それは変わらぬ風景で

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「ねえ、花火しようよ」
 彼女は微笑んで言ってくる。俺はその笑顔を可愛いと思い、微笑むけれども、それは形にはならない。顔の筋肉は収縮して顔を思い通りの形にはしてくれない。俺は口の周りにある冷たい感触を手で振り払って言った。
「……無理」
 やっとのことで出てきた言葉はこれだ。別に言おうとしていた言葉と逆の言葉が出てきたわけではなく、本心だ。別に彼女の言葉がそれに相応しい雰囲気の中で言われたならば俺は即座に「しよう」と答えるだろう。物事にはTPOという物がある。……少し違うが。
 結局、彼女は無理な事を言っているというだけなのだ。
「ええ〜。どうして?」
 彼女は本当に意味がわからないのか、言ってくる。俺は説明しなければいけない事にまた肩を落とす。彼女は俺の肩に手を置いて「どうしたの?」と聞いてきた。何も分かっていない事に、そして吹き付けてくる風に体を震わせる。
「冬に花火はしないだろ」
 ようやく言った俺は寒さに耐え切れずに家の中に駆け込んだ。すぐ後ろを彼女が追いかけて来て言う。
「確かに今は冬だけど、花火をやらない理由にはならないよ」
「花火は夏にやるもの! 冬にやるのは雪合戦!」
「そんな事はないよ! 冬にも花火は出来るよ!」
「じゃあ夏に雪合戦が出来るのか!」
「夏に雪はないから出来るわけないじゃない!」
 彼女の言葉に俺は口を止めた。確かに、夏に雪合戦は出来ない。だが、なら冬に花火は出来ないじゃないか。いや、違う。花火はある。
 彼女が手に持っている。
 夏から取っておいたという、線香花火。
 大切に保管していたのか、今まさに花火のパックから取り出されたかのごとき形をしていた。俺は少し玄関のドアを開けて見る。吹き込んでくる雪にすぐに俺はドアを閉めた。
「ねえ、やろ!」
「……この雪が止んだらな」
 俺はそう約束するしかなかった。


(……とそんな事もあったな)
 俺は小学校時代の思い出を振り返りながらアルバムを見ていた。
 そんなことを思い出したのも、今、部屋の外を吹く吹雪のせいだろう。マンションのベランダは既に雪に埋もれていて、ベランダでハンモックを吊るして寝るという楽しみの一つを奪っている。
 冬に花火をしたいだなんて変わり者の少女。
 小学校五年の間だけの、しかも一年にも満たない付き合いだったけれど、彼女の事は俺の中に強烈な印象を残している。それは二つ、理由があった。
 一つは、それこそ冬に花火をする理由。そしてもう一つは――
(結局、約束を守れなかったことだ)
 どうしてそんな事をしたいのか結局分からないまま、俺は小学校五年の時に引越しをして街を離れた。直前まで忙しくて、彼女とさよならの挨拶でさえ出来ないまま出発してしまったんだ。彼女の顔はもう思い出すことさえ出来ない。
 過去を思い出す手段と言えば、後で小学校から送られてきたアルバムを眺めるしかないのだが、アルバムでクラス一人一人の写真が載っている部分は見事に切り取られていた。
 最初にこのアルバムを見たときに、このページを見て驚いて先生に電話したんだが、俺のところに送ったのは……あの彼女だと知った。
「やっぱり恨んでいるのかな」
 約束を守れずに引越しをした俺に、彼女は怒りを覚えているのだろうか。
 そう思うと少し寂しくなった。思えば彼女ほど親しくなった異性は初めてだったのだ。
 淡い幼い時の思い出の少女から恨みをかっているというのは気分がよくない。
(なんとか住所か電話を聞いて、彼女とコンタクトを取ってみるかな)
 そう思い立って立ち上がったとき、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
「宅配便です」
 玄関に出た俺に宅配便の男は箱を手渡してきた。ハンコを押して立ち去らせると、差出人の名前を見る。
 ……見た事があるようなないような名前。一瞬、誰だったか頭の中で名前を反芻する。
(あ!?)
 とりあえず中身を見てみようと箱を開ける。そこには二つの瓶。そして――
「花火?」
 両方の瓶の中には一つづつの線香花火。そして片方の瓶には花火と一枚の紙。
 予感がして、紙が入っているほうの瓶から折りたたまれた紙を取り出して開く。
 そこには丁寧な文字が綴られていた。

『拝啓。斎藤正太さま。もう寒くなってきましたが、どうお過ごしですか?
 あなたと過ごした小学生の六年間はわたしの中でとても大切な時間となりました。
 あれから十年もの月日が流れ、あなたもかなりお変わりになりましたでしょう。
 わたしは……変わってません。今でも、冬に花火をしていますよ。
 ただ、今年の花火はどうしてもあなたと共にしたくて、今回の手紙を送りました。
 どうか十二月二十四日の夜七時に、瓶の中の花火を灯してくれませんか?
 他愛のない願いだと思われるでしょうが、どうか聞いていただけませんか?

 それでは失礼いたします。よい冬をお過ごしできるよう祈っております。

 田村真美』

 手紙の最後に書かれた名前は箱に書かれていた差出人と同じ。田村真美という名前は、俺の中の記憶に確かに存在したのだ。顔を忘れたあの彼女の名前。
「そうか……」
 瓶の中の線香花火を取る。この日は十二月二十四日。手紙の内容とは裏腹にとても積極的に花火をつけさせようとしている。そう言えばこんな女の子だった。忘れていた記憶が、一通の手紙からいろいろと甦ってくる。
「花火、か」
 時刻は午後四時半を回った。もう少しすれば時間になる。その時、俺はこの花火を灯すのだろうか。きっと灯す。何故なら――
「俺も、冬に花火を灯してみたかったから」
 白い雪の上に散らばる火花を見てみたかった。でも、実際には誰もそんなことはしなかったし、花火は冬には売っていなかった。だから諦めていた。でも彼女は諦めず、冬に花火をする方法を考えていたのだ。それが、俺には眩しく見えていた。
 俺は時間が来るのを待った。食事、洗濯をして時間を潰す。自分でも『その時』を待ち望んでいることが分かる。
 時計の針が、やがて時間を指し示す。
 夜七時。俺はベランダに出てみた。
 積もっている雪を少し踏みならして持っていた瓶の蓋を外す。
 中から取り出した線香花火は本当に大事にされていたのだろう。保存状態はかなり良くていつでも火をつければ綺麗な火花を咲かせる事だろう。
 俺はライターを線香花火に近づけた。そこで、俺は動きを止める。
「そう、か……」
 俺は炎を線香花火の先につけ、火が灯った。ちりちりと小さい火花が飛びちり、雪の上に花を咲かせる。おそらく今、彼女のほうも線香花火を灯したであろう。
 自分の中にもう一人の自分が重なる。
 幼い自分。
 隣には同い年の少女。
 二人が並んで雪の中で線香花火を眺めている。
 それは変わらぬ風景。
 その風景が現実に起こることはなかったけれども、時を、場所を越えて今、俺と彼女は重なったのだ。
 白い雪の上に咲く火花はとても綺麗で、胸にジンとくるものがあった。
「変わらない物……か……」
 火花はいつ見ても変わらない。夏も冬も関係なく、その綺麗な火花は人々を魅了する。
 花火が終わる。
 一時の幻が消えて、再び俺は雪が積もるベランダに戻ってきた。寒さを覚えて部屋の中に入り、箱に書いていた相手の住所を見た。それは確かに以前住んでいた街。
「今度、久しぶりに行ってみるかな」
 俺は懐かしさに思わずそう呟いていた。ふとしたことから訪れた過去との邂逅が、俺の中でじわじわと広がる。俺は年賀状を書くために買っておいた年賀はがきを取り、ペンを取った。表に彼女の住所を書き込み、裏に何を書こうかと考える。
 そこでふと、もう一本の瓶の中にある花火を思い出す。俺はその瓶を手に取り花火を見た。その花火はさっき灯した花火よりもかなり古く、もう灯しても火花はちらない事は一目見て分かった。
「これ……あの時の」
 そうという確信はない。しかし、その花火が引っ越す直前に彼女と花火をするという約束を交わした時に使うつもりだった花火だと俺は思った。
 俺は花火をそっと瓶の中に戻すと書くことを決め、ペンで白地をなぞった。

『あけましておめでとう。いつまでも変わらぬ君に僕は――』


 窓の外には雪が降る。
 あの、幼い時と同じようにその多さは増していく。
 この雪も彼女と別れる寸前に降っていたものと同じ。
 彼女との失われた関係を取り戻すための始まりにはちょうど良かった。



 気付けば瓶の中の花火が、自分の存在理由を達成したかのように二つに折れていた。
 

『完』


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