ラスト・バトル


 もう何度目かのお茶を飲み干すと、武は口の中に残る苦味に顔をしかめて立ち上がった。
 最後のお茶葉を使いきって何度も出がらしを飲むと、どこかノスタルジックな気分となる。
 例えば、夕暮れの教室に一人立って影を見つめているような。
 やがて教室のドアが開き、そこから現れるのは片思いのあの子。
 まるまるほっぺの従姉妹の子。粋でイナセな夏を連れて来る渚のシンドバット――
「そんなわけあるかこんちくしょう!」
 武は自分で思い、自分で突っ込むテクニックを披露する。
「そんな従姉妹いないし。どこの脳内だよそんなの考えるの。ここだよ」
 そこまで呟いてから頭を何度か振り、武はようやく脳を包み込む霞を払った。
 現れるのは二人の武。片方は片手に睡眠薬を持ち、もう片方は○ポ○タンDを持っている。飲め飲め飲め飲め飲んで飲まれて歌い踊る。
 そんな二人をとりあえず頭の隅に追いやって、一人ボケ突っ込みを繰り返した後に時計を見ると、既に午前零時を回っていた。カチカチという秒針の音がやけに大きく聞こえる。
 テスト最終日。運命の時へと、時を刻む。
「あーもーおわらねー」
 向かいの部屋で眠っている両親を起こさないようなぎりぎりの音量でぼやき、そのまま窓を開ける。
 まだまだ北の土地は寒く、ゆっくりと息を吐くとかすかに白い煙が空へと昇った。
 初夏――六月に入った頃の夜は、パジャマ代わりのTシャツの上に何か着るかどうかの境目にある。急務がないのならば、これほど過ごしやすく気分を落ち着かせる時は無いという思いを詰め込んで、武はため息を吐いた。ため息もどこか重く、床に沈殿したように感じる。
 高校最初の中間テスト。
 初めから一夜漬けをするとは武も思ってはいなかった。中学では学年最高三位まで入った頭脳も、高校の部活について行こうと春休みにがんばった結果、こうしてテスト本番前に徹夜するまでに落ちた。その没落ぶりはそれこそ、一瞬で白髪になるほどだと武はうろ覚えのテレビを引用する。
 しかし、何とか最終日までこぎつけた。今までの戦跡は、六対四で勝っている……筈。
「あとは古典だけなんだからさ。最後の一日は清々しく過ごそうぜ兄弟」
 独り言は弾み、教科書は進まない。そんな現実を見ないかのようにしばらく一人小芝居を続けた後で、武は机に戻った。
 時が止まって欲しいと思う。せめて緩やかに留まって欲しいと。
 自分が勉強をサボっていたのは、けしておろそかにしていたわけじゃない。ただ、中学の時と同じように部活メインで勉強は授業と日曜にそこそこだっただけ。
 その手法が失敗しただけなのだ。油断していただけなのだ――
「――今度からちゃんとしますから。どうか時を緩めてください。時間が二倍になれば間に合いますから」
 心の中で呟いていた祈りと言う名の愚痴が、いつしか口から洩れ出て行く。その合間にも古典を翻訳しつつ、辞典を紐解いて脳に意味を焼き付ける。
 単語を一つ覚えるたびに、何か大切な物をなくしていくような気が武はしていたが、今はそんなことに構っていられない。六割取れなければ補修がある。補修があればテスト休みはなくなる。
 その間に精一杯部活をしたい武にとって……。
 中学で勉強に困ることが無かった武にとって!
 補修は邪魔であり、屈辱でしかないのだ。
「そうだ。これは俺を試しているんだ。ここで乗り切ることが出来ればテストはもらったもどうぜんということだ! うはははは!」
 深夜ならではのハイテンションを持って、武は徐々に脳が覚醒していくような感覚を得ていた。
 今ならばどんな問題も解けるし、どんな知識も蓄えられる!
 ふと横に視線を移すと、出がらしの茶が残る湯飲みがあった。目が冴えてきたことに余裕が出来たからか、武は湯飲みに手を伸ばす。先ほどから呟きつづけたことで喉が乾いたのだった。
「さて、もう一がんばり!」
 一言口に出してから冷たくなった液体を飲み干す。
 その刹那――世界が暗くなった。






「と、言うわけでそれまで勉強していたのが全部夢で。覚醒してきた感覚は単に目が覚めてきたってことで。トイレに行きたくなったときはもう朝六時だったわけで!」
「分かったから。早くテストを受けなさい」
 だるい身体を何とか全力で走らせて学校にたどり着いた武に、教室から出て待っていた担任教師が呟いた。
 無論、声を潜めているのは他の教室でもテストをしているからである。武は一度落ち着くために腕時計を見た。しかし、そこには絶望的な時刻が刻まれていた。
「あと二十分で六割取らないと追試な」
 担任が代わりに呟く。
「……はい」
 武の中に刻まれる「デッドオアアライブ」の言葉。そんな胸中を知らずに、初夏の空は快晴を地を進む人々に見せ付けている。
 テスト休みか追試漬けか。何とか今ある知識を全て引き出して、テスト用紙に注ぎ込むしかない。
「ばっちこーい!」
 囁きつつ頬をぴしゃりと打ち、疲れに重かった脳を覚醒させてから教室のドアをゆっくりと開けた。
 確実に何かが終わるまで、残り二十分というところまで来ていた。



テーマ「終わり」
お題「時計」「初夏」「夕暮れ」「出がらし」「テスト」「目覚め」

2057文字。原稿用紙7枚


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