『月の明かりが降り注ぐ中、このレストランはあなた達にひと時の寝床を提供いたしましょう。ムーディーな照明の下には赤や黒や青といった色とりどりの華を横たえ、まろやかな匂いが香る絨毯。コンセプトは夢に見る空間。たゆたう闇に落ちていくような、子守唄に包まれるような心地よさ。
夜のデートには最適。二人で思い出に残る夜にしてみませんか?
夜霧に浮かびあがる有夜城、るんるんパレスに、ようこそ!』
夜の果てに広がる宇宙を模した黒い紙。その上に星の瞬きをちりばめながら、そのチラシは自分が紹介すべき物を示していた。
レストラン『るんるんパレス』
開くのは夜二十二時半から深夜零時までという短い間。
完全予約制のため、混雑することはない。だが、その予約を取るためにかなりの労力を費やすほど。
それでいて、そのレストランに行った者の口からそこが語られることはない。まず、名前が有名なのにそこに行った人を知ることが出来ない。そこで招待されようとするネット上のコミュニティで行ったことがあるという人に尋ねてみても「行けば分かる」としか返答されない。それが、行った者全ての口からなのだから何かがあるのだと人々の興味は更にかきたてられる。
そんなわけで、そのレストランの予約を必死こいて取ったんだな、俺は。インターネットでしか出来なくて、サイトをずっと見ていて十日でようやくなんだから、その人気を伺わせる。
「孝也(たかや)ー。お待たせ」
おお。待ちくたびれて状況説明していた俺の耳に響いたのは、抱きしめただけで眠れてしまうような大きな胸を持つ俺の彼女さんだったぜ! てか、当たり前なんだけどな。待ち合わせしてたんだし。すっぽかされたらそれはそれで痛いものな。そんなわけで、愛すべき俺のスイートラバー知美は上下にゆれる胸に引っ張られながら俺に飛び込んできた。
「ごはっ!?」
がら空きだったボディにめり込んだ知美。靴の裏が悲鳴を上げるけれど、俺は必死に身体が浮かび上がるのを防ごうとした。胸の大きさが上から七番目の知美は体重の多さも三桁だ。よく食べよく寝る健康的な女性だからこその体格だ。毎日腕立て三百回の俺には真似できない。
軽く数秒が経ってようやく身体は開放された。衣服の裏側を見てみると、みぞおちに青あざが出来ている。知美のタックルは更に威力を増していた。負けないよう筋トレ続けないと。痛みを我慢しつつ、先に歩き出した知美のあとをついていく。その間にも知美はるんるんパレスについての愛を語っていた。それだけで時間がワープしたような錯覚に陥る。
「私、るんるんパレス楽しみだったんだー」
横幅が俺の二倍ある知美が前を歩くと、通行人は邪魔だろうなと思う。背の高さは俺のほうが上だから視界は困らない。それだけに、前から歩いてくる人々がどう知美を避けようかと思考を展開させているのがいつも見えていた。
ほら、今も。
「お客様。チケットはお持ちですか?」
「あ、はい」
チケットと言った瞬間、俺は知美の頭の上からるんるんパレスのチケットを出していた。どうやらいつの間にか着いたらしい。さすが最寄の駅から歩いて十分。聳え立つ山のほうに進んでいくと目的地はある。電灯もぽつりぽつりと一本ずつ立っているものだから、人気がなく静かで星空もよく見えた。知美の歩みに意識を集中させていたから気づかなかったが、何人ものカップルの嬌声を踏み台にしてきたに違いない。何しろカップルが毎年百人くらい襲われてる場所だからな、ここに来る道! まさに暴漢の道、カップルロードとでも名づけるか。
「秋田孝也様と豊満知美(ほうまんともみ)様でいらっしゃいますね。ここであったが百年目。遠く離れた過去から続く怨念を受け止めてください」
「今日はお腹一杯食べまーす」
知美はその豊満な肉体を目の前にいる男に摺り寄せていた。相変わらずの巨体だから誰なのか俺には見えないけれど、きっとボーイさんなんだろう。
「私。その趣味はないですから」
ガールさんだった。てか、声で気づけよ俺。
そのガールさんは知美から離れて歩き出したらしい。前に出る知美に合わせて俺も歩いていく。そう言えば入り口にこの女は入るのだろうか? ねじ込んでも中でトイレとか行きたくなったらどうするんだろうか?
そんなことは杞憂だったらしい。俺が想像したよりもるんるんパレスの入り口は大きく、縦横それぞれ三メートルくらいあった。さすがの知美も横幅は二メートル行かない。
「うわ! 凄い凄いすごごごごごごごごごごごごごごごごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいい!」
「叫んでないで中入ってよ、知美」
一人スペクタクルを感じている知美はステップを踏みながら中へと入っていく。その振動に心地よさを感じつつ、俺もまたステップを踏んでいた。中空で両足をパンパン、と左で合わせ右で合わせ。
「よよいよい」
口ずさんで入ったところは、夜だった。
「よーーーーーぉぉぉぉ……」
そりゃ尻蕾にもなる。目の前には無限に広がる大宇宙、ではないが確かに夜があったのだ。
「いらっしゃいませ」
闇色のスーツに身を包んだ男達が、そこに。
先ほどのガールさんは入り口で出迎える係りだったらしい。店内は誰もが黒服黒髪長髪。そして黒墨。どこが瞳なのか分からないほど顔は黒く染まっていた。
「とっても素敵なカップルでございますね」
俺達を囲んでいた黒い男達の誰かが褒めてくれる。でも口はどこだ? 開けば口の中の赤くらいは分かるはずだ。でも露出を見つけることは出来ず、その最中も続いていく。
「私達、るんるんパレスの者のモットーはお客様にるんるんしてもらうこと。カップルを私達が精一杯冷やかし、持ち上げ、コクのある旨みを引き出し、お互いにとって素敵な食材にして差し上げます」
「なんかエロスですね。食材」
人間を食べ物に例えるとはさすがレストラン。
目が慣れると広がっている夜の種が見えてきた。まず人里から少し離れているから光源がない。だから基本的に暗い。そして照明が小さい。豆電球みたいな明かりをフロアの上におよそ百個くらい付けていた。うっすらと見える端から想像すると、ここに入れる人数は四十人くらい。結構広い。人工的なプラネタリウムを維持するにはちょうどいいってことだ。
「こちらへどうぞ」
先導されて知美が椅子に座ったことで俺達を先導していた男の顔が見える。いや、見えないけど。
何か太い眉毛が浮かんでいるように見える。人工的に塗られた黒は人間の身体という神秘に生える本当の黒よりも少しだけ薄いらしい。
「ではこれから、祝いの舞を踊ります」
「はい?」
丸いテーブルについた俺達。知美と向かい合っている俺の顔はきっと、アホみたいに口を開いて間抜けな顔になっていただろう。レストランと聞いてきたのに、なんで食事が出ないで舞を踊られるんだ?
そんなことを考えている間にも、男達は集まって俺達の周りを囲んでいた。豆電球という名の星の光を信じれば、その数は十人。踊るといいつつ俺達に身体の真正面を向けたままで円移動している。カニ歩きというものは人間の構造では不可能だ。前に進むように出来ている関節では、歩こうとしても何かしら前に身体が動いてしまう。でも黒服達は更に速度を増していた。残像がその数を徐々に増やしていき、十人が二十人。二十人が四十人と顔も身体も心も多重分身していた。
「寒い」
「そう?」
回転速度が巻き起こす気流は店内の空気をかき乱し、俺に冷たい風を運んでくる。南極だか北極の風みたいだ。行ったことはないけれど。でも知美はその厚い皮下脂肪のために風は届かないらしい。コート着れないんだもんな、あの体型。
で、その男達の輪がいつの間にか近づいてきていた。
「え、何?」
呟く俺を尻目に男達は何故か『マジカルちゃんこ鍋娘カラフルタメ蔵』のテーマを歌っていた。
『どすこいドス恋ドス濃いドス故意どすこいドス恋ドス濃いドス故意……』
そんな十六文字を念仏のように呟くしか出来ない呪いを受けたセーラー服姿の美少女戦士の話。そういえば今日、放映日だったな。ビデオ撮るの忘れてた。
「これからお客様がビデオに撮るのを忘れた『マジ蔵』を口で説明します」
「略称まで!? てか、説明って!」
「私! 真輪士タメ蔵! 男の子っぽい名前だけどれっきとした小学五年生!」
「人の言葉を話す異性から来た親方さんに何故かマワシを託されて、マジカルちゃんこ鍋娘カラフルタメ蔵になっちゃったの!」
「今日も元気にマジカル張り手で悪を吹っ飛ばすわよ! どすこい!」
声が代わる代わる説明を続ける。声色を真似つつ、しかし何も変わらずに今日のマジ蔵の説明を連ねていく。
まるで自分の耳が音を直接拾っているのではないかと思えるほど、スーツ達が説明する声が聞こえてきた。今の時間はすでに放映は終わっている。なら、この男達はその放送を見て覚えて、俺に伝えているのだろうか。そんなことが人間に可能なのか……そんなことせずにテレビを置けばいいものを。
「いいものを」
「お客はお客様だけではありませんから」
そう言われて確かめようとも皆ぐるぐるまわってる。渦巻きのように。竜巻のように。さも中身を食べてしまうかのように。
「食べてしまう?」
呟いた瞬間に、俺はようやく変化に気づいていた。思えば俺のマジ蔵の話しをし始めたのも、注意をもっとも大事なことからそらすためだったんだ。
目の前で、知美が黒服数人に乗っかられていた。聞こえてくるのは何か硬いものを砕く音。もう少し詳しく言えば、噛み砕く音。
知美の、絶叫。
「きゃぁああ! いや、止めて、そ、そこはーあーれーそこーはーだめ! いけないものがはみ出ちゃう”う”う”あ”あ”あぁあああああああああああああ”!?」
「知美!?」
席から立とうとした瞬簡、黒服たちの動きが止まって俺の腕をつかんできた。まるで象の足で踏んづけられているような――俺は像に踏まれたことはないが――そんな感じで俺の腕を椅子に固定する。
「幸せですか?」
黒いのっぺらぼうが問いかける。こんな状況、何も幸せじゃない。
「幸せのお仕着せは止めてください」
左腕を押さえていた男が言う。穏やかな声だが、口から血が吹き出していた。言葉の威力に喉が縦に裂けたらしい。そのまま男は血しぶきを俺に吹き付けながら倒れ付す。生臭い人間の香りが、絨毯にしきつめられた華からくる好臭と混ざり合う。
何この、非現実的な空間。
周りでマジカルちゃんこの話をしながら円を描き続ける黒服の男達。祝福という名で知美を食べ、俺の服を赤く染めていく男達。その他のテーブルでも絶叫が響いていたが、知美よりも早く消えていった。
「私達、るんるんパレスの者のモットーはお客様にるんるんしてもらうこと。カップルを私達が精一杯冷やかし、持ち上げ、コクのある旨みを引き出し、お互いにとって素敵な食材にして差し上げます。あなたが食べる前に私達が食べてしまいますが」
さっき聞いた言葉の語尾に紡がれる魔法の呪文。全てを覆す力を与える素敵な言葉だ。確かに嘘は言っていない。ここに来るまで、そして来てからの少しはるんるん気分だった。そこからはもう俺達のためではなく、この黒服達のためだったんだ。
「メイド喫茶から買ってきた土産なんだが、教えてやろう」
知美の声が小さくなっていくことのほうが気になって聞きたくなかったが、男は強引に俺の口を奪う。相手のそれが俺の舌を絡めとり、引っ張り、伸ばしていく。俺の頭に直接情報が焼きこまれていく。
真っ黒。全てが黒く埋め尽くされた中で、カップルが真っ黒にそまってお互いの存在を確認することもできず、相手を捜し求めて見当違いの方向にふらふらと歩いていき、永遠に会えない。
そんなイメージが広がっていく。身体が引き裂かれ、思考が食い尽くされ、心が踏み潰されていく。
逃げようにも足がない。抗おうにも手がない。吐こうにも口が無い。ない。ない。何も無い。自分が誰なのかもばらばらに、ずたずたになっていく。何がここまで俺達を追い詰める? 何か悪いことを、俺と知美はしたのか?
ちく、しょう
「嫉妬の怒りを思い知れ」
ああ、思い知ったよ。俺はもう駄目みたいだ。知美も、食べつくされて何も残らないんだ。
チャットで行けば分かる、と俺らを炊きつけたのもこいつらだった。焼きこまれた記憶が全てを語っている。行った人が分からないのはそもそも帰ってこないからだ。もう駄目だ。諦めて寝よう。そうすれば気づくこともなくことは終わっているさ。
「知美。好きだよ。外見なんて関係ないよ。お前が、お前のことが」
どうせ最後なら伝えたい。最愛の人に愛の言葉を。
「大好きだ!」
絶叫が鼓膜を破った。
ような、気、が、し、た。
* * * * *
寝室にしてはやけに背中が痛い。頭も心も身体も全て、サンドバッグに吊るされて十人くらいに殴られた後みたいだ。ただ違うのは、寝ていた。吊るされてはいなかった。
目を開けた俺を釘付けにしたのは、星の照明だった。夜空に広がる広大な星々の分布。その中にぽつんと浮かぶ満月。人里から少し離れた場所にあるからこそ見える理想の夜空だ。
起き上がって周りを見回すと、理想とはかけ離れた場所に居た。
山の中にある小さな草原なのだが、華はしおれていて草も夜だからかもしれないが黒くなっていた。匂いも錆びた鉄のような匂い。もう少し薄くても腕時計のベルト部分に汗がしみ込んで臭くなったようなもの。なんでこんなところに寝てるんだ?
一通り見回すと、俺の後ろには細身の女性が倒れていた。服は知美が着ていたものと同じだ。でも体型はモデルといっても通用しそうなものだ。同じ服でも知美のはオーダーメイドじゃない着れない。
「これ、ぶかぶかじゃん」
立ち上がって女性の前に回りこむ。その女性が着ていた服は体格に不釣合いな大きさだった。まるでオーダーメイドで作った特別な大きさのものみたい。顔を覗き込むと、知美と同じ骨格をしている。でも顎は四十顎じゃないし、胸元を覗き込んでも上から七番目ではなくて、良くて二番目だ。ぶーぶー。
「つまり、これが知美?」
パーツの違いはあれど、女性は知美に違いなかった。ぶっちゃけ、痩せただけだ。なら、何でこんなに痩せているのか。いや、俺達がどうしてこんな場所にいるのか。
重い頭をかいているとそこからぱらぱらと何かが落ちていった。暗くてよく見えないが、なにやら足が六本くらいある。触覚もあるし、身体が黒い。
蟻だ。無数の蟻が俺の頭にしがみついていたが、死に絶えているようだった。更に知美だったものの腹の上には腹が裂けた状態で蟻が十数匹横たわっていた。
そこまでくると、記憶が蘇る。俺達はるんるんパレスを訪れて、そして変な男達に食べられるところだった。
「この蟻達が、あいつら?」
そして知美の身体を食べきれずに死んだのか。なら、俺が助かったのは……?
とりあえず、知美の上にいる蟻もはらい、抱き上げる。前までは無理だったけれど、腕立て伏せをして鍛えてきた俺には今の彼女を持ち上げるのは簡単だ。ぶかぶかな服によってちらりと見える知美の下着がやけにいろっぽく、身体に密着させるように抱いた。
その時、風が吹いた。
『嫉妬ぉおお!』
急に聞こえてきた声に振り返ると、霧が固まっていた。夜霧の中に見えるのは、絶叫に沈んでいくカップル達。それに群がる黒服。黒は闇となり、光を全て飲み込んでいくかのようだった。
るんるんパレスが見せたもの。確かに夢だった。
とびっきりの、悪夢を彼らは提供したんだ。何故この土地にこんな悪夢が生まれ、しかもネットのサイトなんてものが出来ているのか分からない。この土地はカップルが良く営みをしにくるから……それがこんな怨念を引き寄せているのかもしれない。でもそんなこと、予想でしかない。
俺が、俺達がしなければいけない確実なこと。
生き残った俺と知美がパレスの危険性を伝えていかなければならないだろう。
嫉妬の炎がきっと、カップルがいるところに現れるのだろうから。
精一杯の力をこめて走る、走る。山道を下るのにはバランスが必要だったけれど、なんとかあと少しで山の入り口というところまできた。
「ん……」
「知美?」
抱きしめて顔が見えてなかったが、知美の意識が覚醒する気配を感じる。
走るのを止めて前に抱いていた彼女の顔を覗き込んで――
噴き出した夜霧が、俺を包んだ。
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