空想領域

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 中学二年の冬。僕は天才と称された点取り屋だった。バスケットボールが手の延長であるかのように自在に操り、相手のディフェンスをかわしてシュートを打つと、リングの中に吸い込まれる。
 ドリブルで相手をかわす時に鳴る音も、ボールがゴールネットに触れて鳴るパサッという音も、僕の耳から脳内を刺激して心地良くなる。
 コートとシューズの裏が擦れあい、焦げるような匂い。
 流れる汗が奏でる音。
 弾ける空気の流れ。
 そう。僕は天才。最強のプレイヤーだ。弱小の高校バスケ部に入部して、仲間と共に成長し、全国大会まで行くんだ! 練習試合の今でも油断はしない。相手は何しろ地区内屈指のバスケ強豪校なんだから。
 ボールを受け取った瞬間、影が差す。振り向くと三人が僕からボールを奪おうと迫ってきた! トリプルチームか! 仲間達にパスをすれば簡単にシュートまで持って行きそうだけれど、パスコースが無――
「おっと」
 空想は交差点の信号が赤になったところで途切れた。
 今日も氷点下になってるはずの夜の空気は、いつものように心地よい。吹き抜けた風は、雪を踏みしめて歩いてきてほてった頬を冷ましてくれた。空は雲がちらほらあるだけで星が沢山見えていて、綺麗だなーと素直に思った。部活を終えて疲れていても三十分かけて歩いて帰る気になるのは、この時間が僕のお気に入りだったからだ。全てが錯覚であるはずなのに妙にリアルに感じ取れる。歩いているつもりが、いつの間にかバスケットボールを自在に操っている。ある時はサッカーボールを。またある時はテニスラケットを手足のように扱い、延長上のようにボールを好きな所に打ち込む。もちろん、ライバルもいて一点をしのぎを削って奪い合う。
 空想は楽しかった。
 小学生の時からアニメや漫画が好きで、楽しく触れていた。その内、次回予告を見ながら展開を想像するようになって、いつしか自分で物語を作っていた。いろんな漫画の集合体。登場人物はそのままに別のスポーツを描いてみたり、自分が主役になって魔王を倒したり。
 甘美な世界。僕だけの世界。そこでは好きなようにキャラクターが動いて、必ず勝利する。僕は勇者になってモンスターを倒す。とても苦戦するけれど、最後には打ち勝って勝利の快感を得る。
 でも。
 空想が切なくなってきたのはいつからだろう。多分、今年に入ってからだと思う。どんどん湧き出していた創作も徐々になくなっていって、今は自分の部活のことでしか空想出来ない。二年になってもベンチにすら入れない、情けないバスケットボール部員から抜け出せない。
 信号が青になる。足は進まない。雪を弾くはずの冬靴は水分を吸ったように重かった。僕の足は冷えていない。多分。重いのは靴じゃなくて僕の足なんだ。それを雪のせいにしているだけ。
 一歩、足を踏み出す。雪を踏みしめる音が耳に届く。一度歩き出せば足の重さは消えた。そりゃそうだ。架空の重さなんて現実にすぐ消える。
 僕はバスケットボール部で、試合に一度も出られない男で。
 そして。
『ごめん。私、他に好きな人が』
 今日、好きな女の子に振られてきた男。
 どっかに、僕のことが好きと言ってくれる女の子いないだろうか。
 空想の世界ならいるかもしれないけれど、空想は現実に勝てない。
 情けない。空想の世界なら、僕はなんにでもなれた。試合にも勝って。勇者にもなって。恋愛も思い通りだ。そりゃ盛り上げるためになかなか両思いにならなかったり、一度別れたりしたけれど、結局それも最後には恋人になるからという前提で進んでる。
「彼女くらい、現実に見つけないと……」
 呟いた瞬間、明かりが見えた。とても大きな明かり。
 そしてクラクションの音。
 あ――
 目を開ければ、そこには白い天井があった。雪のように白くて、雲のように白くて、全て覆っていて。雲ならつまりは曇りってことだよね。
 確か僕は帰り道を歩いていたはず。どうしてこんな場所にいるんだろう。体を動かそうとしても動けなかった。辛うじて瞼が閉じたりするだけ。
 ……僕はいま、どうなってるんだろう?
 思考がまとまらない。何か、僕はもっと取り乱さないと駄目な気がするんだけれど、やけに落ち着いたまま天井を見てる。
 天井を見てる。
 天井を見てる。
 天井を見てる。
 天井との間に、お母さんの顔が映った。
 顔が少し青い。目も充血して赤くなってる。酷い顔で覗き込みながら、僕の顔をタオルで拭きだした。ねえ、お母さん。一体僕はどうなってるの? これは夢なの? どうして僕の体は動かないの? 今はいつなの? ねえ、かあさ――
「っと、危なっ!」
 クラクションの音に弾かれるように、僕は歩道に倒れこんでいた。踏み荒らされた雪が固くなって僕を受け止めてはくれなかったけれど、命がなくなるのと打ち身の痛みだったら後のほうがいい。
 いつの間にか横断歩道の端で立ったままだったらしい。左折してきたトラックの目の前に僕がいたから慌ててブレーキ踏んでクラクション鳴らしたってことらしい。
 トラックはそのまま走り去っていった。僕は僕で、今のことを考える。
 病院のベッドに横たわる僕がいた。目だけしか動かない。植物人間ってやつかな? 実際見たこと無いから分からないけど、もしかしたら事故にでもあってそうなっている自分を今、僕は空想したかもしれない。クラクションの音とブレーキの音でいきなり空想とかなんだろ。
 空想する力がなくなってるのかなと思ったけど案外強くなってるのかもしれない。感受性が強いとか? 良く分からない。さて、もう少し歩けば家だ。帰ったらご飯食べて勉強してっと。確か明日は英語の小テストがあったから復習しないと。
 そういえば今は何時だっけ。こんなに歩くの時間かかったっけ。空想してたらいつもより歩くスピード遅くなるからなー。腕時計腕時計っと。あれ、止まってる。七時。いつ止まったんだろ。倒れた衝撃とか? それとも昨日から止まってたっけ。
 そういや今日って何日だっけ。えーっと……そうだそうだ。木曜日。さて、もう少しゆったり歩きながら空想でもしてるかな。振られたことなんて忘れるくらいかっこいい物語でも考えながら帰ろうっと……。
 ――中学二年の冬。僕は天才と称された点取り屋だった。バスケットボールが手の延長であるかのように自在に操り、相手のディフェンスをかわしてシュートを打つとリングの中に吸い込まれる。
 ドリブルで相手をかわす時に鳴る音も、ボールがゴールネットに触れて鳴るパサッという音も、僕の耳から脳内を刺激して心地良くなる。
 コートとシューズの裏が擦れあい、焦げるような匂い。
 流れる汗が奏でる音。
 弾ける空気の流れ。

 そう。僕は天才。最強のプレイヤーだ。


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