『拳』





 指の一本一本を、ゆっくりと内側に折っていく。

 レオは、それぞれ指が擦れ合う微小な音までも耳に届くような気がしていた。自分の集

中力がかつてないほどにまで高まっていく。その過程までも音として紡がれているように

感じていた。

 折り込むは指。

 織り込むは気迫。

 目の前の敵を倒すという、確かな決意だ。

「ずいぶんゆっくりだな……怖気づいてんのか?」

 茜色を右頬に貼り付けたカズヤは口の端を吊り上げる。向かい合う自分の左頬も同じ色

に染まっているのだろうと、レオは思考を挟む。

 夕日はレオ達の影を遠くへ伸ばしていた。そろそろ日没なのだろう。赤から徐々に赤黒

く……夜にまぎれていく。

 同じ顔をしていても、光が当たる当たらないだけで、カズヤの印象ががらりと変わった。

 レオは口内に生まれる唾を飲み、折った四本の指を抑えるようにして最後の親指を折る。

力を込めると二の腕の筋肉が盛り上がった。

 体内を循環していた闘気が、ただ一つの拳へと集中する。

「どちらが最強か、けりをつけるときがきたなぁ」

 レオはわざと低い声でカズヤを牽制する。

 正直、レオはカズヤには恐怖を抱いていた。そのために、自分を奮い立たせることと相

手にナメられないことを意識して、相手を威圧するような声を出したのだ。

 カズヤはレオよりも一歳年上で体格も大きい。彼の後ろに立てば、間違いなくレオの姿

は見えなくなる。

 カズヤに叶う奴は、レオしかいなかった。

 いや、彼しか残らなかったというべきか。

「お前とは……そうだな、初対決か。大好物はやっぱり最後に残しておかないとな」

 威圧は特に意味をなさなかったらしい。

 カズヤは呟いて、腰を少しだけ落とした。拳を片方の掌で包み込み、骨を鳴らす。それ

からレオと同じように右拳を握り、左手で包んだ状態で腰の辺りに置く。右足をいつでも

前に踏み出せる状態――レオと全く同じ体勢を取って、敵を睨みつけた。

 視界に映る拳の後ろに、倒された戦士達が何人もレオには見えていた。もちろん、実際

には誰もいない。夕暮れの広場にはレオとカズヤしかいない。夜と昼の境目にはどこか静

謐な空気が流れていた。それをかき乱す車もほとんど通らない。

 レオの背筋を液体と化した緊張が流れていった。そのまま全身に広がり、身体を冷やし

ていく――ような気がする。

 自分よりも年も上で体格も大柄な相手と向かい合うのは、これほどまでに緊張すること

なのかと、レオは見れない誰かに問い掛けた。

 レオは歴戦の勇士だった。

 同年代に負けたことは両手の指で数えられるほど。それでも同じ相手には二度も負けは

しなかった。百戦以上闘い、いつしか彼は最強の称号を得ていた。

 そんなレオの耳に入ってきたカズヤの噂。

 カズヤもレオと同じように、百戦錬磨の男だった。しかし、縄張りが違うために今まで

会ったことさえなかった。

 周囲がその対決を望む。レオもまた対決したいと思っていた。そしてその機会は、この

誰もいない夕日が差す広場で実現する。

 実際に相対すると、レオの中の弱い部分が顔を出す。

(負ける……ものか。負けるものか。負けるものか……)

 心の中で何度も呟く。勇気が出る呪文。

 レオの力を全て引き出せる呪文。

(ここで勝つために、オレはいる――はずだ!)

「行くか」

「あと一分待ちな」

 レオの心の葛藤を見透かしたようなタイミングで、カズヤは一歩前に踏み出した。レオ

もまたカズヤのやる気をそぐように口を挟む。

 彼の脳内で描かれているのはこれからの戦略パターンだった。

 そこまでお互いの選択肢があるわけではない。大雑把に分けてしまえば攻めるか受ける

かしかないだろう。

 カズヤの情報は少なかったが、かなり好戦的で、速攻勝負を好むタイプらしい。そこに

真っ向勝負を挑むか、それとも勢いを外して隙を突くか……。更に意外性を見せるか。

 レオは今まで体験してきた闘いの記録を呼び起こし、出来うる限り考える。

 だが、結局最後にものをいうのは彼自身の運だけなのだ。

 これまで闘ってきた全てを、この一戦に賭けるしかないのだ。

「――覚悟は、決まったか?」

 先ほどから体勢を崩さずにカズヤは言った。

 高圧的な言葉はなりを潜めている。レオの中の気迫に気づいて、余裕を止めたのだろう

か。それならばそれでいいと、レオは勝利という一本の槍を心に構えた。

「いこうか」

「……おう」

 カズヤの顔に、一瞬浮かび上がる笑顔。レオの顔にも同様に浮かび、消える笑み。

 この瞬間、レオ達の間には確かに何かが繋がったのだろう。

 同じ戦士としての共感。多くの戦士の屍の上に立つものだけが見える世界。

 レオ達は好敵手という枠を超えた『何か』を見たのだろう。

 しかし――









「最初はグー!」

「じゃんけんぽんっ!」









 ――勝者は、一人だった。

 夕日が落ちかけた世界。

 二つの影が伸びる広場。









 少しだけ小さい人影が、片腕を上に掲げた。

 



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