『僧侶君の決意』





 ああ神よ。

 神様よぉお! 

 か、神、よ、う、ぉお、うぅおおおおおおっ! 

 ――錯乱してみても何も始まりませんが、心の底から助けてくださいと願います。

 今、僕の前に一つの絶望が舞い降りようとしております。舞い降りるなんて生易しい物

じゃなくて、むしろ振り下ろされると言った感じです。絶望の鉄槌。鋼鉄の雨。呼び名は

なんでもいいですが、とにかく危機なのです。

『グゥォオオ!』

 目の前の巨体から発せられる咆哮は、僕の身体をその場に縛り付けます。大地を踏みし

めることで起こる震動は、僕の腰を砕き腕から力を奪いました。ついでにその相手の迫力

によって頭からは思考が垂れ流されております。効率が良い現実逃避。でもそう簡単に人

生は上手くいかないようで、しっかりと危機は感じています。

 どう成長したらそうなるのか分からない緑色の身体と、僕の三倍はある巨体。手にはぶ

つぶつと突起が付いた棍棒、瞳は一つに二本の大きな牙。そのモンスターはとにかく、今

にも僕を獲物で押しつぶそうとしていました。潰されて干物にでもされるんだろうか。僕

は少し痩せてるし、おいしくないと思う。

「ミン・セイ・エイ・ユー・カ――『フレイム・ミニスター』!」

 ついに動き出したその巨体を止めたのは、一つの力ある言葉と巻き起こる炎でした。

 僕と巨体モンスターの間に出現した炎はモンスターの身体と僕の顔をあぶり、ある形へ

と収束していきます。出来上がったのはどうやら人間の男の人。僕からは背中だけしか見

えないから容姿は良く分からないけど、その炎人は「フォーエバーラブ、ジャパン!」と

か「イロイロ! カイシャ!」とか僕には意味が分からない言語を叫んでモンスターに組

みかかりました。モンスターの肌が焼ける匂いがほのかに香り、胃が意を唱えて抱え込ん

でる想いを吐き出そうとします。僕は何とか穏便にことを終えようと折衷案を模索し、と

りあえず鼻をつまみました。

 そうしているうちに炎人は消えて、丸焦げのモンスターだけが残りました。

「はっ!」

「てやっ!」

 ほぼ絶命したかと思ったモンスターが、聞こえてきた声と共に真っ二つになりました。

後ろからモンスターを斬り裂いたのは男女一人ずつ。

 僕の、旅の仲間です。

「大丈夫か、僧侶!」

 少し怒りを滲ませた口調で声をかけてきたのは全身を青い鎧で覆った男の人。その下に

ある筋肉は鎧の力によって付けてない時の十倍の力を引き出されているとか実はそれは単

なる思い込みとか言われています。どちらにせよ世界を救う使命を受けた凄い人だから、

僕は当り障りなく答えました。

「大丈夫だよ、勇者様。賢者さんのおかげで助かったんだ」

「そうか。全く、余計な手間かけさせんなよな」

 そう言って勇者様は僕から離れていきました。その背中には明らかな疲労と、僕へのあ

ざけりが浮かんでいます。何しろ鎧の背中部分が人間の怒った顔に変化してるし。あの鎧

は実は呪われてるんじゃなかろうか。

「無事でよかったですよ」

 僕は出来るだけ平然とした顔を作り、声の主のほうを振り向きました。そこには心の底

から安堵した様子で、女の子が立っています。先ほど魔法で炎人を呼び出した魔法使い―

―ではなく賢者さんです。

 ショートカットの黒髪。まだあどけない少女の面影を残す顔。身体よりも長い杖と少し

大きめの法衣。おそらく街でぽっと出会ったなら僕はメロメロだったでしょう。でも今、

僕を一番悩ませているのはこの娘なんです。

 攻撃魔法と回復魔法。二つの魔法のスペシャリスト。その肩書きが、僕の肩に重荷を載

せやがったのです。

 この娘のせいで悩んだ僕が林の中に入り込んで襲われてしまったんだから、勇者様に怒

られたことも僕が干物にされそうになったことも全部、この賢者さんのせいです。

「あ、でもこんなところに傷が!」

 賢者さんは僕の思いに全く気づく様子もなく、僕の腰が砕けた時に草で切った掌を見て

顔を青くします。僕等が最近立ち寄った村で生活していた賢者さんが、僕を含んだ勇者様

達の活躍を見て同行してから早一月。未だに血は慣れないようです。

「いいよ。これくらい自分で直す。君の回復魔法をわざわざ使う傷じゃない」

 僕の手を握ろうとした賢者さんの手から逃れ、僕は回復魔法で傷を癒しました。僕にと

っても舐めておけば治るのですが、使わずにはいられませんでした。そんな僕を寂しげに

しばらく見ていた賢者さんは、勇者様が歩いていった方向に走り去っていきました。

 少し、胸が痛いです。

「あなたも不器用ね」

「――戦士さん」

 今までずっと僕の後ろに立っていた戦士さんが話し掛けてきました。きりっと整った顔

に鋭く光る美貌。胸と腰しか隠さない大胆な格好。隠された部分も女性らしさがムンムン

です。本人いわく「ムンッ! ムンッ!」だそうです。

 戦士さんには余分な肉が一切無くて、特筆するのは鍛え上げられた腹筋。どういう原理

か、戦士さんのお腹は鈍器も刃物も通しません。相手の武器がへし折れた時は僕も驚いて

質問してしまいました。本人いわく「気合っ!」だそうです。

「あなた、賢者さんを好きになれないのでしょう?」

「……うん」

 戦士さんは僕の中にある黒い思いをちゃんと見抜いていました。

 確かにここ一月は賢者さんにだけ回復魔法かけなかったり、賢者さんの荷物だけ持って

あげなかったり、賢者さんの服だけ洗わなかったりしましたから、やはり少しは避けてい

るのが分かったのでしょう。更に戦士さんは言葉を続けます。

「自分よりも強い回復魔法が使えるから」

 その理由さえも見抜いていた戦士さんに僕は感嘆しました。戦士さんは心理も読めるし

思考も読めるようです。これからは悪いことは考えないようにします。

 僕は素直に、思っていたことを告白しました。

「賢者さんに悪気が無いことは僕が一番分かってる。賢者さんは、勇者様の活躍に憧れて

僕等と旅することを決めた。自分が出来ることを精一杯してるだけなんだ。攻撃魔法を使

えて、回復魔法も使えて。戦力としては十分だ。だから……」

「自分は不要だと思った」

 先に言いたいことを言われてしまいました。自分で言うのも恥ずかしかったから助かっ

たけれど、どこか寂しいです。

「ねぇ、モッサリぺ――じゃなかった。勇者様と私とあなた。三人、小さい頃から育った

仲じゃないの。確かにあなたは回復魔法と戦闘補助がメインだから賢者さんよりも目立た

ないけど、それも立派な仕事なのよ。あなたがいるから、攻撃組は安心してモンスターと

闘えるの」

 うっかり勇者様の本名を言いそうになった戦士さんだけど、さすがにすぐ立て直して良

いことを言ってくます。

 僕はあんまり嬉しくて涙がこぼれます。男の子だもの人間だもの。

 勇者とその仲間として世界を救う旅に出てから、勇者様と戦士さんは名前を捨てた。伝

説に残る者に名前は要らないという勇者さんの考えだ。二人はあっさり自分の固有名詞を

変えたけれど、僕は自分の名前を捨てるのはやっぱり辛い。

 それまでの思い出まで捨ててしまう気がしていたから。

 けれど、少なくとも戦士さんは幼馴染の絆までは捨てていなかったんですね。最近の僕

への風当たりの強さから、勇者様のほうはもう捨ててしまったのではと不安だった僕に、

戦士さんの優しさは身にしみました。

「勇者様が最近あなたに手厳しいのは、身の回りの世話や料理や洗濯が賢者さんを避ける

あまりに雑になってるからよ。そんな思いを捨てれば、すぐに元通りになるわ」

「……うん。ありがとう。僕が意固地になってただけなんだね。自分がやれること、考え

てみる」

 戦士さんはにっこり微笑んで、勇者様と賢者さんが行った方向に歩いていきました。

 ありがとう、ゴンゾウ。いや、戦士さん。

 あなたが本当に女の子だったら惚れていました。勇者様のことを好きなのは知っていま

すから出来るだけ協力しようと思います。

 もしかしたら賢者さんを排除できるかもしれないし……。

 再び起こってくる黒い思いを振りはらって、僕は皆のところへ帰ろうと歩き出そうとし

ました。しかし地響きと悲鳴が聞こえて、急遽方向転換します。

(今の悲鳴は……賢者さん!)

 その声は間違いなく賢者さんの声でした。何しろ前に天然の温泉に入っていた賢者さん

を覗いた時に聞いた悲鳴と同じ声でしたから、聞き間違えるわけがありません。あの後、

勇者様に服が身につけられなくなるまで身体を平手打ちにされたのは心の傷です。

 そんな過去のわだかまりなんて今の僕には関係ありません。今はただ、自分が仲間とし

て出来ることを探すだけ。

 賢者さんは――僕の、仲間なんですから、多分っ!

 林を少し進んだところで、賢者さんの杖が地面に突き立っていました。そして少し離れ

た場所で、さっき僕を襲っていたのとは別の巨体モンスターが、今度は賢者さんの前で棍

棒を振り上げています。

 まずい! 賢者さんは杖を持っていないと魔法が使えないんだ!

 自然と僕の身体は動いていました。杖を持ち、雄叫びを上げながら、途中で拾った石を

思い切りモンスターの後頭部に向けて投げつけます。力いっぱい投げた石はモンスターの

腰に当たり、一つ目が僕へ視界を移しました。

 その瞬間に、賢者さんへと杖を投擲。明後日の方向に飛んで行った杖を追って賢者さん

が走り出すのと僕を棍棒が吹き飛ばすのは、ほぼ同時と言って間違い無かったでしょう。

 身体がばらばらになるような衝撃。

 頭頂から股間へと抜ける衝撃。

 途切れ途切れになる思考に流れ込むのは、脳内を刺激する甘美な感覚でした。

(こ……れ、は……)

 急に沸き上がる砂糖の海に溺れるように、僕の意識は消えました。



* * * * *
 ……眼を開けると、勇者様と戦士さん。そして、賢者さんがいました。  賢者さんは悲しみに歪んでいた顔が幸福に満たされて、熱いものが僕の顔に落ちてきま す。同じ熱さでも鼻水じゃないほうを選んで欲しかったですね。 「たくっ……お前って奴は丸腰でモンスターの前に飛び出すなんて」 「直接戦闘の経験が無いんだから……気を引くだけでも十分だったはずでしょ?」  勇者様と戦士さんは僕が取った行動を理解できない、といった様子でした。なら理由を 言えば納得してもらえるでしょうか? 「僕も、守られるだけじゃなくて、守りたかったんです」  静かに紡がれた僕の声を、二人も、泣いていた賢者さんも黙って聞いています。 「僕も、魔法に頼らないで誰かを守りたかった。それだけです」  ――回復魔法に頼っていたから、賢者さんが現れて動揺してしまった。一つに依存して いたら、自分よりもその一つを出来る人が出てきたならばいずれ挫折してしまう。そのこ とに僕は気づいた。僕は確かに勇者の仲間としての価値はないかもしれない。魔法も賢者 さんが使ったほうがいいかもしれない。  でも、僕は僕自身の意思で、やり方で、人を守りたかった――  僕の一連の考えを聞いた後は、しばらく無言の状態が続きました。誰もが誰かの発言を 待っていて、牽制しあってる。その中で最初に口を開いたのは戦士さん。やはりゴンゾウ だけあります。 「身体を張って、賢者さんを守ることがあなたの見つけた道だってこと?」  僕は静かに首を縦に振ります。  勇者様も戦士さんも、身体に傷を負ったことは見たことありません。でも賢者さんは魔 法が二種類使えるだけで、普通の人間に毛が生えたようなもの。魔法を発動させるまでの ズレもある。だから、守り手が必要だと直感的に思えました。  それに、モンスターに襲われている時の賢者さんの顔がやけに可愛く見えたのです。 「僕は賢者さんを守る守り屋になります。もちろん、賢者さんの魔法を攻撃にしか使えな い状況があるなら、僕が回復専門になります。何にせよ、もう洗濯サボりません」 「……うむ。それならいい」  勇者様は自分の服やご飯がしっかりしてればそれでいいのか、特に深いことも聞かずに 野営地に戻っていきました。その後ろを戦士さんがついて行き、賢者さんも僕をちらちら と見ながら歩いていきます。 「あ、あの……ありがとうございます」  照れくさそうに言ってくる可愛い賢者さんに、僕は笑いかけました。心の底からの笑み は自分でも美しいと思います。賢者さんも僕の美しさに胸を貫かれたのか、顔を真っ赤に して前に視線を戻してしまいました。  そんな賢者さんの頭を見ながら、僕はさっき感じた良く分からない感覚に思いをはせま した。  モンスターが持つ鈍器で殴られて感じた、甘美な気持ち。  感じた理由は良く分かりませんが、思い当たる点はいくつかありました。勇者様達の洗 濯や食事用意やゴミ捨てなどをしていて、疲れるけどどこか嬉しかったのです。  考えていたら、僕の主に一点に気持ちよさが凝縮するような、そんな気分になってきま した。身体が熱い。火照ります。 「決めた。僕は決めたぞ……守るぞ。守るぞ。うふふふふ。あふん……」  決意を忘れないように、僕はぶつぶつ呟き続けました。その声が聞こえたのか賢者さん が不審そうに見てきましたけど、その視線の痛さがまた僕を天へと昇らせるのでした。  天国へと続く道。神様が僕に示してくれた道。僕は一歩一歩、その道を進んでいこうと 思います。


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