『闘魂感涙カバディ』



「ア○マ○ロ2っていつまで未定〜♪」
『いつまでもなにも筐体消滅ー』
 さんさんと降り注ぐ太陽の光に、校舎も程よい温度を保っていた。額のほくろのごとく飾られた丸時計は午後三時半を指し示している。少し離れた野球グラウンドからは野球部員達のランニングの様子が声に乗って流れていた。
 流れていく声は校舎の一角にある部屋の窓へと向かっていく。その部屋の窓には大きく『カバディ部』と書かれ、中には三つの人影があった。
 人影の一人である秋吉輝久は、流れ入る声をシャットアウトしようと窓を閉めようとする。だが、背後から感じる殺気に手を止めて勢いよく振り向いた。
「カバディ!」
 眼前に迫る掌底。だが、振り向いたと同時に輝久は右手を掲げていた。繰り出されてきた掌底の根元――手首を弾くことで、掌と言う名の弾丸は輝久の頬をかすかに削り取って流れていった。
「……何をする、サムソン」
「さすが輝さんね。アハーハー! 言葉のアヤよ」
 日焼けではない黒質の身体に汗を滲ませながら、サムソンは答える。ランニングシャツに茶色のハーフパンツといういでたちだったが、シャツは汗に濡れて下の肌を透けさせている。その汗の量を見て輝久は部室内の温度計を眺めた。
「三十五度……暑いわけだ」
「ソレモコレモ部長のセイね」
 サムソンは額に汗――暑さからの汗とは違う汗を滲ませながら、部室の中心にある長椅子に座る部長をちらりと見る。
 サムソンの視線の先には、白いTシャツに黒いハーフパンツという格好の女子がいた。
 色素の薄い髪の毛はいつもならばさらさら感を出し、さわやか美少女の名を欲しいままにするアイテムなのだが、今は熱気と邪気によってしなびたネギのように艶も濃くもなくなっている。
 輝久の目の錯覚だろうが、部長の周りだけ揺らめいてるように見えた。
 少し俯き加減で一心不乱に手を動かしているのは気になったが、まとう闘気、あるいは殺気に話し掛けられる状況ではない。
「おいーっす。今日も暑いですねー」
 重くよどんだ空気が動いたのは、第三者の侵入からだった。現れたのはロング茶髪な美男子であるカバディ部部員、鏑坂重清(かぶらざかしげきよ)だった。
「おろ! 遙さん! 今日は彼氏とデートじゃ――」
「カバディっ!」
 それは一瞬の出来事。
 それまで長椅子に座っていたはずの部長――伊勢遙の身体は重清の前に瞬間移動し、魂の咆哮と共に繰り出された一撃は重清のボディを深く抉っていた。腕をねじり、威力を増した掌底によって哀れな男は回転しながらドアを突き破って廊下に砕け落ちた。引きつる顔に、学年屈指の美形の面影はない。舌が口からだらりと流れ、涎と涙が入り混じっている。
 一連の出来事は、今の状況を示すには十分すぎた。
「何とかして、遙さんの機嫌を直さないと……俺たちが危ないぞ」
「ソウデスネ……輝さん。ワタシにいいカンガエ、あります」
 サムソンに耳元に口を添えられ、伸ばされた舌が耳のふちに沿って舐めあげられる。輝久はその快感に身体を震わせた。そのまま腰が砕け二人は快楽の世界に――
「って、何をやらすんだ」
「輝さんがカッテニ――」
「出来た!」
 二人の呼吸を引き裂いて絶叫したのは遙だった。
 高く掲げているのは丁寧に編みこまれたわら人形。白い縦長の紙が貼ってあり、輝久が聞き覚えのある遙の彼氏の名前が書かれていた。
「待ってなさいよ。あとは丑の刻になれば……ふふふ……」
 遙の様子を横目で見ながら、輝久とサムソンは改めて作戦会議を開始した。

* * * * *


「こんな夜に呼び出して、何?」
 遙は平然と手にわら人形を持ちながら腕を組み、輝久を見ている。
 時刻は午前零時。場所は山の上の神社。そして、丑の刻まではあと二時間。
 さすがに公然と丑の刻参りをするつもりはないらしいが、集まった遙以外の部員はわら人形の意味を十分理解していた。
「いや。カバディ部も四月に発足してようやく四ヶ月だし。ここらで部員間の結束を固めようとイベントをしようと思って」
「それにしても随分急ね」
 輝久は野球部の名残である坊主頭を撫でた。
 元々、輝久がカバディ部という作られたばかりであまり知られていないスポーツに入ることになったのは、遙に惚れたからである。そして入った瞬間に彼氏がいることが分かって失恋したわけだが、入ると言ったからには抜けられなかった。それなりにカバディの楽しさに目覚めてはいたが、失恋の記憶は遙を見る度に泡のように浮かんで弾け、輝久の心にちくりとした痛みを残していた。
 だからこそ、彼にしてみれば今回はチャンスだった。
 遙は明らかに見てとれるほど恋人と不仲であり、機嫌を直すことと彼女の心を奪うことを同時に行えるのは、このイベントだと確信していたのだ。
 この、肝試しで。
「夜で神社で夏なら、やることは肝試ししかないでしょ?」
「まあそうだけれど……」
 遙は呆れたような声で返答するが、けして急な事態についていけないということではなく、早く丑の刻参りをしたいという思いが他の事への関心を妨げていた。それは右手でわら人形を弄んでいる態度にも表れていた。
「まあ! とりあえず肝試しを始めます!」
『おお!』
 部員八人が勢ぞろいしたところで、輝久は開会宣言を夜空へと響かせる。その言葉に突き動かされて遙以外の六人も一斉に声をあげた。それはあたかも合戦に赴く武士のごとし。彼らにとってもこの肝試しは自らの命運を分ける関が原の合戦だったのだ。
 一年にして裏で学校のアイドルと騒がれている美少女、伊勢遙の彼氏の座を射止めるという至上の目的を達成するために。
 肝試しのほとんどは男達の欲望で出来ていた。
「じゃあ、くじ引き。コンビで神社の奥に続く道を進むんだ。行き着く先に池があるから、そこにあるお地蔵さんの前に置いておいた札を取ってくると」
 輝久は一人一人にくじを引かせる。次々と引かれ、そのたびに絶叫が轟く。
「お前とか!?」
「何で暗闇を男とすすまにゃならんのだ!?」
「うひぃい!?」
 えとせとらえとせとら。
 そしてサムソンと重清も同じ組になった時点で、最後の組み合わせが決定する。
「じゃあ、俺と部長が組で最後に行きます」
「こらぁあああ! 輝久っ!」
 重清は叫びながら輝久の胸倉を掴む。自分を見据える重清の瞳が含むのは、『詐欺だろ?』という感情だった。捕まれたまま見回してみると他の部員も似たような視線を向けている。くじを引かせて最後まで残った二人がペアになるというのだから、疑われても当然だろう。
 輝久は臆せず胸倉を掴む手を外し、答えた。
「残ったくじはこれだよ」
 輝久の手には二つのくじ。輝久と遙の分である。掴んでいて見えない部分には数字が書かれていて、二つとも『四番』だ。他の面子は引いた順番と番号は完全にばらばら。つまり、本当に偶然で四番二つが残ってしまったことになる。
「みんなランダムに取ったし、細工する暇ないよ」
 輝久の溜息混じりの声に重清も他の部員も追及を諦めて、番号順に神社の奥へと消え出した。五分ごとに奥へと入っていく。消沈しながら歩いていく後姿を輝久は内心の安堵を押し殺して見ていた。
(本当、運が良かった)
 輝久は、確かに皆が言ったように絶対に遙と組になる細工を考えていた。だが、そのやり方を結局考えつかないままここに至ったのだ。だからくじ引きでは「自分の運に賭ける」というアバウトな方法をせざるを得なかった。
 だからこそイカサマなどないとはっきりと答えられたのだった。
 このことは輝久にとって自信となった。
(この運の良さなら……このまま遙さんとカポーになれるかも!)
 膨らむ期待に頬が緩むのを止められない輝久。その隣で遙は「終わったら五寸釘買ってこないとなぁ」と呟きながらわら人形の腹を押したり足を引っ張ったりしていた。
 やがて三番目の組も出て行き、二人が境内に残る。聞こえるのは周りの木が風に揺れる音と遙の呪詛の言葉と自分の心音のみとなる。
「あー、遙さん」
「猛の奴なによひどいわよ血の制裁を加えて――なに?」
「そろそろ、行きましょうか」
 輝久は言うと同時に手を差し出した。手を繋いで行こうという意思表示。
 手を繋いでいくという複線のために、送り出した三組の男達には全て手を繋がせていた。それを見てるならば、遙ももしかしたら手を繋ぐのかもしれない。
「はい」
 駄目で元々だった。むしろ「カバディ!」という熱き言葉と共に、脇腹を突き飛ばされるだろうとまで覚悟していた。
 だが、彼女の手は輝久の脇腹ではなく掌を。えぐるのではなく、優しく握った。顔に血が上り、熱を帯びるのを自覚する。
「行きましょうか」
「え……ええ」
 今まで遙は手を握るなどのスキンシップは彼氏に捧げているらしく、他の男からの申し出は断ってきた。更にせがめばカバディで鍛えた必殺の掌底が待っている。だが、今の遙にはその頑なな姿勢がなくなっていた。輝久は初めて憧れの人の手を握る嬉しさと共に、一種の寂しさが生まれるのを否定しないわけには行かなかった。
(そんなに、ショックだったんだ……)
 手を引き歩き出す輝久。横に並んでではなく、少し先行して遙を導く形。
 それは自分の今の顔を見せたくないだけではなく、遙の顔も見たくないと思ったからだ。
 いつもと違う遙。
 そして、それをさせているのは彼氏と喧嘩したこと。
 おそらく、別れてしまったこと。
 わら人形で丑の刻参りをするほど、遙は別れてしまった彼氏を愛していたのだ。愛情が愛憎に変わり、怨念となるほどに、遙は彼氏を愛していたのだ。その事実がようやく輝久にも見えてきて、手を握ることの興奮も、手から伝わる遙の暖かさも感じることができなくなっていた。
 自分はつまり、火事場泥棒なのだとはっきりと悟ってしまったから。
(遙さんを、せめて励まさないと……)
 輝久は新しい彼氏になる代わりに、何とか遙を元気付けようと考えるようになった。だが、ジョークを言うのも世間話で話題を振るのも精神的に追い詰められているからか気の利いた言葉が出てこない。
 断続的な会話の中で、遙も輝久も徐々に元気を失う。
(駄目だ……こんなんじゃ……どうしたら遙さんを元気付けられるんだろう)
 自分の力の限界に萎えながら歩く輝久。その内にゴールの池まで一直線の道に出る。夜だが月明かりに照らされて、その道は薄青く光っていた。幻想的な光景に、輝久は思わず「綺麗だ」と呟く。
 ぼんやりとしながら歩き進む輝久だったが、急に後ろに手を引かれてバランスを崩した。
「な、何?」
「障害物があるわ」
 遙の言葉には、今までとは明らかに違うものが含まれていた。繋がっている手から流れくるのは戦士の気迫。熱くなっていく手から視線を上げていき、最後に遙の顔に到達。そこには、先ほどまでのしおれた少女ではなく、戦女神がいた。ゆっくりと手を離し、両手をごきごきと鳴らす遙。輝久もようやく脳が動いたのか、視線を前方に移す。
 立ち並ぶは六人――六体? だった。
 二列に並び、三人ずつ一直線に並んで遙と輝久を見ている。
 全て白い布に頭から体を包み、見えるのは視覚をとるための二つの穴があった。
「フーラーメーンーコー」
 片言の日本語で輝久側の列の先頭が言う。「それを言うなら『うらめしや』だ」と相手の後ろに立つ白布が注意し、了解というごとく片言白布が親指を立てた。むろん、布に包まれていたので変化した形を見て輝久は思ったのだが。
「この先の湖に行きたければ、カバディで我等を倒せ」
 遙側の列の先頭がそう言うと、六体はうねうねと列からばらけて前方を完全に遮った。これで輝久達は彼等を突破しなければ池にはたどり着けない。
「輝君。行くわよ」
 鋭く夜の空気を切り裂く、遙の声。それは静かで、呟きと言ってもいいほどの音量だったが、輝久にもうごめく白い布達にもはっきりと届く。
 次の瞬間、遙は風になっていた。
 ゼロからトップスピードまで一気に持っていくその脚力に輝久は見せられ硬直する。また、突如目の前に接近された白い布達も硬直し、洗礼を受けることになる。
「カバディカバディカバディカバディカバディカバディっ!」
 一瞬六斬。打ち出される言葉の弾丸。不可視の一撃が耳腔を貫き、物理的な掌底がわき腹を打ち抜く。六体目の白い布が音を立てて倒れ、輝久の耳に聞こえるのは遙の整えられていく息の音だけ。それもひときわ長く吐かれたところで終わる。
「さあ、私を止めてごらんなさい!」
 それは、カバディをする中での遙の口癖だった。その言葉に導かれるように六人が立ち上がり、遙の前に再び立ちふさがる。
 カバディ。
 それは攻撃時に触れた人数分、攻撃側は得点を得るチャンスを獲得する。そして、その得点を加算するのはその後の敵の防御をかいくぐって自分の陣地に戻ることが条件だ。今回は変則ルールのために、勝利条件として池までたどり着くこと。
 ここからがカバディの真価、そして彼女の真価が問われる。
「輝君! ついてらっしゃい!」
 黄金の輝きを帯びた声に輝久は動かされた。力ある言葉。正に、彼女の真骨頂は競技の中にあると、輝久は痛感する。たとえ焼き尽くされ灰となっても、彼女は不死鳥のごとく甦るのだ。
 カバディという、言葉と共に。
 押し寄せる敵を風に舞う花びらのようにかわしながら進む遙。その後ろを何とかついていく輝久。彼の目は涙が溢れていた。正にカバディの戦女神として甦った遙があまりに気高く眩しく見え、その感動が輝久の涙腺を破壊し尽くしたのだ。
 結局、輝久は歪む視界の中で池にたどり着いていた。動きを止めてから目をこすり雫を払ってから遙を見る。肩を上下させてこちらを見ている遙の顔は、憑き物が落ちたかのような爽やかさを見せていた。肌だけではなく、瞳にも液体がたまっていることに、輝久は驚く。
「ありがとう……みんな……」
 涙をぬぐいながら言葉を紡ぐ遙。彼女の視線を追って輝久が後ろを向くと、疑う余地もなく他の部員達が立っていた。白い布を被って動いたせいか、遙と輝久よりも汗の量は多い。だが、その全てに共通するのは、涙だった。
 誰もが分かっていたのだ。
 遙の傷を癒せるのは熱き魂。戦いの遺伝子。
 カバディなのだと。
「これからもよろしくね! 私の恋人は! カバディよ!」
『おおお!』
 雄叫びが上がる。皆が右足で地面を踏み鳴らし、咆哮する。
『カバディ! カバディ! カバディ! カバディ! カバディ! カバディ! カバディ! カバディ!……』
【わっほいわっほいわっほいわっほいわっほいわっほいわっほいわっほい】
 終わることがないように思えた叫びの中、携帯の着信音が鳴り響く。その奇抜な音に驚いたこともあり、同時に声が止まる。
 着信は遙の携帯だった。興奮に水を差された形となり少し不機嫌な顔をしていた遙だったが、相手の名前を見て顔を強張らせる。一瞬の躊躇の後で、ボタンを押して通話となる。
「もしもし、何の用よ」
 言葉に含まれる怒気だけで、電話の相手が知れた。
 輝久を含む七人は息を飲み、音を立てないように地面にしゃがみこむ。
 遙を中心に、女王に付き従う騎士のごとくしゃがみこむ。
 期待していたのは拒絶の言葉だった。自らの全てをカバディに注ぎ込むという決意の言葉だった。
「……え」
 だが、聞こえてきたのは桃色の言葉。遙の顔がいっきに緩み、頬は月明かりの下でもほんのり染まっていくのが分かった。
「分かってくれたの? お味噌汁はやっぱりにぼしからだしを取るって! ああーん! やっぱりたけぴだいしゅき! これから行くね!」
 電話を切って軽快な鼻歌を歌いながら駆け出す遙。輝久の傍を通った際に、何かが彼の目の前に落ちてきた。
 遙が持っていたわら人形。
 彼女の過去に抱いた怨念の形。
 人の怨念を受けるための人形。
 遙が去り、冷たい夜風が皆の体に触れた時、サムソンが立ち上がって声を張り上げた。
「ミンナー! トリアエズ! お疲れネ!」
 手にポカリスエットの缶を持ち、次々と仲間へと勧めるサムソン。だが、誰もそれに手をつけようとしない。それでもサムソンは勧め歩いていき、最後に輝久へとたどり着く。
「輝さんもどうぞー」
「それは、もう一運動してからだ」
 すくっと立ち上がり、息を吐く輝久。目から生気が抜けている仲間を見回して、輝久は叫ぶ。
「サッカーしようぜ!」
 親指を立て、並んだ歯を存分に見せる輝久。
 一言だった。だが、それだけで皆は輝久の意図を把握し、タイミングを見計らって立ち上がる。サッカーしようにもボールが無いと、サムソンは周囲を見回す。だが、輝久はその場で足を振り上げ、前に蹴り出した。
「明日へ向かって! キックオフ!」
 ジャストミートし、天高く蹴り上げられたわら人形は月にまで届くように、輝久には思えた。
 何故か光景は湖畔の底を見るように揺らめいていたが、そう思えた。



掌編ぺージへ