ほとばしる陽光。揺らぐ景色に耳をつんざく蝉時雨。あからさまに夏のただ中を一台の車が行く。相棒はハンドルを握り、時速八十キロから落ちないほどペダルを踏み込んでいた。次々と車を追い越すのは心地良さより恐怖を感じるぜ。
ほんとならば、こんな日は家の中でかき氷を食べて腹をコワスくらいが良いのではないか。良いではないかアーレーくるくるマジカルマジカルぴろろろん。
壊れかけのクーラーから送られる晴れ時々冷風では、俺のシーピーユーを冷ますことができない。夏だからと丸刈りにしたかいもなく、短い毛の間にたまる汗がつつつと顔へと流れ落ちていく。
夏の恐怖を確信する一日となりそうだ。
「なんでこんな暑い日に海水浴なんだよ」
「お前のその感覚はずれている! 暑いからこそ海だ!」
相棒もとい大学友人の干場は日焼けした顔から真っ白な歯を覗かせた。俺よりも軽さを求めて丸坊主なだけに、頭部まで全て日に焼けているから余計に目立つ。まるで歯磨き粉の宣伝に出そうな男に夏は変身、むしろ変態するのだった。
「もうすぐ着くぞ。漢の生地へと」
聖地の発音が微妙に違う気がするが。
気乗りはしなかったが、悪くないと思い始めていた。確かに雲一つ内八月半ば。最高気温四十度という状況は海日和に思える。海など小学生の時から行ってないし、貴重な体験だ。
「絶好の生み日和だよなぁ。あはは」
多少発音が異なってるのが気になるけど、干場も同じく思ったようだ。
家を出発してから二時間。太陽はすでに恵みを燦々と与えてきた。俺としてはもうこりごりだ。早く着かないかな。クーラーが遂に生暖かさしかプレゼントしてくれなくなったんですけどー。
目的地はまだかと干場に聞こうとしたところで、民家ばかりの景色から一気に砂浜が広がった。
「おお! 着いたか」
ようやく海に入れると思ったが、砂浜が広いのかやけに海の青が遠くに見えた。近ごろは温暖化の影響で砂浜が消えるとかあるみたいだけど、ここは逆なのか?
「ふふ。血湧き肉踊るぜ!」
干場が運転中ながら身体を揺らす。そこまで嬉しい気持ちもよく分からなかった。ナンパでもする気だろうか? 見た感じ、砂浜には女の子より子供が多いように思える。そして、きゃっきゃと跳ねながら海の方を指差していた。
「あれ?」
やけに遠いこと以外は特に変哲もない海。どうしてはしゃいでいるのだろうか?
「……なんだあれ?」
駐車場に近づくにつれて、違和感の正体に気付いた。
海が遠いのは一部分。しかも不自然な四角型だ。人工に埋め立てられているとしか思えなかった。
確かに埋められていた。砂浜と間違えた色を持つ生物が、海を汚染していた。
裸の人間達が。
「これぞ漢の祭り! 肉の海!」
テンションを上げる干場の横で、一部の隙もなくひしめきあう肉体の共演に俺は目を奪われていた。
『肉の海肉の海肉の海肉ー肉ー肉ーにーく〜♪
肉の海肉の海肉の海肉ー肉ー肉ーに〜く〜♪』
自動車を降りると、見事な肉声か聞こえてきた。ぱっと数えても百人は軽く超えているだろう。それだけの数の人間がどうして双方からぶつかり合い、ほがらかに歌を歌っているのだろうか?
丹田から押し上げられ、一つの楽器と化した身体から発せられた声は周囲の気温を更に上げている。中心に行くほど暑くなってるらしく、温度差に海は揺れていた。
「さぁ、気合い入れて乗るぜ」
干場はトランクからスケートボードを取り出した。サーフボードじゃないんだ……。
「毎年挑戦するんだが、途中で肉の海に飲まれるんだよな。今年こそ青い海に飛び込むぜ!」
「少しずれたら普通に入れるのに」
肉体がひしめいているのは五十メートル四方といったところか。何故かそこの周辺には他の客はいなかったけど、外せば普通に泳げた。なんでみんなぶつかり合いにいくんだろう。
「賞金百万は今年こそ!」
「百万!?」
どれだけうまい棒買えるんだ!? それが理由か。みんな金か! そりゃなっとう味は本当にねちょねちょするのが売りだけどさぁ。
「二位は北海道印のジンギスカン肉が一年分。賞味期限は一週間」
それは食べるのきつそうだ。一週間で一年の時を過ごすなんてもったいない。
ここまで来てしまっては一人で帰るわけにも行かず。文句は言わずに干場の後ろをついていった。適当な場所に場所を取るとすかさず準備運動を始める。なぜかラジオ体操第二。ラジオ体操というとやはり第一の気がするんだけれどな。
「よし、行ってくる!」
スケートボードを小脇に抱え、砂浜を走り出す干場。蹴り足は見事で、親指がちゃんと砂を噛んでいるからか蹴り上げた際に爆発したかのように砂が舞う。見事なフォームのまま肉の海に突っ込んで、こけてしまった。
「あぎゃー!?」
悲鳴は歌の波間に消えていく。近くで座っていると肉の海から聞こえてくる歌は実際の海と同じく波打っていた。奥から、あるいは左右から押し寄せてくる波のように「肉肉肉」と流れていく。隣の人間が肉の「に」と言った瞬間に「肉」と言う。その「に」という言葉が聞こえた瞬間に更に「肉」という。その繋がりが波となり、大きな力となるのだろう。
「肉」
呟いてみる。とりあえず中央に「肉」が集まった時に。その瞬間、身体の奥底から沸きあがる気持ちに気づいた。何だろう。この一体感は。押し寄せる波の一つになることはこんなにも心地よいのか?
「肉」
にににににににににににに肉〜♪
にににににににににににににににに肉〜♪
ににににににににににににににににににに肉〜♪
にににににににににににににににににににににに肉〜♪
ににににににににににににににににににに肉〜♪
にににににににににににににににに肉〜♪
にににににににににににに肉〜♪
快感。
そうだ。否定するわけにはいかない。俺はこの祭に参加したいと思っている。歩き出して、あの身体がぶつかり合い、肌色の液体を飛び散らせる中に入りたい。身体が人間臭くなるほどまでに汗を浴びたい。太陽の下で。
「に、肉」
半ば熱に浮かされた頭にはもう肉のことしかなかった。あの肌色に染まった、正午の海。なんていう美しさだろう。陽光に煌いて彼らの周りを回っているのは間違いなく汗だった。汗が俺を祝福してくれる!
「あの」
そんな俺の脚を止めたのは、女声。声からしておそらくは二十代前半。ほぼ、俺と同い年だ。
この声は慰めを求めている声だ!
「お一人ですか?」
お一人ですよ、今は。これからあの肉地肉林へと向かうところです。そう言おうと振り向いた先にいたのは、俺的ランキング第一位の顔だった。まず髪が長い。そしてまつげが長い。また、目が少しきつめ。口は小さく鼻も小さい。しまいにゃ背丈が百六十ほど。なんていう理想。そして胸が小ぶりだ。俺はDよりもAに発情する男。そしてフェイバリットカラーであるストライプブルーのビキニで胸元と秘部を隠していた。
なんということでしょう。思わず丁寧になるほどの可愛さだ。
「よければあっちで、一緒に泳ぎませんか?」
指差す先は肉の海の隣。素直な青い海だった。でも若い女性が一人で来るなんてどういうことだろう。普通なら自殺と考えてしまうけど、いくらなんでも一緒に死んでくれと誘うとは思えない。
「私の彼氏……彼氏だった人が、あの肉の中に」
なるほど。オッケーだ。つまり肉の塊達へと彼氏は吸い込まれたと。そんな彼氏は軽蔑したと。
「私、汗臭いの苦手なんです。あと汗だらだらなんてばっちいし。筋肉もりもりも嫌いなんです」
「なるほどね。分かるよその気持ち。俺もアスリートを否定する気はないけどお近づきにはあまりなりたくないね」
「やっぱり男は清涼感ですよね!」
「もちろん!」
そうだとも! 男はやっぱり爽やかさだろう。渚を駆ける二人。波打ち際を走っていく彼女を追いかける俺。あまり外見に気を使ってない男が追いかけたならきっと逮捕されるだろう。でも俺は多少爽やかだ。汗を乾かすシュッシュなものもかけている。きっと波によって宙に舞った海水が俺達を祝福してくれるに違いない!
「いこうか! 君、そういえば名前は?」
「油啜子(あぶらすすりこ)よぅ」
顔の先にいたのはいつの間にか理想の女の子じゃなくて、理想の筋肉マンだった。身体は立派な小麦色。歯をきらめかせ、右足を少し曲げて両腕を組み、にこりと笑う。
見事なまでの干場だった。飲み込まれたと思ったら……ミイラ取りがミイラとはまさにこのことだ。
見ると、彼女は口をふさがれ四肢を持ち上げられて肉の饗宴へと連れ去られていく。背中を押し上げているやけに嬉しそうな男は元彼氏だと思う。自分と同じ領域に持っていくのがたまらなく嬉しいんだろう。そして、悲鳴と共に彼女は人肌のぬくもりを持つ海へと消えた。
「お前も、逝ってこい」
「はい……」
周囲に集結したマッスル達に持ち上げられて、俺はそのまま海へと飛び込んでいく。結局、熱い時は熱い物に限るってことか。
熱で気を失うまでに覚えていたのは、錯乱して唾を吐きながら笑い転げるAカップ彼女の姿だった。
お・に・く。もとい、お・ま・け
振動に気づいて目を開けると、干場の運転する車の中だった。既に辺りは茜色。ひと夏のあばんちゅーるが終わるらしい。ごめん。知った被った。アバンチュールって何? 何語?
「気づいたか。帰ったら早速ジンギスカンパーティやるぞ」
運転しながら左手で後部座席を指す。そこにはこんもりと積もったジンギスカンの山。ご丁寧にビンに入ったタレが下に転がっている。
「お前、優勝したのか。あれ、準優勝だっけ」
俺が問いかけても干場は満面の笑みのまま前を向いて運転するだけ。運転中に話しかけるのは危なそうだ。
それにしても、どういう審査基準なんだろう? スポンサーはやっぱり海の家?
たんまりと積もった肉の山を見て、考えることがバカらしくなる代わりに胸焼けもしたけれど征服もしたくなった。
「肉」
呟けば、自然と笑みが零れていた。
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