ぉまんじゅぅ

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 はむはむはむはむはむはむむぐむぐむぐにゅむにゅむにゅむにゅむにゅくちゅくちゅくちゅぐちゃぐちゅギュっぎゅっぎゅっぎゅっちゅにゅちゅぬちゅちゃんちゃぬちゃぬちゃうぐぅんんんん。
 もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。
「はぁ。一杯、口の中に、ひ、広がって、おいちぃ。らめぇ」
 もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。
「ひょろへほうぅう。おいひぃいいい!」
「お願いだから大学生にもなって鼻先で物を食べないでくれ」
 鈴木匡は転寝から目覚めた瞬間に見えた一対の瞳に向かって口を開いた。無論、大学生だろうが小学生だろうが、鼻先で物を食べるのは行儀が悪い。しかし今の状況は匡の思考回路を少しショートさせていたため、言葉の過ちには気づかない。鼻腔に広がるのはアンコの匂い。迫る顔の主に下の部分から香る。あまりに近すぎて見えないだけで、それが口から発せられているというのは見なくても分かった。
 少しでも動けば相対する顔についている食する器官とランデブーしてしまう危険性があるため、水平に顔を動かした。
「何故逃げる?」
 もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅもにゅ。もにゅ。もにゅ。もにゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。んがんぐ。
 喉を嚥下していく音までも、間近で聞こえた。
「はぁ、思わず身体まで蕩ける旨味」
「お願いだから離れてください」
 大学の講師と先輩にしか使わない敬語を同い年の友人へと解き放ち、胸板を優しく押し上げる。ワイシャツ越しに伝わる触感はほどよく固く、弾力を持っている。しかし、匡は男には無いふくらみに驚いた。
「士郎、いつの間に人の部屋にはいったんだよ。あと豊胸手術も」
「どちらもついさっき」
 弾かれるように起き上がり、胸を覆う男――田中士郎はすぐに手をどけるとテレビでモデルがやるように胸を突き出し右腕は頭の後ろ。左手は腰にやり、右足を軽く曲げ、左足はぴんと伸ばした。声には出さなかったが、効果音が「うっふーん」と鳴っているように匡は思う。
 ワイシャツに黒ジーンズ姿で、身長が百八十に届く身体つき。そこにプラスされる、胸元のふくらみ。
「このナイスバディイイイイイ! を見せるのは恥じらいを感じるが、匡になら見せてもいいィイイイ! 俺の! 全てをぉおお!」
 片足に体重を乗せた姿勢からずりずりと匡へと近づく士郎。どう移動しているのか分からないながらも、このままでは貞操が危ないと匡は座った状態から後ずさる。先ほど言った豊胸手術は冗談半分だった。しかし、匡は士郎の行動パターンを思い出す。
 以前『富士山に登りたい』と言って二人で登山に行った時は、富士山に入る直前になって『カキ氷を食べに行こう』と北海道へと本当に舞い戻ってしまった。
 また『鈍行に乗っていけるところまで行こう』と言って準備を整えた次の日に『今日はなます斬り忍法帳の発売日だ』と出発を取り止めた。
 つまりは士郎は気分屋なのだ。
 しかも、ただの気分屋ではない。
 士郎は不可能に近いことでも平気でやろうとする男だった。だからこそ、いきなり突拍子も無い事を言って笑っていた友人達が、本当にそれをしたことで何も言えなくなったという光景を何度も匡は見てきた。
 そんな士郎を許せる匡だからこそ、大学まで付き合いが続いているのだろうが。
 つまり、豊胸手術も本当にしかねない。
「いや、まさかそこまで士郎もアホでは」
「俺は、アホだぁ!」
 そう言ってワイシャツを引きちぎる士郎。びりり、という効果音と共に空間が悲鳴を上げる。超音波となって匡の耳穴を破壊し、さらけ出された上半身が目を混濁させた。
「って、饅頭じゃないか!」
 胸元を覆っているブラジャーに挟まっているのは柔らかく見える白い饅頭。誰の下着か聞く気も起きず、匡は立ち上がってブラジャー内に手を入れると饅頭を取り出した。
「匡ったら強引ね」
「そもそも真顔でトーンも同じく女言葉を使うな」
 先ほどのように感情込めて話すのも煩いが、と心の中で付け加える。
「そもそも何で饅頭なんか胸に」
 手に持つ饅頭を眺めると、表面に『漢』という一文字が彫られている。中央には桜色の豆が置かれていた。
「何、この漢って文字」
「だって『ぉ漢じゅぅ』だからな」
 マン、という部分だけ強調して士郎は匡の手からぶつを取り返す。そして口にほお張り、唾液と饅頭を構成する成分とを混ぜ合わせていく。
 ぐちゃ。くちゃ。ぐちゃ。「あ?」くちゃ。ぐちゃ。くちゃ。ぐちゃ。くちゃ。ぐちゃ。くちゃ。ぐちゃ。くちゃ。「あれ」ぐちゃ。くちゃ。ぐちゃ。くちゃ。ぐちゃ。くちゃ。「……あ」ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。「あ、ああ」ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ。「あああ」ぐちゅ。ぐちゅ。
 匡の頭が『ぐちゃ』擬音で占められ『ぐちゃ』ていく。最『ぐちゃ』初はテンショ『ぐちゃ』ンに押し流されてい『ぐちゃ』たが、冷静になると目の前で饅頭『ぐちゃ』をほお張って音を立た『ぐちゃ』せている存在は気持ち悪いとい『ぐちゃ』う文字以外で表すことが出来なかった。

 ん、ご、く、ん。

 終わりを告げる音。始まりを告げる音。
「さあ、お前も食べろ」
 士郎は残り一つの『ぉ漢じゅぅ』を口に半分だけ含み、匡へと歩み寄る。その瞳は潤み、少し液体が漏れ出していた。
「や、止めろ」
 気持ち悪さと不快さと怖さが匡の中でブレンドされる。搾り出されたのは背筋も凍るような汗。じわじわとシャツを濡らし、トランクスまで滲ませていく。
「くるな。やめろ」
 叫び、突き飛ばそうと思っても実際には全く力が宿らない。心が士郎を、今の状況を否定している。現実から逃避しようとする心と、現実を直視する脳が剥離して身体の支配権を奪い合う。結果、行動指針が決まらずに士郎の超接近を許すこととなった。
 触れ合う身体と身体。興奮の汗と冷や汗。
「め、た、も、る、ふぉーぜぇ」
「や、や、ぁ」
 両手足を相手のそれに押さえられて動けない匡。迫る『ぉ漢じゅぅ』に思考が漢で満たされる。
「やめろぉおおお!」
 開いた口が饅頭で塞がれた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「――おお!?」
 布団を押し出して起き上がった匡はそのまま寝巻きがわりのシャツとジャージを脱ぎ捨て、トランクス一枚になった。部屋に置かれた空気は冷たく淀んでいて、火照った身体には優しい。しかし、駆け足で窓へと足を進めて一気に開くと外の厳しい寒さが身体の細胞を貫いた。
「はぁ。はぁ。ゆ、夢か」
「おはよう。匡」
 声に振り向くと、机に備え付けられている椅子に座り饅頭をほお張っている士郎がいた。どうやって中に入ったのかと聞くことも忘れて、机の上に置かれていた箱のラベルに目が行く。心臓が高鳴る。

『お漢じゅう』

「お、かん、じゅう?」
「ぉマンじゅぅ、だ。マン! を気合入れて。他を乙女が好きな者との相性を占うために花びらを一枚一枚捨てていく時に呟くような声で言うのがポイントだ」
 匡は無言で蓋を開け、入っていた一個を食べる。口の中に広がる旨味は脳を蕩けさせ、喉の奥へと落ちていったアンコは胃から体内へと染み出し、汗として出て行った水分の代わりに身体を満たしていく。
「美味い」
「だろう? 昨日から発売しだしたんだよ。これは売れるぜ。これを食べて二人で真の漢を目指そうじゃないか」
 匡は食べながら今見た夢を思い出そうとしていた。しかし、霞がかかったように頭は朦朧とし、どうしても思い出すことが出来ない。
(なんだろ。見覚えある気がしたけどな)
 はむはむはむはむはむはむむぐむぐむぐにゅむにゅむにゅむにゅむにゅくちゅくちゅくちゅぐちゃぐちゅギュっぎゅっぎゅっぎゅっちゅにゅちゅぬちゅちゃんちゃぬちゃぬちゃうぐぅんんんん。
 熱に浮かされたように、何かに背を押されるかのように。  もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。食べる。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。食べる。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。食べる。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。もにゅもにゅ。食べる。もにゅもにゅ。
「おいひぃ」
 目を蕩けさせながら、匡は饅頭を食していった。士郎の笑みを含めた視線を受けながら。


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