『サマーナイト・ノンフィクション』



(人……やっぱり多いなぁ)
 花火会場の中にたどり着いて最初に思ったのは人の多さだった。始まりまであと三十分あるはずなのに、すでにめぼしい所は座られている。夜の暗さと後姿からどの年代の人たちなのかは分からなかったが、寄り添ってる二人はカップルだろうと予想がつく。人の群れの中を、私は明とともに進む。
 真夏の夜は四季を通じて一番苦手な夜だった。春秋のすがすがしさや冬のぱりっとした空気じゃなくて、ぬるま湯の中を歩いてるように思えるから。日中よりは涼しくなっているけれど、確実に私のシャツの内側は汗で濡れている。
 ジーンズに白いTシャツ。全然飾り気がないけれど、キャミソールにスカートみたいな涼しい格好だと緊張で変な汗で更に濡れそうだったから止めた。
「あ、あそこにしよう」
 その緊張を与えてくる張本人は、言葉と同時に私の手首を捕む。少しごつごつした暖かい掌から、全身に熱が回ったような錯覚が生まれて、身体が火照るような気がした。
「ん? どこ?」
 出来るだけ平静を装って尋ねると、明は人々が座る場所から少し離れたところにある一本の木の下を指差していた。誰かに取られないようにと早足で向かい、たどり着く。そこから空を見上げてみると、綺麗な星空が見えて、花火もまた斜め四十五度で見える位置だった。
「いいとこ取れたな」
 私は未だに離れない明の掌に意識が行ってしまう。こんなにも力強い手だっただろうか? お互いに違う場所で違う月日を送ってきたからって、ここまで変わるものだろうか?
「梓?」
「え――ああ! うん、そうだね」
 返事をしたと思っていたから、私は明の言葉に驚いてしまう。でも驚き以外の感情が声に浮かんでこなくて良かった。変に意識されたら、こちらとしても困ってしまう。でも明は私の手首を握りっぱなしなことに気づいて「ごめん」と呟いて離してくれた。
 声が少し照れてるように感じたのは気のせいだろうか? そう思って顔を見ようとしたけれど、視線は顎までしか上がらない。
 隣にいる明の顔は、四年の月日を感じさせた。中学の卒業式で離れて以来、会っていなかった明の顔は立派な『男の人』の顔になっていたから、その凛々しさに私は顔を見ることが出来ない。花火が始まればこの微妙な空気も変わるんだろうけれど、私の時計があと三十分進まないと花火は始まらない。
「……元気だった?」
 結局、こうなるんだ。お互いが知らない月日を、語るしかない。太い幹に二人で寄りかかる。手の甲が明のそれと軽く触れて、緊張が駆け巡る。
「ん? ああ……やっぱり最初は寂しかったけど、すぐ慣れたよ。それに大学受かったらこっち戻って良いって言われてたしね」
「そうなんだ……お父さんとお母さん、少しは元に戻ったの?」
「もう再婚はしないんだろうけど……こうやって父さんの所に遊びにいかせてくれたってことは進歩だろうな」
 明の声は少し寂しそうだった。両親が離婚して、母親についていってここから離れた明。やっぱり家族がばらばらになったっていうのはとても辛いんだろう。私は妹も姉さんも、お父さんもお母さんも一つに繋がってるって感じられる。明の感じてることを……私は分からないのかもしれない。
「はは。何深刻そうな顔してるの?」
 いつの間にか、明の顔が私の目の前にあった。
「ひっ!?」
 思考にふけっていた反動で驚きを抑えきれなくて、私はそのまま幹に頭をぶつけた。鈍い音が頭の中を駆け巡って、痛みに涙が出てくる。
「いた……」
 両手で後頭部を抑えながら文句を言おうと、涙目が明を向く。
 次の瞬間、背中に明の手が回っていた。
 頬に触れるのは明の頬。胸に当たる、明の胸。優しく、でもけしてすぐ振りほどけないように抱きしめられて、両手を上げたままの不自然な体勢で動けなくなる。
「あ、あの……」
 暗さではっきりと分からなくて良かった。多分、今の私の顔は真っ赤に染まってるだろう。周りの人も気になったけれど、それは花火が打ち上げられたことで心配は消えた。
 花火に視線が集まる中で、私と明だけは、互いを意識していた。
「梓に会いたかったよ」
 一言が、私の心を揺さぶる。簡単で分かりやすくて。強い気持ちが伝わってくる。
「電話でも、手紙でも足りなかった。お前くらい心許せる人って、やっぱりいなかったし。本当はこっちの大学にしたかったんだけど、やりたい研究無くてさ」
「そうなんだ」
 胸に広がる期待感を私は何とか押し殺す。そんなドラマみたいな展開があるわけが無い。四年ぶりに再会した親友と、恋に落ちるなんて。
 中学での別れの時。私は明と恋人同士にはなりたくないと思っていた。
 恋人同士になったのなら、いつか別れなければならない時がくるだろうから。
 恋人同士になったのなら、前のような近いけど崩れない関係には戻れないだろうから、ずっと仲良くしていきたいと、思っていた。
 明の言葉は私の言葉。
 電話でも、手紙でも足りなかった。
 明くらい心を許せる人は、いなかったんだ。
「だから、里帰りしてすぐ花火大会に誘ったんだ。言いたいことあって」
 心臓の高鳴りを明に悟られないだろうか? それほど私の胸は高鳴っていたし、耳の血管に血が凄い勢いで流れていく音も聞こえる。
 血液に乗せて、私の中の思いも身体を流れていくみたい。
「俺さ――」
「明」
 硬直していた両手を降ろして、明の肩を押す。
 かっこよくなった明の顔を真正面から見るのはとても照れくさくて、緊張したけれど、今は明の言葉を聞きたくない。
「花火、終わるまで言わないで?」
 その言葉を拒絶の意思だと思ったのか、明は寂しそうに顔を歪める。それが逆に面白くて、頬が緩むのを止められなかった。私が笑い出すと明の顔は今度はむすっとなる。
「笑うなよ……今、心臓ばくばくだぞ?」
「――私もだよ」
 私の言葉に呆気に取られた明を引っ張って、隣に置く。それまで心臓の音に集中していたから気づかなかったけれど、花火は勢いよく空を彩っていた。十連続で撃ちあがり、十種の色を弾けさせる。誰もが夜の紺色と花火のグラデーションを楽しむ気配が伝わってくる。
「終わったら、さっきの続き教えてよ」
「梓……」
「それまでに、かんがえとく」
 また木の幹に寄りかかる。もう明も何も言わずに花火を眺めていた。
 横目で明の顔を見る。さっきは顎までしか届かなかった視線が、今はちゃんと横顔を見ている。
 中学の頃、明は私が寄りかかってる木の幹だった。
 辛い時、悲しい時に私の背中を支えてくれる人だった。
 でも今は、隣に明がいることが、とても嬉しい。四年ぶりに明と過ごす時間は、とても楽しい。わくわくした。

 ――後ろじゃなくて、隣で、明を見ていたい。
 溢れ出す思いが、形になる。

「綺麗だな……すごい」
 花火に感動してる明は無防備で、私はゆっくりと、彼の手に手を伸ばす。
 握った時に明は慌てて顔を向けてきたけれど、私は熱くなった顔を花火に向けていたから、明の顔は分からなかった。
「凄いよね、花火」
「……ああ」
 ちょっとだけ私の手が強く握られる。私も少しだけ、握り返す。
 互いの暖かさを感じながら、私たちは打ちあがる花火を見ていた。
 漂う煙の臭い。
 人々の歓喜の気配。
 舞い散る火花の音。
 真夏の暖かな空気の中で。
「――――」
 声にならなかった言葉は、優しい風に乗って空へ昇っていった。




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