平達の浅葉中とは離れた場所にある明光中の女子で、寺坂や菊池のライバルダブルスの一人だった今村幸華は笑って話しかけてきた。恭平と同学年で菊池とも因縁があるため顔と名前は一致するが、正直なところ、話しかけられる理由が分からなかった。菊池との絡みはあっても、恭平とはほとんど接点はなく、バドミントンの関連でたまに話す程度。少なくともプライベートで会話が成り立つほど人となりを知ってはいなかった。
「ほら。向こうに先輩達もいるし」
指さした方向を見ると、同じ中学の友達や先輩とおぼしき集団がいた。中には恭平の先輩達と何度も試合をしたペアの姿もいる。生活圏内が離れていても、このデパートは重なっているところにあるのだと改めて理解する。状況を把握したところで、せっかく話しかけてきた相手とこれで終わるのももったいないと話を続ける。
「そっか。今村はどこの学校行くんだ?」
「ん? 私はね」
今村の答えた学校名は恭平が行くところと同じだった。その上で今村もまた、菊池と寺坂はどこに行くのかと尋ねる。二人とも別の高校で、恭平とも違うと告げると今村は見て分かるくらい落胆した。
「もう。せっかく高校でも試合やろうと思ったのに。せめて二人同じところに行ってくれないと」
「……今村のパートナーの……今北は同じ学校なのか?」
「そうだよ。二人とも、彼氏が同じところだし」
「へぇ。そうなんだ」
彼氏が誰なのかは予想がつく。さっき今村が指し示した場所を見てみると、パートナーだった今北の姿が見えた。おそらくは、それぞれが先輩男子と付き合っているのだろう。
「好きな人と一緒のところには行きたいって思ってたけど。結局、それでまた今北とコンビ組めるって思ったら嬉しいよね」
「そう、だな」
「高校から部活一緒ってことで、よろしくね〜」
今村は四月からのことに思いを馳せて嬉しそうに去っていった。その姿を見ながら恭平も考える。
自分もまた一人。竹内と離れて、高校では新しくバドミントンを始める。もちろん、自分の先輩だった人達もいるが、そこには中学で敵だった先輩がいて、彼女の敵だった同学年がいる。昨日の敵が今日の仲間。今までと全く違う世界にいくことに頭が混乱する。
(でもきっと、すぐ慣れるんだろうな)
時間が過ぎれば慣れてくる。慣れれば、体の記憶は入れ替わる。中学時代に経験したことは奥にしまわれて、新しい仲間達との記憶が前に積まれていく。それに対する寂しさよりも、期待感に心が震える。
すっかりゲームセンターで時間を潰す気がなくなり、恭平はまたエレベーターに乗り込んだ。無性にラケットが振りたくなり、家の外で軽く動こうと考えながら、家路についた。
* * *
少しだけ早く起きて、いつもと同じくらいの時間に服を着る。今まで休日はバドミントンばかりで、服にはほとんど気を使っていなかった。それでも、たまに買いに出たりしてたまった服はたくさんある。ほとんどが一回、二回しか着ていないものだ。
自分でも珍しいと思いつつ、恭平は自分をコーディネイトした。ファッション雑誌やテレビの同年代の俳優などは見ないから、自分なりのお洒落。昨日出会った今村や他校の先輩の姿を見て、二人で会う時くらいは服に気を使わないといけないと思ったのだ。
自分が納得できた服装となり、クローゼットを閉めようと扉に手をかけたところで、恭平の視線は一点に止まる。そこには、浅葉中のジャージがかけてあった。
三年間のほとんどを、中学指定のジャージとTシャツとハーフパンツを着て過ごした。自分のほぼ三年分の汗が染み込んだそれらは、もう洗ってもすぐ臭いがでるようにまでなっていたため寝間着代わりにもしておらず、クローゼットにまとめて吊してあった。
いつまでもスペースを取っておけるとは考えてはいない。いつかは、ゴミとして捨てるか、雑巾の素材にでもなるのだろう。それでも、その時までは取っておきたい。自分の中学三年間を一番傍で経験してきたのだから。
「さて。行ってくるか……っと、もうこんな時間か」
待ち合わせ場所に早めに行こうという思惑もあって早めに起きたのに遅れそうだと気づいて、恭平は慌てて部屋を出ようとする。その前に机の上に乗っていたプレゼントを取ることを忘れない。
高校入学までの短い間。四月から離れてしまう菊池との時間がどうなるかは分からないが、それは高校生の自分達が繋いでいく物。
新しい時間までの幕間を、恭平は精一杯楽しむべく、前を向いて向かう。
中学のバドミントンを終えて。
中学生を終えて。
新しい世界を間近に迎えて。
弾む気持ちを抑えながら、恭平は玄関の扉を開ける。
「行ってきます!」
外に出れば、ちらほら残る残雪と春めいた日差し。
雪解けも春も、すぐそこまで来ていた。