ストリートコーナーシンフォニー

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『世界』とは、日々を生きる人々が奏でる交響曲の名だ
 再生。崩壊。それでも途切れない、生命の歌だ。
 誰もが奏でる、優しい言葉だ。
 ―― 紅<ワールド・シェイキング>



 目を閉じると、街頭に流れるバンドの新曲や人の息遣い、細かな会話まで聞こえてくるというのは人間に備わった危機回避機能なんだろう。
 ……そう気取って考えてみても今の悲しい状況を覆すには至らない。そうやって自問自答しながら俺はまた目を閉じる。耳にはまっているイヤホンからは音は聞こえない。じっくり聞いている振りをしながら、待つ振りをしているんだから。全てが偽者。本物は、俺の外の世界だけ。
 駅前にごったがえす人の群れ。クリスマスイブも、クリスマスも、そしてこの年の瀬もまた、まるで同じ人々が歩いているかのように大きな流れとなって過ぎ去っていく。俺の前を何度も過ぎ去っていく。
 金がなくて実家に帰れない。近くに友達もいない。彼女がいない俺がすることなんて限られている。でも部屋に引きこもるのもまた寂しい。一人は、嫌だ。
 無音の虚無に引き込まれそうになった時、俺はこうして騒がしいところにやってくる。駅前。待ち合わせに使われる像の前。喫茶店、本屋、どこでもいい。語り合う人々の笑い声や楽しげな足音を聞くと自然と笑みがこぼれる。街頭で商品の宣伝をする売り子の高らかな声は、思わず財布をダイエットさせてしまいそうだ。元々脂肪率は限りなくゼロに近いが。
 街角は音に溢れてる。特に都会のそこは。絶えず人が代わりゆく中で、変わらないのは誰もがどこかに向かってること。自分の家。居酒屋。カラオケ。ゲームセンター。映画館。もしかしたらラブホテルかもしれない。何かしら、意味のある時間へと人々は進む。一分、一秒毎にその音色を変えながら靴音が、語らいが、音楽が、明日という交響曲を奏でている。
「その中の不協和音、ですら、ない」
 呟きは人の流れに乗ったと同時に消えていく。余韻さえも残らない。自分はこの場所にはただいるだけの、何の影響も及ぼさない存在なんだと悟ってしまう。五線譜の空隙。何も映らない場所に潜む、俺という邪魔者。邪魔でさえない、無為の存在。それはいなくてもいいと同じ。
 分かっていたじゃないか。そう分かっていても、俺はこの場所に来ることを求めた。
 街角から奏でられる楽曲を聴いて心地よさを得るためにここにきた。俺は観客で、ただ聞くだけで、せめてアンケートを書くくらい。
「アンケートお願いしますー」
 はっとして目を開ける。いつの間にか、俺から少し離れた真ん前で、数人が紙を示しながらアンケートを求めていた。歳は大学生くらい。卒業論文の研究にでも使うつもりだろうか?
「お願いしますー。ご協力くださいー」
 一組の男女が何度か繰り返すも、誰も見向きもしない。人々の視界に彼らは映らない。この場所は過ぎ去っていく場所であって、立ち止まるところではないから。俺が聞く街角の曲は、だからこそ一度しか聞けず、儚いゆえに価値があるのだから。
「お願いしますー。あ、ありがとうございます!」
 でも、そこに一人立ち止まる。背中を丸めたサラリーマンが女子に笑顔を向けながら説明を聞いている。街角にまた一つ、音符が加わる。
 あの男女は俺と同じだった。俺と同じように交響曲からは外れた音符だった。それでも、中に入ろうと行動して、ついに一つになった。女子のところに人がいくとともに男子のほうにも人が集まる。アンケートは簡単なものらしく、数分立ち止まってすぐ人が流れる。でも一度認識された彼らはもう無意味な空白じゃない。そこに、音が刻まれた。
 俺も少しだけ足を踏み出せば、あそこに入れる。
 観客から演奏者となる。でも身体は動かなかった。客席からステージに上るには俺には力が足りない。足を動かす勇気。演奏されている曲を壊して不協和音を奏でさせる勇気が。
「あれ? 大関じゃない」
 自分の苗字を呼ばれるのは久しぶりだったから、条件反射で振り向いてしまった。声を聞いても思い出せなかった相手は、顔を見ることで一瞬のうちに分かる。ほんの二年前の記憶の中に、彼女はいた。
「高瀬……みなほじゃん」
「大関幸一じゃん」
 自然と出たフルネームに高瀬も対抗する。大学の同期でさほど親しいというわけじゃなかったけれど、たまに話をするくらいの中だった。だから就職先も分からないまま離れたけれど……もしかして同じ地域にいたのだろうか?
 大学にいたころはショートカットだった。大学三年の頃に怪我で陸上をやめてから延ばしていたのは見ていたが、今では肩から少し下に行くまでの長さ。それを三つ編みで束ねていた。
「一瞬分からなかったよ」
「私は一瞬で分かったよ」
 彼女に釣られて俺も笑う。耳栓にもならないイヤホンを外して向かい合うと、周りの音が急に離れていった。
 ああ、俺はどうやらステージに上ったらしい。観客だった、街角でただ立っていた俺が、今は人々の流れと共にある。
「久しぶり。誰かと待ち合わせ?」
「それが、すっぽかされちまったよ」
「へぇ……彼女?」
「そんなのいないよ。友達だよ友達」
 最後のプライドが真実を隠す。しばらく高瀬はじろじろと俺を見ていたけれど、手をパンと合わせて口を開いた。
「よし。じゃあご飯食べに行こう。ちょうど私も仕事終わりで帰るだけだったのよね」
「もう年の瀬だよな。俺も昨日終わったよ」
「お互いお疲れ様ー」
 先に足を進めた高瀬に続いて俺も歩き出す。まずは駅を抜けた先にある定食屋か。あそこにでるから揚げ定食は凄まじくおいしいからな。それとも居酒屋で酒でも飲みながら大学時代の話でもしようか。


 街角は音に溢れてる。特に都会のそこは。絶えず人が代わりゆく中で、変わらないのは誰もがどこかに向かってること。自分の家。居酒屋。カラオケ。ゲームセンター。映画館。もしかしたらラブホテルかもしれない。何かしら、意味のある時間へと人々は進む。一分、一秒毎にその音色を変えながら靴音が、語らいが、音楽が、明日という交響曲を奏でている。

 俺もまた、一つの音符として街角の交響曲を奏でている。


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