たったひとり

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 高校の頃に友達の家で十八歳未満お断りのゲームを見たことがあった。あくまで『見て』だけれど。主人公の男はやけに優しくて、その優しさに周りのどこか心に暗さを抱えている女の子が救われていく話。
 なんでこんなにモテるんだろうと思ったし、こういうハーレム状態って疲れるよね。現実にはないからゲームなんだろうけど、とも思った。
 そんな時からはや六年。あの頃抱いた感想を思い返すと、疲れるというところは正解だった。現実は小説と同じくらい奇だった。
「どっちが好きなのか、はっきりしてください!」
 そんなことを言われても困る、という言葉が喉に引っ掛かって出なかった。 何か言えば泣きそうで後々のフォローが困りそうだったこともある。それよりも、下手に長引かせて居座られても危険な気がした。
 二十四年生きてることで身につけた勘が「早く二人を帰せ」と告げている。
 強気な美咲はショートカットで顔は陸上選手だからか日焼けしていて、かなり健康的だ。夏の夜を乗り切るための白いタンクトップに膝で切られたジーンズ。シャツにうっすらと浮かぶブラのラインは男を引き付けるんじゃないだろうか。気にしないのがどこか男じみた彼女の良いところだと思うけど。
 美咲はずず、と近づいてきて下から見上げてきた。胸元が開いて谷間が見えてしまう。
「私は、ちゃんと結果に向き合いますよ」
 そう言って美咲の肩を掴んで後ろに倒した静は、美咲と対照的なロングヘアーだ。背中に届くストレートの黒髪。小さい顔に円らな瞳。細い鼻の下の唇はキスが美味しそうだ。彼女は美咲と違ってその場に正座して見つめてくる。身体中が痛くなるほど。
 活発な子とおしとやかな子。女の子二人に言い寄られるなんて一部にはおいしいシチュエーションなんだろうけど、正直間に合っていた。本当、ゲームだけでいい。
 そもそも、なんでこんな修羅場になってるんだろう?
 気まずくて二人から視線を外して見えたのは借りたDVDのケースだった。 この状況を生むことになった悪魔。
 時計を見ると午後八時四十分。上映が終わってから四十分。愛の告白をされてから二十分。後悔してからも二十分。借りたのは自分なんだけど後悔先に立たずとは正にこの事。
 内容は恋愛物だ。カバディなんてマイナースポーツにかける青春なんて凄いじゃないか! と上映会なんてしなきゃよかった。六時から八時。ゴールデンタイムを使う時間じゃなかった。気分が良かったからと、ほとんど絡まないバイトの子達とためしにって気持ちだったから尚更気落ちする。
 きっと彼女達は本編で主人公が五股に追い詰められてたから、その熱に当てられたんだろう。完全に巻き込まれた形だ。
「はぁ」
 気づかれないようにとか考えずため息をついた。そうでもしないとやってられない。
 最近本当ツイてない。無言電話も何度か掛かってくるし、出したゴミ袋が開けられてないだけでストーカーがいるんじゃないだろうか。出来れば、この修羅場もストーカーのせいだと思いたかった。そいつ倒せば全て終わるんだし。
 でも、この空気を作るきっかけは自分で、巻き起こしているのは女の子達だ。ああ、どうしようか。
 そんな現実逃避も限界で、目の前の二人は徐々に迫りながら呟いている。
「上田さん、かっこいいし。仕事も早いし優しいし!」
「変なお客さまがきても軽くあしらうところなんて、とろけます」
 二人は徹底的に誉めてくる。さっきからもう二十五分を過ぎていた。そろそろ時計はDVDを見終わってから一時間、夜九時を指そうとしている。
 誉めてくれるのは気分良いけど、やっぱりここから脱出しないと。
 ビーッビーッビーッ。
「あ、着信」
 二人を左手を突き出し制止。画面には別のバイトの子の名前。
 グッドタイミングだ! これを口実に逃げてしまおう。企みが顔に出ないように顔を二人からそむけて電話に出た。
「もしもし?」
『もし、もし? 上田さん』
 相手は緊張をはらんだ弱々しい声だった。一瞬過ぎる嫌な予感。何か、あったのかな?
 思わず立ち上がってしまい、美咲と静の不思議そうな視線が痛い。でも、この場から逃げるにはいいかもしれない。切羽詰った事情ならば自然と逃げ出せる! 人の不幸を求めるなんて駄目だろうけど。
『あの……私、わたしぃ』
 思考をめぐらせている間に、相手は声を震わせて泣きだしてしまった。
 携帯電話の先にいる真菜ちゃんは高三という時期が時期だからか、たまに不安定だ。バイトでも休憩中に泣きだしたりしたし、最近では彼女の代わりにバイトに出ることも多かった。でも、今はそれに驚いてはいられない。
「どうしたの? 何かとんでもない事情なら傍に行くよ?」
 発言に美咲と静の身体が反応するのを横目で見た。あからさまに嫌そうな顔。でも家主の退出命令には逆らえないだろうから無視。
「どこにいるの?」
『恐いけど、断られたらどうしようかと思うけど、言います』
 ガタン、とアパートの一室と外を繋ぐドアが震えた。例えるなら人が手で叩いたような音……。人、が。
『わたし! 上田さんのことが好きです』
 バンッ! と扉が叩かれる。多分、拳を叩きつけたんだろう。彼女がどこにいるのか考えるまでもない。
 三人目はわざわざドアの向こうから声だけ飛ばしてきた。
 姿が見えないだけに、より質が悪い気がする。言うなら真正面から……いやいや、それなら目の前の二人を肯定してしまう。
『バイト先でいつも見てました。休憩中に上田さんの飲みかけの紙パックのグレープフルーツ、ストローに口だけ付けたのも金曜の夜九時に電話かけてたのも私なんです』
「……あの無言電話あんたか! ストーカーかと思った!」
『告白は金曜と決めてたんですぅ。おばあちゃんの命日だから』
 どんな基準だ。確かに金曜に電話はかかってきていたけど、今日は月曜だし。そこを突っ込めば何か返してくるだろうけど事態は好転しない。むしろ悪化だ。喧嘩仲裁して殴られて、警察来たら八つ当りで殴られたみたいだ。我ながら変な例え。
「上田さん!」
「誰を選びますか?」
『心臓破裂しそうですっ!』どたん!
 三人の子に言い寄られて、一つだけ確かなものが見えた。

 このままでは貞操が危ない。

「ごめんみんな」
 私の言葉に固まるみんな。しょうがない。自分が傷つく前に相手を傷つけるしかない。彼女達を止めるには。
「私、レズは無理」
 もう少し言い方があっただろうけど、ぎらついた目と声に挟まれて気にできるわけない。部屋の中の湿気を吸って重くなった髪の毛を右手でかきあげ、大げさに顔を横に振ってみた。長くて綺麗と言われる自慢の髪の毛だけど、首が痛い。
「私、ノーマルな人間なの。だからさ。ごめん。みんなが納得できないならバイト止めるよ。引きずられると気まずいし」
 九割は本当。一割は嘘。どうせ来月には止める予定だったんだから、すっきりして良かったんだ。この修羅場も無駄じゃなかった。
「彼氏と結婚するから止めるんでしょ?」
 え?
 嘘の一割。美咲の口から、漏れた。
「なんで、知っているの?」
「高島薫ってなんか女みたいな名前! 上田さんには似合わないと思います」
「上田さんはもっと家庭的な人と一緒にならないといけません。目玉焼きを焦がすような人では駄目です」
『ゴミも自分で出さないと』ドンドンッ!
「保険会社の社員って儲かってるんですか? 営業成績を自分で上げるとか苦労するんじゃ!?」
「女友達も多いですしね。浮気の心配はなさそうですが、事実はなくとも不安になるのでは? 上田さんに耐えられますか?」
『ワイシャツもちゃんと襟とか手首のあたり揉み洗いしないと汚れちゃいます!』ドンッ!
 なんで?
 なんで、知っている?
 なんで……知っている!?
「なんで、知ってるの!? 名前も目玉焼きを焦がすこともゴミを自分で出さないことも仕事も女友達のことも洗濯のこともあんた達が知ってるわけないのに! なんでよ!」
 初めて、気づいた。二人の顔が、おかしい。
 徐々に目や口元が歪んでいる。ふにゃっとした曲線で。揺らめいて。どんどん顔の輪郭がふやけていく。なんなの? この状況は!
 嫌、気味が悪い、なんなの? なんなのよ!
「何なのよ!」
 足が震える。これ以上こんな場所にいたくない。でも、二人が前にいて進めない。
「何がですか?」
「それよりも」
『誰を選びますかっ!?』
「ひっ!」
 携帯を思い切り投げ捨てると美咲の顔に当たった。ちょうどおでこの当たりで、痛そうに俯いて左手で抑えてる。でも、そんなこと知ったことじゃない。逃げなくては。この場から逃げなくては!
「これから薫のところに行くの。帰って。さっきも言ったようにあなた達の誰も選ばないから」
『誰を選びますかっ!』
「えっ!?」
 聞こえた。確かに、耳元で。
 振り向いても誰もいない。当たり前だ。私が背にしているのは壁だし、真菜ちゃんはドアの向こうにいるはずだ。でも……耳にはさっきから生暖かい風が吹き付けている。壁に穴もないし、開けた窓から来る風はそれよりも涼しい。心なしか「はぁはぁ」と息遣いも聞こえた。
「大丈夫ですよ、これから薫さんはこちらに来ますから」
「メールで呼んでおきました」
 私が投げつけた携帯をぶらぶら見せ付けてくる美咲。
 何を、する気なの? 声に出したかった。叫んで、思い切り叩いて、この部屋から逃げ出したかった。
 でも、どうして体が動かないの?
 胸や腰が締め付けられるの?
 口に何かが入ってくるの?
『かっこいい人ですよねぇ。若い芸能人で似た人いましたよぉ。羨ましいですぅ。上田さんを独り占めだなんて』
「どんな味がするか食べてみたい」
「私はやっぱり、上田さんを食べてしまいたい」
 すでに人間の形をしていない、美咲達。顔だけはそのままで、身体は輪郭を残して透明になっていた。すかすかだ。すすっと滑るように近づいてきて、私の顔を撫でてくる。手は、人間の体温を感じる。
 身体をまさぐってくるのは間違いなく手。服の中に入り込んできて、胸が見えない手に触られて形を変えていく。
 でも……人間じゃない。人間であるはずがない! なら――
「誰を」
「選び」
『ますか?』
 選ぶ……選ばないと、いけないの? 三人の誰かを選ばない、と。
 私は。

 ピンポーン。

 ――聞こえたチャイム。私が、選ぶのは。
「薫」
 ――ドアが開くのと同時に、私の呪縛も解けていた。美咲達の姿は見えるけど、恨めしそうに私を見てる。彼の姿が見える前に、駆け出す。
「よぅ、郁――」
 私の名前を呼ぶ前に、相手の唇を私のそれで塞いでいた。びっくりした彼が、きょとんとした顔で見つめてくる。私は安心感に身をゆだねて、彼の胸の中に入った。
「どうしたんだよ」
「んーん。なんでもないですぅ」
 猫なで声で答えると、さすがにおかしそうな顔をした。でも、構わない。この人に分かるはずがない。
「そういえばさ、さっき車の中でラジオ聞いたけど、お前のコンビニの同僚の子たち三人、交通事故で死んだんだってな。この近くで」
「え、そうなの! 知らなかった……」
 本当に悲しかったから、私は思わず爪を噛む。でも彼は私を見てまた「あれ?」と言うとわざわざ覗き込んできた。
「郁子。爪を噛むなんて珍しいね」
「え、ああ……そうかも。変なの」
 徐々に慣れていかないといけないよね、この身体にも。とりあえず爪を噛む癖はない。
 薫の背中越しに、選ばれなかった二人の姿が見える。美咲さんと静さんがうっすらと消えていく。
 怒り、嘆き、悲しみ。いろんな感情が混じった視線。
 ウザイ。
 元々、あの美咲がドライブに連れ出したから私も巻き添えになったんじゃないか。まだまだ花の女子高生だったのに。
 年増は死んで、若い私が人生をやり直す。いいじゃんそれで。しかもめんどい受験をスルーしていきなり結婚。なんて素晴らしい人生!
 あとは、私の中にいる上田さんを殺すだけだ。まだしこりのように意識が残ってる。何か言ってるみたいだけど、もう聞こえない。
 じわじわと苦しめて殺してやるんだ。大事な彼氏が別の女と結婚するのを見てるがいいさ。
「ねぇ? 薫ぅ」
「な、なに?」
「好き!」
「……なんか、キャラ変わったよね」
 戸惑いながら、薫は私を腕の中に包んでくれる。少し汗臭いけど、仕事をする男の匂いっていいかも。新しい私かも。
「でもこんなキャラも好きかな」
「すきぃ」
 好き。好きだ。生きることも、男も。
「郁子。愛してるよ」
 そう。私は上田郁子。新しい人生を生きる一人の女。これからこの人に優しく養われていくんだ。それこそ猫のように。顔がほころんで、元に戻らないや。
「にやけてどうしたの?」
「幸せすぎ!」
 本当に。
 笑いが、止まらない。


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