『私の身体が目的だったのね!』


「もう、終わりだ」
 吐き出すように発した言葉。思い出すのは切ない旋律の上を滑っていく同じフレーズであり、記憶から引き出した言の葉が曲をリフレインする。頭の中で流れている音楽が相手の言葉をかき消してくれればいいと思うが、奏でられる音よりも、ボリュームは相手の言葉のほうが大きかった。
「私の身体が目的だったのね!」
 これもまた恋愛のドラマなどでよく聞くフレーズだ。視聴者の側からすればなんと月並みな台詞だろうと考えるのだけれど、実際に経験してみると他に言葉はない。ドラマを見ながら「俺ならばこう言う」と言葉を紡ごうにも、状況はそれを許さない。脳裏に散らばる数々の言葉は、掃除機によって綺麗に吸取られるようになくなった。
「どうなの!? 身体なの!?」
 事実だ。一欠けらの疑いをさしはさむことなく、俺は肯定する。心の中で。
 彼女の身体だけがほしかった。けして彼女の心が欲しかっただけじゃない。別に彼女じゃなくても良かったのだ。実際に、彼女と同じように利用して用済みになり、横たえてある姿態が四つある。
 その慣れの果てを見ているから、怒っているのだろうか。
 自分もこうなるかもしれない。恐い。許せない。後への不安と打開しようとする強い意思の間を揺れ動く様。
 なんと心地よいことだろう。
 彼女は何もしなければ進むだろう未来を突きつけられて、それに抗うために力を求めている。
 強大な力に立ち向かう、雀の涙ほどの力を求めている。
 それを得るための怒り。
 あまりに、無力。無力! 無力無力無力無力無力だ!
 俺の前では彼女は包丁で切られるのを待つだけのまな板の上の鯉のようなものだった。燃え上がった炎は消えるのも早く興味は尽きた。
 もう戯言に付き合うのは止めにしよう。
「私も……あんなふうに捨てるのね!? 搾るだけ搾って抜け殻になったらああして捨てるのね!」
「そうだよ?」
 至極当たり前のことを言う。当然だ。なんて決まりきったことを言うんだ。彼女達は俺が美味い汁を啜るための存在なんだから。
 彼女は動こうとするけれども出来ない。特に手足を縛ってはいないけれど、動く事は出来ない。すでに彼女には動く力がないのだ。
 俺がついに動く事を悟ったのか、怒りが怯えに塗りつぶされる。それを感じてももう心は動かなかった。もう構うのにも飽きた。さっさと事を済ませてしまおう。
「いや……いやよ。止めて、お願い」
 懇願する彼女の目に涙が溜まっているような気がするけれど、それは幻想だろう。大きく見開かれた瞳に写っているのは、俺の中にある歓喜だ。瞳を通してみる自分の姿のなんと面白いことか。
 近づく俺に彼女は震えるだけで、ろれつもぎりぎりだ。
 音楽が聞こえる。もう終わりだ。君が小さく見える。外はもう白い冬だ。フレーズは途中で切れる。愛しているのは君だけじゃない。
「あの、おね、おねが、い! 何でもするから! 何でも言うこと聞くから! だから……だから、止めて! ね? ね?」
 彼女をゆっくりと抱き上げる。水分をしばらく取ってないからか肌がかさかさだ。それでも柔肌を掬い取るように優しく抱き、運んでいく。その間ずっと「止めて」「許して」「あぁ」など聞こえてきていたが、すでに俺の頭の中には音楽がリフレインしている。
 もう終わりだ。君が小さく見える。外はもう白い冬だ。
 もう終わりだ。君が小さく見える。外はもう白い冬だ。
 もう終わりだ。君が小さく見える。外はもう白い冬だ。もう終わりだ君が小さく見える外はもう白い冬だもう終わりだ君が小さく見える外はもう白い冬だ――
「さよなら」
 俺は彼女から、手を離した。

* * * * *

「という辛い別れをして作ったのがこの味噌汁なわけだ」
「お前、妄想もそこまで行くと病気じゃない?」
 鈴木匡はずずずと音を立てて味噌汁を飲んだ。元日から一日経過した日、つまり二日にいきなり電話を受け召喚されたところで、飲まされているのが味噌汁。居間に丸テーブルを置いて味噌汁を飲むという失われた純日本風のような光景は、匡の中に懐かしさを残した。その懐かしい感情も、相手の言葉に消えてしまう。
「やっぱり味噌汁は煮干からだよ。うん。四本で出し取ってたんだけど急遽一本追加したおかげで当社比二倍美味しい」
「どこの会社のよ」
 匡を召喚した相手――田中士郎は自分で作った味噌汁の味に満足しているのか更に声高に語る。
「両親が俺が寝てる間に初詣に行ってしまったからなのだが、味噌汁つくりというものも楽しい。しかし、ただ作っていてもつまらないだろう。なので俺は考えた。煮干の気持ちになって考えてみようと」
「それがさっき語ったワンシーンというわけか」
「うむ。彼女達はただ味噌汁の出汁として使われる。俺達が美味い味噌汁を啜るためにしか存在価値がないのだ。そしてそれに抗う力もない。なんとも嗜虐心をそそられるだろう。俺は――」
 匡は士郎の言葉を味噌汁の音を大きく立てて押し出す。確かに味噌汁は美味しい。煮干の身体から搾りだされた出汁によってこの美味しさがある。出汁入り味噌で作るのとはまた違う味。飲んでいると士郎の戯言が気にならなくなっていった。そこでやるべきことを思い出し、士郎を視界に入れる。
「まあなんでもいいが」
 語り続ける士郎を止めて椀をテーブルに置くと、匡は士郎の目をしっかりと見つめて、言った。
「去年はお世話になりました。今年もよろしく」
「おう。全くお世話しました。今年もよろしく」
 心がささくれ立つような気がしたが、匡は抑えて味噌汁をまた啜った。落ち着いていく心。新年から腹を立たせるのは止めよう。

 匡の脳裏に、出汁を搾り尽くされて横たわる五匹が脳裏に浮かんでいた。




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