フラグ

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 桜が消え、春が終わり、葉も緑色が似合ってきて、季節は大量の汗が流れていく時にうつろぐ。窓際の席で見る変遷は楽しい。春眠暁を覚えずだったっけ。そんな感じで授業中も四分の三は陽気と風景の心地よさに満足するんだ。誰にも邪魔されない。そんな空間が私は好きだったりする。髪にかかるくらいの自慢の髪の毛を触りながら、外を見る。サッカー部なのか野球部なのかバスケット部なのか知らないけど、汗水垂らして叫びながら走っていた。あのノリも嫌いじゃないけれど、横目で見ることしかしなかった。
 一息ついてノートから一枚切り取った。綺麗に切り取って四つ折りにする時、体の奥底から熱いものが込み上げてきてとても気持ち良かった。自分でも変態だなと思って彼氏にだけ話すと、ただ切り取るだけじゃないかとやっぱり笑われた。確かにそうなんだけれど、ぎざぎざにではなくて、ぴっと真っ直ぐに切れるというのはとてもかっこいいことじゃないか。道具も使わず、手だけでなんて神技だ。紙だけに。折っていく間も端がずれないように神経を研ぎ澄ます。一つの正方形にしか見えない紙が出来上がったところで私は息を深く吐いた。汗が首筋に浮かんでいることに気づいて、ハンカチで顔と共に拭く。さて、ようやく次だ、とハサミを手にした時に震える携帯電話。スカートのポケットから取り出すと、メールが一件。多分、彼氏だろう。さっきから何度も震えていたから、連絡取れないことに怒っているのかもしれない。どうせ後で会うんだから見る気なんておきない。メールを確かめずに机の上に置いてから、改めて四つ折の紙に、少しずつハサミを入れていく。
 いわゆる『切り絵』だ。特にはまっているということはないけれど、たまにこうして作りたくなる。幼稚園の時はただ折った紙を切って楽しんでいたけれど、今の私には厚くなっている紙を切っていくときの手ごたえや、徐々に何かの絵が完成していく時の達成感が私の中で混ざり合う。創作って素晴らしい。創作の中で消えていく正方形も寂しくて、いとおしい。創造と破壊っていうのはこんな簡単なことにまで付いて回るんだ。
「イトオシイイトオシイっと」
 言葉にすればなんて愛おしくなさそうなんだ。自分の声ながらびっくりする。びっくりしてると思ってる自分もびっくりしてなかった。
 大体切ったところで広げたら綺麗な花が出来た。多分、花だ。どっかで見たことがある気がする。確か秋桜。花びらもあるし中におしべやめしべも形作られている。インスピレーションって大事よね。
「ここにいたのかよ」
 教室の扉を開ける音と同時に、文句が聞こえてきた。私の教室にいて何が悪いんだろうか。相手は自分の携帯を私に見せつけながら問い詰めてくる。
「メールしただろ。なんで返信してくれないの?」
「見たよ。そして放っておいただけ」
「お前ツンデレか!」
「デレがないよ」
 見たなんて嘘ついたけど、さっきのメールはこいつだったのか。彼氏じゃなくて。どうして当たり前のように返信するとか思ってるんだろう。同じクラスになったばかりのこいつ――佐藤雄二は、私にとって凄まじくなれなれしい。始業式が終わって二ヶ月が過ぎようとしているが、女子でもここまで話しかけてこなかった。新しいクラスになった瞬間、担任の女教師がクラス仲良し化計画とか言ってみんなとメルアド交換を推奨したから。当の本人は産休中だ。交換なんてしなきゃよかった。
「お前そんな性格で彼氏が可哀想じゃね?」
「あいにく心配されるほど仲悪くないし」
「でも浮気してるって噂、もう学年中に広がってるぞ」
 佐藤雄二の言葉は、私を貫いた。もう誰が見てもわかるように動きを止めてしまった。悔しい。椅子でもぶつけてやろうか。衝撃が私の右手を揺らす。
「痛い……。やっぱりツンか」
 思うと同時に右手は椅子を佐藤雄二の身体に叩き込んでいた。本当に痛かったようで右腕をさすりながら距離をとる。私を見る目が獣を見るそれだ。もうここは私にとって安らぐ場所じゃない。帰ろう。どこかに。
「えー帰るのか? もう少しここにいようぜ。減るもんじゃなし」
「一人になりたいのよ。あんた邪魔」
 一人になりたい。だから『誰もいない放課後の教室』なんて橙色のシチュエーションに染まってた。寂しく一人で『切り絵』なんてどこの引きこもりよ。辛いことは楽しいことで塗り潰せる。でも、あまりに楽しいことだと逆に押しつぶされる。友達といても、家に帰って家族といても、楽しい分だけ私は潰されていく。こんな日は痛みを抱えたまま一人で過ごしたい。午後四時過ぎなんて、帰宅部は帰って運動部は外っていう絶好の時間帯だったからここにいた。だから誰とも話したくもなかったし、そばにいてほしくもなかったのに。
「これ以上いたらハサミで目突くわよ」
「さすがツンデレだてててててぇ!?」
 手ごたえと叫び声。佐藤雄二、安らかに眠れ。両目は危ないからと両手を交互に刺してみた。血が出るほどではもちろんないけれど、とんがってる部分はやっぱり痛いみたいだ。涙目になりながら私が刺した部分をさすってる。
「痛いよね」
「当たり前だろ」
「ならこれでもつけてたら」
 さっき作った秋桜を投げつける。いくらか軽量化しても所詮は紙。ふわっとして威力を保てないまま佐藤雄二の顔にかかる。その時にはもう、私は鞄を持って立ち上がり、教室のドアから出て行こうとしていた。当てなんてない。適当にぶらぶら歩いてれば気分も少しは休まるでしょ。
「お、秋桜じゃん」
 聞こえてきた言葉に足が止まる、ということは特になくて。足は自動的に教室から遠ざかる。現実なんてこんなもん。浮気されようが三角関係になろうが、特に変化することなんてない。なれなれしい男が新しい王子様になるなんてない。たとえあれが秋桜だと分かったとしても、一瞬だけ近づいただけ。廊下をこつこつ足音を響かせながら呟く。
「結局、こんなもんよね」
 劇的な何かがあるわけじゃないし、あったとしてもそれはさほど私に影響なんてしない。物語の中じゃあるまいし。テレビドラマやパソコンゲームの中の恋愛は美しいし、泣けるけど、それは物語だから。
 現実で足りてるなら空想に喜びなど求めるもんか。
「藤野ー。まてよー」
 ウザイ。ウザ過ぎる。なんで追ってくるんだ佐藤雄二。
「携帯忘れてるぞー」
「あ」
 あっさりと止まった足に、追いつく音。振り向けば少し息を切らせた佐藤雄二。差し出されるのは私の携帯を持った右手。
「ありがと」
 何の気はなしに開いてみれば、待ち受け画面には満面の佐藤雄二の顔。そういえば、さっき突きつけてきた携帯は私と同じ機種だった。当然操作も同じだし、写真撮って待ち受けにしたわけだ。写真を撮った瞬間に待ち受けにするか選択できるから、多分メモリーは見られてないだろうけど。
「ほら。こんな感じで笑おうぜって目が!?」
 とりあえず下に大きめの宝石レプリカが付いてるストラップで強襲してみた。目を押さえてうずくまる佐藤雄二を見ていたら、腹の虫が鳴った。
「佐藤君。そんなに付きまとうなら、ご飯でもおごってよ」
「いて……、って。なんでよ? ここまでされたのに」
 声が少しだけ低くなる。さすがに目は痛かったみたいだ。ってさっきのハサミもそうか。でも徐々に険悪になって行く目つきを見て、私は超えてはいけない一線を越えたことを知る。最初に人の携帯を勝手にいじって自分の顔写真撮ったやつが偉そうに怒るな。
「さすがに失明するんじゃねぇの? たくよー。もう少し考えろよな」
「さすが佐藤君。ツンデレだね」
 私の皮肉に無言で睨み付けてくる佐藤は面白い。マゾか私は。でもなんか心がうきうきする。さっきまでの憂鬱さなんて、消えている。認めたくないけど、佐藤のおかげらしい。
「ありがと佐藤君」
「は? 文脈分からないが」
「分からなくていいわよ。ばいばい」
 背を向けて手を振りながら、私は足を止めなかった。きっとドラマとかはここで恋愛が生まれるんだろう。私はこれから彼氏と決着を付けに行って、よりを戻せばいいし、別れたらきっと佐藤と一緒になるのだろう。
 そんなことは、ない。絶対じゃないけど、特にその気はない。もちろん、決め付けるつもりもない。
 たくさんの可能性がいつも転がってて、躓いたり拾ったりしながら歩いていくんだろうから。
 まずは身近な可能性から手に取ってみよう。
 携帯で打ちなれた彼氏の番号へと電話して、決着をつけよう。
『もしもし』
 悪意たっぷりの泥棒女の声が聞こえたとしても、まずはここから始めよう。一線なんて簡単に越えられる。超えて私は先に行く。


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