『労働者達』


 完全な闇だった視界が開け、シゲルの脳内回路に電気が走った。薄く開いた瞼の中へと外部から光が入って脳を暖めると、瞬時に身体の各器官へと命令が伝達される。
「ふぁ……」
 シゲルは瞼を開いてくりくりとした目を露出させると、上半身を起こして背伸びをした。目に優しい電灯を見て周囲に目をなじませる。いつもならそれだけで抜ける倦怠感が残っているのは、自分が起きているこの日がいつもと違って労働日だからだと、沈む気分の中で思考した。
「おはよう」
 しかし淀んでいた池に綺麗な水が流し込まれるように、仕事当日の朝特有の気だるさが吹き飛んだ。
「人の寝床にやってくるとはセクハラだ!」
「単に覗いただけだし」
 声はシゲルの上から聞こえてきた。シゲルがいるのは二段ベッドの下。真上の天上と自分を隔てているのは、同居しているタカオの眠るベッドだ。もちろんシゲルも冗談で言っている。
 共同生活をして早十年。シゲルにとってタカオはプライベートでは真なる友人であり、仕事面では弱みを見せたくないライバルだった。だからこそ気だるさを無理やりでも追い出せたのだ。
「とりあえず、仕事行くか」
「あいよ」
 互いにベッドから降りて軽く体操をする。身体をほぐし終えてから昨日のうちに用意してあった道具袋を背負い、部屋の外へと出て行く。どうやらプレハブ小屋だったらしく、ドアを開けるとすぐに満天の星空が広がっていた。
「また始まるなー」
「そうだなー。俺らも毎月ご苦労様だね」
 シゲルに返答するタカオの言葉にも気だるさは十分に含んでいた。自分と同じく気乗りしないということに、内心で笑う。
 暗闇を照らしてくれるのは輝く星達だけ。殺風景な土地を作業場まで歩くのはなかなかに億劫らしい。休日や、仕事に慣れてくる週の半ばになるとステップを踏む彼らの足が、いまはゆっくりゆっくり地面を踏みしめている。
 少し前を行くタカオが言う。
「でも、一月に一週間仕事するだけでその月おまんま食えるんだから、楽な仕事だよな」
「単調なのと人が休日で遊ぶのに遠くに行かないといけないのが、たまにきずだけれどな」
 シゲルはそう言って、肩に担いでいる道具の袋を背負いなおす。すると中身がぶつかり合って軽い音を立てた。鋭い夜気の中では異質な音だ。立てたシゲルに対してタカオは足を止めて振り向き、少しきつい口調でしかる。
「こら。道具は俺達の魂だろ? ぞんざいに扱うなよ」
「ああ……確かに、こいつは俺の魂だ。すまない」
 そう言ってもう一度背負い直すと、言葉に呼応するかのように袋の口から話題に上った柄が出る。そこに現れた道具の柄には滑り止めのためにグリップが巻かれていたが、平坦だったそれは長い間使い続けられたことで手の形がくっきりと浮かんでいた。手の垢に混じって赤いものまでも付着している。
 彼らの仕事への情熱が、如実に現れた道具だった。
 謝罪の言葉からしばらく、シゲルとタカオは無言で歩く。再び静寂と足音だけが世界を支配する。
 シゲルはタカオの背中から無限に広がっているように見える空に視線を変えた。終わりはあるのだろうが、自分からすれば十分無限である空。周りも起伏が少ない大地であり、シゲルを狭めるものは何もないのにも関わらず、彼は圧迫感で胸が潰れそうだった。
「さあ、もう少しで現場だ」
 だがシゲルの心を押しつぶそうとする力も、タカオのその言葉で消える。一緒に互いの間に流れた嫌な沈黙が消えた。
 シゲルもタカオもその道のプロであり、わだかまりなど仕事の前では消え去る。何しろ一月に一週間しかやらない割には、市場では品質に定評があるために量産を望まれているという重要な仕事である。予算の関係から人員は今のところ二名が限度のため、シゲルとタカオがしっかり仕事をするしかないのだ。
 そんな仕事に就いているのは誇りだと、シゲルとタカオは声に出さずに思っていた。
「よし、着いた」
 現場の目印である腰高の筒は、その表面を白く染めていた。綺麗な白色。入っている物体は白い表面を上にしている。これから向う相手。
 傍に立って袋をゆっくりと下ろし、シゲルとタカオは袋を開けて道具を取り出す。三つに分かれてるそれらを一つ一つ繋げていった。もう慣れた動作なのかその動きに停滞は無い。
「出来た。さて、やるか」
 シゲルは出来上がった道具を両手で持ちあげる。これから一週間、休むことなく腕を動かし続ける。過酷な仕事への躊躇いは、どこにもなかった。
 タカオも無言で頷き、手にした道具――杵振り上げる。
「ファイト!」
「おおー!」
 タカオがついた物体が変形し、そこからタカオの杵が抜かれたところでそれをさらにシゲルの杵が振り下ろされる。それを交互に繰り返す。
 ぺったんぺったん繰り返す。


 こうして満月の上で、アンドロイドうさぎは今月も餅をつく。
 




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