ティクタク

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「面白いものを見せてやる」という言葉を胸に坂本悠太(さかもとゆうた)は友達の家にやってきた。時刻は正午過ぎ。太陽が大体の感覚で南の空にある。表札の『春日』という文字を一読してから、チャイムを押し込む。音が聞こえた気配はなかったが、どたどたと走ってくる足音は漏れ出てくる。相当急いでいたのか、玄関のドアがぶつかった衝撃で前に飛び出た。
「うわ、大丈夫か?」
 心配な気持ちを込めて呟きつつ、ドアノブに手をかける。ゆっくりと引こうとする悠太と、勢い良く開いた春日の力のベクトルは同じ。結果として悠太は後ろに弾き飛ばされて転んでいた。
「痛いって!?」
「おす。速かったな。まだ時間まで五分あるぜ」
「五分前行動十分前終了がポリシーだから」
「ちょ。それって間に合ってないってことじゃないか」
 手を差し出しながら突っ込みを入れる春日悟(かすがさとる)に答えるように笑って、悠太は手を握って立ち上がる。すぐに家の中へと通されると、懐かしい匂いに安らぎを感じた。小学六年生の時以来、実に二年ぶりの友人の家。特に行かない理由はなかったのだが、タイミングが合わなかったためご無沙汰となっていた。過去に感じた悟の家の独特の暖かさは悠太のお気に入りの一つ。どんなことを見せてくれるのか、悠太の想像は膨らむ。
「で、何なの面白いものって。珍しい物? お前の手作りクロワッサン?」
「なんでクロワッサンか知らないし。そしてまあ、珍しい物が正解」
 悟は二階にある自分の部屋へと悠太を押し上げるようにして進んでいく。なすがままに部屋に通されて、悠太は固まった。普段見慣れていない光景を目の当たりにして、まるで壊れた時計のように入り口で止まってしまう。
「どうしたんだよ。入れよー」
「いや、あの」
 どう反応していいものか分からないまま、部屋の中に入る。足の踏み場を見つけるのも難しいそこは、数々の時計で埋め尽くされていた。大小関係なしに散らばる時計達は一斉に時を刻んでいる。どれも目覚ましだが、それが三十も四十も並んでいると悠太は一気に鳴り出したらとてもうるさいだろうと考えるしかなかった。
 その気持ちを正直に伝えてると悟は笑いながら語る。
「お、そうなんだよ。一度試してみたら酷かったね。その日は一日中耳鳴りが止まらない気がしたよ。授業中大変だった」
「平日にはしないほうがいいかも」
「平日にしか目覚ましかけないもん」
 そういうものか、と悠太は一応は納得して座った。時計達は床に張り付いているわけでもないため、微妙にずらしてスペースを作ってから悠太はあぐらをかいた。悟も同じようにして悠太の目の前に座る。いつの間にか手には黒いダンボールの箱を持っていた。脇に抱えられるくらいの小さいサイズ。悠太は直感的にこれが見せたいものなんだ、と思った。
「これが見せたいものさー」
 箱を悠太の前に置いて開く悟。そこにあったのはまたしても時計。他の時計と異なるのは秒針と分針がむき出しだということ。普通の時計ならばプラスチックのカバーで覆われているところがさらされていた。もう一つは、時針が無かったのだ。分針は数字の八の位置にあり、秒針は時を刻み続けている。
「時計、だよね」
「ああ。これも時計。名前はほら、ティクタクって読むみたい」
 黒い身体の横面に彫刻刀で削ったように、ローマ字で文字が書かれていた。確かに『ティクタク』と読める。名前かどうか悠太には分からなかったが、それらしいといえばそれらしい。秒針が時を刻む音といえばティクタクだと思っていたから。
「特別な時計なんだぜー」
 そう言うと悟は穿いていたズボンのポケットから何かを取り出す。二つあった袋を一つ悠太に与えて、自分は袋を破いた。
「充電までもう少しかかるから、とりあえずこれ食べてなよ」
 口でへし折られてその身を食べられているのは金太郎飴だった。どうして金太郎飴なのかという突っ込みを入れようとしたが、漂ってくる匂いに何か不快さを感じ、悠太は口が止まる。
 悠太は鼻をひくつかせ、匂いの元が金太郎飴だということを突き止めた。
「匂いかいでないで食べろよ。美味しいぞ」
「いや、これ変な匂いしない?」
 袋に書かれている名前には『加齢臭のする金太郎飴』とあった。
「意味分からないし!」
 あまりといえばあまりの物体に抗議の声を上げたところで、黒い時計が高い音を放った。縦長のボディの上についている赤いランプが点滅しているのを見て、悠太も充電が終わったと分かる。悟は箱から時計を取り出すと悠太の目の前に置いて腕を組みながら言う。
「これからパキッこいつのパキッ針を左に回すぎゅりぎゅり」
「食べながら話すの止めようよ」
 口から加齢臭を放つのを止めない悟は説明を続けた。
「こいつで回した分、時間が戻るんだよ」
 悠太はまさかと言おうとして息を止める。分針を戻そうとしている悟の顔は真剣そのもの。そこに疑いが入る余地はない。
(本物なの?)
 少しでも疑ってしまえば、気になってしまう。今まさに行われようとしている実験に悠太の目が集中した。動かされる指。ゆっくりと分針が戻っていく。一分、一分。また一分と。
 五分前に戻されたところで悟は指を離した。時計は分針は七の文字。三十五分のところを指し示す。
「これで五分戻ったよ」
「ほんと?」
「周りの時計見てみなよ」
 悠太が身近にある時計を見てみると、そこには十二時三十五分という時間が示されていた。確かに黒い時計と同じ時刻。
「マジで!?」
 他の時計も見てみると、全ての時計は十二時三十五分を示している。部屋を埋めている目覚まし時計は全て同じ時間を教えていた。戻した時間分だけ。
「ど、どうしてこんなことが」
「俺も分からない。叔父さんがお土産で送ってきたんだよ。目覚ましはかさばるから迷惑だったけどこの時計は凄い」
 悟の言葉は悠太には届いていないようだった。

 ◇ ◆ ◇

 目を輝かせて黒い時計を眺めている悠太を見て、悟は自分の試みが成功したことを確信した。
(ふひひ。大成功だ)
 顔に笑みが出ないようにするだけで、悟は精一杯。自分の鮮やかな計画を反芻し、悦に入る。
 分針と秒針しかない時計という時計を使っての簡単なトリックに悠太は引っかかった。
 斬新な時計に注意をひきつけ、冗談がきつい『加齢臭のする金太郎飴』で更に注目をつめさせたことで時間の感覚を狂わせる。
 あとは本当の時間で三十五分になる頃に合わせて分針を戻せば、時間が戻ったと錯覚させられるようになる。ばれても悟には悪影響が無く、笑って済ませられることだという計算だった。
 黒い時計も本当の時刻を指しているという思い込みを持たせるために、多くの時計を用意した。いくつかの時計を見てしまえば同じ時刻を指していると思い、それが四十もあれば全て同じ時刻だろうと思わせられる。
 結果として、悟が仕組んだトリックで悠太は騙されたのだ。
(今日はこれで騙しておこう)
 作戦が成功したことに気をよくした悟だが、一瞬鳴った大きな音に耳をしかめた。どこから発せられているのか探してみると、自分の目の前の黒い時計。カチカチという機械的な音の羅列。ゆっくりと時を刻む鼓動が聞こえてくる。それと同時に悟の胸の中に漠然とした不安が忍び寄る。 
 ティクタク、ティクタク。秒針が進む度に大きくなるような不安。
(なんだ。何が不安だ?)
 そこで悟は気がついた。
 雰囲気作りのために自分が彫った『ティクタク』という文字から、赤い液体が流れ出していることに。
「ぎゃ!」
 流れ出る赤い液体を血だと錯覚して、悟は小さく悲鳴を出した。目の前の悠太はその声に驚いて顔を悟へと向ける。自分だけじゃなく悠太にも見えているはずだと、悟が不安を口にしようとした、その時。身体が勝手に動き出した。
(え?)
「こいつで回した分、時間が戻るんだよ」
 口も自分の考えていることと全く異なる言葉を吐き出して、手は黒い時計の分針を五分前に戻す。
「これで五分戻ったよ」
「ほんと?」
「周りの時計見てみなよ」
 悠太が身近にある時計を見てみると、そこには十二時三十五分という時間が示されていた。確かに黒い時計と同じ時刻。
「マジで!?」
 他の時計も見てみると、全ての時計は十二時三十五分を示している。部屋を埋めている目覚まし時計は全て同じ時間を教えていた。戻した時間分だけ。
「ど、どうしてこんなことが」
「俺も分からない。叔父さんがお土産で送ってきたんだよ。目覚ましはかさばるから迷惑だったけ――」
 繰り返される言葉と会話。先ほどと全く同じ。悟の目には針を五分前に戻していく目覚まし時計達の姿が見えていた。
(ま、まさか。そんなバカな!)
 流れ出てくる赤い液体が悟の前に溜まり、形を変える。ティクタク、ティクタク。時を進んでいく秒針は規則正しく、ブレもないままに文字盤の上を回っていく。
「そ、そんな……」
 過ぎていく時間。一刻と時を刻む秒針。
 そして。
「マジで!?」
 ティクタク。ティクタク。
 液体が、一つの文字を形作る。

『時は止まらない』

(うわぁあああああああ!)「こいつで回した分、時間が戻るんだよ」(嫌だぁあ!)「これで五分戻ったよ」(助けて!)「周りの時計見てみなよ」「俺も分からない。叔父さんがお土産で送ってきたんだよ。目覚ましはかさばるから迷惑だったけ――」(うわぁあ――)「こいつで回した分、時間が戻るんだよ」(いやだ――)「これで五分戻ったよ」(たす――)「周りの時計見てみなよ」「俺も分からない。叔父さんがお土産で送ってきたんだ――」(う――)

 ティクタク、ティクタク、ティクタク、ティクタク。


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