『ノスタルジック・プレイス』


 暑い夜だった。
 遠くに薄く広がる雲が茜色に染まり、穏やかな風が留まっている暖気を押し流していく。その大気の流れに乗るようにして、私たちは音楽の鳴るほうへと歩き出す。
 前を歩く姉夫婦は、意識を持って初めての盆踊りを体験する姪に笑顔を送っていた。当の本人はどこにいくのか少し不安げに、それでもいつもとは違う周囲に興味を惹かれるようで、きょろきょろと視線を移している。一歳になる姪の垂れ落ちそうになっている頬を見ていると、私は顔が緩むことを止められなかった。
 お盆休みに私のいる実家へとやってきたことで、いつもの自分の場所と違うと泣き叫んでいた姪も一日過ごしたことで環境や祖父母となった私の両親、そして私に慣れたのか笑顔を見せるようになった。その笑顔につられて破願する私と、両親。よく赤ん坊の笑みを天使の微笑みと称するけれど、それは誇張ではなく、姪は確かに天使だった。自分が中心となり周りをかき回すけれど、その笑みを向けられただけでその苦労は報われる。
 そうやって皆を楽しませた姪も、義兄の肩に顎を乗せて彼等の後ろを歩く私の顔を見ている。何を考えているのか。何も考えてないのか。向けられた無表情の顔はやはり愛しい。
 盆踊りの会場となっている公園に着くと、子供たちが何人も遊んでいた。公園の横に儲けられたスペースに、矢倉が立てられちょうちんが飾られている。私たちを導いた音楽は、私が子供の頃に聞いていたなじみの音楽。矢倉へと向かった私たちの視界に入ったのは、踊る人々とその奥で太鼓を叩いている子供たち。
 私が喜々として踊っていた頃は全てBGMだったのに、今は太鼓の部分は生の音を奏でている。空気を振るわせて届くその音に、少し眠そうだった姪も目が覚めて興味津々と言った様子で見つめていた。
 姉夫婦はそのまま踊りの輪に加わり、私は少し離れた場所から輪と太鼓たちを眺める。先ほどまでの茜色は藍色に変わり、ちょうちんや外灯の明かりが私たちを照らし、近くにある焼肉屋が出してきた屋台からは肉の焼ける煙が漂う。
 太鼓は音楽に合わせて打とうとしているのだけれど、ちょっとずつずれていた。練習の成果は見られたけれど、やっぱりまだまだらしい。しかも、聞こえてくる音楽もところどころ途切れていた。ひび割れて、途切れて太鼓の音だけが空を舞う。昔から。それこそ、私が生まれる前からこの音楽は使われてきたのだろうか。そして、テープにでも録音していて、擦り切れかけているのだろうか。そう思うと、私の中に時の流れがしっとりと染み込んでくる。
 今と、昔。
 私が子供の頃と今のここは、かなり変わってしまった。
 公園は小奇麗になった代わりに大きな矢倉を立てるスペースが無くなって、小さい矢倉が公園の隣のスペースに立っている。音楽は擦り切れ、新たに太鼓が生の音を聞かせてくれる。
 新しく生まれるもの。古くて消えていくもの。いずれ、テープは新しい物に変わり、綺麗な音を聞かせてくれるのか。子供が去り、盆踊り自体がなくなるのか。その結果が分かる頃には、私はもうこの地にはいないのだろう。姉達と同じようにどこかからこの場所に還ってきて、できるなら子供を抱いて故郷の空気を吸うのだろう。
 音にあわせて回り、ある部分で中心に近づく子供たち。身体が懐かしさに染まったとき、一人の子供の姿が、一瞬変わる。
 それは私だった。過去の私だった。
 音楽から外れないように。それでもできるだけ中心に近づくようにしていた。子供心に行ったタイムアタック。中心の矢倉にタッチして素早く広がった輪に戻り、また何事も無かったように踊り回る。それが何よりに名誉だと言わんばかりに。
 祭りについてきた私の父も母も、こうやって私の動きを眺めていたのだろうか。そうして、他愛の無いことに全力をつくす私を見て、微笑んでいたのだろうか。
 思考にふけっていると、姉夫婦が輪から外れて私のところに来た。見ると姪は完全に目を閉じ、ゆっくりと寝息を立てている。声を出さずに頷いて、私たちはその場から歩き出した。導かれた時と同様に、生の太鼓と擦れた音楽に押し出されるようにして。
 公園から遠ざかると共に聞こえてきたのは鈴虫の声だった。空は藍色から闇色に染まり、ちらほらと星が浮かんでいる。うっすらと道路を照らす外灯の下に差し掛かっても、姪は目を覚ますことは無い。知らない土地ではしゃいだことで、疲れがたまったのだろう。目の下にはうっすらと隈が出来ていた。幸せそうに眠る姪と、同じように見守る姉夫婦。その隣で私は自分の過去と未来に思いをはせていた。
 あの音楽も、この夜の空気も、少しずつ変わっているのだろうけど。それでも過去からずっと続いていて、未来にも繋がっていくのだろう。たとえ、どこにいたとしても。そして生まれでた命は経験をし、その命から更に生み出された命へと受け継がれていくのだろう。私たちが生きていく限り。
 姪も繰り返される盆踊りや様々なことを体験して、今日の私のように思う時がきっと来る。きっと、過去を誘う場所を見つけることになる。その時を静かに、穏やかに迎えて欲しいと願う。
 迎えられないという結末がおとずれないよう、願う。


 暑い夜だった。
 遠くに広がっていた茜色は藍色に変わり闇色に飲まれ、明日へと向かっていった。留まっていた暖気を押し流したちょうど良いそよ風に乗るように、私たちは家路についた。
 明日も明後日も、また暑くなりそうだった。




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