新年の初めには

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「あけましておめでとう!」
 時刻は深夜零時を回ったところだった。俺が待ち合わせの場所に向かうまでに年は明けてしまっていた。
 その瞬間にもちろんジャンプすることで『年の初めには地球上にいない』という、見る人にとってはどうでもいい事をするのは忘れなかったが。
 しかし紅白歌合戦が終わってからの『行く年来る年』を見るという記録が十五年で途切れたのはいただけない。深夜零時過ぎに神社の前で待ち合わせをしようと言う相手に押し切られなければ良かったのだ。だが、流石にそれは無理な話だ。
「今年もよろしくお願いします。行こうか、佐織」
「うん! 今年こそ大吉を引いてやるんだからね!」
 結局は彼女の尻に引かれているのだ。彼女はおみくじを引くことに興味心身だが。去年はかなり珍しい『大凶』を引いたようだからそれも仕方がないのだろう。
 付き合い始めてまだ二ヶ月もしていないから、最初からこういった行事を逃すと後々に悪影響を及ぼすかもしれないし、俺自身、彼女との時間をもっと持ちたいと思っていたから仕方がない。何しろすぐに高校は冬休みに入ってしまってお互いに違う塾の冬期講習を受けていたから会う時間なんて限られていたんだ。
「ねえ、しんちゃん! 知ってた?」
 佐織は俺に言ってくる。思えば知り合ってからも付き合ってからも佐織は俺を信介と名前じゃなくて『しんちゃん』と呼んでくる。付き合う時に名前を呼ぶことを許してもらったが、彼女は頑として俺を『信介』と名前では呼んでくれない。
『だって信介って名前、なんかねぇ……』
 なんかねぇ、の先が何か非常に気になったが今まで聞けずにいる。
 俺が過去の事を考えていて彼女の言葉を聞いていないことが分かったのか佐織は頬を膨らませて俺の腕を叩いた。
「しんちゃん! 話聞いてる? 聞いてないでしょ」
「うん。ごめん」
「正直に答えないでよ!」
「聞いてた」
「嘘つくな!」
 どっちを答えても怒られるんじゃないか。まあ、この少し変なノリが好きで告白したのだが、付き合ってから更に彼女の『変なノリ』を知ることになった。
 例えば……多分、この後の言葉もそれだろう。
「知ってた? あと十二ヶ月したらもう新年なんだよ! 年の瀬の用意しないと!」
「確かに、あと十二ヶ月で来年かぁ。早いよなぁ……」
「本当に」
 ……前はこんな変な会話に突っ込んで突っ込み返されるという事を繰り返して楽しんだけど、今は普通に流してる。彼女は前と今の状況で特に不満はないようだ。
 逆に俺のほうが物足りなくなってきているのが、彼女の思惑なのかもと思うくらいだ。
「それにしても人の波が途絶えないねぇ」
 そう言って佐織は自分の周りを見回した。俺達の周りには肩が触れ合ってしまうほどの位置に人がいる。それも何人も。これだけの人込みは小学校三年の時に行ったお祭以来だ。
 あの時かかった三日麻疹(みっかばしか)のせいで皆勤賞を逃したのは苦い思い出だ。
 だからあれ以来、どこか人込みを避けてきたのだが……。
「押しくら饅頭だね」
「全くだ」
 実際に俺と佐織の体は左右前後に振られながら人の波に逆らわずに進み、徐々にだが目的地に向かっている。俺はコートのポケットに入れた財布を掏られないようにとポケットの中で財布を掴んでいた。佐織はと言えば「わーい」と言いながら起用にくるくると回りながら進んでいる。テレビのCMで見た事を真似しているのだろう。
 たっぷり三十分かけて俺達は賽銭箱の前まで辿り着いた。
「さてっと」
 俺は財布から五円玉を取り出して入れようとする。ふと横を見て、俺は絶句した。
「おい、佐織……」
「ん?」
 佐織の手には紙が握られていた。
 日本の中で最も高い金額が刻まれた紙を。
「一万円なんて、なんで……」
「だって高いほうが神様も奮発してくれると思って」
 どうせなら、と言って彼女は財布からもう一万円を取り出した。一体いくら持ってきたというんだ? もちろん俺はそんな暴挙を許すはずもなく、自分の持っていた五円を渡して無理やり投げさせた。すでに後ろにいるカップルは俺達を凄まじい目で見ている。
「さっさと願っていくぞ」
「うん!」
 そう言うと佐織は吊るされていた紐に手をかけて思い切り紐に付いている鈴を鳴らした。盛大な音が辺りに響く。
「もういいから願うぞ!」
 俺はそう言って自分の願い事を手を合わせて願う。とりあえず家族円満と健康第一を願い、次に自分の願いを思う。
「大吉が引けますように」
 眼を閉じているから隣の様子が見えないが、佐織の声に心の中で突っ込む。
(声に出して、しかも神様に願う事かよ)
 この突っ込みがきっと彼女の思惑なのだと、改めて思う。
 人込みを脱出した俺達は絵馬やおみくじが売っている場所に来た。家族連れよりもカップルが圧倒的に多い。二人で一つの絵馬に『ずっと一緒にいてね』とか『新婚旅行は――』とか未来に期待を膨らませて書いている。俺達は一つずつ買ってそれぞれ書くことにした。
(我ながら上手く書けた)
 俺は絵馬に二人のことを書けるほどおおっぴらにする気はなかったのでとりあえず『学力アップ』と書いておいた。そして隣を見ると彼女がちょうど書き終えたようで絵馬を高く掲げた。絵馬には大きくこう書いてあった。
『大吉』
 ……どうしてそこまでおみくじにこだわるのか、俺には分からなかった。
「そこまで大吉が欲しいのか?」
「うん。欲しいよ! おみくじは絶対大吉!」
 その時だった。
 いつもと、少しだけ違った瞳を見た気がした。絵馬をかけてからとうとうおみくじを引く時が来た。佐織が目に見えて緊張しているのが少しおかしくて笑ってしまったが、彼女はそれさえも気づかない。百円を巫女さんに払って一枚を選ぶ。
「うーん、うーん。どれにしよう……」
 本気で悩んでいる彼女に巫女さんもどう接したらいいのか分からずに顔をしかめている。俺は既に引いてしまっていて、彼女が引くのを待つことになる。彼女の横顔をずっと見ていた。その顔は知り合ってから初めて見たような気がした。
 今まで見ていたのは表だけの彼女で、今、こうして真剣にどのおみくじを引くか悩んでいる彼女が本当の佐織なのだろうと、初めて認識できた。
(感性がやっぱり普通の人と違うんだろうなぁ)
 常人とはまた違った感性を持っているから、周りから浮いて見えるんだろう。
「これだ!」
 そう言って佐織は一枚のおみくじを引いた。そして俺を見て「同時に開けよう」と言う。俺は言う通りに彼女と共におみくじを開ける。すると佐織が歓喜の声を上げた。
「やった! 大吉!!」
 佐織は本当に飛び跳ねて喜びを表すそして書かれている内容を読み、顔をほころばせる。
「これで今年も大丈夫。やっぱり新年の最初には大吉だね」
 佐織は嬉しそうにおみくじを細長く折って結んだ。俺も内容を確認してから指定の場所に結びつけた。
「さーって! 帰ろうか!」
「おう」
 上機嫌の佐織と共に神社の出口に歩いて行く。その間も彼女はスキップを踏むほどで、予想通り滑った。後ろを歩いていた俺に寄りかかるように倒れた佐織は「ごめん」と言って立ち上がる。心なしか顔が赤かったように思えた。
「でもどうしてそんなに大吉にこだわったんだ?」
 俺が気になったことを口にすると彼女は言う。
「だって大吉なら悪い事は書いてないでしょ。とりあえず良い事が書いてあれば、頑張れるもの」
「そう言うものか?」
「そういうもんよ!」
 佐織は気を取り直してステップを再び踏んで進んで行く。俺は彼女の言うことが分かるから、もう聞かなかった。自分の少し人とずれた感性を理解されずに苦しんでいたことを知っていたから。少しでも前向きな気持ちで一年をスタート出来れば、スタートダッシュが出来れば、あまり上手くない人間関係も乗り越えられると思えるんだろう。
(そうだね。少しでも良い事書かれてれば、より頑張れるよな)
 そうした、他の人とは少し違っている彼女を好きになったのだから、俺も頑張っていこうと思う。彼女を出来るだけ支えていこうと思う。
 俺は彼女と同じ運勢だったおみくじの内容を思い出しながら、彼女の一歩後ろを歩いてついていった。
 吐いた白い息の昇っていく先、雲一つない空の中に綺麗に輝く月があった。
 彼女の一年もあれだけはっきりと遮る物なくあればいいと、思った。


『完』


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