『レモン』



 ぽりぽりぽりぽり音が鳴る。噛み砕かれ、咀嚼される音が鳴る。
 最初は控えめに。徐々に大胆に。音は激しさを増してゆく。
 零れ落ちる欠片。近づく鼻先。
 そして、繋がる唇。
「ん……ん……」
 口に含まれ、唾液と混じりあい、乾いていた固形物に粘性が加わる。それを他方の舌がかき乱し、口腔内は上下左右に甘いレモンの味が広がった。
「んん……はぁ」
 相手の歯に舌にこびりついていたお菓子の欠片を取ってもらう。それでも残ったそれらを改めてかき集めて飲み込むと、甘さだけじゃなくて相手の味がした。相手の味、と思うと興奮してくる。普通の恋愛から得られる物じゃない、禁断の果実を摘んで食べるような怖さと期待が入り混じってる。
「夏美さん」
 興奮に火照った身体を持て余していたところに、卓也が冷静な声で話し掛けてきた。絡み合うもう一枚の舌だったのに、私は舞い上がって話も出来ないのに、卓也は顔を少し赤らめてるだけで平然としている。そこがもどかしくて腹立たしくて、横に落ちていたお菓子の袋から一本を取りだして卓也の口に突っ込んだ。
「――何するんですか」
 律儀に全部食べ終えてから卓也はまた尋ねる。その時には私の心臓も落ち着いていたし、思考も回復していた。もしかしてそれを待っててくれたんだろうか?
「待っててくれたの?」
「はい」
 卓也の質問には答えずにした私の問いかけに、卓也はすんなり答えてくれる。前から話題が散らばり気味だった私との会話を不快に思わずにしてくれるのは卓也だけだった。だから、いつの間にか○ッキーゲームなんてする仲になってしまったんだろう。
「夏美さん。何するんですか、いきなり」
「CMでもやってたでしょ? ○ッキーゲーム。だから」
「でもそれ○ッキーじゃないですよ」
 確かにお菓子は○ッキーじゃなくて○レファーだけど、いいじゃないの。長くて両端から食べられればゲームは成立するんだし。
「ね!」
「そうですね。本当、悪戯好きなんだから」
 思ったことの最後を口に出しただけで、卓也は私が何を言いたかったのか分かってくれる。それだけ相思相愛なのかもしれないし、私が単純なのかもしれない。
「それにしてもさ、卓也」
「夏美さん。そろそろ上からどいてください」
 会話を続けようとしてすっぱりと切られる。下から真っ直ぐに私を見上げてくる卓也の目は嫌がってる感情は映ってなかった。あるのは「できればどけてほしいんですけど」という控えめな光だ。それと言葉で請われては、断りきれない。
 押し倒した体勢は好きだった。身体をびしっと伸ばした卓也の身体に四つんばいになって覆い被さるのは、この純真無垢そうな男の子を自分だけの物にした気分になるから。実際に、私だけのものにしたいと思う。
 とりあえずゆっくりと後ろに下がり、卓也は同時に身体を起こす。じっくりと見てみると、やはり卓也は他の中学生とはどこか違った。
 柔らかくてさらりと揺れる髪の毛に、女装したら女の子に間違われそうな顔。まだ十五歳だけど凄く大人びていて五歳上の私がとても子供っぽく思える。
 実際に、卓也は手のかからない教え子だった。何のために家庭教師をしてるのか分からなくなるぐらいに。
 それが尊敬もして、恨めしいと思いもする部分だった。
「夏美さん、顔が引きつってますよ」
 伸ばされた手が頬に触れて、顔がかっと熱くなる。今まで何人か男の人とも付き合ったし、キスから最後までも経験した。なのに男の子に触れられただけで心臓を高鳴らせるなんて……少女じゃあるまいし。
「緊張してるんですか?」
 頬に触れていた手がゆっくりと下ろされて、私の胸の間へと当てられる。心臓の鼓動を確かめてると分かったけれど、すぐ傍にある膨らみに意識が行ってしまう。そして今まで何かつかえていたものが、一気に噴出す。
 触れて欲しい。
 頭に浮かんだのはそれだけだった。
 否定することはもう出来ない。歳の差とか関係なく、今、私は卓也に熱を上げている。五歳下のまだ成熟してない男の子にこんなにも惹かれるなんてと頭のどこかで憤る。でも、押し寄せてくる濡れた感情の波は私の心を熱く甘く覆ってくれた。
「卓也……」
 胸に当てられていた手を掴み、ゆっくりと右の乳房へと持っていく。卓也の顔が初めて動揺に歪んだ。おそらく付き合うことになってから初めて見るだろう彼の顔に、もっといじめてみたい衝動にかられる。
「ねえ。柔らかい?」
 私はもう一方の手を背中にやって、器用にブラのホックを外す。服の上からブラを下げてもう一度卓也の掌を触れさせた。
「卓也……どう?」
「どう、って。やわら、かいと、思います」
 詰まる声。いつも冷静に私の愛の表現を受け止めてくれていた卓也が今、動揺してる。キスでいきなり舌を入れたり、背中越しに胸を当てたり、ミニスカートを穿いてみたり肩の開いたシャツを着てみたりしても、彼は少し顔を赤らめる程度で微笑むだけだった。そして私は彼に意識まで溶かされた。彼の一つ一つの表情、動き、声に魅了された。
 でも、卓也と私の立場は逆転したらしい。
 今の卓也は歳相応の、「女性の身体に興味はあるけど実際には触ったこともない」少年になっていた。私も直接的にこうして身体に触れてもらうことをしなかったのは、どこかお姉さんだと言うことを意識していたからかもしれない。
 でも、意地を捨てて望んだことをしてみれば、卓也はやっぱり年下の男の子だった。それは私の中に正体が知れない空虚を生み出したけれども、代わりに卓也を可愛く、愛しく思う気持ちが広がっていく。
「私のこと好き?」
 手を外してから聞いてみる。卓也は私の胸に触れた手を閉じたり握ったりして見下ろしている。下げていた顔の中で視線だけを上げて、卓也はぼそっと呟いた。
「好きだから、こうしてるんじゃないですか」
 胸がきゅんとして、思わず頭を撫でてみる。特に何も抵抗せずに卓也は撫でられるままになっていた。俯いていたから顔はよく見えなかったけれど、笑っていたように思える。
 私はあなたが好きで。
 あなたは私が好きで。
 つまらない意地なんて張らずに対等に行くのも、いいだろう。歳の差があろうが、私達は好きあって彼氏彼女になったのだから。
 卓也の頭を撫でながらふと口の中を舌でなぞってみると、ゲームの名残があった。それを舌ですくい取り、飲み込む。
 それはやっぱりレモン味だった。
 特に何も変わらない、レモン味だった。




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