地と、天に戻る

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 一つ、一つと剥がれ落ちていく身体の欠片は重く耳障りな音を周囲に運び、離れた場所で見ている人々は顔をしかめつつも好奇の視線を私に向けていた。
 身体の一部が容赦なく削られていくのを見るたび、感じるたびに私の意識は痛みに支配されていく。
 五分前に始められた解体作業。鉄の爪が私の身体を突き刺し、抉り、内部をさらけ出させる。生きたままバラバラに殺される心地とはきっとこのようなものなのだ。
 過去に家族が全員揃い、居間で見ていたテレビから流れる衝撃のニュース。その時も皆の顔は擬似的な痛みに歪んでいるのだが、瞳はより惨い展開を期待するかのように輝いていた。
 人はきっと、怖れる物事から離れようとすると同時に近寄りたいのだ。
 一見相反するように思えるが、自分が味わいたくはないけれど見てみたいのだ。
 ……また一つ私が破片となって落ちていった。痛みをこらえながら遠くを見ると、私に住んでいた現在の主達の姿。
 父母、そして子。
 私を生んでくれた彼らの祖父母の姿は、もう二年も見ていない。
 私は彼らの家である。


 ◇ ◇ ◇


 私がこの世に生を受けたのは三十年前の今日だ。それを現在の主達が覚えていたのかは分からない。その日に私が解体されることになったのはおそらく偶然だろうが、何か異なる力が働いたと私は思う。そもそも、私という個体が意識を持つ事さえ、そもそもありえないことなのだ。
 実際にこうして意識を持つようになったのは二年前。語る私が生まれた瞬間に、私の身体が経験した記憶は生まれたての意識に飛び込んできた。
 過去二十八年の出来事。
 私をデザインした現在の主達の祖父母の姿。
 私を建てた大工達。
 祖父母達の娘に、その婿。二人の間に生まれた男の子。
 彼らが姿に時間を刻んでいく様子。
 私を取巻く環境の知識。
 子供の蹴り足で空いた壁の穴や、床の引っ掻き傷。入れ替えられた風呂場に増設されたトイレ。
 そして、最も新しい記憶は線香の香りに誘われて集まる黒服の人間達。
 手に数珠を持ち、朗々と歌うように伸びるお経は彼らの涙と沈黙を空へと連れて行く。私は身体に染み込んだそれらを大事に大事に取っておくが、すぐに消え去ってしまうのだ。
 音や香りは残らない。残るのは人間の記憶の中だけだ。
「お爺ちゃんもお婆ちゃんも亡くなったね」
 同居していた祖父母に甘えていた少年は、もう父と変わらぬ背丈と青年の年齢を持っていた。それでも口調が幼き頃に戻るのは、彼がそれだけ祖父母を愛していた証拠だろう。最初に祖父が、次に祖母が他界してからたまに呟かれる言葉。
 同じ事を繰り返すも、三人はよき思い出を語っていた。
 その顔に浮かぶ笑みに私は安心した。
 きっと、私を生んでくれた人達は、今の主達に愛されていたのだろうから。
 だが、祖父母に終わりが来たように、私にも終わりが待っていた。
「この家も古いし、私達が老後にすみやすいよう立て替えないとね」
「そうだな……」
 二人の言葉が、終わりの始まりだったのだ。
 整理されていく祖父母の衣類、持ち物。
 次々と私が軽くなる。積み上げられた三十年が次々と外に運ばれていった。
 タンスが動かされ、使われなくなったピアノが外に出され、調理道具が一新された。
 身体の中から、徐々に年月が消えていった。
 その頃からもう、私は空っぽになったのだろう。
 私の親とも言うべき者達は死に、その子供達が私を殺す。家というのは古くなれば変わるものなのだから、それは当たり前だ。
 身体の中から思い出が運び出されていくたびに私は諦めていった。この諦めがなければ今、こうして壊されている自分に耐え切れなかっただろう。そのために必要なことだったのだ。
 これから数日かけて私の身体は完全に壊される。残るのは私を支えてくれていた大地。そこへ、現在の主達を包み込む家が建つ。
 人間でいう嫉妬という感情だろうか。どこか意識がむずむずとした。
 何故、私はこうして意識を持ったのだろう。
 意識を持たなければ、それに伴いまるで人間のような感情がなければ、私はただの家として壊され、役目を終えることが出来たのに。
 神様か、それとも仏様か。
 死ぬ前に、私に苦痛を与える目的があったのだろうか。
 自分が壊れる音。痛い。苦しい。辛い。
 それでも私が耐えられるのは、私が生きた年月の思い出があるからだ。私の意識に流れこんだ年月。その、記憶。
 時の流れに見えなくなった形のないそれらを私が今、持っているからだ。
 ……今日の作業が終了したのか、大きな鉄の爪は動きを止め、あたりは静寂に包まれた。正確には吹き付ける風の音や雀が電線の上で鳴く声。壊れかけの私を気にせずに傍を歩く野良猫の足音。
 それらの音色が重なりあい、死に行く私を送る葬送曲へと変わる。一つ一つは無意味でも、混ざり合うことで自然の生み出す素晴らしい演奏に変わる。
 そうだ。
 同じ台詞を、昔聞いたことがある。私を生んだ現主の親から。
 二人は自然が奏でる音楽を心から楽しんでいた。外に立ち、私の身体に身を寄せて手を繋ぎながら。その光景を思い出すと、心が洗われる。とても穏やかで、優しい時間を彼らは過ごしていた。
 子供が自立し、伴侶をもらい、孫が生まれ、育つ。
 些細な喧嘩を繰り返しながらも、死ぬ時まで愛しき家族と共に彼らは過ごすことが出来たのだ。おそらく、今の私のように過去を振り返りながら。
 自分が今まで生きたことの回想。その、なんと嬉しいことか。
 先ほどまであった困惑と痛みはすでにない。私の意識を作った者がどういう意図であるかは分からないが、私はもう、今の状況を悔やむことはないだろう。
 これから私の身体は地に返る。そして、きっと意識は天に昇っていくはずだ。何故なら、私は「心」を持っていると錯覚するほどになっていた。人間のように。
 人間もまた遺体は土に返り、魂は天に昇るに違いない。その時には、きっと空の上で主達の祖父母にまた住んでもらうだろう。
 彼らが過ごすことが出来なかった二年間を持っていって。
 身体に思い出を染み込ませることはできないが、意識に残る思い出は忘れない限り、私と共にあるのだから。
 来るべき時に備えて意識を休める。気づけば夕日が傾き、私の身体を茜色に染めていた。
 夜と共に私の意識もぼんやりと消えていく。これがまどろみと、言うのだろう。
 こういう時に言う言葉を、空に向かって呟こう。

 おやすみなさい。私が愛した人達。


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