帰還の挨拶

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 テレビから聞こえてきた楽曲に私は肉を切る手を止めた。最初に思ったのは、盗作じゃないかということ。心を掴む歌詞も、空を翔るようなメロディも私が作った歌だった。
 つけっぱなしのテレビの前に立つと、新曲の紹介としてニュースキャスターがしゃべってる。徐々に売れてきていたらしく、百週目にしてついにランキングのトップ二十に入ったという事だそうだ。今話題の三十歳のアーティスト、宮沢良治。
 盗作なんかじゃない。間違いなく私達の作った歌だった。
「宮沢君、か」
 その名前は今でも私の中に深く残ってる。十年前に共に戦った戦友。一緒の夢を見て、世界を変えようと手を取り合って走っていた仲間。恋人ではなかったけどそれ以上の絆を持っていたと今でも言える存在。
 宮沢良治は神に愛された男だった。
「そうか。頑張っていたんだね」
 胸の奥にしまってあるアルバムには彼と二人で歌った多くの曲と、ストリートライブが綴じてある。大学時代のフォークサークルで出会って、お互いの声に一目ぼれしてから歌いだした。いつか日本のトップに立ってやろうと酒を飲みながら語り明かした。今思えば恋愛関係にならなかったのは奇跡といっていいかもしれない。私達が求めていたのはお互いの声と才能で、きっとメジャーシーンに登れると信じて疑わなかった。
 でも私は、輝くことが出来なかった。


 ◇ ◆ ◇


『君の声を買いたい』
 もう数えるのさえ疲れるほど、おそらく三桁に入っていたストリートライブを終えて私達はギターを片付けていた。そこにかかった声は私達を振り向かせる。一瞬喜んだ後で言葉の意味するところを悟ってしまい私達は硬直した。君の声と言ったということは、どちらか一人だけ。君達、じゃなくて君なんだ。なら、私には答えが分かる。選ばれるのは一人だけ。
「宮沢君だったよね」
「はい」
 私の方に何度も視線を向けながら、宮沢は答える。自分だけが選ばれたということに罪悪感を感じてるのは明らかだ。そしてこのスカウトの人はそれを見越して声をかけてる。一時のチャンスを逃さないかを試してる。私のような凡人に毛が生えたみたいな人らを押しのけて、一握りの才能が勝利を掴む。才能があるから成功するんじゃない。才能があって、更に手を伸ばせる人が栄光を掴めるんだ。なら、私がそれを邪魔してはいけない。彼の未来を私が引っ張ってはいけないんだ。
「じゃ、私帰るね」
「中森……」
「じゃ、明日どうなったか教えてねー」
 明るく振舞うことには成功しただろう。私も自分の動揺を忘れるほどだ。実際には宮沢だけ選らばれたのはショックだった。ずっと大学一年から一緒に歌い続けて三年。いろんなオーディションにも応募して少しずつ二人で積み重ねてきた音楽を否定されたも同じだ。一緒に作り上げてきた音楽の輝きは、宮沢一人の可能性に負けたんだ。目頭が熱い。喉が渇く。自然と足早に自分のアパートに戻って、熱いシャワーを勢い良く浴びてから布団を被った。意外だけど涙は流れなかった。多分嬉しさのほうが勝ったんだろう。宮沢の歌う才能は絶対日本の皆に聞いて欲しかったから。自分が認められなかったことよりも自分が認める人が認められたことが嬉しい。
 身体が温まって眠りそうになった時に、携帯が震える。液晶に映る名前は宮沢。きっと話が終わってどうなったかを教えてくれるつもりだろう。
 どうしても携帯を取れなかった。
 電源を切って布団を被った。



 次の日、アパートの傍の喫茶店で宮沢の語った内容は予想通りだった。
「俺達二人じゃなくて、俺だけをスカウトしたいと言っていた。でも俺は私と一緒じゃないと駄目だ! って突っぱねたよ」
 今回だけじゃない。宮沢が一人でいる時にスカウトが来たのを、私は何度も見てきた。その度に宮沢は断った。自分だけではなく相棒と一緒に目指したいと。
 宮沢は私と一緒のデュオでプロに殴りこみたいと私達のチームを結成した時から言っていた。心の奥底からそう願っていた。目指していた。私達の夢は、二人が何千何万の人々の前に立つ姿だったんだ。
 でも、面と向かって罵倒した人もいた。宮沢は私に引っ張られてる。彼の才能を無駄にしている。今すぐデュオを解消しろとまで。私達が夢見た未来は、けして明るくなかった。
「俺はお前と一緒にプロに行くぜ。あいつらを見返してやるんだ」
 宮沢の言葉が本気なのは分かってる。同情なんかじゃない。私達二人の力で風穴を空けようとしてる。誰もが出来ないと笑う中で信じることが出来たのは、実際に宮沢と歌っていたからだ。隣から来る力強いエネルギーが私の身体の中に入ってきて、声に加わる。聴いている人たちに元気を与える歌は私にも影響した。常に一緒に歌い続けて。言葉を交わして。最高の相棒だったからこそ信じられた。
 信じることが出来たから、私は私の限界を知ってしまったんだ。足手まといということを一番気づいていたのは私だった。
 誰よりも分かってる。お前達に言われなくても分かってる。
 何度もそう言いたかった。でも必死にあがいてた。どうしても宮沢と共に歌いたかったから。認めてしまえば私は落ちてしまう。彼と歩む道から。
 でも、もう終わりにしよう。
「私。もうプロを目指すことを止めようと思う」
 よどみなく言えた自信はある。私がすらっと言えた分、宮沢は顔を歪ませていた。私が痛みを堪えればその分、宮沢がプロにいけるならいいじゃないか。私が届かなかった場所に届く可能性を持ってるなら、背中を押してやるべきなんだ。最高の相棒なら、そうすべきだ。
 宮沢は何も言わない。信じられないって顔をして私を見るだけ。でもその揺れていた目が焦点を合わせる。ああ、この人は分かってしまったんだろう。自分がどれだけ私を苦しめていたのか。私がどれだけ宮沢に期待しているのかを。
「そろそろ就職活動始めようかと思ってる。やっぱり将来考えちゃうし」
「そう、か」
「うん」
 言葉の切れ目で店員にコーヒーを頼む。かしこまりました、って言葉を残して去っていった後に私達の間で交わされた会話はない。テーブル越しにじっとお互いのお腹の辺りを見ている。顔を見ることが出来なかった。
 お互いのコーヒーが喉奥に吸い込まれていく。何度も口を運んで言葉を捜しても、どうすればいいのか分からない。多分、もう話す言葉はほとんどないんだ。私は自ら、宮沢がいる道を降りたんだから。
「いくね、私」
 決別。一番最後に残っていた言葉を紡いで私は伝票を取った。私が出来る最後のこと。安い餞別だけど受け取って欲しい。
「中森」
 声をかけられても振り向かない。背中に届く宮沢の言葉を、しっかりと受け止めよう。裏切り者と呼ばれても、罵倒されても。でもそうしないのは私が一番分かってる。
「ありがとう」
 頷くだけで私は足を踏み出した。口を開けば、抑えていたものが一気に噴出してしまうだろうから。


 ◇ ◆ ◇


 それから後はほとんど覚えていない。
 宮沢君は全部分かった上で、先に進んだ。自分なりのけじめのつもりなのか、プロになるまではもう連絡しないと言ってきて、私もそれを承諾した。理由はどうあれ彼を裏切った形になったのだから連絡を取ると言われただけでもありがたかった。
 あれから八年。私は職場結婚で専業主婦になって、来年生まれる予定の子供を宿してる。選んだ道はけして間違ってはいないと堂々と言える。ついに第一歩を踏み出した宮沢君と会える時が来るならば、彼の成功と自分の幸福を伝えることが出来るだろう。背中でしか受け止められなかった言葉を、今度こそ顔を見て。そして私も言うんだ。
「ありがとう」と。
 テレビが解説を止めたところで、電源を落とす。少し時間を使ってしまった。夕食の準備もしなければいけない。
 その時、テーブルの上に置いておいた携帯が音を立てて震えた。
 懐かしい音楽。自作の音楽のMIDIが流れる。
 八年前から鳴る事がなかった、あの曲が。
 もう少し、夕食を作るのは後になる。

 さて、最初の挨拶は何にしようか。


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