『おばけ』





 何か寝苦しくて眼を開けると、はっきりと天井が見えた。斜めに走ってる黒い線が蛇み

たいで気持ち悪い。

(あの線……なんだろ)

 何か黒マジックで書いた時の線に似てる気がする。

 でもよく分からない。頭がぼんやりしてて、上手く考えられない。

 考えることを止めてぼんやりとしてたら、隣の部屋から人が話す声がしてきた。

「誰か、いるのかなぁ」

 身体を起こそうとしたけれど、動いてくれなかった。僕の身体は何かにのっかかられて

るように動かなかった。

 ――何で動かないの?

 ―――ここは、どこ?

 ――――僕は誰なの?

 自分が誰なのかも分からなくなってしまって泣きたくなる。でもお父さんがよく言って

いた言葉を思い出せて、僕はなんとか泣かなかった。自分の名前も分からないのに、不思

議。唇を思い切り噛んで、顔にたくさん力を入れた。

『いいかい、駿? 男の子はめったに泣いちゃいけないよ?』

 そうだった。僕の名前は駿で、お父さんは僕には分からないけどえらい人で、お母さん

はそんなお父さんが大好きで、妹は僕を大好きでいてくれて。

 僕もそんなお父さん達や妹が大好きだった。

 お父さん達の子供で嬉しかった。妹のお兄ちゃんでいて、嬉しかった。



 でも……もう誰もいない。



 お父さんもお母さんも妹もいない。少しずつ思い出してきて、僕は怖くて布団の中で身

体を縮めた。勘違いしてたけど、布団の中なら動けるみたいだった。

 最初に思い出したのはジェットコースターだ。遊園地に家族で遊びに行った時、乗った

乗り物。

 空を飛んだ車は、ジェットコースターだった。空を飛んで、そのままどこかに行っちゃ

った。車に乗っていたら、道路から飛び出した。上から下に落ちるのは、お尻のほうがむ

ずがゆくなって、おなかが冷えちゃう。

 そんな、感じ。

 次に思い出したのは赤いものが混じったお父さん達。

 苦しそうに「うう」って言ってて、僕はお父さんの言葉を破って泣いちゃったんだ。

 ……きっと今も、その夢を見ていたから寝苦しかったんだ。

(お水……欲しいな)

 そう思いはしたけれど、喉は乾いてなかった。ただ起き上がりたくて、体を動かしたか

った。何とか動かそうとするけれど、僕は布団に抑えられてる。どうしてこんなに布団は

僕を放さないんだろう?

【……】

【はは……】

【――だね】

 部屋の外から声がして、怖くなった。だって、僕以外この家にいないはずなんだから。

 親戚のおじさん達も会ってない。近所のお婆さんもお父さん達のこと嫌ってたし。友達

も先生も僕のこと嫌ってた。誰も、一人になった僕を見てくれる人はいないんだ。

「う……え……」

 駄目だよ、お父さん。

 泣いちゃうんだ、どうしても。泣きたくないけど、悲しくて、泣いちゃうんだよ。

 どうしていなくなっちゃったの?

 どうして僕だけ生き残ったの?

 外で話してるのは誰なの?

 どうすればいいの?

【―――ん】

【――はは――】

【しゅ――】

 怖かったけど動けないから、僕は声をずっと聞いていた。泣くのをこらえるのにずっと

力をいれて。でも声は怖いことは全然無くて、とても楽しそうだった。聞こえてくるどの

声も笑ってる。聞いてる限り三人で、男の人が一人と女の人が二人。

 声を聞いてるうちに、怖くなくなってきた。

(……僕も仲間に入れて欲しいな)

 お化けでも何でも良かった。僕も仲間に入れて欲しかった。一人でいるほうが怖くて、

寂しかったから。

 必死に布団から出ようとしたけれど、やっぱり布団は動かない。まるで僕をここから出

さないように。どうして邪魔をするの? 僕はただ、誰かと話したいだけなのに、寂しか

っただけなのに。

【あ――……】

 ばたばた暴れていたら、声が消えていた。僕があんまり暴れていたから驚いてどこかに

いっちゃったのかな?

 もう一度戻ってきて欲しい、一緒に話をして欲しい。きっと、アニメや漫画で見るよう

な怖い幽霊じゃない。あんなに笑っているんだもの。

 戻ってきて欲しくて静かにしていたら、足音が僕の部屋に近づいてきた。

 ゆっくり足音を立てないように歩いてきてる。

 やっぱり僕が寝たと思って気を使ってくれてるんだ。幽霊さん達はいい人だ!

 僕は目を閉じて寝ている振りをした。そしたらゆっくりと部屋のドアが開いて「おやす

み」って声がする。

 女の子の声だ。妹に似てる気がする。

 ドアが閉まって女の子は足音を立てないように部屋の中央に歩いてくる。僕の布団が敷

かれている場所に。

 僕が寝ているのを確認して何かするのかな?

 傍にきたら目を開けて驚かしてあげようかな?

 さっきまでの怖い気分がなくなって、僕はどうやって驚かそうか考えていた。とてもウ

キウキしていた。

 でも、電灯が点いて驚かすタイミングがなくなっちゃった。あれだけ動かなかった布団

も僕の上から無くなる。

 閉じた瞼がうっすら明るくなる。お父さん達が生きていた頃、真夜中に起きちゃった時

は光が凄い痛かったけど、何も痛くない。そしてそんなに寒くない。今は何月だっけ?

 それよりも女の子に寝てること気づかれたのかな?

 気づいて女の子は気にしてるのかな? 僕が起きてることを確かめようとして、こんな

ことをしてるのかな?

 だから僕は芝居を続けることにした。不自然にならないように目をつぶって、身体も動

かさないで女の子が近づくのを待つ。

 でも、少しして電気が消えて布団がかけられた。

(あれ?)

 やっぱり女の子は気づいて、どこかに行っちゃったんだろうか? でも足音もしなかっ

たし、傍にいる気もする。どこか変だった。

 ちょっとだけ目を開けてみよう。

 誰もいないかもしれないけど、開けてみよう。

 薄目を開けてみると、はっきりと天井が見えた。

 最初に目が覚めた時と変わらない天井。女の子はやっぱりいない。

「いないんだ……」

 自然と、身体を起こしてみた。今度は簡単に起きられた。布団も押しのけないで。

 起こしてから後ろを見たら、そこに女の子がいた。僕が寝ていた所に、布団を被って寝

ていた。年はやっぱり妹と同じくらいで、可愛い顔をしてる。きっと大人になったらお母

さんに似た顔になるんだろうな。

 ゆっくり立ち上がって部屋を見てみると、僕の使ってた部屋とは全然違った。

 全部、僕の知らない物ばかり。ここは一体何所なんだろう?

 そこでようやく、ぼんやりしてた頭がはっきりした。

 ここは間違いなく僕の部屋だ。はっきりと見えていた天井にある線は、僕が前にふざけ

てつけた物だった。天井に絵を描こうとして怒られたんだ、お父さんに。



 そうだ……僕が、おばけだったんだ。



「僕も、死んでたんだね」

 事故にあって、僕もお父さん達と一緒に死んでいた。でも、僕は自分が死んだことに気

づかなくて、こうして違う人が住むようになった僕の家の、自分の部屋にいたんだ。どれ

くらい時間が経ったんだろう? よく分からないけど、そんなにすぐ他の人が僕の家に住

むようになるんだろうか?

 女の子は楽しそうな顔をして寝ていた。楽しい夢を見てるのか、むにゅむにゅ口を動か

してて、見ていて楽しくなる。

「……お父さん達に逢いに行こうかな」

 何所にいるか分からないけど、とても逢いたかった。僕だけがここにいたのは、きっと

死んだことに気づかなかったからだ。なら、気づいた今ならお父さん達がいる場所にいけ

るんじゃないだろうか。

 自然と足が窓に向かって、そのまま窓をすり抜けた。僕の身体は空に浮かんで、何かに

引っ張られるように昇ってく。空には沢山の星。お父さんに連れて行ってもらって楽しか

ったプラネタリウムを思い出す。

「うわ〜。綺麗〜」

 風も寒さも感じないけれど、引っ張り上げられていく先に暖かいものがあるような気が

した。



 大きなお月様が、僕を見て笑ってた。





掌編ぺージへ