『闘魂恋愛カバディ』





「○ァミ○ンウォーズを知ってるかーい?」

『知ってる世代はいい歳だー♪』

 さんさんと降り注ぐ太陽の光に、校舎も程よい温度を保っていた。額のほくろのごとく

飾られた丸時計は午後一時少し前を指し示している。少し離れた野球グラウンドからは野

球部員達のランニングの様子が声に乗って流れていた。

 土曜のために半日で終わった授業。

 教師達の会議で更に早く終わった学校のカリキュラム。

 その先にある放課後の、一体育館裏風景。

 物語の舞台は、ほぼ真上からの陽光に照らされ、暖気に満ちていた。

 そこはいつの頃からか分からぬほどの昔から、現在、果てしない未来へと途切れること

の無い告白スポットだった。おそらく人間の頭では解析不能なほどの者達が想いを伝え、

恋を語らい、絆を断っていった場所である。

 そして今、数々の想いが交錯してきたその場所で、秋吉輝久はその野球坊主を日光に反

射させながら目の前の女性を見つめていた。自分の頭から跳ね返る光が、彼女の顔を侵さ

ないように立ち位置にも注意する。身体の中から飛び出して相手を吹き飛ばしてしまいそ

うなほど心の鼓動は高鳴っていて、実際に心臓と呼応して身体が小刻みに震えていた。

 そんな輝久を伊勢遙は、いつも皆に向けている笑顔を絶やさぬままに見ていた。

 色素の薄い髪の毛が、昼間の強い陽光を浴びて輝いている。耳の傍まであるそれが、微

風に揺れた。女性らしい、ほどよく丸みを帯びた顔に優しい光を持つ瞳が彼女の性格を表

している。

 自分と同学年。まだ、一年だというのに裏では学校のアイドルと囁かれている存在に、

輝久は今、想いを伝える。

「あ……あの……その……すすすすすすぅ……」

 いつも部で一番大きな声だと誉められる輝久の声は、張りも艶も濃も無くなっていた。

 喉が詰まり、声が掠れ、言が鈍る。

 緊張が筋肉を硬直させ、普段の動きを奪う。遙の半そでのセーラー服。白地の上から透

けて見えるシャツも輝久の緊張に拍車をかけていた。服の中身が透けて見えることは、じ

かに中身が見えてしまうことよりもどぎまぎしてしまう。

 そんな輝久からの言葉を遙は動かぬまま待っていた。自分がどのようなことを言われる

のかを全て理解しているかのように。

 その表情は、何もかもを包み込む神――女神のように、輝久には見えた。

(言葉よ……出てくれよ)

 この日のために何度も告白文を考えた。

 気のきいた言葉を紡ぐために本屋をはしごして恋愛小説を読み、紙に言葉を並べ、必死

になって考えた。母や姉にお世辞を言って練習台にもなってもらった。

 学校の宿題。部活。母の小言。姉の横暴。犬の糞。鳥の襲撃。友人の恋愛成就。

 茶柱が折れ、おみくじは凶、四葉のクローバーも一葉千切れた。

 それらの不幸全てを今、この瞬間のための試練だと耐え忍んできたのだ。

 残りは、一つの勇気。言の葉に想いを込めるのみ。

 一度、息を思い切り吸い込んだ。ゆっくりと、しかし着実に肺に空気を溜める。その過

程の長さに遙の瞳がきらりと光った。まるでその行為に期待するかのごとく。

「俺! あなたのことが! 好きですっ!」

 溜め込んだ空気が空間に解き放たれた。

 声量は呼気の量に比例する。

 今、彼は常人の約二倍はあろうかという肺活量をフルに使い、勢いに任せて想いを吐き

出した。鍛え上げられた腹筋と背筋と側筋に支えられ、横隔膜が十分な量の呼気を効率的

に送り出す。その想いに染まった風が、遙の髪を揺さぶった。

「…………」

 息を切らし、膝に手を乗せて震えながらも輝久の目は遙に向かっていた。自分の想いが

届くのかをはっきりと見届けるために。

 遙の顔は少し紅潮していた。自分の内から浮かぶ想いに酔いしれるかのように、遙は親

指を口元へと持っていき、軽く噛む。その様子が輝久の心に響き、再び心臓が早鐘を打つ。

「……嬉しい。ありがとう、そんな大きな声で言ってくれて」

「伊勢……さん」

「でも……」

『で』『も』

 口の中で無意識に反芻する。

 否定の接続詞に、輝久は自分の敗北を覚悟した。一刀の元に切り捨てられる図が瞬時に

思い浮かぶ。しかし頭を垂れた輝久の耳に届いたのは、全く別の未来だった。



「――その想い、見事掴んで御覧なさい!」



 急な命令口調にはっと顔を上げた瞬間、セーラー服のスカートが舞った。

 一瞬、遙の秘密の花園をイメージした輝久は目を覆ったが、自分を包み込んだのはスカ

ートのみ。遙の身体についた香水の香りに魅了されかけた時には別の言葉が輝久の身体を

貫いていた。

「カバディっ!」

 大地が爆発したかのような耳を貫く音、そしてわき腹をえぐる掌底。

 全く不意を突かれた身体は抵抗することも無く地面を転がった。軽く三回転半は回った

ところで動きが止まる。苦しい呼吸に耐え、輝久は身体を包む黒スカートを剥ぎ取るとす

ぐに遙の姿を探した。すぐにTシャツとスパッツ姿の遙を見つけたが、彼女の前に数人の

男が並んでいるのを見て息を飲む。

「遙さん!」

「僕と!」

「俺と!」

「おいどんと!」

「私と!」

「ワターシト!」

 一人、どこの外国人か分からない男もいるが、全員の瞳は遙の姿に魅了され、輝いてい

た。それだけで輝久は後の展開を予想し、走り出す。

『付き合ってください!』

 六人の声が唱和し、口の中に吸い込まれる息の音が輝久に届いた。

 徐々に強さを増している風を掻き分けて近づく輝久の耳にも、本来なら聞こえる距離じ

ゃないその音がはっきりと聞こえた。

 炸裂する、女神の言葉。

「――カバディカバディカバディカバディカバディカバディっ!」

 連続する一つの言の葉。

 活舌良い、魂の弾丸。

 連動して動く手足による一瞬六斬の早業の先に、六人の男の身体は先ほどの輝久と同じ

くグラウンドへ沈んでいた。

「ふぅうううう――」

 右手を前に突き出し、左手を腰の辺りに沿えて、吐き出した息をゆっくりと取り込む遙。

 その姿は正に威風堂々。大地を踏みしめる両足の広げ方、膝の曲げ具合、背筋の伸ばし

具合に手の位置具合。理想的な姿勢。

 まるでその姿勢を取るがために生まれてきたような錯覚を起こさせる遙の傍に、輝久は

迫った。だが――

「――まだまだ甘いわ!」

 手が遙の背中にかかろうとした瞬間、掴みかけた手が空を切った。そして遙へと迫ろう

と立ち上がった黒人と激突する。頭蓋が揺さぶられ、意識を朦朧とさせながらも輝久は倒

れずに、目で遙の姿を追った。自分と、ぶつかった黒人を除く五人の野獣が遙を捕まえよ

うと接近する。しかし五対一という圧倒的不利な中でも、遙は連携の取れない男達の合間

を抜けてグラウンドを駆け抜けてゆく。

(――そうかっ!)

 そんな遙を見ていた輝久に天啓とも呼べる閃きが生まれた。その閃きに従い、黒人を踏

み越えて遙には構わず校門へ向けて走り出す輝久。男達の叫びを聞き流しながら、ただ一

点だけを目指す。

 群がる男達を避けながら進む遙と、一直線に進む輝久。その乖離(かいり)はほんの数

分の間。二人の軌跡は、再び一つに交わった。

 校門だけがあった輝久の視界に飛び込んでくる遙。瞬間、輝久の脳裏に勝利の方程式が

浮かぶ。一プラス一は田。全ては一つに還るのだ。

 自分に迫る気配に気づいて輝久の方を向いた遙の顔は、驚愕と恍惚に染まっていた。

「――カバディっ!」

 自然と、さっき聞いた謎の言葉が輝久の口から出た。

 遙への思いを乗せた言葉と共に遙へとタックルを喰らわせる。

 細い腰を見事に両腕に包み込み、もつれ合って倒れる。しかし、宙に浮かんでいたにも

関わらず、輝久は遙の下へと自分の身体を移動させて全ての衝撃を受け止めた。

 今、ここで彼女を抱きかかえることがゴールではないことをちゃんと理解していたから。

 ゴールではなくスタートなのだと、輝久は信じていたから。

 少しの間、遙を抱きしめたまま輝久は動かなかった。身体の痛みによるものと次の行動

を決めかねていたことが理由だが、遙が「ふふ……」と軽く笑い出したことで、手を離す。

 タックルされた衝撃は残っていないのか、遙は片手で倒れた輝久に手を差し出し、もう

一方の手で髪をかきあげた。髪に付着した汗が宙に舞う。

 陽光に照らされて空を踊る光の粒に、輝久は心に広がる充実感を自覚する。

「負けたわ。ナイス、カバディ」

「カバディ……?」

 痛む身体を強引に従わせ、遙の手を掴んで立ち上がる輝久。水を浴びたかのように充分

な水気を持つ手に滑りそうになりながら体勢を立て直すと、いつの間にか彼の周りに他の

六人も集まっていた。

「あなたのその尋常じゃない肺活量。場の空気を読むセンス。足力。タックルの強さ。何

よりも自分の思いを叶えるという、熱く猛っている魂(ソウル)! 正にあなたは、カバ

ディをするために生まれてきた男……カバディの申し子! ――あなたのような人を待っ

ていたの」

「はぁ」

 そもそもカバディが何なのか分からない輝久には遙の言葉の八割方納得できなかったが、

最後の言葉に含まれた誠実さに、彼は胸を突かれた。

『あ』『な』『た』(のような人)『を』『待』『っ』『て』『い』『た』『の』

 一字一句分解し、脳内で並べる。余分な単語を削られた文章は、輝久の心に深く刻まれ

た。いとしの人を待たせていた罪悪感が生まれ、誰かれ構わず謝りたくなる。

「ごめんなさい」

 輝久の言葉の先には先ほどぶつかった黒人がいた。急に謝られて、きょとんとした顔に

なる黒人。遙も唐突な行動に首を傾げたが、少し伏し目にして下から輝久を見上げた。

 両手は拳を作り、少し傾げた顎へ優しく添えられている。

「カバディ部、入ってくれますか?」

 輝久は空を見上げ、目を閉じた。

 先ほどまでの運動と太陽の熱によって生まれた汗が体表面を流れていく。

 汗の一つ一つの流れを知覚出来ているような錯覚。野球では得られなかった達成感。

 今までに無いほどの昂揚を得た、熱き言葉――『カバディ』

 短い間に体験した様々な思いが、一つの答えへと輝久を誘う。

「どう……ですか?」

 輝久の目の前にいるのは、理想的な造形美を取るために生まれてきたような女性ではな

かった。

 そこにいるのは一般平均よりも麗しい、一人の高校一年生の女子。

 輝久がその言葉を口にすることは、自然なことであった。

「入ります」

 遙の目が輝き、集まった六人の目が好色に染まる。

 男達のほうが少し気になったが、輝久は遙とのめくるめく甘美の世界を想像して顔を赤

らめていた。



『……汗を流して休んでいたところに差し出されるタオル』

『……自分のスポーツドリンクがこぼれたことで、遙が持っていた炭酸飲料を飲み、遠く

触れ合う互いの唇』

『……準備運動の屈伸で、背中に当たるお尻』

『……夕暮れの部室で重なり合う二人の姿――』

『……いいよ、しても』



「あははははははははぁああ〜ん」

「あ、もしもし……うん。新入部員ゲットしたよー。……え? これから? 分かったー。

シャワー浴びさせてね。……そのままで? もう、たけぴのエッチ! スケベ! マイペ

ット!」

 涎をたらしながら妄想していた輝久を帰還させたのは、いつの間にか出現した携帯電話

に向けて二オクターブ高い声を披露している遙の姿だった。

 言葉の一つ一つの反応して体がくねる。

 くねる、くねり、くねれども、くねるとき、くねろ。

 輝久は古道具屋で売っていた音に反応してくねる花を思い出していた。自分の声にくね

り、相手の言葉にくねる遙。

 結末は、もうそこまで来ていた。

「……いいよ、しても。チュッ! ん。じゃーねー」

 携帯を切り、黒人に一言二言囁いてから遙は輝久に一礼して去っていった。告白から無

言の斬撃までの間にずっと流れていた風が、再び弱まって輝久を包み込む。男達は急に汗

臭くなった輝久に、少しばかりの同情の視線を向けた。

 それの視線を避けるために目を閉じると、汗に冷えた身体を包む風の冷ややかさが感じ

られる。目頭が熱くなったり痛くなったりしているのは、きっと目も汗をかいたからと自

分に言い聞かせていた。そこに聞こえる片言の日本語。

「部費ハー、ヒトツキ千二百エンデスー」

 先ほどの耳打ちの答えを口にする黒人。どうやら部費は今日から徴収らしい。

 返す物は、一つだけだった。

「……カバディ!」

 熱き想いを込めた一撃が、黒人を宙に舞わせる。釣りなどいらない大盤振る舞い。

「カバディカバディカバディカバディカバディカバディ…………」

 聞く者を何故か物悲しくさせる咆哮は、輝久の喉が枯れるまで三時間もの間、止む事は

無かった。 





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